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第四章 奥の離宮にて 3


 結局、衣装合わせが終わるころには夜がすっかり更けていた。
 ラルトは一度他の仕事を終わらせてくるといって早々と部屋をぬけた。入れ替わり立ち代り、奥の離宮で働いている女官たちが姿を現し、ティアレの髪型や衣装、装飾品についてあーだこうだと口を出していく。その賑やかさ、鳥の巣を突っつくが如し。ティアレもさすがに今回ばかりは呆気に取られ、為されるがままになっていた。
 最終的に落ち着いた衣装は、青橡[*あおつるばみ]の光沢をわざと殺した布地に、同系色の絹糸で花の刺繍が施されたもの。帯は桜鼠。髪はふわふわと余裕を残したまま軽く結い上げられ、漆塗りの簪一つで止められた。この簪も、漆黒の中に銀と朱で梅が描かれているもので、揺れる金の粒と細い鎖が、さらさらと音をたてる。けれども決して邪魔にはならない。豪奢では決してないが、品の良いものだ。
 手鏡に映った自分の姿を確認しながら、ティアレは当惑した。
「……私、何もして差し上げられません」
 背後で髪の手直しをしていたシノが、ティアレの呟きに小さな笑みを零した。
「ティアレ様、陛下は何も見返りを求めているのではありませんのよ」
「……ですが」
 この国は、まだ立て直している最中ではなかったか。
 ならばこれらの品を賄う金は、一体どこから出ているのだろう。自分の存在が、皇帝としてのラルトを脅かす存在でなければいい。
 だが、ティアレの杞憂を聡く読み取ったらしいシノが、心配ありませんよ、と口を出した。
「これらの品も、決して国庫に手をつけているものではありません。陛下のお給金からでているものでしょう。遊び呆ける暇がないものですから、おそらく手付かずで残っている部分からお出しになったのだと思われますが」
「……お給金?」
 皇帝とは、給料をもらってなるものだったか?
 ティアレの素朴な疑問を、シノはあっさりと肯定した。
「とても少ないですけれども、使わずに置いておけばそれなりの額になるようですわ。実は私のほうが陛下よりも高給取りらしいですわ。信じられます?」
 ほほほと笑いながら言うシノに、ティアレは絶句した。ただの比喩かと思いきや、本当に給料制をとっているらしい。この国の皇帝は。
 本当に、一体、何を考えて、その少ない給料とやらを自分につぎ込んでいるのだろう。
 俯いた自分を、シノが覗き込んできた。
「……どうかなさいましたか?」
「いいえ、あのそんな。……ただ」
 口ごもり、ティアレは嘆息した。
「私何も、して差し上げることが、できませんので」
 本当に、この国の皇帝は一体何を考えて。
「どうして、そんなふうに、優しくしてくださるのか」
 判らない。
 身体が欲しいわけでもないだろう。自分の呪いに興味があるとはいっていたが、とはいえ頻繁にこの場所を皇帝が訪れるわけでもない。彼は多忙だ。
「純粋なる好意でございましょう。ティアレ様に、好感を覚えられた。ただ、それだけだと思いますよ」
「……シノ」
 なお言い募りかけ、ティアレは口元を引き結んだ。純粋なる好意とは、一体どんなものなのか、ティアレにはわからない。
 戸惑うことしかできない。返せるものなど何もない。
 与えられるものは、『滅び』だけ。
 そうして優しくされればされるほど、後で痛い。
 痛いのに。
「そうですわねぇ」
 シノが間延びした声で呟いた。
「何もする必要などないのだと思いますよ。最初は確かに、心配いたしましたし、物言いもいたしました。けれども陛下は、ティアレ様をここに置くのだと言い張ってお聞きにならなかったのですから、利害とかそういったものからはかけ離れているのだと思いますが」
 さぁできました、とシノは椅子の前に回りこんだ。ティアレの手から彼女は手鏡を引き受け、数歩下がる。シノが持つ、大振りの手鏡に映る、久しぶりに見る自分の顔の血色は、かつてないほど良かった。それもそうだろう。こんなにも長い間、きちんとした人として扱われたのは、もしかしたら生まれて初めてかもしれない。
「けれどもし、ティアレ様が陛下に何かをして差し上げたいとお思いになられるのでしたら」
 シノの言葉の続きを待つ。彼女は少しだけ意地悪そうな笑みを、綺麗に浮かべてこう言った。
「にっこりと微笑んでありがとうと申し上げられることが、一番よいと思われますけれども?」
「陛下のお出ましでございます」
 女官の一人が一礼をして告げてくる。振り返ると、戸口にラルトが佇んでいた。
 立ち上がることは体力的に叶わない。ティアレは椅子に腰掛けたまま、小さく頭を下げた。
