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大人になる方法 1


「付き合ってください」
 大人になるための方法の一つとして選んだ男の人は、とても綺麗な男の人。綺麗だから選んだということも確かにあったけれど、大きな理由の一つは、彼女がいない間に告白すると、大抵はすんなり付き合ってくれるという噂のためだった。
「好きなんです、付き合ってください」
 愛の告白だなんて今まで一度だってしたことがない。拙い言葉はとても震えていて、こんなんじゃだめだと私は自分を叱咤した。
 私の呼び出しに応じてくれたのは、本当に、何かの間違いなんじゃないかというぐらいに綺麗な人だった。
 顔立ちはもちろん、神様がそうあるように触れたんじゃないかというぐらいに隙なく整っていたし、背は高く、 四肢はすらりとしていた。サッカーをずっとしているということで、細身だけど華奢なわけじゃない。
 髪はさらさらの黒髪。真っ黒というわけではなくて、柔らかい黒。瞳は薄茶で、金色がかって見えることもある。
 私を観察するように細められる彼の目を見つめ返しながら、私は繰り返した。
「付き合って、欲しいんです」


 どうしたらおとなになれるのかかんがえてた。
 どうしたらひとりでいきられるようになるのかかんがえてた。
 だからそのほうほうはすべてためしていこうってきめた。
 わたし、はやくおとなになりたかった。


