やさしいキスをして(女王の化粧師)

 ディトラウトの眠りは浅い。
 寝付くまでに時間が掛かるせいで睡眠時間そのものも短い。薬を与えて眠らせていたら、そのうち耐性がついて眠らなくなってしまった。
 元々、仕事にのめり込む質で、集中力を切らしたくないからと区切りを付けるまで休まない。政務が積み上がるとそれが顕著になる。最終的にはゼノが彼を机から引き剥がして寝室に叩き込む。ディトラウト自身、休憩の大切さは承知しているから、休もうとはしているが、それでも。
「ところが君がいるとよく寝るよなコイツ」
 寝たふりしてない? してないよな、ほんとに寝てるんだよなぁ、と、首を捻るゼノに、ディアナは寝てますね、と返した。ディアナの膝を枕代わりに長椅子で仮眠する男の頭の重みは確かに深い眠りについていることの証左だ。
 会議を終えて戻ってきたディトラウトがやけに不機嫌だったため(なお、それがわかるのがすごいと、ディアナはマークとスキピオに褒めあげられた)、長椅子に座る男をなで回し、抱き寄せ、少し横になったらどうかと勧めた。そして男の頭を膝の上にやや強引に載せ、五呼間も数えずこの通り。
 護衛の打ち合わせに席を外して戻ってきたゼノは腹を抱えて大笑い。マークですら口元を抑えて笑いを堪えている。眠るだけで笑いの種になるのか。ディトラウトも不憫なものである。
「寝かせてあげていいんですか?」
「もちろん……ゆっくり寝かせてやって」
ディアナの問いにゼノは微笑んだ。
「君といると安らぐんだろう。やさしくしてやってほしい。君だけが……コイツのことを、甘やかせるんだろうから」
 ゼノたちが退室し、居室にディトラウトと二人きりで残される。長椅子の上、額をディアナの腹に擦り付けるようにして眠る男の前髪を梳きながら、ディアナは胸中で呟く。
(安らげる?)
 わたしといるときに、この男が?
 本当に安らいでいるのなら、なぜこの額は汗ばんでいるのか。身を守る子どものように身体はこわばり、眉間にしわが刻まれているのか。
(なりえない)
 ディアナは目を閉じる。
(わたしではこの男の安らぎには)
 背負う国章が違うのだ。
 あぁ、でも。
「う……」
 ディトラウトが苦しげに額をディアナの腹に押しつける。だれかの死を夢見て、泣くことも出来ずに呻いている。ディアナは男の強ばった手の五指に自分のそれを割り入れた。もう片方の手でゆっくり男の髪を撫で、身を屈めて彼のこめかみに口づけを落とす。
 今日はまだ、この男の一日に確かに寄り添える。男が穏やかな眠りに落ちるまで、やさしい口づけを送り続けることはできるだろう。
 それが男にとってのいっときの安寧で在れと祈りながら。