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3 祝祭 2


「ヤヨイ、機嫌直して?」
「嫌です」
 ヤヨイは将軍の懇願を切って捨てて、顔を背けた。困るよ、などという頼りなげな呟きが聞こえるが、気のせいだ。気が咎めて振り返れば将軍のしたり顔があるに違いない。ほだされてはだめなのだ。今度こそ。
「ヤヨイ」
「知りません!」
 ヤヨイの声は思いがけずよく響いた。周囲の人々が微笑ましげな眼差しをヤヨイたちに注ぎ、ひそやかに笑いさざめく。ヤヨイは羞恥から身を堅くした。今回の旅は本当にこのようなことばかりだ。
 将軍がヤヨイを連れ込んだ店は路地を入口としたちいさな酒場だった。壁に穿たれた幾枚もの窓に燭台の灯りが反射して暗くはないが、煙草のせいでどこもかしこも霞んでみえる。客も地元民らしき男たちが大半で、早朝から祭りの支度に出張っていた彼らが疲れを労い合う場のようだった。入店を拒否されることこそなかったが、異邦人である将軍とヤヨイは、存在の浮くことこの上ない。
「仕方ないなぁ……ひとまず俺には火酒。彼女には飲みやすいのを適当に」
 ヤヨイの懐柔を諦めたらしい。将軍が給仕女に注文を出す。ミモザの花を髪に飾った彼女は将軍に秋波を無視された腹いせか、ヤヨイをひと睨みしてから店の奥へと消えていった。
 酒は、そう待つことなく給仕された。ヤヨイは卓に置かれた銅製の杯を見た。底から立ちのぼる細かな気泡が水面で弾けて波紋を生んでいる。ただよう、甘い香り。見た目も、果実水と変わらない気がした。
「コケモモの酒だってさ。炭酸で割ってあるから飲みやすいよ」
「そうですか」
 ヤヨイは礼儀として相槌を返すのみに留めた。将軍が、深く嘆息する。
「ヤヨイ。そろそろこっち見て笑って。そんなんじゃ婿もらってもすぐに愛想つかされるぞ」
「し……知って、らしたんですか!?」
 思わず声を上げて将軍を振り返る。彼は頬杖を突いてヤヨイを見ていた。
「トビアたちは何も言ってなかったよ。俺に知られたくなかった? 迂闊だなぁ。協会を使って人選すりゃ俺の耳には入るよ」
 頬から外した手で杯を取り上げ、火酒を口に運ぶ将軍の横顔を眺めながら、ヤヨイはゆるゆる緊張を解いた。
「……きちんと全部決まってから、ご報告申し上げようと思っていただけです」
 曖昧な段階で将軍に知られたくなかっただけだ。だからこそ長老たちも口外しないことを約束してくれた。とはいえ、将軍が先にことを知る可能性を考えなかったわけではない。
婚姻はおおむね里の者同士で行われるが、ヤヨイは夫となる男を外から迎えなければならなかった。将軍を知る里の男たちが揃ってヤヨイを妻にすることを倦厭したからである。
外部から招く人は充分に吟味される必要がある。
 今回に限ったことではなく、里が外の情報を得なければならない機会はままある。そんな折に使われる機構が、〈協会〉だ。〈境なき国〉とすら呼ばれるほど世界中に根を張ったその巨大な組織は、ヤヨイたちの里と同じく、将軍の国を母体としている。里を面とするなら協会は表。今回の婿の選出も協会の情報網に大きく頼っていた。
「日取りはいつ?」
「……戻り次第、でしょうか。準備は最長老さまたちにお願いしてきましたから」
「っていうことは本当にすぐだな。なのにそんな男慣れしてないのか」
「……慣れていても問題かとは思いますが?」
「はは、それはそうだな。でも、生真面目すぎるのはやっぱりなぁ。親になったときもきっとしんどいぞ。妹たちの面倒をちょっと見るのとじゃ質が違うからさ」
「……そうですね」
