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第十章 今でも愛するその人が 2


「なかなか優秀なんよあいつ。学館卒業したばっかとかってぬかしてるけど損所そこらのひよっことはわけが違うはずだって。去年のフベート地方の領主交代に一役買ってるってハナシ」
「へえ? なんだそんな奴が学館にいたのか」
 これでもし無事に舞台の準備がきちんと完了すれば、その功で上に引き立てなければならないだろう。優秀そうであった。まだ若いが、自分達も現在の位に就いたときは若かった。エイ・カンウ。名前を忘れぬよう胸中で転がしながら、ラルトは学館から資料を取り寄せなければと思った。
 学館は水の帝国の地方に点在する最高位の教育施設だ。大抵官史を目指すものが学問と武芸を修める。
「まぁ忙しかったから知らんかってもしゃあないんじゃない? 大体あいつ表舞台にはぜんぜん顔見せてないし。あぁそれよりもさーラルト、大変なんよ。聞いて聞いて」
 足早に並んで歩いていたジンが、突然前に躍り出てばっと両手を広げる。ラルトはきょとんと目を丸めてジンを見返した。ジンの顔つきは神妙なのだかそれともどこかふざけているのか、非常に曖昧で判りづらい。
「何が大変なんだ?」
「あんねー舞の奉納の巫さんねー、もしかして踊れないかもって」
「はぁ!? 何でだ突然困るぞそんなの。シノが死にそうになってるんじゃないのか?!」
「まだ会ってないからシノちゃんの様子はわからんけども。えっとねー林檎飴の食べ過ぎだって」
「……誰だそんな阿呆は」
「いやだからーその巫の女の子だって」
「そんなことは判ってる!」
 もともと募っていた苛立ちは頂点に達し、ついつい上げた声は怒気を含んでしまう。ジンがぱちくりと目を瞬かせ、一瞬遅れて笑い声を上げた。
「あははは短気は損気だよ陛下ぁ」
「笑い事じゃないぞ宰相……」
「そんなティーちゃんと一緒にうろうろできないからってかりかりすることないじゃんねぇ」
「ジーンー!!」
「で、本題に戻るけど」
「あぁそうしてくれ……」
 こっそりぐったり喚き疲れて、ラルトは深々嘆息しながら壁に寄りかかった。本殿の、磨きぬかれた白亜の壁。木造の楼閣である奥の離宮と、壁の温度は異なって、背中越しに冷気に冷やされた壁の温度が伝わってくる。
「代役見つけてくるから承認の署名ここにしてラルト。前もって署名もらっときゃ楽チンなの俺」
「お前代役見つけてから言いに来いよ」
「いいじゃんよラルトこれからまた来賓会場に戻るんしょ? 駄目じゃん皇帝客もてなす人なのに客ほっぽいたら。ダッシリナと諸島連国とマジェーエンナとほらあれどこだっけ」
「ウル・ハリス」
 手をばたばた振って、幼馴染が示そうとしている場所をすぐに悟ってラルトは呻いた。ジンが満足げに笑って続ける。
「そうそこの来年の貿易関税あれこれ決めてこなきゃならんのでしょ」
「それいったらお前もだろうが」
「俺代役みつけたらすぐ戻るし。てかラルトの代わりにもう約束取り付けたのあるよ。アッシジとディアナとフロッコ。戻ってもう一回お話しといてよ」
「え? この間話してたカルナ鉱石の件もか?」
「うんー。この間打ち合わせてた三ヵ年計画のあれ全部。俺手水行って来るっていって抜け出してきたしさー。早く署名して大使相手しに戻ってよラルト」
「というかお前が代役探す必要がどこにあるほかの奴らにやらせろよ」
 大体何ゆえ他の役務で忙しい宰相が、代役探しに駆けずり回っているのだ。だがジンは肩をすくめてさらりと訊いて来る。
「やらせる人間どこにいるの?」
 ……考えれば、本気で人材不足であり、誰もがあちこち駆けずり回っているのであった。
