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5 呪縛



 将軍が街から出ているとは思えなかった。明朝まで閉ざされる城門を越えるためには転移しなければならないが、遺跡から戻って〈魔封じ〉に修正を加えられたばかりの身で無理をするはずがない。おそらく暁まで明かりを落とさぬ歓楽街に出向いたのだろう。
 将軍がどこにひとりで出かけようと、心配する必要は万にひとつもない。大抵はヤヨイの起床前には戻ってくる。ヤヨイはそれを経験から知っている。明日の昼までに彼が姿を現さなければ改めて案じればいい。
 それでも気が付けば服を着替え、上着に袖を通して、ヤヨイは通りへ下りていた。
 アーヴソーウィルの王都は氷河の浸食をうけた島々を氷雪の橋でつないで形づくられている。そこに立ち並ぶ、壁を赤く塗られた木造の家々。積雪に備えて高い位置に作られた玄関。路肩に固まった雪がぽつぽつ点在する街灯の橙に染まっている――事故を防ぐためにこの国では夜半でも明かりが点される。
 通りの路面に隙間なく刻まれた滑り止めの溝が、うつくしい波目模様を描いている。荒れのない、きれいな街だ。けれど人の往来は認められず、影だけがヤヨイの道往きの供だった。
 氷を穿って立てられた丸太づくりの標識を確認しながらしばらく歩くと、肩を丸めた男女の姿がちらほらと見受けられるようになった。彼らは吐く息を白く弾ませて、暗がりから暗がりへ渡り歩いている。途中、男たちの何人かが酒気ただよう顔を近づけてきたものの無事に逃げ切り、ヤヨイはようやっと光に満ちた島に出た。
 酒場や娼婦の置屋が軒を並べる、不夜島である。
 店舗の壁に据えられた飾り灯籠の中では炎がちらちら舌なめずりしている。人の姿もぐっと増えて、皿の触れ合う音、弦楽の音、笑い声が、二重の玻璃を嵌めた窓越しに漏れ聞こえた。人いきれのせいか、通りは暖かかった。けれどどうしてか、震えが止まらない。ヤヨイは胸の前を掻き合わせながらとろとろ歩いて、店を一軒ずつ覗いていった。
 将軍はすぐ見つかった。彼ほど目立つ男をヤヨイは知らない。
「ヤヨイ!?」
 酒場で数人の男女に囲まれて笑っていた将軍は、傍に佇むヤヨイを認めて裏返った声を上げた。
「どうしたんだこんなところまで? 何かあったのか?」
 俯いて、ヤヨイは理由を絞り出した。
「……その……お姿を、見かけなかった、ので」
「……それだけ?」
「はい」
 将軍の困惑の目に射すくめられて縮こまる。どっと後悔が押し寄せた。将軍の言う通りだ。なぜこんなところにまで、自分は来てしまったのだろう。
「ねぇだぁれ、このこー?」
 香水をまとった若い女が将軍にしなだれかかった。肉感的な美人で、紅を塗った唇は熟れた果実のようだった。
 吐息のかかる距離であってさえ動じることなく将軍は笑って応じる。
「うん。妹」
 ヤヨイは将軍を見た。
 ――この旅のさなかに他者から関係性を尋ねられたときは兄妹と答えればいい。
 そう主張したのはヤヨイ自身だ。けれど無性に、腹立たしい。
 凍えていた心に溶鉱炉の火が投げ込まれ、ヤヨイは拳を握りしめた。
「帰りますよ、にいさま」
 将軍が、眉をひそめる。できる限り冷淡な声音でヤヨイは続けた。
「きちんと眠らなければ、明日の仕事に響きます」
 将軍はヤヨイを見つめたまま、動かない。
 彼の首に腕を回した女が寄越す忌々しげな視線を無視し、ヤヨイは将軍に対峙し続けた。
「お嬢さん、出来の悪い兄貴なんて放っておいたほうがいい」
 将軍の傍にいた男のひとりがヤヨイの顔を覗き込んだ。よい造りの顔をした若い男だ。
「それよりお嬢さんもせっかくここまで来たんだから、少し飲んでいかないかい? そのまま外に出たら寒い。いい酒をおごるよ」