 ここにきてようやっとヤヨイはすべてを悟った。
 将軍は、試していたのだ。手を繋がれるだけで赤くなり、泣き出しそうなほどに狼狽する、ヤヨイの異性に対する免疫のなさを。遊びに誘っても素直に楽しめない余裕のなさを。
 それほどまでに堅物なヤヨイが、婿を迎えて大丈夫かどうかを。
(だいじょうぶ、しってたもの)
 将軍がわたしを愛するはずないって。便利屋にすぎないって。だからこそやさしくされても舞い上がらぬよう必死に心を押さえつけていたのだから。
(あんなのふつうじゃないって、おもっていたでしょう? わたし)
 だいじょうぶ、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と心の中で幾度も唱え――ヤヨイは杯に手を伸ばした。そして中身をひと息に呷った。
 コケモモの酒は口当たりのまろやかさに反して喉を焦がす強烈な熱を湛えていた。胃の腑をかまどとして火の手が上がり、熱が血のめぐりを介して速やかに指先まで押し寄せる。昼の花酒とは質が違う。経験したことのない感覚だが、悪くはなかった。
 干した杯を突きだして、ヤヨイは給仕に次を請う。
「おかわりください」
 将軍が火酒を舐める手を留めてヤヨイを見る。案じるようなその視線をヤヨイは無視した。どうせ自分は、彼の便利屋で、親戚の子どもみたいなもので、遊びやすいおもちゃで、酒の割引券だ。
 二、三、と杯を重ね、四杯目をねだったところで将軍が止めに入った。
「ヤヨイ、飲み過ぎ」
「ここに連れてきたのは将軍じゃないですか! 放っておいてください!」
 将軍の手を振り払い、はやく、と杯を揺すったが、給仕も、壮年の店主も、苦笑を浮かべて首を横に振るばかりだった。
 にわかに、理由のわからないかなしみが堰を切って溢れる。
 すり減った木の天板に黒々とした涙の染みが生まれていく様をヤヨイは嗚咽を堪えながら見つめた。
「将軍なんかきらい……」
 将軍の手が肩に回されたが、ヤヨイは彼の身体ごと押し退けた。顔を見るのも嫌だった。顔を見られたくなかった。ぼろぼろと涙が溢れて止まらなかった。
「将軍なんか、だいきらい……!」
 最初から最後まで、完全な道具として扱っていてくれればよかったのだ。
 ヤヨイは将軍に奉仕することを存在理念とする里に生まれた。純然たる従者として扱われるだけならここまで苦しくはなかった。早々に将軍に対する恋などあきらめがついたはずなのだ。
 しかしながら将軍は他の里の者たちとヤヨイの扱いに少しずつ差を付けていった。今や妹たちでさえ、将軍との仲を勘繰ってヤヨイをからかう。それほどまでにヤヨイは将軍の特別だった。
 心の片隅で膨らんでいく期待を宥めすかし続けて、どうにか折り合いをつけて距離を保とうとして。
 だというのに将軍は今回の旅で、ヤヨイの望みを引きずり出した。抑制を困難にするほど心を舞い上がらせた。
 結末は、これだ。
「嫌いでもかまわないよ。それが当然だ」
 将軍は杯を置いて静かに言った。燭台の火が彼に射して、その横顔に浮かぶ表情を窺い知ることは難しかった。彼はおもむろにヤヨイの手を取り、立つように促した。そして自嘲らしき響きを含んだ声音で告げた。
「けれど悪いな。こんな状況でさえ、俺はヤヨイを使わずにはいられない」
 跳ぶぞ、と将軍が宣言し、ヤヨイは息を呑んだ。酒代にと将軍の手から零れた金貨が空の杯の横を跳ねる。店主が、給仕の女が、客たちが、驚愕に目を開いてヤヨイたちを見る。
 ミモザの花がヤヨイの頭部から滑り落ちた。主を失った花冠は綿毛めいた黄金の花弁を散らしながら床に落下したことだろう。しかしヤヨイはそれを拾い上げること叶わない。