「よく似合うじゃないか」
 ティアレの姿を、目を細めて観察した彼は、感心したように言った。
「……似合いますか?」
「だから言ってるだろう。似合っていると」
「……そうですか」
 己の身につけている衣装を眺めながら、ティアレは眉根を寄せた。ラルトはおそらく世辞は言わない男だ。似合うといわれるからには、似合っているのだろう。
 それが、妙に面映[おもはゆ]い。
「……気に入らないのか?」
「いえ。あの……そうではないのですが」
 礼を、言いたいのだが。
 どういう顔をすればいいのか。
 ティアレの思いとは裏腹に、ラルトはすたすたとこちらに歩み寄り、悪いと一言断りを入れてティアレを横抱きに抱え上げた。
「は? きゃ……」
 あまりに軽々と持ち上げられて、その勢いに悲鳴じみた声が零れる。慌てて男の首に腕を回し、彼を見上げると、その端整な顔がなにやら笑みに歪んでいた。
「何をそんなにおかしく思われていらっしゃるのですか……?」
「いや……」
 彼は笑いを堪えきれないといったふうに笑いつつも、首を横に振った。
「車椅子でもあればいいんだがな。残念ながら納屋の中だそうだ。嫌かもしれないが我慢しろ」
「……いえ」
 ティアレは口元を引き結んだ。平気です、という声は、強がりのつもりであったが、奇妙にかすれてしまっていた。ラルトは笑い、軽い彼女の身体を抱えなおして踵を返す。
 シノが、いってらっしゃいませ、と丁寧に頭を下げていた。


「重くはないのですか?」
「重い? まさか」
 ティアレの身体を横抱きに抱えながらのんびりと歩きつつ、ラルトは彼女の問いを鼻で笑い飛ばした。
「ちゃんと食べてるのか? 羽のように軽いぞ」
「……はぁ」
「でもまぁ、最初のときよりは重くはなったかな」
 彼女がハルマ・トルマから献上されてすぐのこと。謁見の間から医務室へ、足が傷ついて歩けないこの女を今と同じように抱えて運び込んだ。その時は鎖の重さを付与しても、酷く軽い身体だと思った。まるで、羽でも抱いているかのように。
「……どうかしたか?」
 ふと視線を感じて、ラルトはティアレを見下ろした。間近にある女の顔は、灯篭に灯る明かりの色をうけて朱に染まっている。彼女は慌てたように首を振り、こちらの首に回した腕に力を込めたらしかった。どうやら、身体がずり落ちそうになっていたらしい。軽く身体を揺すって、女の身体を抱えなおす。
 夜半になってしまったのでそれほど遠出が出来るわけではない。せいぜい離宮内を軽く回り、庭先に出る程度だった。
 それでもあてがわれた部屋からほとんど出ることのないらしいティアレにしてみれば、ものめずらしいものもあるのだろう。彼女はきょときょとと、注意深く視線を周囲にめぐらせていた。
 奥の離宮と本殿、また庭のそこここに設置された東屋[あずまや]とを繋ぐ渡殿[*わたどの]は、この国の伝統の型に則って木で作られている。磨耗して光沢のある木目の美しい床が真っ直ぐに伸び、その両脇に設えられ、梅花の透かし彫りの施された手すりが、灯篭の明かりを受けて影を落としていた。
 奥の離宮の周辺は人気がなく、静かだ。けれどもティアレという客人を得て、そこここに明かりの灯された今、寒々しさは感じられなかった。二人分の影が一つだけ、板の上に伸びている。渡殿の上をゆったりと歩く。歴史を感じさせる板が、体重を受けて、小さく、きしみを上げた。
 少し距離を置けば、奥の離宮の外観があらわになる。木造二階建ての、古い様式の小さな館が奥の離宮だった。
 黒と朱で塗り分けられた、高床式の屋敷。床が地面から離れているのは、夏場は湿気から、冬場は雪による冷えから屋敷を守るためだった。夏場、この国は恐ろしく湿気が高く、冬場は山の中腹に位置するために雪が良くつもる。
「……ラルト様あれは?」
「あぁ? ……あぁ、風鈴だよ」
 ティアレが指差したのは魔よけのために縁の下に下げられている風鈴だった。木筒を組み合わせて作られた風鈴が、からころと鳴って風に揺れている。
「ふうりん」
 不思議そうに渡殿の縁の下見つめるティアレを見下ろし、ラルトは風鈴の傍に歩み寄った。子供に何かを教える父親の気分だ。妙な感覚に囚われながら、風鈴におもむろに手を伸ばす女に声をかけた。
「気をつけろ。鎖だから切れないとは思うが、引っ張れば脆い」
「はい」
 女はその白い指先で風鈴にほんの少し悪戯をしかけ音をかき鳴らし、そして満足したようだった。
「魔よけの風鈴だ。秋から冬は木筒、春から夏は玻璃と鋼で作られたものを吊り下げる。珍しいか?」
 歩き出しながら問うと、ティアレは頷いた。
「……このような、形のものは」
「そうか」
「……魔よけに」
「ん?」
