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第三章 追憶の森 3


 今。
 この女はなんといったのか。
(殺せといったのか?)
 女は自らの胸元に手を当て、ラルトを真っ直ぐに見つめていた。曇りない、透徹した眼差し。人形のように無気力な目をしているかと思えば、このような光を宿して。人に自分を殺せというときに、このような強い意志の輝きを見せるのは、何か大きな間違いのような気がするが。
「ふざけるな」
 ふつふつと込み上げる怒りに我を忘れそうになりつつ、ラルトは低く呻いた。
「何を言っているか判っているのか? ふざけるのも大概にしろよ」
「ふざけてなどいません。改めて申し上げます陛下。この国を本当に守りたいと思うなら、私を今すぐ殺すべきです」
「あんたが呪われているから?」
「そうです」
 あまりにもきっぱりと断言する女に、ラルトは多少面食らいつつ、苦笑した。嘲りの笑い、と言い換えてもいい笑みが、口元を歪めていく。
「あんたの呪いは、本当に呪いなのか?」
「……どういう意味ですか?」
 本当に理解しかねるようで、ティアレは大きく首を捻っていた。顔の表情は乏しいものの、目が雄弁に怪訝の二文字を語っている。
「あんたの呪いはあんたの魔力の高さからくるものだろう」
 ラルトは呼吸を整えつつ、次第に口のすべりが勢いづいていくのを感じていた。
「その瞳の色が示すように、確かに異常な魔力を身体に内包して、世界の魔の均衡が崩れないわけがない。天変地異も容易に起こる。だが、魔力が高いだけでそんなにも簡単に崩れてしまう均衡なら、彼のメイゼンブルはもっと以前に滅んでいてもおかしくはなかった。世界屈指の、魔術大国。それこそ世界で屈指の魔力をもつ魔術師たちが、日々凌ぎを削っていたんだ。いいか。よく聞けよ。あんたの呪いの正体は、あんたの不安定さが要因だ。魔力の制御の仕方も、精神の落ち着け方も、何も知らないことが原因だ。呪いに振り回されるな! 落ち着いて身のふりかたを考えろ! 人形みたいにあっちへこっちへ引きずられて、その溜まった感情が、あんたの呪いの正体だ!違うか?」
「ちが……」
「だったら何だ!」
 ティアレは、胸元の手を静かに握り締めながら、下唇を噛み締めていた。
 珍しく感情的になりすぎた、とラルトが後悔したのもつかの間、ティアレがでしたら、と口にしながら面を上げてくる。白い顔には感情の片鱗も見られない。強い眼差しばかりが、彼女の意思を伝えてきた。
「ラルト様の、呪いは一体なんなのです?」
「……は? だから」
「裏切りの呪い。他者に、裏切られる血塗られた呪い。いったいどれほど長い歴史をこの国が持つのか、私は存じ上げません。実際、教養のない私では、それがどれほどの長い時であるのか判らない。ですが一つ判ったことがございます」
 興奮しているのか、珍しく頬に朱が差していた。謁見の間に引きずり出されたときのような無気力さはなりを潜め、何かに突き動かされるように女は断言する。
「私の呪いが貴方様のいうように、私の不安定さが原因だというのなら、この帝国の呪いは、裏切りの呪いは、ラルト様が他者に信頼を預けないことに端を発していると思います」
 面食らうラルトの背後で、ジンが小さく口笛を鳴らしていた。幼馴染をじろりと一瞥して、ラルトは声音低く彼女に問わざるをえなかった。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味でございます」
 女はそう答え、ややおいてから、躊躇いがちに、だが決然とした物言いで付け加えてきた。
「信頼を与えないものに、他者が信頼を返すはずがないのです」
「何故俺が他者を信頼していないと言い切れる?」
 まだ一度しかまともな会話を交わしたことのない女が、どうしてそのようにこちらのことを断言できるというのだ。