 そうだ、それがいい、と、男たちが唱和し、どこからともなく伸びた手がヤヨイの腰を抱いた。
「お嬢さん、こっちだ」
 不快感が、背を這い上る。
 煙草と酒の慣れぬ臭気に取り囲まれ、血の気が引いた、その瞬間だった。
「おい、席をあけっ……うぐっ!?」
 ヤヨイを奥の席へ先導していた男が前触れなく転倒し、店内が水を打ったように静まり返る。ヤヨイを取り巻く男たちも、将軍に身体を預ける女たちも、痛みに悶える男を呆けた顔で凝視していた。何が起こったのか。彼の隣にいたヤヨイにすら理解できなかった。
 酷薄な声が地を這うまでは。
「さわんな」
 全員が将軍を注視する。
 彼は男たちに向かって静かに告げた。
「手を退けろ。……殺すぞ」
 男たちは、動かない。
 動けない、と述べたほうが正しいのではないだろうか。将軍の言葉に従いたくとも足が床に張り付き、手も痺れている。そんな印象を受けた。
 蹴りだしたままだった足を収め、将軍はすっくと立ち上がった。なおも縋る女たちの腕を押し退けた彼は卓の上に貨幣を積み、椅子の背から上着を取り上げたそのままの勢いで、ヤヨイを文字通り、掻っ攫う。
 そして背後の者たちには一瞥もくれずに店を出た。
 将軍の身体は、あたたかく、上着越しにその熱を感じるだけであれだけ尖っていた神経がまるくなった。これだ、とヤヨイは思った。このひとの、このぬくもりが、ほしかったのだ――……。
 しかしながら安らいだ心地は長くは続かなかった。ヤヨイの鼻は、衣服に染みこんでいる煙草と酒と――あまい香水の臭気を、嗅ぎ取っていた。
「ひとりで……歩けます」
 衝動的に将軍を突き放してヤヨイは言った。
「兄妹がこんな風にべたべたして歩くのもどうかと」
「じゃぁ今から宣言しに戻ろうか? 妹じゃない……俺の女だって?」
「……冗談でもそういうことおっしゃるの、やめてください!」
「わかってるよ。かりかりしないでくれ。……あぁ、冗談でも嫌だよな。ヤヨイは俺のこと、嫌いなんだもんな」
 将軍の発言の意味が、わからなかった。
 だがそれも一瞬のことで、彼がロストアの酒場での発言を指しているとすぐにわかった。ヤヨイは呆然と立ち尽くした。
 今さらあのときのことを持ち出さなくてもいいだろうに。にわかにこみ上げた怒りは、すぐに喩えようのないかなしみに転じた。彼はヤヨイの酔いに任せた言葉を本気のものとして信じたのだ。
(将軍を嫌いなら、お傍にいません)
 将軍の旅に同行したりしない。彼を探してこんな夜更けを歩いたりしない。彼に身体を押し付ける女たちに嫉妬したりしない。
 反論は喉に絡め取られて声にならなかった。ヤヨイは下唇を強く噛んだ。こみ上げた嗚咽を封じるために。
「ごめん、ヤヨイ」
 将軍が青褪める。
「悪かった。八つ当たった。気が立ってたんだ」
 将軍はヤヨイの眦を親指の腹で拭い、ごめん、と繰り返した。彼の顔には後悔と焦燥があった。けれどいつものように、大丈夫ですよ、と、笑ってやることはできそうになかった。ヤヨイは疲れていた。
 将軍がヤヨイの片手をおもむろに取り上げる。そしていつかと同じように固く手を繋ぎ、借りている部屋までの道を歩き始めた。
「……ありがとう」
 そう言って、将軍は沈黙に穴を空けた。
「無断でいなくなったから、心配してくれたんだろ? でも珍しいな。わざわざ来てくれるのは」
「……どうしても、気になったものですから」
「何が?」
「今日の遺跡の罠のことです」
 ヤヨイは今日――もう昨日――遺跡で将軍が対峙していた女を瞼の裏に描いた。
「……あれは、ひ……奥さま、の、姿を、していたのではないですか?」
 怜悧な美貌をたたえた、剣士の女は。
 やや間があってのちに、そうだよ、という淡白な返事があった。
