犬(女王の化粧師)


 招待された茶会は庭で行われた。色とりどりの薔薇が香る庭園はマリアージュも気に入るところだったが、今日は美しい花々よりその木々の根元で戯れる二匹の犬が気になった。
「誰か、あれらをそとへ」
「あぁ、かまわなくてよ」
 扇を振って、マリアージュはこの家の執事に言った。
「別に嫌いではないから」
「さようですか?」
 この家の幼い子供達の飼い犬らしい。迷い込んできてしまったのだろう。粗相をしない限りは放っておいてやれというと、執事は申し訳なさそうに頭を下げた。この家の主は、マリアージュが犬好きと勘違いしたのか、薔薇の下で戯れる犬二匹についてあれこれと口にする。
 それにふんふんと相槌を打ちながら、マリアージュは犬を眺めていた。
 一匹は黒い毛並みが艶やかな細身の犬。元は猟犬なのではないだろうか。犬の審美眼に自信のないマリアージュから見ても美形の犬だ。
 もう一匹はちびっこい黄金色の毛並みの犬。成犬ではないだろうが、大きさは子犬よりは一回りほど大きいかどうかといった程度だ。けれどぽやっとした目、垂れた耳、ちょっと長い毛足。ほわほわころころしている。
 黒い犬は薔薇の根元で身を伏せて、時折尻尾を揺らしている。その周囲を、ちびの犬がとてとてと歩き回っている。ちびの犬は何かを見つけてはふらふら吸い寄せられ、そのたびに黒い犬ははっと顔を上げ、ちび犬の首元を咥えて引き戻していた。
 しかしそれでもちび犬はめげない。あっちへふらふら。こっちへふらふら。何かに興味を引かれては、ぺちぺち叩いたり、矯めつ眇めつ眺めたり。そうしてしばらくのち、ちび犬は唐突に、ぴえっと飛び上がった。
 身を起こした黒犬が慌ててちび犬のほうへと走っていく。ちび犬をその場から引きずり出したその黒犬は、じぃ、と見つめた。というよりも、睨んだ。
 ちび犬がしょぼしょぼと頭を垂れる。
 ややおいて黒い犬はちび犬の毛づくろいをはじめた。垂れた耳やら汚れた顔やら。
 ちび犬は嬉しそうに、うっとりと目を細めて、黒い犬に身を寄せる。
 ちび犬をひと通り舐め終わって、黒犬は再び身を地に伏せた。
 ちび犬が黒犬にもそもそと身をすり寄せる。
 なんだか妙な既視感を覚えて、マリアージュはんんっと眉間に皺を寄せた。



 ヒースがつらつらと明日の予定をマリアージュに語る後ろで、ダイが部屋をうろうろしながら肌の手入れの支度をしている。
 ダイの動きはてきぱきとしているが、ふいに何かに気を引かれて手を止めることがあって、その都度、ヒースが指でこん、と卓の上を叩いている。彼の目はマリアージュを見ているし、報告する舌も滑らかだ。しかし彼がダイを気に留めていることは明らかだった。ダイが重いものを運ぶたび、置きやすいように卓の上のものをさりげなく避けて、空間を作っている。マリアージュに失礼にならない範囲で。自分の書類を置くついでのように。
「あつっ」
 ダイの声にマリアージュははっと顔を上げた。ヒースはすでにダイの方を振り返っていた。というより、失礼、と言い置くが早いが、ダイと距離を詰めていた。
「何をしているんですか?」
「あー、すみません。火を消したばかりの燭台にうっかり触ってしまって」
「……気を付けなさい。まったく……」
 睨むようなヒースの目にダイが肩をすくめる。ヒースはダイの手を掴んで触れ、何事もないことを確かめた。
 ダイはくすぐったそうに目を眇める一方で、申し訳なさそうに眉尻を下げている。ヒースはダイの手を開放すると、マリアージュの前に戻って報告を再開した。
 ダイも彼の隣に並んで卓の上を整え始める。
 ヒースにしては珍しくその場から動かない。相手が侍女であれば邪魔にならぬよう立ち退くと思うのだが。
 ダイもダイでヒースの傍らで仕事に励んでいる。黙々と。もう少し離れてもよかろうにと思われる距離で。
「あぁ……!」
 ぽん、と、手を打つマリアージュに、ヒースとダイがびくりと身を震わせる。
「……どうかなさいましたか?」
「マリアージュ様?」
 何でもないわ、と、答えながら、マリアージュはぬるい目になった。
(犬に見えるわ)
 
 片時も離れようとしないあの犬たちに。
 この見解は果たして正しいのか。
 実証は先の話だ。