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閑話休題 ひぐれのにわ 2


 女官長の動きは早かった。
 花の苗を、と確かにティアレは頼んだ。確かに頼んだが、翌日衣装合わせから離宮に戻ったティアレを、頼んだ種類の苗のほか、想像以上の数の球根や種が迎えたのだ。その数計り知れず。積み上げられた箱の山に、思わずティアレは眩暈を覚えたほどだ。
「これ、全てシノが手配したのですか?」
 球根類を運び入れていた女官二人、ヒウとメイに尋ねると、彼女たちはいいえ、と首を横に振った。
「城で植えてくれるのならと、仕入れをしてくれた商人が大量に用意してくださったのです」
「こんなにも沢山……」
 正直言って、いらないのだが。
 何せティアレ一人で植えるつもりなのだ。女官たちは皆それぞれ役職についているので、ティアレの趣味につき合わせるのも気が引ける。どうやって処理をしようか、と庭先に並べられた箱を眺めていたティアレに、メイが言った。
「すごいですよね」
 ティアレが、感嘆の言葉を漏らしたと、彼女は勘違いしているらしい。そこには、ティアレに同意を示そうという響きがあった。
 メイは笑って、言葉を続ける。
「これでも、戴いた苗の一割にも満たないんですけれどね」
 ティアレは、思わず絶句していた。


「お陰で、庭師は大忙しだ」
 ティアレの頼みを受けてシノが苗を発注したわけだが、注文量自体はさして多いわけでもないのに、なぜか城に届けられたのは想像をはるかに超える苗と球根と種。
 城の庭師だけではなく、現在暇な兵士も借り出して、その処理に追われている。
「すみません……」
 ささいな思い付きが、このような大事に発展するとは思っていなかったのだろうティアレは、本気で頭を垂れていた。
「そんな、殊勝になるな」
 ラルトは笑った。
「本殿にも、結構荒れたまま放置されてる庭とかが結構あったからな。いい機会だ」
 庭師の数を増やせるようになったのは、ここ二年ほどのことだ。それまで古くからの庭師の一家が、ほとんど無償に近い金額で庭の手入れをしてくれているのみだった。国外からの賓客も増えていたことだし、どうにかしなければとは思っていたのだ。
「で、お前はどうするんだ? あれ」
 あれ、とは、奥の離宮の庭先に山積にされた箱である。球根や種はともかくとして、苗は早々に土に植えてやらなければ駄目になってしまうだろう。
「今日はまだ予定がないので、離宮裏手の庭に植えてしまおうかと思っていますが」
「お前一人でか?」
「え? えぇ……皆忙しいでしょうし」
 本当にあの量を一人で植えるつもりらしい。ラルトは呆れた。
「おいおい。女官はお前の世話をするためにいるんだぞ?」
「それはそうですけれど……皆さん役職がおありですしね」
「誰か役職から外すか」
「ラルト! 私一人の為にそのようなことはなさらないでください!」
「むしろ役職からはずれてお前の世話に従事することになったら、あいつらは涙流して喜ぶと思うんだがな……」
「そんなはずありません」
 そんなこと、あるのだが。
 ラルトは胸中でこっそりと呻いた。シノが日ごろ常々と、女官長の職を辞してティアレ付き専門の女官になりたいと零していることをラルトは知っている。
「じゃぁ俺も今日その植えるの手伝ってもいいか?」
「ラルトがですか?」
 ティアレが目を見開いて、煙る睫毛を瞬かせる。彼女が驚くのも無理はなかった。
「お仕事は?」
 普段政務に忙殺されて、執務室から出ぬ身だ。それにしても、せっかく一緒にいられると伝えているのに、喜びよりも驚きが先に出るとは物悲しいことこの上ない。
「今日一日付き合う予定だったメルゼバの使者の到着が遅れていてな。時間が空いた」
「他のお仕事を入れなくともよろしいので?」
「お前な。一緒にいるっつってんだから少しは喜べ。いい加減怒るぞ」
 ティアレはきょとんと目を丸め、失礼いたしました、と微笑んだ。
「あまりの喜びに、思考がついていかなかったのですよ」
 げんなりと、ラルトは嘆息しながら呻く。
「……まったく、ホント、そういう受け返しばかりはうまくなったもんだよ」


 元々庭に花を植えたいと思いついたのは、何か、心休まるものがほしいと思ったからだった。
 人々の思惑から離れた場所で、ラルトに心休まるところがあってほしいと、ティアレは思ったのだ。査定の期間の最中、痛切に思ったことだった。
 だからその庭を、たとえ一時だけでも二人で作ることができると知って、自分が喜ばぬはずはないのだ。