 当然その用件を引き受けた最初の人間が、責任を持って引き継ぎ役を見つけるまでその用件をこなすことになる。
「……悪い、頼むわ」
 眉間に手を当てて呻くと、勝ち誇ったようにもう一度ジンが笑う。ぬっと彼が差し出してきた紙に、同じく差し出された筆記具を使って手早く署名する。名前の末尾で筆記具の金具が紙にひっかかり、びっという音を立てた。
「人手不足は深刻だよな」
 しみじみと、ラルトは呻いた。祭りを終えた後、何よりも先に人材の補充を行おうと決める。
 威張っているだけの皇帝は性に合わないが、それでもある程度玉座を暖める時間が必要なことはわかっていた。実にくだらないことではあるが、皇帝という位には、体裁というものが必ず付属品としてくっついてくる。
 かなり無理をして人材の大々的な募集と選定を行わなかったのは、ラルト個人のこだわりだった。執着といってもいい。昔に死んでしまった仲間たちの席を、他者が温めることを、無意識のうちに避けていた。
「まったくじゃねー。早いとこ人材集めて纏めないと。これから大変だねぇラルト」
「お前人事みたいにいうなよ」
 苦笑して顔を上げ、ラルトはひっそりと笑うジンを見つめた。物心ついたころからそこにある幼馴染の顔。とても近いところにあるはずのジンの笑みが、どうしてこんなに遠いものに思えるのだろう。
 それは、今朝投げ捨てた書類のせいかもしれない。
 すれ違っている。何かが。覚えがある。この違和感。
『ラルト。疲れているでしょう。みんなを招いてお茶会を開きたいのだけれどどうかしら』
 両親の元から戻ってしばらくして、夢見るかのように微笑んで、そう提案したレイヤーナ。
 あの微笑に、似ている。
「ジン」
「んじゃね。俺シノちゃんのところにいってお話してこないと。なるべくすぐ戻るようにするしねー」
 伸ばした手は空を握って、その向こうでジンはくるりと身を翻していた。ふわりと翻る正装の長衣の裾。遠ざかる背中が曲がり角の向こうに消える寸前、ラルトは何かに突き動かされるように叫んでいた。
「ジン!」
 ジンの足がぴたりととまり、彼がくるりと振り返る。ん、と小首をかしげるジンに、ラルトは慌てた。特に何を言おうと思ったわけでもないからだった。
「あーいーやージン。えっと………ありがとうな。早く戻れよ」
「巫に見合うかわいーこちゃんがすぐ見つかったらねー」
「見つからなかったら女官に探させろ!」
「にゃははははは」
 軽い笑い声をたてて、ジンが曲がり角の向こうへと姿を消す。ラルトは腰に手をあててしばらくジンが消えた先を見つめていた。残像のように、まだ彼の身につけていた浅黄の色が瞼に焼き付いている。
 空を握り締めた拳を見下ろす。瞼を一度、故意に閉じて、奥歯をかみ締める。
 踏ん切りをつけるようにそろりと息を吐いて、ラルトは足を踏み出した。曲がり角。ジンとは逆の方向へと、つま先を向けて。


 ラナに導かれて足を踏み入れた部屋は、非常に重たい空気に満たされていた。いくら鈍いティアレでもそれぐらいは感じ取れる。部屋の隅で、椅子に腰を下ろしたシノがこめかみを押さえている。彼女はティアレの姿を認めると素早い動作で立ち上がり、洗練された一礼をした。
「申し訳ございません、お帰りなさいませ」
「いいえ、お邪魔して申し訳ございません」
「街はお楽しみになられまして?」
 舞の奉納関係者の控え室は、今は閑散としていて、存在しているのはシノと自分、そして自分の背後に控えているラナの三人だけだった。もっとも、他に誰か見知らぬ女官がいたりでもしたら、ラナがこちらにティアレを招かなかっただろうが。
