最も欲しかったもの(女王の化粧師)


「ヒース・リヴォート」
 ゼムナム宰相サイアリーズが苦笑する。
「確か行方不明のお方ですね。実在した人物の経歴をかの方にそのまま被せてしまうとは。さすがですね。マリアージュ女王陛下」
「何がさすがなの?」
「相変わらず、発想が豪胆であらせられるな、と」
 その彼女も当人を前にして述べるのだから、豪胆が過ぎると思うがどうなのか。
 にこにこ笑うサイアリーズを冷淡に一瞥して不快感を伝え、マリアージュは淹れられたばかりの紅茶に口を付けた。

 ペルフィリアから切り離した東部をペラギアという。この一帯では比較的ゆたかな土地で、内海に近いので温暖でもある。田園風景が延々と連なる、西大陸北方の食糧庫だった地域である。ペラギア王城は東部でもやや南寄りにあり、古い本館と増設した新館、そして大聖堂から成るちいさな城だった。本来はデルリゲイリア王城やペルフィリア王城同様、もっと棟があり、働く者たちの住まいや工房も併設されていた広いものだったが、メイゼンブルが滅びた直後、いくつかの棟が玉座争いの内乱で焼け落ち、さらにペルフィリアが反乱の暴徒が隠れ住む拠点とならないように、最低限を残して取り潰したらしい。
 ペルフィリアで合流したため、ペラギア王城に同着となったマリアージュとサイアリーズは、休憩と近況報告と腹の探り合いを兼ね、客室の準備が整うまでお茶会をすることになった。そこでペルフィリア宰相ディトラウト・イェルニの話題になったのだ。
 彼における身分を含めた扱いは、大陸会議にて協議し、各々が国許に戻ったあと承認のための最終報告書を、マリアージュとロディマスの連名で送っている。各国は「ディトラウト」だった男への、厳しい移動条件や監視方法などに気を取られていたようだが、サイアリーズのみ彼の新しい経歴に着目したらしい。

「この間、ファリーヌ女王ともお話していたのです」
 と、サイアリーズは言った。
「マリアージュ様の家から王城に引き抜いたということにしてしまう。あらぬところから人をねじ込むのによくある手です。女王のご実家の縁故ともなれば、身分の保証として充分ですし、使用人であれば、あまり人に知られていなくとも納得です。ですから、他の女王の皆さまは特に、気にされていなかったご様子ですが」
「あなたは違うの?」
「ヒース・リヴォートですよ。……あなたを女王に推し上げた立役者のお名前ではありませんか」
「生死不明になっていたの。わたしが女王になった日からね」
 マリアージュは紅茶を啜って言った。
「ヒースは墓の下にいた。いろいろあって、死んだと告知するのを忘れていた。それから、ずいぶん経つわ。人もあいつの顔を忘れたころでしょう。だから履歴を貰うことにしたの」
「……その方がどのような方か存じませんが、さすがにそれは無理があるのでは? リヴォートなにがしも大層な美丈夫と伺いましたが……イェルニ宰相はあのお顔ですよ」
 ヒース・リヴォートがディトラウト・イェルニより顔の造作に劣り、急に美丈夫になっては驚くものがいる。同一人物だと言って前に出すには無理があると、サイアリーズは言いたいのだろう。
「目と髪の色が同じなのよ」
 その当人だから当たり前だが。
「人が急に見違えたように美しくなるなんてよくあるでしょう。小スカナジアでの、ダイの騒ぎをお忘れなの? カレスティア宰相」
 デルリゲイリアの《国章持ち》はダイだけだと公開していた。それでも女装した彼女をだれも見分けられなかった。そういうことが、あるのだ。
 これだけ年数が空いていれば、双方の記憶があいまいでも仕方ない。ぱっとした見目さえ似ていれば、別人がヒース・リヴォートに成り代わっても不可能ではない。過去が捏造ではない分、ぼろが出にくい。そもそもディトラウト・イェルニだった男を王城からは出さない。古い知り合いに会うことは少ないはず。
 マリアージュの説明に、女王たちは納得して、承認の印を押したわけであるが、どうにもサイアリーズは引っ掛かりを覚えるらしい。
「問題ないならよろしいのですが……最後におひとつ、お伺いしてもよろしいでしょうか、陛下」
「何かしら、カレスティア宰相」
「ペルフィリアでの大陸会議、あなたが最も欲しかったものは――助けたかったものは、イェルニ宰相、だったのではありませんか?」
 マリアージュは空になった茶器を受け皿に置いた。
「欲しかったのは確かね。だってペルフィリアを引き受けるのだもの。言わなかったかしら。ペルフィリアの政治のことは、詳しくないの」
 否とも是とも言わないマリアージュの回答に、サイアリーズは苦笑を隠さなかった。
「そうですか。……では、そういうことにしておきましょう」