 背後で薄笑いを浮かべている幼馴染の視線をあえて無視し、苛立ちを込めてラルトは問うた。ティアレは口元を一度引き結ぶ。
「ラルト様は、私を探していらっしゃったのです、よね?」
 次に零れた彼女からの問いは、先ほどとは打って変わって頼りなげな声音だった。
「……そうだ」
 他に何をしていたら、このような城の辺境にたどり着くというのだ。
 ここは裏の森の奥に作られた、幽閉のための塔なのだ。
 森に足を踏み入れたらしい――そして実際そうだったわけであるが――ティアレを探してでなければ、このようなところにまで来たりはしない。
「何故、皇である貴方様が、私如きを探しにおいでになられるのですか?」
「……なぜ?」
 ティアレが、姿を消したからに決まっている。眉根を寄せながらそう答えるべく口を開きかけたラルトを制し、彼女が意外なことを口にした。
「確かに、私の存在はあまり知られたくないものであるのでしょう。ですが……それを差し引いても一体どこに、私如きを探すために、皇である貴方様自らがおいでになる必要があるのですか」
 そう、厳かに詰問してくる女を、ラルトは閉口して凝視した。教養も何もないはずの、娼婦の女。その透徹した眼差しに、叡智の色を見て取ったのは確かだが……。
(この、女)
 ラルトは苦虫を噛み潰した気分を味わいながら、女を改めて見返した。
(鋭い)
 想像以上に、聡明だった。
 世界各国を、強制的ではあったにしろ、漂泊してきた女だからこそ身につけることの出来た、観察眼というものであろうか。
 つまりティアレは短い問いを通じて、このように述べているのだ。
 ティアレを探すにしても、何故、他者に探させない。皇帝ともあろう存在が、自ら探しにいかなければならぬほど、信頼の置ける存在は数少ないのか、と。
「私の存在が、他者に一体どのように認知されているのか、完全に秘匿とされているのか、私にはわかりません。ですが私如きにラルト様が直々においでになられる必要など全くないはずです。本当に、信頼を他者に預けているのなら。ですがそうではないから、一体ラルト様が何を行おうとしていらっしゃるか判らないから、他の方々はラルト様の意向を裏切らざるをえなくなる。違いますか?」
 ティアレのいう通り、確かに他者に信頼を預けているのなら、自分が自ら時間を割いてティアレを探しにくる必要はなかった。
 だが、こちらにもこちらの事情というものがある。
 信頼を置いていないわけではない。信頼を置いていたものが、いなくなってしまったのだ。
 陶器の砕け散る音を合図として、全て奪い去られてしまったのだ。
 あの、秋の終わりの夜に。女の哄笑に包まれて。
 事情を知らぬティアレにそのようなことを愚痴てもどうしようもない。どう反論すべきかと思案していると、ティアレが視線を床に落としながら、毒づいてきた。
「……もともと、王と呼ばれる存在が周囲を裏切り、裏切られていくのは呪いではなく当然の理なのです。上に立つものは、下々の心など、わかるはずがないのですから」
 彼女の口調には、権力者への憎悪が滲んでいる。彼女の経歴を考えれば理解できなくもないが、それでもラルトにもまた言い分があった。
「そりゃぁ判るはずがない。生まれ方も育ち方も違うんだ。だが判りたいと思っている。そうあろうと力は尽くしているつもりだ」
 血塗られた一族がどのようにして血筋を作っていくか、理解しろといっても難しいだろう。生まれたと同時に毒の洗礼を受けることも多々ある。男ならなおさらだ。実際暗殺されるのを防ぐために、自分とジンは物心つくまで女として育てられていたし、それ以後も、乳母が、侍女が、護衛の官が、笑顔の裏に刃を隠して襲い掛かってくることなど常であった。
 だが逆に自分たちは、餓えなかった。衣服にも困らなかった。民は酷く貧窮していたのに。田畑は荒れて、田園の美しい緑や稲穂の金が消えていたというのに。自分たちは餓える苦しみを知らない。
 決定的な経験の溝。努力なくして理解しろなどというほうが無理だ。だからこそ、力は尽くしている。判りたいと思っている。