 床に散らばっているものを踏まないように注意深く足を踏み入れつつ、ティアレはシノの問いに応じた。
「とても面白かったです。以前街を訪れた時とは、またぜんぜん違って……」
「年々賑々しくなっていきますわ。よろこばしいことですこと」
 ティアレの斜め後ろでラナが微笑む。シノもまたつられるように微笑んで大きく頷いた。
「お楽しみいただけたようで、私も嬉しいですわティアレ様」
 ティアレは口元に笑みを浮かべた。まだ目の前にいる女官長のような朗らかな笑顔を浮かべることにはなれないにしろ、近頃は笑みらしきものを浮かべて見せるのも、そうそう難しくはなくなってきていた。シノへと歩み寄りながら改めて周囲を見回す。人が居ない代わりにといってはなんだが、小さな控え室はこれでもかというほど、ティアレには理解し得ないものが散乱していた。
 奉納される舞の小道具が籐の籠に収められて壁際に積まれている。幾枚も掛けられた反物。簡易鏡台の上には髪飾りや化粧道具。集団の舞いを踊るひとたちのものであろう。先ほどすこし覗いてきたところだった。綺麗に髪を結い上げ金銀と花で飾り、大輪の華が壮麗な刺繍の施された衣の裾を翻して躍っていた女たちを思い出す。
「失礼いたしますシノ様。巫の方はどうなされたのですか?」
背後でラナが小首をかしげてシノに尋ねた。その視線が向かう先は、シノの背後にかけられた白と紅の衣装だ。ティアレは覗き込んでいた反物から目を放してその紅白の衣装を見やった。
 今しがた見ていた衣装よりもうんと倹しくみえる簡素な型をしている。
 けれどもほんの少し近づいて、よくよく目を凝らせばしみひとつない白と、斑のない鮮やかな深紅で上下は染め上げられ、白い上の袖口は下と同じ色で染められた飾り紐で縁取られていた。さらにその袖口には、細かな刺繍がされているのも見て取れる。その細かさといったら目が痛くなるほどのもので、布、染料、糸と、品物それ自体は他の衣装とは比べ物にならないということがよくわかった。
 巫の、衣装だ。
「それなのよ。もう本当に頭が痛いわ」
 常々浮かべている笑顔を珍しく消して、シノが盛大にため息をつく。
「何かあったのですか?」
 シノの疲弊具合に、ティアレは衣装から面を上げて首を傾げた。
「もうすぐ集団の舞が終わります。それから一つ剣舞をはさんで、次は舞の奉納です。それなのに今になって、巫の子が出られないと辞退してきたのですわティアレ様」
「そ、それって大変ではございませんかシノ様!」
 ラナが仰天の声をあげる。シノが不機嫌そうに、ほんの少し口角を持ち上げた。
「ええそうよ。だから代役の子を探しに、みんなに方々を走り回っているの。そんな問題でも起こっていなければ私だって迎賓会場の指示に戻らなければならないのよ……そういうことでございます、ティアレ様」
 向き直ってくるシノは、本当に参ってしまっているようだった。もともとここ数日、彼女は準備に追われて疲労が蓄積しているのだ。どこか視線はさまよい、目元には濃い疲労の色が見て取れる。
「代役とは、すぐに見つかるものなのですか?」
 シノは静かに首を横に振り弱々しく微笑した。
「いいえティアレ様。……まあ踊りの才はさほど関係ないのです。ただ……」
「あーいたー」
 突如割り込んできた声に、ティアレはびくりと体をすくませた。突然であったから驚いたのではない。その声の主に、慄きにも似た震えが体中を走ったのだ。そろりと背後を振り向けば、開いた扉のその向こうに、陽気な笑顔を浮かべたこの国の宰相が立っていた。
「閣下、わざわざいらっしゃられなくても」
「あーうんだって可愛そうでしょ人手不足でただでさえ忙しい家臣の諸君をさらに忙しくしちゃ。それに大事なことは[ことづ]けらんないしね」