 お弁当を持って私は山道を急ぐ。目指すのは中庭だった。中庭といっても、校舎の裏手にある山を登らなきゃいけなくて、足元が悪い上、今は冬の初め。その寒さもあって、とても人気のないところ。夏場だって、人気がない。来るために息がかなり上がってしまうから。
 少し息を切らして上っていく。すると少し開けたところに休憩場所として作られた東屋みたいなところがあって、そこに男の人が一人、座っていた。
「先輩」
 彼は、私の呼びかけに応じて面を上げた。そして、呆れたように笑う。
「がんばるねぇ」
「当然です」
 私は先輩の隣に腰掛けて、お弁当を広げた。二学期に入ってから自分で作るようになったけど、大分腕は上達してきたと思う。最初は歪でスクランブルエッグにしか見えなかったような厚焼き玉子も、それらしくなってきたとは思う。
 頂きますと手を合わせ、お弁当の中身に箸を付ける。今日は天気がよくてよかった。小春日和。外で食べていても寒さを感じないし、逆にぽかぽかと気持ち良いぐらい。
「あのさ」
 購買で買ったらしいパンをかじりながら、先輩が声をかけてくる。
「お弁当、欲しいんだったら作ってあげますよ?」
「そんなこと誰も言ってないよ」
 先輩は顔をかすかに歪めて呻く。
「……あのさ、いいかげんそろそろ、迷惑なんだけど。なんか、僕と君、付き合ってるって思われてるみたいだしさ」
「そうみたいですね」
 私は言った。
 私がこの、妹尾叶先輩に付き合って欲しいと懇願したのは、週の初めだった。一番冷え込んだ週末が終わって、急に冬っぽくなった週の初め。勇気を振り絞って校舎裏に呼び出し、愛の告白をして、懇願したのだ。
 けれど。
『悪いけど、今、誰とも付き合う気、ないんだよね』
 先輩は申し訳なさそうに微笑んで、私にそういった。とても意外だった。彼女がいないときに告白すればすんなり話が通ると有名だったから。
『彼女さん、いるんですか?』
『そういう、わけじゃないけれど』
『じゃぁどうして?』
『誰とも付き合う気、ないんだよ』
 先輩は先ほどと同じ回答を繰り返す。私は、沈黙してしまった。
 こんなこと、話が違う。
 うまくいくと半ば思ってたから、おこがましいと思いながらも、先輩には言えた。
 けれど、やっぱりうまくいかないなんて。
 あぁ、どうしたら――……。
 先輩はそんな私を見つめたあと、嘆息に肩を揺らし、私に背を向けた。
 そして歩き出し、手を振りながら言ったのだ。
『まぁ、君が勝手に付きまとうのは、勝手だけど』
「――って、言ったじゃないですか」
「まさかここまで付きまとわれるとは思わないじゃん。そろそろ一週間だよ。あーぁ、失言だった」
 先輩は本気であのときの最後の言葉を後悔しているようだった。私は口先を尖らせながら主張する。
「でも、本気で先輩を好きな女の子だったら、あぁ言われれば誰だって付きまとっちゃいますよ」
「でも君は、別に僕のこと、本気で好きなわけじゃないよね」
 バナナ牛乳のストローを口にくわえながら、先輩はさらりと反論する。私の身体全てが、驚きに一瞬石化した。
「……じゃぁ、どうして、あんなふうに、付きまとっていいだなんて」
「君、僕のこと本気で好きなわけじゃないって判ったから、アレぐらいいっても平気かなと思った。なんだか、男に振られたとは別の意味で、途方にくれたような顔してたから」
 まさかここまで本気で周囲をうろつくようになるとは思わなかったけど、と先輩は付け加える。
 私は呆然としながら、先輩に尋ねた。
「……判るんですか? 好きじゃないか、なんて」
「大抵は。そりゃ年中いろんな子から告白されてれば、その子が興味本位で言ってきてるのか、そうじゃないのかも判るようになるよ。僕、モテるんだよ。ご存知の通り」
 最後のほうは茶化すように、悪戯っぽく笑って先輩は言う。
 男の人にかわいらしい、と表現するのは失礼かもしれない。けれど確かに、女の子の柔らかいところを刺激する微笑だった。
 好きじゃないって、判られてた。
 私はそのことに少なからず覚えた衝撃を隠すように、黙ってお弁当の中身の消化に努めた。
 ソーセージを咀嚼しながら、ぎゅっと目を瞑る。
 大丈夫。
 大丈夫。
 だって、男の人は、女の人が好きかどうかなんて、関係ないって、いうじゃない。
 私はちらりと、先輩を見た。
 先輩は、ストローを加えたまま校舎のほうを見つめている。高台にあるここからは、学校の校舎の屋上がよく見えた。
「あれ、屋上で、お弁当食べてる人がいますね」
 私は屋上でちらちら動く二つの影を見つけて無意識に呟いた。
「屋上……いつも鍵、かかってるはずなのに」
「天文部なんじゃない?」
「あ、そうか……」
 以前は違ったらしいけど、私が入学した頃にはすでに、屋上は常に施錠されるようになっていた。ただ、天文部の人だけは部室が屋上にあるから、自由に鍵の貸しだしを許可されている。
 女の人が二人、冬の晴天の下でお弁当を広げている。うらやましい。私も天文部に入部すれば屋上が使えたかな。
 ふわりと、風が吹いた。心地いい風だ。
 いい天気だなぁ。
 この中庭、人気がないけれど、風景はすごくいい。屋上も含めて町が一望できる。先輩が、たくさんの女の人からの隠れ家に、この場所を選ぶ理由がわかる気がする。冬はちょっと、寒いけど。
 こんなに広い世界で、どうして私は……縛られているんだろう。
 子供という、世界に。
「……先輩?」
 私はふと、先輩の視線の在り処に疑問を持って首を傾げた。先輩の視線、屋上に向いている気がしたからだ。さっきから、私と会話している間もずっと町のほうを見つめていた。町を、眺めているのかと思ったけど、もしかして。
「校舎に、何か、あるんですか?」
 私の問いに、先輩の表情がほんの一瞬だけ凍る。
 その後、静かに瞼を伏せた先輩は、どこか寂しそうに笑って言った。
「いい、天気だなぁと思って」
「……ホントですね」
 先輩はバナナ牛乳の紙パックを潰して、ビニール袋の中にそれを放りこんだ。そのゴミ袋を持って、彼は立ち上がる。
「それじゃ、僕は行くよ」
「あ、せんぱっ、ちょっと待ってくださいよ!」
 私は慌てて弁当を片付けて立ち上がった。先輩はその間にそそくさと中庭を降りていってしまう。
「先輩!」
 中身の残ったお弁当を抱えながら、私は先輩の後を追いかけた。


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