花の季節の平和な一日(女王の化粧師)

 とある日の昼下がりのことだ。
 古い型ながら美しい晩餐服を、ダイはミズウィーリの衣装室で発掘した。元々はマリアージュの祖母のものだったという。メイゼンブルが存在した、生活の豊かなころのものだったから、布も仕立ても昨今のそれよりかなり上質だった。
 基調となる色味は深みのある赤。刺繍が至るところに細かく施されている――裾には蔓と葉。そこから上部に向かって薔薇が咲き乱れる。薔薇は少しずつ形を変えて、胸元では野ばらになる。
 その胸元は薄く白い絹地に透かし織りを重ねて覆う型だった。しかもその透かし織りと同じ柄が、下地となっている絹に、位置をずらしながら刺繍され、立体感が出るようになっている。
 それを面白がって試着したマリアージュは、等身大の姿見の前でくるりと回って見せた。
「あんまり古臭い感じはしないわね」
 人が身に着けると、衣装は見事さを増した。マリアージュがひとたび動けば、裾に施された刺繍が躍動感を持つ。風に花弁の揺れる花園を目の当たりにしているかのようだ。
「次の晩餐会はこれでいいわ」
 マリアージュが衣装に合格を言い渡し、ことを見守っていたティティアンナがほっとした顔を見せる。衣装がすんなり決まると、後々の仕事の進行が楽になるからだ。
 ティティアンナはどこからともなく取り出した、透かし織りの見本帳をいそいそと開き始めた。
「丈もぴったりですし、とてもよくお似合いです、マリアージュ様。一部の透かし織りが傷んでおりますが、お直しも次までには間に合いましょう。替えの透かし織りの種類をお選びになりますか?」
「そうね。そうするわ……。あと、すこし腕を上げづらいのだけれど」
 紙に素描した主人の顔に色を塗りつけつつ、衣装に合った化粧を検討していたダイは、マリアージュの立ち姿を観察した。
 たっぷりとした布で襞がつくられているためわかりづらいが、よくよく見ると身体の線にそって布がぴんと引っ張られている。縫い目もややひきつり気味だ。マリアージュの主張通り、あれでは動かしづらいだろう。
 ダイはほのぼのとマリアージュに告げた。
「マリアージュ様、肉付きいいですもんねぇ」
 ダイは自身の身体を顧みた。子どものように小柄で華奢、薄っぺらい。こうも体格が悪いとちょっとした衝撃で吹き飛ぶし、なにより非力だ。ふっくらとしたマリアージュがうらやましい限りである。
 ダイは画帳に再び視線を落とした。マリアージュの晩餐服も素描する。
 さらさらさら。
 さらさらさらさら。
 なぜだろう。
 黒炭を紙に滑らせる音がやけに大きく響く気がする。
 室内が、とても静かだ。ダイは面を上げた。
 マリアージュが憤怒の形相でダイを睨みつけている。その隣でティティアンナが額に手を当てて天を仰いでいた。
 ダイはふたりへ躊躇いがちに問いかけた。
「……あの?」
 答えはない。
 これは、まずい、気がする。
 口角をひきつらせたダイに、マリアージュが盛大な雷を落とした。
「馬鹿正直もいい加減にしなさいよ! この大馬鹿もの!!」


 先代ミズウィーリ家当主より与えられた執務室。
 そこで一日の終わりに日の報告をダイから聞くことが習いになりつつある。
「あなたらしいというか、らしくないというか……」
 使用人たちを下がらせた夜半。昼にマリアージュが暴れた経緯を、ダイから聞き出したヒースは、苦笑してほほ杖を外した。
「女性に体形の話は禁句ですよ。常識でしょう」
「花街では誉め言葉だったんですよ……」
 ダイが深々とため息を吐く。
「言葉の受け取り方が違うってことですね。気を付けます。花街ではわりと胸に肉がついただの、腰回りが厚くなってきただのって言い合うので」
「……あなたと?」
「そうですね。わたしも含めて」
 ふくよかとはつまり抱き心地の良さである。
 だから花街では肉付きの良さを褒め合う。その感覚でマリアージュの体形に触れたら、ダイは彼女の主人の怒りを買ってしまったというわけだ。
「明日、マリアージュ様に謝っておきます。言い訳がましいっていわれそうですが」
「あなたがさっぱりと謝れば、マリアージュ様も拍子抜けして怒りを収めるでしょう。あの方はそういうところは変に物わかりがよいですからね」
「そうですねぇ。……ん? ということは、あれですね。マリアージュ様が拗ねられたとき、ヒースが謝れば万事解決するってことですね?」
「……どういう意味ですか、それは?」
 眉をひそめたヒースにあっけらかんとダイが宣う。
「え? マリアージュ様がお怒りのとき、ヒースが原因のことも多いですから?」
「なるほど? 今日のあなたは迂闊にも、わたしからも怒られたいとみられますね」
「ええっ!?」
 にっこり微笑んで脅したヒースに、ダイが違います、違いますよ、と、あたふた弁解する。
 ヒースは椅子の背にもたれかかって、膝の上で手を組んだ。
「まぁ、いいでしょう。聞き流して差し上げます。だから明日は早くマリアージュ様に謝るように」
「はぁい」
「……そもそもです。わたしが怒らせたマリアージュ様を宥めるのはあなたの役割ですからね」
 あの単純な娘を怒らせているのはわざとだが、その一方で言うことを聞かなさすぎるのも問題になっていた。その点、昨今はダイがマリアージュをたしなめるので動きやすい。
 ダイが神妙な顔で頷く。
「なるほど。役割分担ですね?」
「……役割分担?」
「ヒースがマリアージュ様に正論を説く役。わたしはマリアージュ様に寄り添う役。飴と鞭ってことでしょう?」
 もちろん、ダイは役割を演じているつもりはなかっただろう。彼は紛れもない本心からマリアージュに同調している。
 だから、そのままでよかったのに。
「つまるところ、わたしとヒースは、共犯ですよ」
 と、ダイはヒースを同じ立場まで引きずり下ろした。
「……共犯」
「マリアージュ様を一緒に動かすための……あれ、これでいくとわたしばっかりマリアージュ様をたしなめる側じゃありませんか? たまにはわたしが怒らせてしまったマリアージュ様を落ちつかせて、わたしが謝りやすい環境を作ってくださってもいいと思いません?」
 ダイはにこにこ笑っている。
 ここでヒースが拒否しても、彼はあっさりと図々しさを謝罪して、次の報告に移るのだろう。
 正答は距離を取っておくこと。しかしダイが今後、マリアージュと関係を拗らせても困る。
 ダイの言い分を飲むか否かを天秤にかけ、ヒースはダイの額を軽く小突いた。
「貸しひとつとしましょう」
「わたしへのこれまでの説明不足が、そもそも貸しイチですよ」
 角灯のあたたかな灯りが笑うように揺れた。