 ジンが朗らかに言いながら、部屋に足を踏み入れてくる。ラナは一歩下がって一礼し、それを気配で感じ取って、ティアレもぎくしゃくと服の裾をとって一礼した。
 都に戻ってきてから、ジンと会うのはこれが二度目だ。自分にこの国を出て行くようにと進言してきたラルトの幼馴染。祭事が終わり落ち着き次第挨拶には出向こうと思ってはいた。だが時間を置いてもきっと顔を合わせ辛いには変わりなかっただろう。それが突然合間見えることとなると、何をいわんや、だ。
 ジンはティアレの目の前に立つと、にこりと笑った。
「ひさしぶりじゃねーティーちゃん」
「お久しぶりです、ジン様」
「丁度よかったよ」
 ジンはシノに一瞬ちらりと視線を送って続けた。
「君にね、頼みごとがあるんだ」
「頼むって……?」
 ジンは剣呑に笑っていたが、ただ目だけは鋭く細められていた。ティアレの質問に彼が口を再び開く。だが彼が何か言うよりも一瞬早く、黒い影がティアレの前を覆った。
「いけません!」
 目を見張るほどの声量で割り込み、ティアレの前に体を滑り込ませたのはシノだった。ジンから守るように彼女は自分の前に立ちはだかっている。横ではラナが仰天した様子でシノを凝視していた。
「……閣下、一体何を考えていらっしゃるのですか? そんなこと、陛下がお許しとお思いで?」
 限りなく声量を落として質問がシノの唇から発せられた。
「いやお許しっつか、ラルトからこの件一任してもらって署名だって貰ってきたから、はい」
 怖いぐらいに、にこにこ笑ったジンから紙片を受け取ったシノの背中が震える。小刻みに振動したままの彼女の肩越しに紙に目を落とし、ティアレは尋ねた。
「あの、話が、よく判らないのですけれども」
「宰相閣下はティアレ様に巫の代役を頼みたいと仰せなのですよ、ティアレ様」
 沈黙しているシノに変わって、ラナがこっそりと耳打ちしてくる。驚愕に目を瞬かせジンをみやると、彼は腕を組んで薄笑いを浮かべたままだった。
「え、あ、でもそんなこと私に……?」
 ジンは目配せだけをして何もいわない。その通りだ、とでも言うように。
「先ほど、言いかけた条件の件ですけれども」
 書類をくしゃりと握り締めながらシノが震える声を絞り出した。
「……巫は、この国の住民でこの国の出身でない人間が条件なのですわ」
「……あの、やっぱりよく判らないのですけれど」
 それと自分が代役をやることと、一体どんな関係があるのかがわからない。首をかしげたままのティアレに、ジンが笑って説明してくる。
「つまりねーティーちゃん。他の国からやってきて、お商売やら結婚やらでこの国にいついた若い娘さん、もしくはそんな異国の人を両親にもつ女の子が、巫になれるわけ」
 そこでようやく合点がいく。確かに自分は、その条件を全て満たしているかと問われればそうだからだ。
「なぜこの国の人ではいけないのですか?」
「ティーちゃんなんで舞が奉納されるか知ってる?」
 逆にジンに問い返されて、ティアレは口を噤み、首を横に振った。ジンはだよね、と笑い、言葉を続ける。
「ご丁寧に二つも呪いをかけてくれたとされている、魔女への鎮魂をこめた舞さ。だけどその魔女は、つまりこの国の人間が大嫌いだったってわけだよねぇ? この国の人間が鎮魂の舞なんか踊っても、怒りをあおるだけーってむかーしむかしのお偉いさんは考えたらしいよ。まぁこの国は政治が低迷していたいくつかの時代を除けば、基本的に船を通じて他の国から大勢の移民が来てたから、選ぶ人材は尽きなかったんだけどね?」
「不運にもここ数年は混沌時代の影響もあって、移民の方などいらっしゃいませんし。そうでなければ、私の一族から選出するのですけれども」
