卵焼き(さやけくこひたもう)


 露子の実家たる久瀬家では、毎年おせち料理を母子二人でつくるらしい。
 初詣からの帰り道、彼女は手振りを交えて年末のおせちづくりを説明する。いつもとってもたいへんなの。かまぼこや数の子は老舗の店に発注したものの、それ以外はほぼ手作り。伊達巻代わりの卵焼きに、昆布巻き、なます、栗きんとん。鯛をはじめとする焼き物に、筍、黒豆、筑前煮。
 日頃から料理が上手な娘だと思っていたし、たまさか請われて料理を教えている兄も才能があると褒めていたが、こういったところに下地があったのだろう。
「ねぇアキさん。アキさんは卵焼き、甘い方が好きですか?」
「……あまくない卵焼きってあるの?」
 たまごって基本甘くない? 暁人の問いに、露子は苦笑した。
「出汁巻卵は甘くないですよ。お母さんの方のおばあちゃんは関西で、だからうちもいつも厚焼き玉子じゃなくて出汁巻なんです」
 自慢ではないが、暁人は料理に関して造形深くない。兄の教育のたまものとして、美味かそうでないかは判別つくものの、自ら作ったりすることはほぼ皆無のため(パンを焼くぐらいはできる)、卵焼きに甘いも甘くないのもあるのかと、初めて知った。
「甘くないのって食べたことないですか?」
「あ、うーんどうだろう。接待なんかで食べたことあるとは思うけど、気にしたことがない」
 料亭などに入ることもあるが、名前の違う卵焼きか、ぐらいにしか認識していない。
 暁人の気のない返事に、露子は困ったような笑いを浮かべていた。
「暁人さんって、あまりご飯についてこだわりないですよね……」
「いや、まずいのは嫌だよ?」
「知ってます。すごく味覚鋭いですしね、アキさん。この間も白みそちょっと入れただけだったのにすぐ当てちゃうし」
「あれは兄さんが昔作ったことがあって」
「たしかに教えてくれたのは遥人さんですけど。でも普通はわからないですよ?」
「そうかな?」
 簪の鈴をちりちりゆらし、恋人は大きく頷く。
「はい」
「ふうん……。今日ごちそうになるときに出そう?」
「出汁巻ですか? でないと思います。作ってたのは置いておいたら悪くなるので、お父さんが食べきっちゃってますし」
「あ、そっか。そうだよね。卵焼きだもんね」
「はい。でも今日ご馳走ですよ。アキさん来るっていったら張り切っちゃって。海老を焼くっていってました」
「いつも思うんだけど、そんなに気を遣ってくれなくてもいいんだよ?」
「わたしがとめても頑張っちゃいますから……」
 アキさんに色目つかうのやめてほしいんですよね、と頬を膨らませる露子に、暁人は苦笑する。いろめ。
「いやいやそういうのじゃないでしょう」
「お母さんアキさん大好きですから。だからお父さんの機嫌が悪くなるんですよ」
「……いや、不機嫌の理由はそこじゃないと思うな……」
 何せ目に入れても痛くない愛娘を奪った男なわけだから。
 しかしその点を説明しても、露子は納得してくれないだろう。
「まぁいいや」
 暁人はずり落ちてきたマフラーを肩の向こうに払って、恋人とつなぐ手の指先を、そっと絡めなおした。
「卵焼きはまた今度作って」
「もちろんです。甘くないのと甘いの、どっちがいいですか?」
「あまいの」