 将軍の妻は、彼の上官で、師だったという。剣術、ほか、あらゆる面においての。
 将軍はヤヨイに微笑んだ。
「あぁ、だから心配してくれたのか。……別に本人を殺したわけじゃないんだ。大丈夫だよ」
「嘘ばっかり」
 将軍とて疲弊しているはずだ。あの偽者はあまりに精巧過ぎた。本人ではないと理解してはいても、親しい者を手にかけたという感触をしかと残すものだったのだ。
「それが平気とおっしゃるのでしたら、何のせいで苛立っておいでだったのです? ……落ち着かないからこそ眠ることができずに、こんな真夜中にお出かけになったのでしょう?」
 黙する男にヤヨイはうっすらと笑いかけた。
「責めているわけではありません。私はただ将軍におつらいことを我慢してほしくないのです。将軍の苦しみを取り除くお手伝いをしたいだけなのです。……黙って苦しまれず、おっしゃって欲しいのです。ひとりで出て行かれる前に」
 偽善に満ちた主張だ。ヤヨイは自嘲する。
 将軍を労わるそぶりを見せながら、真実は自分こそ慰められたかったのだとヤヨイは思った。だから将軍がヤヨイをおいて夜の町に繰り出したと知ったとき、落胆した。あぁ、彼はヤヨイを置いて己れだけ、煙草と酒と女に慰められに向かったのだと。
 あさましい。道具がそのようなことを望める立場か。
 そのヤヨイの鬱々とした煩悶は、将軍の告白で吹き飛ばされた。
「心配をかけたことは謝るよ」
 将軍は言った。
「ヤヨイの言う通りだ。彼女そのものだったアレを殺して、俺は気が立っていた。けど、やりすごす方法も知っていたから、あえてヤヨイに言う必要もないと思った。適当に飲んで騒いでってすれば落ち着くんだ。……身内を殺すなんて、いつものことだしな」
「……いつもの、こと……?」
 将軍が薄く笑って、歩く速度を速める。風が動いて白い光が舞い上がる――雪がちらつき始めていた。
「俺と一緒に呪われた他の奴らは俺と違って国から出られないことをヤヨイは知ってるよな?」
 突如として転換された話題に戸惑いつつヤヨイは首肯した。
「あいつらは魚に変えられたようなもんだ。高圧な魔力の海でしか存在を保てない不老不死という名の魚……。それでもあいつらには死ねる一瞬がある。人から、畸形に変わる、一瞬だ」
 将軍より不安定なかたちで呪われた人々は、ある日突然、魔の圧力に屈して姿を異形へと変体させる。
 そのほんのわずかな間に首を落とせば、彼らは人としての尊厳を保ったまま、灰に還ることができるのだと将軍は言った。
「けど知っての通り、畸形に変わる途中の奴の首なんて簡単には落とせない。……だから、俺がその役を担っている。この五百年で、かなり殺したよ」
 将軍がヤヨイを導く方とは逆の利き手を眺める。その目にはある種の諦観が宿っていた。
「……それを長老さまがたはご存知なのですか?」
「今代はトビアぐらいじゃないか? 彼女がちいさいときにしくじって畸形が外へ出たことがあったからな。彼女には口止めしてある。……なぜ? 不幸の品評会みたいなのは嫌いなんだよ。呪われて、不老不死になった。それだけで同情の目が鬱陶しいのに、さらに二、三、面倒事があるなんて言いたくない」
 聞き捨てならない単語を耳が拾い、己れについて珍しく饒舌な将軍をヤヨイは見据えた。
「二、三……? まだあるのですか? ほかに?」
 失言だと思ったのか。将軍の目に後悔の色がさっと過ぎる。
 ヤヨイは追求しなかった。無言で歩きながら将軍を見つめ続けた。
「俺には眠りがない」
 染みを落とすように、将軍は言った。
 ヤヨイはその告白の意味を理解しかねて、ゆっくりと瞬いた。
 将軍がほろ苦く笑って補足する。
「俺は身体を横たえて目を閉じても、眠ることができない。もっと言えば気絶っていうものがない。意識を失うことがないんだ。……呪われてから、今日まで。きっと、明日も」