 ぎゅ、と首周りの女の細腕に力が込められる。さすがに痺れてきた腕を誤魔化すようにして女を抱えなおし、ラルトは顔を寄せてくる女を見下ろした。その目は、遠くを見るように細められていた。
「魔よけに、鈴や、金属を組み合わせたものを下げることは、良くあることなのですか?」
「……今までいた国でも、よく見かけたか?」
「……封じ込めの、結界、として」
(あぁそうか)
 躊躇いがちの女の回答に、ラルトは己を詰りたい気分にかられた。鈴を魔術の結界として使用する国は数多くある。彼女はただの娼婦ではない。滅びの魔女、傾国姫としての異名をもつ曰くつきの娼婦だ。風鈴を見て、閉じ込められていたころの記憶が呼び起こされたらしい。
「……悪い」
「何ゆえラルト様が謝られる必要があるのですか?」
「……なんとなくな」
「おかしな方」
「お前にはいわれたくはないな」
「……そうですか?」
「そうだ」
 肯定し、口元を引き結んで前を向く。いくら明かりが灯されているとはいえども足元は頼りない。女一人抱えているのだ。注意深く足元を探る必要がある。
「国から国へと」
 ふいにティアレが口を開いた。彼女が自ら口を開くことは珍しい。女の涼やかな声は冬の澄んだ空気によく響いた。水を注いだ玻璃の高杯を触れ合わせるときのような、尾を引く声を女はしている。
「流れて参りましたが、よくよく見て回った、というわけではありません。風鈴を、習慣の一つとしてつける国があると、今知っただけです」
 ティアレの言葉には、自嘲が含まれている。娼婦として、権力者から権力者の手へ、品物のように流れていくばかりだった女。
「ただ、それだけです……」
 おそらくほとんどの場所で、一つの部屋に閉じ込められているばかりだったに違いない。羽をもぎ取られた鳥のようだ。ラルトは思った。自由に飛び立つ方法すらわからず、途方に暮れるしかない鳥のようだと。
「実際はどこの出身なんだ?」
 疑問に思って、ラルトは問いを口にした。女の言葉には訛りがない。一箇所に留まっていなかったためであろうが。
「ディスラ地方をご存知で?」
「知らないものはいないだろう」
「そんなに有名なのですか?」
「招力石の産地だぞ? ……そこの出身なのか?」
 北の大陸の北部。化石の森と呼ばれる招力石を産出する森に抱かれた地方を、ディスラと呼ぶ。五百年前、史上初めて北の大陸の統一を果たし、世界全土に多大な影響を及ぼした水晶の帝国が存在した場所である。帝国が滅亡した今現在は内乱の絶えぬ不安定な地方ではあるが、世界でもっとも莫大な招力石の産出量を誇る地域だ。平民ならばまだしも、商いや政に関わるものならば、知らぬ者はいない。
「……化石の森[フォッシル・アナ]……フォシアナか」
 ディスラと聞いて、今更のようにティアレの姓の意味を理解した。姓はきちんと、彼女の出身を指し示していたのだ。どれだけ注意を払っていなかったかということが思い知らされ、少しばつが悪い。
「どこにでもある、貧しい農村の生まれです。そこで七つか、八つまで」
「……年を問うのは失礼だとは思うが、実際はいくつなんだ?」
「……二十一、ですが」
 躊躇いがちの女の回答に、ラルトは驚きから瞠目した。二十一。
「意外に若い」
 その奇妙に落ち着いた物腰のせいか、感情を表さぬ顔のせいか、冷めた美貌のせいか。
 自分と同じ年か、年上にすら見えていた。実際、内在魔力の高いものの中には、老化の速度が常人よりも遅いものがいる。ティアレもてっきり、その類かと思っていたのだ。
「ラルト様は?」
「二十五」
「……随分と年嵩の方でいらしたんですね」
「いくつだと思っていたんだ?」
「……二十歳すぎかと」
「俺はそんなに童顔に見えるのか……?」
 黙って視線をそらしたところを見ると、かなり若いように見られるらしい。そんなに威厳がないかと軽く落ち込みかけると、ティアレが慰めるように声をかけてきた。
「この国の方々は、皆お若くみえるのです。ラルト様だけではなく」
「民族的とかそういう意味か? じゃぁジンは?」
「……二十、五、六……ですか?」
 ジンの年齢はラルトよりも一つ上の二十六。言い当てたところをみると、ティアレの言葉に嘘はないようだ。昔繁栄の盛りにあったころには、移民も数多くいたらしいが、滅びかけた国に流れてくるものはいない。ラルトの周囲を取り囲むものは皆典型的な東大陸の人種であり、それを思うと、まだまだ自分がものを知らないのだということを思い知らされた。


*あおつるばみ:青緑に似た青
*わたどの:渡り廊下、もしくは橋


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