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第八章 邂逅 4


 夢を見た。
 愛しい女に手を引かれて暗闇を歩く。
 その先。
 光溢れる丘。
 白い墓標。その傍で揺れる柔い花。
 愛しい女が、見知らぬ女と手と手を取り合う。
 彼女らが、自分たちを、引き合わせる。
 出逢わせる。
 向かい合わせる。
 そんな、夢を――……。


 ざわざわと、人の雑踏が騒がしい。
 ウルは馬鹿な、と驚愕していた。
 その女の動向は、<網>にしばらく見張らせていた。こちらを追いかけてくるような素振りは、二度とも見当たらなかった。こちらを追尾する気配がないと判った時点で<網>の監視を解く。そしてまた、この女は自分たちの前に現れる――……。
 可能性としては二つ。
 一つは、彼女は本当に腕のよい暗殺者で、<網>について知るが故に、まったく気取られずにこちらに近づいたという可能性。
 そしてもう一つは、全くの、偶然。
 こんな風に、見知らぬ広い土地で、全くの赤の他人が、三度も偶然に対面する。
 まるで、運命の糸に、導かれたかのように。
 そんなことが、果たしてあるのだろうか。
「あはははははははっ!!」
 最初に、沈黙の帳を破ったのは、ヒノトだった。
「なんか、よっぽど気が合うのじゃのぅ。二度も三度も、出逢うなど」
 それに釣られて噴出したのは、黒髪の女のほうだった。
「本当だ! こんな奇遇ってあるのかな! ビックリしちゃったよ」
「私も驚きました」
 ティアレが女の言葉に大きく頷いて同意を示す。
「こんなに、二度三度も出逢うだなんて――……先ほど、あちらのほうへ行かれたのではないのですか?」
「うん。でもこっちに、観光用の乗合馬車があるって聞いて。短時間で街を回れるのなら、乗ってみてもいいかなって」
「へぇ……そんなものがあるのか? ウル」
「え? はい……」
 ヒノトに唐突に話を振られ、ウルは気を落ち着けるために深く息を吸い込んだ。
「観光馬車ですね。一箇所だけ回るものから、街の要所を順々に回っていくものまで様々ですが……あぁ、あれですね」
 ウルは停留所に並ぶ馬車のうち、観光馬車とおぼしきものを見つけ、指差した。やけに派手な装飾の施された馬車。親子連れと思しき人々が乗り降りしているが、その大半が異国の衣装を身にまとっている。おそらく、祭りに際してやってきた、他国からの観光客だ。
 きらきらと目を輝かせるヒノトと、露骨ではなくとも、どことなく期待の眼差しを馬車に向ける皇后を牽制するために、ウルは素早く口を挟んだ。
「あれは予約しなければ乗れませんよ?」
「え? そうなの!?」
 声を上げたのは件の女。ウルは頷いてやった。
「えぇ」
「あーぁ、残念だなぁ。せっかくいい感じに見て回れるかと、思ったんだけどな」
 驚きのあまりに、口調が砕けているらしい。女は心底残念そうにそういって、これからどうしようかなぁと呟きながら、腕を組んだ。
「見てみたいところは、あるのですか?」
「ん? んーいや」
 女はティアレの問いに、静かにかぶりを振った。
「私来たばかりで、どれが観光名所とかいうのもわからないから、ぐるって見たりするだけでも楽しいんだ。観光馬車なら効率よく名所が見られるのかなぁって思って、こっちにきたんだけど。そうだよな。そんなものにはやっぱり予約とかも必要だよなぁ」
「そうなのですか」
「結構観光名所とか、詳しい?」
「いいえ。私は――……」
「妾たちも、まだあまりこの国について知らぬのじゃ」
 言葉に詰まるティアレを救ったのは、ヒノトだった。
「妾たちも、おんしと同じ。観光中じゃよ」
「へぇ。どこから来たんですか?」
「隣の国じゃよ。水の帝国じゃ」
「水の……?」
 ヒノトの回答に、女の表情がふと変わる。ウルはぎくりとなった。それほどに、女の顔色が変わったからだ。もしかして、ただ観光を楽しんでいた暗殺者だったという可能性もありうる。水の帝国出身だということを聞いて、ティアレの容姿を吟味すれば、その道の人間ならば、こちらの素性はある程度割り出せるだろう。何せ、ティアレは目立つ容姿をしている。何者の追随を許さぬ美貌。それを飾る、緋の髪に、七色に移り変わる摩訶不思議な双眸。
 しかし女は、明るい表情を見せて言った。
「私の連れもね、水の帝国出身なんだよ。私はまだ行ったことないんだけど」
「へぇ、それは奇遇じゃのぅ」
 ヒノトが呟き、だねぇと女が合図地を打つ。彼女らの楽しげな様子に、ウルは安堵に胸を撫で下ろしながら軽く頭を振った。
 どうして今日はこんなにも頭が回らないのか。自らを詰りたい気分に駆られる。
(意識を、取られているのでしょうね……)
 認めたくはないがしかたがない。おそらく自分はまだ、意識の片隅に彼の姿を探しているのだろう。
 姿を消した、宰相の姿。
 ウルも知らぬ誰かを連れてはいたが、間違いない。あれは宰相だ。
 もう四年も、姿を消していた宰相。
(閣下……)
 彼は逃げた。ウルの声に反応して。間違いなく、あれは逃走だった。
(どうして……陛下の下に、戻られるつもりは、ないのですか?)