「どれだ?」
 ティアレが花の名前で、植えるべき苗を指定すると、ラルトは渋面になった。苗に札が付いていなかったためだろう。
「あまり、花には詳しくはないのですか?」
「知らないなぁ」
 これには、ティアレは驚いた。
 何事に対しても、ラルトは博学である。どんな問いを投げかけても、大抵答えが速やかに返って来る。そのラルトが、知らないなどとぼやくとは。
「ティー。俺だって、何だって知っているわけじゃぁないぞ」
「そうなのですか……」
 ティアレはとってほしい苗を指差しながら呟いた。
「ではどのように植えるのか、決めようとしても、どんな花が咲くのか想像がつかない……?」
「そういうことだな。くそ、なんだか癪だな」
 ラルトは苗をティアレに手渡しながら、悔しそうに呻いていた。彼は渋面になりながら、鍬の柄に両手を重ね、その上に顎を乗せている。
「こうやってずっと鍬を振るうっていうのも、思ったよりもしんどいことだしな」
「振るったことはないのですか?」
「あるにはあるが、ほとんどないといったほうが正しいだろうな」
 小さい頃、レイヤーナの家の庭先に、畑を作ろうとしたとき以来だと、彼は言った。普段、ラルトはあまりに気さく過ぎるせいで、皇帝だということを忘れそうになる。それは、彼に一番近く同等の立場に立つティアレだからこそなおさらだった。が、時折普段の会話の中で、いくら荒廃した国の皇族であっても、こんな風に農民とは育ち方が違うのだということを思い知らされるのだ。
「お前はやけに平気そうな顔をしているなぁティー」
「疲れないコツがあるだけですよ」
 移植ごてで土を掘り返しながら、ティアレは苦笑した。ティアレ自身、十数年ぶりに鍬を振るうのだから、相当重量に振り回されるだろうと思っていた。が、三つ子の魂百までとはよくいったものだ。
 ラルトより、鍬の扱いに、手馴れていた。
「剣を振るうのとは違いますか?」
「全然な」
 しかし彼はそういっても、運動神経のよさから、すぐに扱いにはなれたようだった。放置されて久しく、表面の硬くなった土を、彼は小気味よく耕していく。
 ティアレは移植ごてで土を形よくもり、順々に苗を植えながら言った。
「嬉しいですねぇ」
「何が?」
 手を止めたラルトが、首を傾げる。ティアレは意地悪と自覚できる笑みを浮かべた。
「一つぐらい、貴方に勝てることがなければ」
 そういって笑うティアレを、ラルトが軽く小突く。
「俺だって知っている花の一つや二つあるさ」
「桜ですか梅ですか」
「お前本気で俺を馬鹿にしているだろう」
 ラルトの言葉に篭った険を読み取って、ティアレは移植ごてを手放すと、その場から駆け出した。このやろう、という呟きが聞こえた刹那、髪を指先に絡みとられて背後から捉えられる。脇腹をくすぐられ脱力したティアレは、けらけらと笑いながら、土だらけになってその場で転げまわった。
「あぁ、一つ知ってるぞ」
 汚れてもいい装いをしてはいるものの、互いにあまりにひどい有様になったあと、ラルトが空を指差していった。
「何をですか?」
「花の名前」
 一拍置いて、彼は続けた。
「木蓮」
「木蓮?」
「あぁ。この近くにな、美しい花を一杯つける木蓮の大木があるんだ」
 また見に行こうと彼はいった。
「いいですね」
 ティアレは微笑んで頷いた。
「でもその前に、あそこの苗を全て植えてしまいましょうね」
「当分休みは園芸にとられそうだな」
 土の上に腰を落としたまま嘆息するラルトは、それでも楽しそうに目元を緩めたのだった。


 美しい夕陽が照らす庭を、シノは歩いていた。
 久々の休暇を、皇帝は新しい后と過ごしている。そろそろ日も落ちるし、夕食はどうするのか尋ねようと思ったのだ。まさか、夜中まで庭で過ごすつもりも彼らにはないだろう。
 そうして、目的の場所の入り口にたどり着き、シノは息を呑んだ。
 新しい緑の植えられた庭に、二つの影が落ちている。顔を寄せ合って、微笑みあう一対の男女。
 幸福な。
 泣きたくなるような。
 物語の一頁のような。
 彼らは、つがいの小鳥のように、寄り添って笑いを漏らしていた。
 シノは目を閉じ、そっとその場を辞去することにした。また、少し時間を置いてここにこようと。
 彼らには忙しい日々が待っている。ティアレは社交界において、再び手練手管を存分にふるって陥れようとする女たちと対峙しなければならないであろうし、ラルトもまた、必要以上の期待もしくは軽蔑の眼差しと相対しながら権謀術数溢れる政治の世界へ戻っていかなければならない。
 今だけ。
 今だけ、なのだ。
 シノは胸苦しさを覚えて、襟元を握り締めた。
 それほどに、日暮の庭に満たされた幸福は、愛おしく、そして得がたいものだった。


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