美しいものの話(女王の化粧師)


「いや! 本当にすごかったんですって! 梟さんが女のひとに見えたんですから!」
「そりゃすごいな。でも梟氏はもともと女顔だからなぁ」
「スキピオ!」
「あーもーおまえらそこまでにしておけよ」
 軽い口論になりかけた雰囲気を悟って、ゼノがレオニダスとスキピオの間に割り入る。
「レニー、お前の主張はわかったからさ。でもそんなに意地になっていうもん?」
「主張を馬鹿にされたら誰だって腹立たしいとは思いますが?」
「もー、他はおまえそつないのにどうしてそんなところで意地になんの?」
 落ち着けよ、と、ゼノは言った。
 落ち着いている、と、レオニダスは反論したかった。
 しかし自分の趣味嗜好が多少他人から浮いていることは自覚しているし、それを堂々と主張して許容される――というより受け流してくれる者たちは仲間である彼らなので、これ以上はやはり口を噤むべきなのだろう。
「というかこんなに騒いでディータに謝れよーお前」
「謝るべきはお前だ、ゼノ」
 これまで会話に混ざらず黙々と職務に励んでいた宰相が、ゼノに生ぬるい視線を送った。
「そもそもお前が変に混ぜっ返さなければよかっただけの話でしょう」
「えっ、俺のせいなの……?」
「スキピオも悪のりしすぎないように」
「は、申し訳ありません」
「レニーは話す人選を間違えている。マーク辺りに話せばよかったんだ」
「あぁ……そうですね……」
 生真面目堅物な彼あたりなら確かにレオニダスの意見にも重々しく耳を傾けただろう。単なる雑談なので重々しく頷いてくれなくてもよいのだが。
「ディータからしてみたらどうなの? 人を守るわけでも殺すわけでもなし。人の腹を膨らませるわけでもなし。なんで化粧師なんて存在に国章なんて与えたのか俺にはさっぱりだけど、なるほどって思わせるもん何かあった?」
 ゼノの言い分はもっともだ。そう思うと化粧ひとつに気分が高揚した自分が馬鹿らしくなった。もうにどと口にすることはやめよう。
 ところが、宰相は真剣な顔でゼノに返答した。
「あの化粧はきっと女王の弱い部分をよく隠して守っているのではないですか。他者の目というものから。……玉座の毒は、当人の弱い部分によく廻るものです」
 化粧はひとの顔を塗り替えて周囲を欺く。
 周囲だけではなくときには己さえ。
 そうしてひとを奮い立たせる。
「王は飢えない。飢える立場になったときには王ではない。だから王には腹を満たす者は必要ない。どれほど殺傷の技を磨いても王の心は守れず孤独は癒やせない。……化粧師の技にはそれを叶えるところがあるのでしょう。国章を与えられたところでおかしくはないのでは?」
「……お前ってあの化粧師を買ってんのな」
「いまは隣国の国章持ちのことではなく、化粧師という人間が王に侍るに適う存在かを論議していたと思いますが」
「そうだったか?」
 ううん、と、ゼノが首をかしげる。
 彼はまあいいかとため息を吐いた。
「それじゃあ俺は行くから。レニー、あとは頼んだ」
「かしこまりました」
 ゼノがスキピオと執務室を退室していく。スキピオから宰相の護衛を代わったレオニダスは閉じられた扉を眺めながら呟いた。
「……でも本当にすごいと思ったんですけどね……」
 誰がなんと言おうと人の印象が塗り替えられていくさまに圧倒されたのだ。
 自分は殺してばかりだから。
 人に輝きを与えていく技を羨ましく思った。
「――そうだな」
 宰相が同意して、レオニダスは息を呑んだ。
 宰相は笑っていた。
 何かを思い出すように伏せられた目線。口元はやさしい弧を描いている。
 いつもは冷たさすら宿す端正な面差しがひどく柔らかな印象を纏った。
「あれはうつくしいと思う。わたしも」
 彼女の腕は確かなものだと彼は言った。


 彼女、は。
 宰相の失言だったと、レオニダスは思う。
 誰もあの化粧師を女だとは思っていなかったのだから。
 レオニダスは沈黙を守った。日々日々張り詰めていく主の後ろをついて歩きながら。
 自分の主には秘密が多い。吐き出すことのできないそれらがひとつふたつ足跡に零れたら、拾い上げて、他人の目に触れぬようにしておくことも、近衛の職務ではないかと思っている。

 
 件の化粧師と再会したとき、彼女は少年の形をしていた。知らぬ者が見れば少年だが、なるほど、きちんと見ればうつくしい娘だった。
(……少しぐらいはお話してくださいますかね)
 主人が抱えてきれずにいるものを。
 もう少しすれば方々を経由した最後に宰相は自分と合流する。
 王都までの道々の話題に少しぐらい。
 美しかったものの話になら、宰相はまた付き合ってくれるだろう。