カルピス(FAMILY PORTRAIT)


 ソファーの上でだらだらくつろぎながら金曜ロードショーを見ていると、唐突にソファーが軋んだ。視線だけを動かす。風呂から上がったばかりの女が、乳白色の液体に満たされたグラスを持って、傍らで膝を抱えている。
「どうした?」
 何をぼんやりと、グラスを凝視してるのか。中身はカルピスだろう。仕事の付き合いがある男から、お中元として贈られてきた原液を、冷蔵庫で冷やしていた。そして消費していくのは自分ではなく、大抵この女のほうだ。
「ちっさいころってさ、今ほどジュースとか、飲めなかったよね」
「は? あぁ……」
 女の問いに眉根を寄せながら、確かに、と思い返してみる。幼い頃はまだペットボトルなどというものがさほど普及しておらず、甘い飲み物といえばコーラかファンタかキリンオレンジか。紙パックに入ったりんごジュース、コーラスなどというものはあったかもしれない。しかし今ほど星の数ほど種類はなかったし、どれもかなり高価で、兄弟の多い妹尾の家の冷蔵庫をそれらが埋めたためしはない。夏場になれば、薬缶いっぱいに麦茶を作るのが普通だった。
「うちも、ジュースなんて、滅多になかった。特に、カルピスはね、高いから、本当に、買ってきてくれなくて」
「あぁ」
「だけど、熱を出したときだけね、お父さんが、買ってきて。お母さんが、作ってくれたなぁって」
 少し、思い出しただけだと、女は笑う。
 この女の両親は、彼女が高校の頃に他界していて、それが切欠でこちらの家に転がり込んできた。多額の借金を残し、突如、この世のものではなくなってしまった両親のことを、この女は憎むようなこともなければ、寂しがって泣くこともなかった。思い出として、昔を語ることも、ほとんどない。
 無言で手を伸ばし、女の頭を肩口に引き寄せる。ことんと重心を預けてきた女はそのままカルピスに口をつけた。
「うん、おいしい」
「俺にもくれ。濃い目につくって」
「えー。あんたのさじ加減難しいんだもん自分で作ってよ」
「面倒」
「味に文句つけないでよ」
 せっかく座ったのにとぶつぶつ呻きながら、こちらの手を押しのけて女は立ち上がる。ソファーの前のテーブルにグラスを置いて台所へ消えた女を見送り、テレビに視線を戻した。
 その視界に、カルピスの入った、グラスが映る。
 結露した、グラス。
 何気なく指を伸ばし、零れ落ちるその雫を、無言で拭った。