 ヤヨイは転移していた。
 そこは、神殿の入口めいた場所だった。何もかもが凍てついた、否、すべては氷そのものを組み上げて造られているかに見えた。十数人の腕を繋げても端に至らぬだろう太さの柱。足を残して崩れた巨大な彫像。奥へ傾いだ重厚な扉は地下に続くと予見させる。
 高圧の魔と冷気が一瞬にしてヤヨイを取り巻き、知らずのうちに肌が粟立った。
「ヤヨイ」
 将軍は剣を鞘から引き抜きながら既に歩き出していた。
「結界を張っておいてくれ。あれを外に出すな」
 将軍が顎で示した先には数人の少年たちがいた。背を丸めて呻く彼らの肌は一様に鉄色へと変じ始めていて、白と青だけに彩られた空間に落ちた禍々しい染みのようだ。よくよくみれば輪郭が霧のように虚空に溶け出している。鼻や指といったものは既に崩れて、限界まで開かれた目と口は黒々とした闇を内包していた。本来ならただ白いだけであるはずの呼気は真珠母色にかがやいている。アァ、と、かつて少年たちだったものは叫んだ。それは獣の咆哮だった。
 感情がすうっと冷えていく。
 ヤヨイは結晶化した涙を眦から払って立ち上がり、将軍を見た。
 ――今から私は彼の道具だ。
 もう何の感情も抱くまい。
「来るぞ」
 将軍が言った。ヤヨイは魔を編んだ。
 銀の粒子が急速に集まり、つるを成し、互いに絡み合って結界を生む。その障壁に、少年たちを苗床にして生まれた魔獣の一体が尋常ならざる速度で激突した。ヤヨイの身体に、痺れが走る。
 一体を仕留めたばかりの将軍がヤヨイを振り返った。
「平気か?」
「平気です。……ここは、アーヴソーウィルの遺跡なのですね?」
「そう。ここが今回の仕事場だよ。……興味半分で覗きに来たらしいな。馬鹿が。ひとりで来れば手遅れになる前に引き返せたものを」
 将軍の視線の先には人の残骸があった。彼だけは多少なりとも魔に耐性があったのだろう――ところが畸形となった連れたちに食い殺された。
「野良の魔術師ほどやっかいなのはないな。せっかく結界を張っているのに、それを壊して踏み込むなんて阿呆だ」
 結界が破れぬと知れるや、獣は尾を返し、将軍めがけて跳躍した。将軍はそれをすんでのところで躱し、獣の喉笛に剣の先端を刺し入れる。そして突いたときと同様の容易さを見せながらその鋼を引き抜いた。
 宙で崩れる獣から体液が噴き出す。その赤黒い色だけが、人であった頃の名残だった。
 ヤヨイは呼吸を整えて結界を補強し、獣が群れを成さぬよう、空間を魔の格子でさらに分断していった。焼却することは避けた。この場を満たす魔の詳細がわからぬ以上、発火や雷のような術はどのような影響をもたらすかわからないからだ。
 将軍が斬り伏せた獣たちの周囲にもヤヨイは檻を構成した。畸形の生命力は侮れない。首を落としてすら回復するものもままある。
(あつい)
 将軍や獣たちの動きに目を配りながら、ヤヨイは胸元を握りしめた。気構えなく高濃度の魔に浸かっているためだろうか。
 魔は人を生かすが、過ぎるものは毒だ。耐性があっても不快感を覚えないわけではない。
 ヤヨイは姿勢を正して深呼吸をした。それでも意識の縁がぼやけてしまう。熱が引かない。
 これは魔のせいというよりも、むしろ――……。
 刹那、警戒の鈴がじゃんと鳴った。
「将軍!」
 ヤヨイは反射的に叫んだ。新手が警戒の隙をかいくぐって彼に肉薄しようとしていた。知性ある畸形として目覚めた類であるようだ。これまで姿を伏せていたらしい。
 黒金の毛並を風になびかせた背がふいにぱくりと裂け、血の色をした花を咲かせる。肉厚の花弁の縁に犬歯を生やした奇怪な巨花。それが将軍に向けて鶴首を伸ばした。