 <網>に探させてはいるが、いまのところ引っかかった様子はない。宿に篭れば、網に引っかかりにくくなる。宰相は、<網>の特性をよく知っている。
「貴方はどちらからいらっしゃったのですか?」
 ティアレの問いに、彼女は言った。
「北の大陸から」
「まぁ……そうなんですか?」
「アントニア地方っていうところなんですけれど……知ってます?」
「知っていますよ。砂漠のほうからこられたのですか。もう少し手前の荒野のほうから?」
「荒野のほうからです。……よく知ってますね、あの土地のこと」
 アントニア地方は、地図上では北大陸でもっとも東大陸に近い土地だが、高い山脈に海岸線が覆われているために、直接交流することの少ない地方だ。どの辺りが荒野でどの辺りが砂漠なのか、ウルにもわからなかったが、作物の育たぬ荒れた土地に、小国がぽつぽつと点在することは知っている。
 詳しい様子を見せた皇后は、少し遠い眼差しを見せて微笑した。
「……私も、北の大陸の出身ですので」
 ティアレの出自は娼婦だった――そのことは、諜報の長であるウルには知らされていたが、さすがに出身地までは。そういわれれば、ティアレの白い肌や美しい緋色の髪に、北の大陸の民族の面影がある。
「あれ? そうだったのか? 妾も知らんかったが」
 ヒノトが、拗ねたように口を挟んだ。
「あれ? いいませんでしたっけ?」
「しらぬよぅー」
「すみません」
 ヒノトが口を尖らせ、ティアレがそれを必死になだめている。それを眺めていた女は、軽やかな笑い声を立てていた。
「そこから、ずっと旅をしてきたのか? おんし」
「うん。あちこちの街に滞在して、仕事したりしながら。この大陸に来たばかりっていうのは言ったっけ? 実は今朝着いたんだけど」
「あぁ、船でっていうておったの。長旅じゃろう。妾はもう二度と嫌じゃ」
 ヒノトがいやいやという風に身体を揺らす。女はそうかな、と軽く首を捻った。
「無補給船だったから結構快適だったけど……船で旅したこと、あるの?」
「妾の出身は南大陸じゃからの」
「へぇ? じゃぁ水の帝国も観光なの?」
 そういわれても確かに仕方がないのかもしれない。今思えば、ヒノトもティアレも水の大陸の人間でない。加えて言えば、自分もまた出自はこの国だ。ばらばらな出自を持つ三人組。水の帝国を観光して、こちらに移動してきたと思われてもおかしくはない。
「いえ。もう私たちは」
「水の帝国の人間じゃよ」
「へぇ……。あの国、住みやすい? 昔は随分と荒れてたって、聞いてるけど」
 女の問いに、皇后たちは顔を見合す。そして二人揃って頷いた。
「えぇ。とても。優しい方たち、ばかりですよ」
「妾は冬の寒さがこたえるがな。……なんじゃおんし、連れは水の帝国出身じゃなかったのか? そちらに聞けばよいであろうに」
「うーん。そうなんだけど……ほら、たまには別の人からの率直な感想っていうものも、聞きたくて」
 なんとも端切れの悪い回答だった。ティアレはそうですか、と相槌を打ち、ヒノトは腕を組んで唸ったあと、きょときょとと周囲を見回している。
「ウル。馬車は、まだ来ぬようじゃな?」
「え? えぇ……そうですね」
 前触れのないヒノトの問いに、ウルはどことなくいやな気配を感じた。釘を刺すべく口を開きかける。しかしヒノトが笑顔で女に声を掛けるほうが早かった。
「なぁおんし、妾たちと一緒に、すこし見て回らんか?」
「え?」
「ヒノト様……!」
 女が返答するよりも前に、どうにかしてことを納めなければならない。ティアレとヒノトの二人を自分一人で警護し続けるには限界がある。情にほだされてこうして馬車を降りる機会を与えてしまったとはいえ、一刻も早く館に戻って気を落ち着けたいところが本音だった。
「ウル」
 ヒノトが、穏やかな声音で名前を呼ぶ。そこには、思わず直立不動で耳を傾けたくなるような引力が備わっていた。こういうときに思い出すのは、彼女も内密とはいえど、とある国の王族の血を引いているのだという一つの事実だ。