 貸間にようやっと辿り着いたとき、互いの肩には多くの白い結晶がかがやくほどになっていた。
 ヤヨイは上着を脱いで、雪を払い落とした。室内履きに靴を替えたところで、将軍を振り返る。
「また……お出かけになりますか?」
 将軍は帰宅したそのままの姿で扉の前にぼんやりと立っている。
「いや……もういい」
 彼はヤヨイの問いに静かに頭を振った。
「本でも読んで時間を潰すよ」
「では何か温かいものを淹れますね」
「いいよ別に。ヤヨイも疲れたろ?」
「自分の分を淹れるついでですよ」
 返答を待たずにヤヨイは炊事場に立った。水を張った手鍋に茶葉と砂糖をひと掴み入れて、熾した火にかける。ふたり分の茶器を戸棚から引き出し、瓶を振って山羊の乳の残量を確かめ――明日、買い足しておかなければ――、黙々と茶の準備を進めながら、ヤヨイは将軍から告白されたことを振り返った。
『身内を殺すなんて、いつものことだしな』
 幼い頃はよく国の住人たちの話を将軍にねだったものだ。彼はヤヨイに笑いながら語った親しい人々をその手に掛けてきたというのか。
 そして。
(眠りのない、生)
 それは、どのようなものだろう。
 幼少の時分には高熱から臥せってばかりいたヤヨイにとって、眠りは救いだった。あの倦怠を、息苦しさを、皮膚の下で蠢く痛みを、覚醒したまま堪え続けることなど、とてもできなかった。
 ――正気を、失ってしまう。
「将軍? 失礼いたします」
 ヤヨイは将軍の分の茶器だけを片手に持って彼の寝室の扉を軽く叩き、中を覗いた。部屋の主は羽衣めいた火をくねらせる暖炉の炭を、火掻きで突いているところだった。
「ありがとう」
 扉口まで歩み寄って茶器を引き取った将軍が、立ち去ろうとしないヤヨイに首をかしげる。
「どうした?」
 逡巡ののち、ヤヨイは引き結んでいた下唇を舌で湿らせ、彼に尋ねた。
「お傍にいてはいけませんか?」
「駄目だ」
 将軍が強く拒絶する。なぜ、と唇の動きだけでヤヨイが問うと、彼はため息を吐き頭を振った。
「気が落ち着くまでもう少し時間が欲しい。傍にいれば何をするかわからない」
「当たってくださっても構いません。それで将軍の気が晴れるのでしたら」
「ヤヨイ」
「私は以前にも申し上げました。……将軍のお役に立てることこそが、私の、何よりもの喜びであるのです」
 将軍は苦虫を噛み潰したような顔でヤヨイを見た。
「……自分を道具みたいに言うな。……俺は里のそういう考え方が一番嫌いだ」
 彼が里の教育方針に明確な嫌悪を示すことは初めてだったが、そうだろうとは薄々思っていた。
 ただ、今は里の在り方について論じているわけではない。
「私は、私のことを申し上げております」
 将軍の苛立ちが募っている。そう、気配から知れたが、ヤヨイは黙らなかった。
「私は確かに里から将軍に従うように、解呪の方法を追求するように、教育されて参りました。ですが私は洗脳されてあなたのお傍に侍っているのではないのです。私はあなたをお慕い申し上げているから、あなたの前にこうして立っている……」
 ヤヨイは視線を伏せ、若干くだけた口調で、肝心の部分を繰り返した。
「私は、将軍を、好きなんですよ。……将軍はそれをご存知ですよね?」
 将軍は決して鈍くはない。ましてやヤヨイ自身、好意を隠しきれるほど器用であるとは思わない。わかりやすいほどだっただろう。
「……でも将軍は、知らないふりをしていらした。便利な、都合のいい術者が、使いにくくなっては困るから。知らないふりをして、ロストアでは私を試したりなどされた。……すぐに反応してしまう私をからかうことは、楽しかったですか? わずかな時でも鬱屈さを忘れる助けとなったのなら、嬉しく思います」