 私の一族は、舞事に関して名の通った一族なのです、とシノが付け加える。元々重鎮の娘だったというレイヤーナに奉公に上がるような立場の人間だ。家柄もそれなりのものなのだろうとティアレはあっさり納得した。
 ただ、苦笑するシノを見ればその苦労はみてとれた。彼女の言う立場からすると、おそらく、巫の選出にも関わっているに違いない。
 条件を満たしている人間が少ないということは、えり好みできないということだ。シノとジンの口ぶりからは条件を満たしているものの中から、無差別に選べる可能性が[うかが]える。かといって巫は祭り一番の大役だ。それに見合う雰囲気、というものがある。それを満たす女が、毎年上手く見つかるかと問われれば、否なのだろう。
「で、今回の巫の子なんだけど、お馬鹿さんにも林檎飴の食べすぎでお腹下したらしくって、動けないんだって」
 ひょい、と身を乗り出したジンが付け加える。その内容に、思わずティアレは呻きながらラナと顔を見合わせた。
「林檎飴……」
「ですか」
 食べるのに苦心はしても、病み付きになるようなあの味を思い出す。時間が無かった。ただそれだけの理由でお代わりに走らなかったのは、ここだけの話である.
「それで、代役をティーちゃんに頼みたいんだけど」
 がし、と手を握られジンの笑顔が近づけられる。こちらのたじろぎお構いなしに、彼はさらに顔を近づけにっこり笑った。
「やってくれる?」
「え、あ、の」
「な り ま せ ん !」
 一音一音丁寧に区切って、シノが自分に代わって返答し、ジンを引き剥がした。ジンの表情が少し曇る。困惑の顔をしてみせて、彼は言った。
「えーでもほら他に探している暇ないし踊りの簡単な説明と着付けもしなきゃいけないのにもうすぐ始まっちゃうしラルトからは委任状貰ってるしほらシノちゃん。ティーちゃんが一番適任なことは一目瞭然。ねぇラナちゃん」
「え、あ、は、いまぁ……」
 突然話を振られたラナは、視線だけでシノとジン、そしてティアレの三者を見比べていた。
 シノの険悪な視線、ジンの余裕綽々にも見える視線、そして、ティアレの不安を練りこんだ視線。
 その三つの視線に圧力をかけられ、ラナがこわごわと呻く。
「仕方ないかもしれない、とは、思いますけれども……」
「ほーらー」
 見てみろ、といわんばかりにジンが得意げに胸をはる。だがシノはさらにそれに食らい付いた。
「でも、駄目なものは駄目なのです! ティアレ様を安易に外の目にさらしてはいけないと、閣下もお判りになっているはずでしょう?」
「うんそうだね。でもそれは彼女が城の中にいればの話だ。王宮内にいるならば、確かに彼女の存在自体はとても危うい。けれども一般人から撰される巫ならば? そうそう危ういものじゃないよ」
「……一体どういう風の吹き回しですか……?」
 歯をかみ鳴らしてシノが唸る。
「……なんのこと?」
 ジンがしれっと笑い、シノは表情を曇らせた。ティアレは内心はらはらしながら様子を見守るしかない。この二人の言い合いを止める[すべ]を、自分は持たないからだ。それはラナも同じようで、顔を見合わせて苦笑する。
「……閣下、私は申し上げたはずです」
 ふと、噛み合わせた歯と歯の隙間から、搾り出すような、シノの低い呻きが聞こえた。
「……閣下は、陛下を本当に愛していらっしゃるのですね、と」
「……落ち着きなよシノちゃん。らしくないな。二人が怯えているよ」
 シノがジンの言葉に面を上げ、こちらを安心させようと思ったのか微笑んだ。が、いつもの余裕ある微笑とは程遠く、どこかぎこちなさが残る。
 ため息をついて、ジンがティアレに向き直った。