「二度三度も偶然が重なって出逢うなぞ、滅多にないことじゃよ。稀な偶然がせっかくこれだけ重なったのじゃし、まだ時間はあるのじゃろう? だったら、すこし一緒に、街を見て回って、お茶をするぐらいよいのでは、ないか?」
「いや、え、あの。迷惑なら……いいよ?」
「迷惑なものか」
 女の遠慮を、ヒノトが一言の下に一蹴する。あぁ、と頭を抱えたくなりながら、ウルはヒノトを見つめ返した。
「なぁウル」
 駄目です、と断固として主張しようとしたウルは、控えめに挟まれた皇后の声に、息を呑んだ。
「私からも――頼めませんか、ウル?」
 ティアレ様まで――……。
 ティアレの声音に、強制の色はなかった。ここで駄目だと強く突っぱねれば、彼女は引くだろう。
 しかし、滅多に物事をねだることのない皇后の頼みに、抗える者などたかが知れている。そして自分もまた、彼女に仕える公僕の一人なのだ。
 本当に、危険だと思うならば、彼女らの頼みを突っぱねることもできた。しかし今のところ、目立った危機は見当たらない。周囲を監視している<網>も、沈黙を守っている。
「貴方にとってはご迷惑ではないのですか?」
 ウルは一縷の望みをかけて、女に尋ねた。
「お連れの方が宿で待っているというのなら、早く戻らねばならないのではないですか?」
 ここで相手の女が、ティアレとヒノトの誘いを断ってくれれば、と、ウルは一縷の望みをかけた。女は困惑の表情を浮かべてウルを見返してくる。ティアレたちの主張を立てるか、それともウルの心情を取るか、悩んでいるようだった。
 しばし沈黙した後、女は嘆息して言った。
「えっと、夕方までに戻れば、いいんです。一緒に回らせてもらえるなら、是非」
「――――っつ!」
 きらきらと期待の篭ったティアレとヒノトの視線が、ほぼ同時にウルに突き刺さる。無意識のうちに身を引きながら、その視線と無言の攻防を繰り広げること、しばし。
「……馬車が戻ってくるまでですよ」
 がくりと項垂れながら、ウルは呟いた。
「ありがとうございます、ウル!」
「さすがウルじゃ! エイと違って景気がよいのぅ!」
(それを言ったら、カンウ様が嘆かれますよ、ヒノト様……)
 大体、この外出も左僕射の好意によるものであるということを、ヒノトはどうやら忘れているらしい。
 女二人の歓喜の声を聞きながら、ウルは心中ではらはらと涙を流した。誰が彼女らの期待の視線に抗えるだろう。誰も抗えまい。
 ティアレの表情は明るく、ヒノトは彼女の笑顔を見つめながら満足そうに微笑んでいる。彼女ら二人に巻き込まれることになった女も、この雰囲気に呑まれたのか、それとも本心からか――ひどく嬉しそうな、はにかんだ笑いを見せていた。
 <網>に照会すると、馬車が戻るにはいま少し時間が掛かるだろうとのことだった。近場に馬車を停車させておけるような場所がなかったらしい。馬車は、街の通りを一巡りしているようだった。
「すみません」
 唐突に女に声を掛けられ我に返ったウルは、瞬きを繰り返しながら女を見返した。
「はい?」
「私は自分の身も守れますし、何かあったら、多分人一人ぐらい守れる程度のことはできるんじゃないかなと、思いますので。その……」
 口ごもった後に、女は続けた。
「お邪魔します。すみません」
 ぺこり、と提げられた、黒髪に包まれた小さな頭を眺めながら、ウルはいいですよ、と言った。
「お気遣い、ありがとうございます」
 面を上げて、女が明るく微笑む。それに吊られて笑いながら、ウルは仕方ないかと気を取り直すことにした。
「紹介しよう」
 ヒノトがふいにウルを指差して言った。
「こっちはウルじゃ。妾はヒノト」
 次に、ティアレが胸元に手を当てて微笑む。
「ティアレと申します」
 最後に、女が名乗る。
「シファカだよ」
 そして、彼女らは笑い合った。
『よろしく』


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