 皮肉ではない。
 眠れぬこと。身内をその手で屠り続けなければならぬこと。不老不死だけでも充分な辛苦と思えるのに、さらにふたつもの重き枷がこの男に架せられていることを知った今となっては、心からそう思える。
「そうやって将軍は、私を使い続けてきたでしょう? どうして今は駄目なのですか?」
 使えばいいではないか。
 苛立ちをぶつける、的として。
 将軍はヤヨイから視線をふいに外し、身を翻した。彼は茶を飲みながら寝台の方へ歩いて行く。
 出ていけと、言われなかった。だからヤヨイは扉を閉じて後に続いた。
 小卓に空になった茶器を置く将軍の側で足を止める。
 それと同時に腕を掴まれたヤヨイは、寝台へと乱暴に引き倒された。
「……っ!」
 背を強打して息が詰まる。ヤヨイは空気の塊を吐いて、差した影の主を見上げた。ヤヨイに馬乗りになる男は体重こそかけてはいなかったが、膝上、首、腕と、急所をきちんと押さえていた――身動きひとつ取れない。
 将軍の表情が逆光に没する中、彼の深緋の双眸だけは、一等星の如く静かに輝いていた。
「……言われてみればそうだよな」
 将軍はぽつりと言った。
「俺はいつだってヤヨイを使ってきた。うん。その通りだ」
 彼の声音は日頃と変わらず、どこか暢気な響きをしている。
 けれどその淡々とした語り口は、ヤヨイに剣呑な印象を抱かせた。
「俺がここまで使った里の術者は、確かにヤヨイが初めてだな。本当にできるし、よく気が利く。……あとは、楽しいしな。ヤヨイで遊ぶのは楽しい。ロストアでのヤヨイはたまらなく面白かった。……まぁ、やりすぎたかな、とは思ったけど、ヤヨイにはしてやられたからなぁ……」
 意趣返しだ、と将軍が呟く。ヤヨイは尋ねた。
「なにの……?」
「わからないのか? ……婿の件だよ」
「それの何が」
「何の断りもなく勝手にだぞ? 不愉快に決まっている。なかなか、腹が立ったな、あれは」
 確かにヤヨイは意図的に情報を将軍に伏せた。とはいえ彼が憤る道理はないはずだ。里内の縁組について彼に伺いを立てることは基本的にないのだから。
「……そう。俺はヤヨイが俺を好いてくれていることを知っていたよ。その好意を利用して楽しんだ――それの、何が悪い? 呪われて俺は多くを失った。主君、家族、老い、眠り……そればかりか、タダヒトとしての多くの感覚を。酔いは酒を飲む端から醒めていくし、味はわかっても昔みたいには美味い不味いを感じにくい。体感温度を暑い寒いに置き換えることもなくなった。刺激のない生。それを、少しでも面白おかしくしようとすることの……何が悪い?」
 将軍は笑っていた。けれど今にも泣き出しそうだった。告白は、血を吐くようだった。
 将軍がやさしげに目を細める。
「でも多少は呵責を覚えたよ。色々、してやりたい、とも思っていた……。でもまぁ、そんな必要はなかったか。ヤヨイは全部自覚してたんだもんな。逃げようと思えば逃げられた」
 独白を終えて、彼は嗤いに咽喉を鳴らす。
 首にかかる手に力が込められていき、ヤヨイは息苦しさから眉をひそめた。視野が暗み、将軍の顔が、見えなくなっていく。
「差し出されたものは遠慮なく使い潰す。どれだけ献身を尽くしてくれても、俺は何も返さない」
 宣言した彼は空気を求めて喘ぐヤヨイの唇に己のそれを重ねる。
「あぁ、俺は本当に――……ヒドイ男だよなぁ、ヤヨイ」
 それでも八つ当たる的の役を見知らぬ女に盗られるよりは、よほど幸福だ。
 呪いへの嘆きも、怒りも、やるせなさも、すべてぶつけて壊してくれればいい。
どのような扱いをされてもいい。使い潰してくれればいいのだ。
 血の、一滴まで。


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