 ヤヨイは将軍に向かって駆け出し、集中力をかき集めて呪を紡いだ。黒金と将軍の狭間に現れた防壁が青鈍色のほたる火をぱっと散らす。足止めを食って往生する獣を、将軍は即座に両断した。体液が噴き、湯気を上げ、地に落ちながら凍結する。
 安堵したのもつかの間、将軍の警告が耳朶を打つ。
「下だ!」
 ヤヨイは手負いの獣を収めていた魔の檻の中に足を踏み入れていた。
 虫の息だったはずの一体が、仲間の血の礫を浴びて覚醒する。
 そしてヤヨイに牙を剥いた。


***


「えっ…うえっく……うく」
 四つか、五つか。その辺りの年だった。
 わたしは将軍の背に負われながらずっとしゃくりあげていた。将軍が明日の朝には里を発ってしまうと聞いて、寂しくて。
「そんなに泣くなよ。また会いに来るしさぁ」
 里の外周に広がる丘をゆっくり歩きながら将軍が言う。わたしは首を横に振った。単なる慰めはいらなかった。
「ヤヨイは、しょうぐんと、いっしょがいいのです。いっしょにいくのは、だめなのですか?」
「ううん……それはちょっと難しいんだよなぁ」
 わたしは将軍の首に回す棒きれみたいな細い腕に力を込めた。
「どうしたらいっしょにいられますか? しょうぐん」
「ん? んー……そうだなぁ。ヤヨイがもうちょっと大きくなって、立派な魔術師になったら、連れてってもいいよ」
「りっぱな、まじゅつし……」
「いつかはなれるよ。素質があるからさ。でも今は駄目だ」
 ごめんな、と将軍が謝る。わたしは下唇を噛みしめた。
 丘を吹き渡る風がわたしの腫れあがった瞼をやさしく撫でる。草原は心地よい音楽をさやさやと紡ぎ、悠々と銀の葉を茂らせた一本の樹も、薄紫の維管束を伝う水のかがやきを信号に変えてわたしを慰めていた。
 とん、とん、と、規則正しく、将軍がわたしの背を叩き続ける。
 わたしがようやく泣き止んだ頃だった。彼はふいに立ち止まって天を仰いだ。わたしもつられて空を見た。
 真昼にもかかわらず頭上は暗く、太陽の輪郭が欠け始めていた。不思議な光景だった。
「なぁ、ヤヨイ」
「はい、しょうぐん」
 将軍は闇色に染まっていく陽を見つめ続けていた。
「ヤヨイと俺は、きっとあの太陽と月みたいなもんなんだろうな。生き方も、時間も、すれ違いすぎている。本当は、触れ合うはずがない。けれどあんなふうに一瞬だけその道が、重なることもある」
「たいようとつき……」
「あぁ、もうすぐ完璧に重なるな。……と、待て待て。そのまま見るな。傷めるぞ」
 将軍がわたしの目を手で覆い、術を掛ける。
 次にわたしが目を開くと、空は様相を変えていた。
「ほら、あれが――金環蝕だ」
 思えば将軍はその天体の奇跡を見せに、わたしを外へ連れ出したのだった。
 魔によって視力の補強された目が、闇色の空でかがやく金色の輪をしかと捉える。
 わたしは無邪気に天に手を伸ばして将軍に言った。
「すごく、きらきらしています……あれがヤヨイとしょうぐんなのですね」
 将軍の言葉の意味を幼いわたしが理解するはずもなかった。ただわたしはあの空で煌めく光の輪がふたりの象徴だと言われて、単純に嬉しくなったのだ。
「しょうぐんといっしょにいるとき、ヤヨイは、きもちがきらきらします。しょうぐんもきらきらするのですね」
 将軍はわたしをしばらく眺めたのちにちいさく頷いた。
「そうだな」
 彼の肯定がいっそうわたしを喜ばせた。わたしは頬を上気させて将軍に言った。
「ヤヨイは、しょうぐんといっしょになれて、うれしいです。だから、ヤヨイは、まじゅつし、に、なります」
 将軍と共にいられる、立派な魔術師に。