「それは自己満足にすぎないのではないですか?」
 だがティアレはラルトの反論に臆することもなかった。
「王は容易に周囲にいるものの心を踏みにじり、強引に道を作っていく。強引さゆえに道をたがえることとなったとしても、それは裏切りではないのです。近しいものであればあるほど、王の傍若無人に、付いていけなくなるのではないのですか。一番の被害を受ける方々なのですから。貴方様方が口にする信頼など、単なる押し付けに過ぎません。貴方様のいう呪いは――呪いではない」
 きっぱりとそう断言する女に、憤慨しなかったとは嘘になる。
 一瞬、女を引きずり倒すために腰を上げかけた。寸でのところでラルトを押しとどめたのは、その気配を気取ったらしいジンの鋭い牽制だった。
「そこまでにしておきなよ二人とも」
 ジンの緊張感に欠いた声は、ラルトの血の上った頭を一瞬で冷やした。ティアレも同じくだったのだろう。頬を紅潮させたままの女は、どこかぽかんとした面持ちで傍観に徹していた男を見上げていた。
 二人分の視線を受け止めた宰相は、軽く肩をすくめてみせた。たっぷりとられた両の袖口に手を突っ込んで、寝台にとりつけられた天蓋の支柱に軽く背を預けている彼は、飄々とした笑いでラルトの毒気を抜いた。
「なかなか面白い議論だったけど、どっちの呪いが本物かなんて言い争ってても不毛なだけじゃん。実際、どちらも本物なんだと思うよ。原因はなんであれ、人の人生を禍々しく侵食していくものは、一般的に呪いって言われるんだ。違う?」
 そう問われれば、肯定するのが正しい。人は何か原因不明の禍害が身に降りかかったとき、誰かに責を押し付けたがる。そのために、呪いという言葉が用いられる。もっともこの国にかけられた呪いは、もっと術式的な方法が用いられたと記録にあるので、ジンのいうところの呪いとは多少異なる気もするが。
 そもそも自分は、ティアレの人生を侵食した何かを、否定するつもりは毛頭なかった。それが、呪いであるということに対しても、異論を唱えるつもりはなかったのだ。
「とりあえず、こうしてみたらどう?」
 ジンは右手の人差し指を天井に向かって立てると、悪戯を思いついた子供のような顔をして提案してきた。
「まぁその足じゃどのみちしばらくは動けないんだろうしってか、下手にうろつかれちゃこっちが困るし、傾国の姫君はここでの軟禁生活を楽しんで、これからの身の振り方や、どうやったら溢れる魔力の制御が上手くいくかとか考えてみる」
「……失礼ですが、多少考えた程度で全てが収まるとお考えで?」
「いいや?」
 冗談だろうと、声を挟むティアレの毒気を抜くように、ジンが即答で否定した。呆気に取られたらしい彼女を前にして、ジンがでも、と付け加える。
「ラルトのいうことは一理あると思うよ。精神の不安定さ。己の人生の理不尽さ、権力者に対しての憎悪。そういったものが君が言う“滅び”の引き金には、なってるんだと思う。君がさっき意識を荒げてた時、この空間の魔が捩れかけてたのが、俺には見えてた」
「見えていたって……」
「ジンは魔の才能があるからな。粒子が見える」
 ラルトは口を挟みながら、ジンが自分には見えない世界を見る才能の持ち主であることを思い出した。彼はメイゼンブル公家の血を引いていて、魔術の才がある。それゆえに、魔術師なら見えるという魔の粒子を確認することができるのだった。ラルトには全く、それこそ小指の爪の先ほども、銀の粒子とやらを確認することができないのであるが。
 呆然とするティアレに、ジンが肩をすくめて続けた。
「そりゃぁ考え方一つで呪いが解かれるなんてありえない。君の呪いもこの国の呪いも、もっと深い、魔に根ざしたものだから。だけど、呪われていると認識したらあとは泥沼なんだと思う。ラルトが面倒みるっつってんだから、まぁ甘えてのんびりしてみれば? 言いたいことをいって、したいことをして、自由の空気を吸う。そりゃそれなりに軟禁生活でございますけれども、それはこっちの事情だから勘弁してもらうとして。結構変わる世界あるかもよー?」