「ま、本人を差し置いて話し進めちゃ駄目だよね。ティアレちゃん――君は、どうしたい?」
「私ですか?」
「うん」
 ジンは変わらず微笑み、シノは押し黙ってティアレを見つめてきている。ラナは口出しする術もなく、ただ少し青ざめていた。
「――私は……」
 シノを見つめながら、躊躇いがちにこたえる。
「やらせていただきたいと」
「ティアレ様」
「あはは。だってシノちゃん」
 シノの眼差しは自分を責めたりはしなかった。ほんの少し、悲しそうに細められただけだ。
「……本人だっていいよっていってるし、ラルトの許可も貰ってるし、他に何の問題がある?」
「そういう問題ではないと、先ほど申し上げたはずです。閣下」
「俺だって考えなしにティーちゃんにしようとかいってるわけじゃぁないよシノちゃん。理由あってのことだもの」
「理由?」
「そ、理由」
 首をかしげたティアレに、ジンが肩をすくめて繰り返す。
「巫は王の目に触れるんだ。その際見初めたことにしたほうがずっと自然だよ。しばらく何かあっても、どうやって出逢ったのか、あれこれ詮索される可能性がぐっと低くなる。ちょっとばかりの目くらましだ。そして元の素性を探り当てられる前に、目くらましを本当の出会い[・・・・・・]にしてしまえばいい。素性をあとはいくらかごまかして……君の『過去』は完成だ」
「……ジン様」
「どちらにしろ、君は平民の出になってしまうわけだし、お堅い大臣が納得するにはもう一押し足りないかなって感じがする。でもまぁ、ラルトの母上だって元々は平民だし、問題はないでしょ。計画が本当に杜撰[ずさん]で笑っちゃうけれど、転がり出てきた機会は無駄にするものじゃぁない――気休めだよ。でも負担は幾らか軽くなるかな、って」
 あぁこの人は。
「簡単な、ティアレちゃんのお披露目会さ。隠し続けるよりも、こんな風にラルトと出逢わせた[・・・・・]ほうがよくない?」
 この人は、許してくれたのだ。
 この国に、戻ってきたこと。
 ラルトの傍に、いること。
「ジン様、私やります。やらせてください」
「ティアレ様」
「シノ、私も、何もせずにこの場所にいるということは、嫌なのです。何か手伝えることがあるというのなら、私は進んでやりましょう」
 自分は『傾国姫』であり、滅びの魔女だ。ただ人に滅びを招く卑しい娼婦。その汚れた過去を雪ぐためにできることがあるのなら、この国で、ラルトの隣で歩いてゆくためにできることならば、することを自分は決して厭わない。出来ることがあるのなら、全てやっておきたいと思う。
「どうするシノちゃん。今からラルト呼びにいく? そうこうする間に、時間はなくなっていくけれどね」
「ティアレ様がしたいとおっしゃって、陛下の許可がきちんと出されているのなら、私は何も申せません。もう」
「シノ」
 シノは微笑み、ティアレの手を恭しくとってくる。シノの手は綺麗に手入れがなされているけれども、水仕事をする人間の手らしく、少しざらついていた。しかし、とても暖かい。親愛の情をもってなされる手をとる行為。ティアレは決して嫌いではない。
 昔、そんな風に握ってもらえることはなかったのだ。親しく声をかけてもらえることも、声をかけて、返事が返ってくることも。家は子供の頃あったけれど、暖かいとはいえなかった。里親は、冷たかった。とても。
 誰もに見放されて、価値を体だけに見出されていた自分を、迎えてくれたこの国と、ラルトと、女官たちに。
 できることがあるならば。
「ご無理だけはなされませんよう」
 それだけ言ったシノに向かって、ジンが心配性だなぁと笑い声をあげた。


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