「それで、しょうぐんをたくさんたくさん、おてつだいします。しょうぐん……だいすきです」
 だから、かならずもどってきて。
 わたしは将軍の服を握りしめ、彼の飴色の頸に頬を寄せた。その体温を、かたちを、少しでも記憶に留めておくために。
 世界が昼を取り戻してしばらくし、将軍は言った。
「ありがとう」
 そして必ず近いうちに帰るよ、とも、約束してくれたのだった。


***


「しょうぐん」
 部屋に反響した自分の声で目が覚めた。
 敷布の冷えた感触を手で探り、上半身を起こす。見覚えのない部屋に、ヤヨイは寝かされていた。
 漆喰の剥がれた壁と壁のつなぎ目からは藁と板が覗いている。部屋の熱を保つためにつづれ織りが重ね張られ、暖炉の中ではこうこうと火が燃えていた。その前には揺り椅子と小卓。荷は壁際に寄せ置かれている。
 ヤヨイは裸足を擦り切れた絨毯の上に降ろした。ほの白く光る窓へと歩み寄る。厚みある玻璃には霜が張り付いて模様を成し、その向こうで煙突を備えた鋭角の屋根がいくつもぼやけて見えた。
「アーヴソーウィル……」
 氷河に面した、極北東の国。
 ヤヨイの背後で扉が開く。振り返った先で将軍が水差しを手に立っていた。
「あぁ、起きたのか。どうだ? 気分は」
「平気です……。あの、わたしは」
「畸形に襲われた拍子に足を滑らせて転んで気絶した」
「……もうしわけありませんでした……」
 あまりの情けなさにヤヨイはその場で平身低頭した。どんな喜劇の一幕だ。それは。
「いいって。下手に動いていたほうがまずかったんだあの状況じゃ。……畸形は全部、処理したよ。ここはアーヴソーウィルの城下」
「宿ですか?」
「いや。部屋を借りた。長居をするしな」
 ここまで自分を将軍に運ばせてしまったという事実に、ヤヨイは悄然となった。役立たずを通り越して、もはや足手まといである。
 将軍が小卓に水差しを置き、ヤヨイとの距離を詰める。ヤヨイは喉を鳴らして身を引いた。彼の纏う気配にどこか怖いものがあった。
 とん、と、ヤヨイの背が窓枠に突き当たる。
 将軍の手がヤヨイの腕を鷲掴んだ。逃がすまい、という意思が感じられた。
 彼が、叫ぶ。
「このっ、馬鹿っ!!」
「ひっ、えっ」
 頬に将軍の胸板を感じて、ヤヨイは混乱に瞠目した。怒鳴られる理由はわかるとしても何故に自分は彼に抱きしめられているのか。そのまま潰されそうな力強さだった。正直、息苦しい。
「しょう、ぐ」
「あのな、ヤヨイ。俺は死なないんだぞ。たとえ首を噛み千切られてもすぐに再生する。助けの手を出してくれるのは嬉しいんだけど、自分の身を優先させてくれ。……ヤヨイはときどき、俺が不老不死だってこと、忘れるよな。びっくりする」
 あの黒金の畸形に襲われたときのことを将軍は述べているのだ。確かにヤヨイはあのとき、彼が呪い持ちであることを失念していた。
「あ……で、ですが……噛み千切られたら、痛いじゃないですか……」
 将軍は老いない。死なない。しかし痛覚を失ったわけではない。傷相応の激痛を覚えるに違いないのだ。
「あれぐらい避けられる」
 見くびるな、と将軍は言った。ヤヨイは下唇を噛みしめた。彼の言い分はもっともである。
「……ご、めんなさ、い」
「うん」
将軍はヤヨイを抱く力を強めて、動かなくなった。
 やや置いて、彼は言った。
「やっぱり……調査は俺、ひとりでしよう」
 ヤヨイは震えた。
 無用だと捨て置かれることは、ヤヨイにとって、死刑宣告にも等しいことだった。


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