「ですが」
「そのかわりっつっちゃなんだけど、ラルトにも条件つけさせるからさ」
「オイ俺にも何か要求するのか?」
「当然でしょ。だって不公平じゃん可哀想じゃん、女の子だけになんか要求するの」
 思わず眉間に皺を寄せて不快感をあらわにすると、ジンがからからと笑った。
「そんなに怖い顔しないでよ。ラルトにつける条件はそうですねー。とりあえず狸爺たちと和解とか」
「はぁ?」
 本気か? との意図を込めて、大仰に問い返す。だがジンはけろりとしたもので、にこにこと能天気な笑いを浮かべているだけだ。
 ジンのいう狸爺とは、俗に言う大臣たちだ。この国には議会がある。かつて、民の意思を取り入れるために設立されたものであるが、今はもう事実上世襲制となっていて、初期に議員を務めたものたちの家系が、大臣家と名乗って席を置いている。その家長たちが、若い皇帝を欺き陥れる機会を虎視眈々と狙う、“狸爺”共である。
「がんばってあの人たちの信頼を、ラルトががんばって勝ち得てみるというのはいかがでしょう」
「なんだそれは」
「だって俺あの人たち嫌いなんだもん。頑張ってあの爺さんたち味方に取り入れてよ皇帝陛下。そしたら俺仕事楽だし」
「……宰相が皇帝に言う言葉かそれは」
「そしてラルトも、周囲を信頼できるように努力すること」
 頭を抱えて呻くラルトに、ジンが追い討ちをかけてくる。面をあげると、穏やかな幼馴染の眼差しがそこにあった。
 先ほどの飄々としたものではない。もっと遠い、過去を透かし見る、悲哀が入り混じった眼差し。
「そういう時期に来ているのは事実だよラルト。もう……三年だから」
 三年。
 ジンに言われて改めて認識する。そう、もう三年が経ったのだ。
 ラルトは軽く部屋を見回した。冷えた石作りの部屋。簡素で、広く、質素で、暗い、塔の最上階に位置する空間。
 ここに、かつて女が一人幽閉されていた。
 狂った笑いを浮かべて泣き崩れながら、ラルトとジンから、沢山のものを奪っていた女が。
 三年、経ったのだ。
 裏切りの呪いとやらの骨頂を、この身に刻まれてから、もう三年が。
「そうだな」
 ラルトは笑った。
「いいだろう。いい考えじゃないか。どうするティアレ・フォシアナ? この考えに、乗るか乗らないか。あんたが本当にどうしてもこの国を出て行きたい。次の所有者にあんたの身を引き渡して欲しいと思うなら、それでもかまわない。人里離れた場所に家と畑が欲しいというならそれでもいい」
「私に……選べ、と?」
 ティアレは当惑したように呟いた。かつてこのような選択を、彼女は迫られたことがなかったに違いない。選択などない人生だったのだろうということは、想像に難くない。
 娼婦として、愛玩の商品として、権力者から権力者の手へ、売り渡され続ける生。
「だが俺としてはあんたの呪いにやっぱり興味があるし、話もしてみたいと思っている」
「なかなか面白い子だもんねぇ。皇帝に食って掛かる娼婦なんて、なかなかお目にかかれないと俺思うよ」
 能天気に口を挟む幼馴染に黙れと念を送っていると、女の途方にくれたような呟きが耳に届いた。
「ここにいて、私は何をすればよいのでしょう?」
「それは自分で考えろ。娼婦でいたくないのだったらな」
 ティアレが、娼婦として、人生の尊厳全てを踏みにじられることを憎んでいるのは明白だ。だが、その憎悪の矛先を唐突に取り上げられても、途方に暮れてしまうのだろう。
「これで互いの呪いがただの被害妄想に端を発すると証明できれば、もうけものだな……で、どうするんだ?」
 逡巡をみせたものの、ややおいて、女は答えた。
 是、と。
 ティアレ・フォシアナが、内々ではあるが正式に、この国の客人となることが決定した、瞬間だった。


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