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第一章 久闊の訪問者 3


 あの男を見たというダダンの報告を、伝えそびれてしまった。
 むしろ意図的に隠したというべきだろう。他にはないのか、という問いに、何もないと答えたのは自分自身だ。ダイは足を止めて窓枠に手を付き、思わず深い溜息を零した。
「なぁに溜息吐いちゃってるの? 幸せ逃げるよぉ」
 軽やかな笑い声響く方向を振り返れば、友人がその長い緋色の髪を揺らしながら、ゆったりとした足取りで歩み寄ってくる。
 アルヴィナだった。彼女の身に着ける薄紅色の法衣の裾が、さらさらりと衣擦れの音を立てている。神官服を基にして作られたというそれは城で働く魔術師たちの制服だ。アルヴィナ自身の神秘的な雰囲気と相まって、彼女に実によく似合っていた。
「丁度よかったわ。ついさっき、ダイの部屋に寄ったところだったの」
「私に用事だったんですか?」
「そうそう。作っておいてっていわれてた化粧水、出来たからね。取りに来てって言おうと思って」
 ダイの前で立ち止まり、アルヴィナはにこりと微笑んだ。
 ダイが城に勤め始めてから一月ほど遅れて、彼女は宮廷魔術師の一人として姿を見せた。デルリゲイリアにおいて、城は女王が即位すると同時に新しい人材を募る。アルヴィナはその公募に応じたのである。紹介状をどこから得てきたのかは不明だが、実力もあってすんなりと採用されたらしい。城の術式の調整を行う魔術師として勤める彼女は現在、住まいもこちらに移して生活していた。
「もし忙しいなら私が部屋に持っていくけど……」
「あ、いや、取りに行きますよ」
 アルヴィナの申し出を、ダイは手を振って辞退した。
「丁度夕方頃まで暇なんです。アルヴィーはいつ時間空いてますか?」
「私、今なら大丈夫よぉ。鬱陶しい話し合いが終わったばかりなの。なんなら一緒にお茶でもする?」
「しますします!」
 願ったり叶ったりの提案に、二つ返事で了承を返す。アルヴィナは満足そうな笑みを浮かべると、さっそく自身の研究室へと進路を採った。
「じゃぁいきましょうか」


 男を見つけたと衛兵が報告を寄越し、マリアージュは席を立った。
 執務室を抜け、廊下へ。背後を数人の影がつき従う。自分の歩くところ、女官と文官、そして護衛の兵が必ず付く。彼らの存在は晴れて女王になったという実感をマリアージュに早い段階でもたらしたが、喜ばしく思ったのもつかの間、すぐに疎ましいものとなった。
 先んじるアッセが用意された部屋の前で立ち止まる。そして扉を開けるよう番兵たちに指示を出した。
 家臣たちが貴族や街の有力者との接見に使う、広さある応接間。
 その中央に鎮座する長椅子に、男は退屈そうに腰掛けていた。
 気だるげに灰色の目をマリアージュへ向けた彼は、ぼりぼりと頭をかきながら立ち上がり、冗談めかしに礼を取る。
「ご機嫌麗しゅう、女王陛下」
「その小馬鹿にした言い方やめなさい。虫唾が走るわ」
 笑い含んだ言い方をされるのならば、呼び捨てのほうが幾許かましである。
 男はやれやれと頭を振って、長椅子に腰を落とした。
「失礼だぞ!」
 男の礼を欠いた言動に苛立つ文官を手で制し、マリアージュは女官ともども退室するように命令した。
「下がりなさい。急ぎ、茶の支度を。アッセも部屋の外に」
「それは出来かねます、陛下」
 護衛の任に付く騎士は、硬い表情で拒否を示す。
 腰に手をやって溜息を吐いたマリアージュは、いいから、と言葉を重ねた。
「下がりなさい。鍵は掛けないわ。何かあったらそれでわかるでしょう」
「何かあってからでは遅いのです」
「俺が何をするってんだ?」
 進展しない場への苛立ちを滲ませて、声を挟んだのは客人だった。
「その騎士様も残しておきゃいい話だろ。それが嫌ってなら手首なりなんなり縛ればいい。大体、女王をどうこうしてお尋ね者になる気なんざ、こっちにはさらさらねぇよ。呼び出したのはそっちだろ。俺に一体何の用だ?」
「話を聞くためよ。他に何があるっていうの?」
「話だぁ? ダイから聞いたんじゃねぇのかよ?」
 マリアージュは首を横に振った。
「あの子からの手紙なら受け取ったわよ」
 あの子、とは無論アリシュエルのことだ。ダイではない。
 顔をゆがめるダダンが不都合なことを言い出す前に、マリアージュはアッセたちを振り返る。
「外に出なさい。命令よ」
 女官は既に席を外していた。文官はアッセとマリアージュの顔を交互に見比べ、どうすべきか迷っているようである。
 根負けしたのはアッセだった。彼は唇を引き結び、これ見よがしに息を吐いて一礼する。
「それでは、何かございましたらお呼びください」
「えぇ」
 アッセたちが去るのを待たず、マリアージュはダダンの対面の席に腰を落とした。なかなか閉じられようとしない扉に、目をやらぬまま声を上げる。
「早く閉めなさい」
 部屋の入り口に控える兵は叱責を受けて、ようやくきちんと扉を閉めた。
「……やっと静かになったな」
 嘆息混じりに、ダダンが呻く。
「そうね」
 マリアージュはダダンを見据えたまま同意した。
 これでようやっと、話ができる。
「あんた、ダイに何を話したの?」
「アリガとあっちの国についてだ。互いの近況と……あとは飯の約束か」
 アリガ。アリシュエルの新しい名前だ。手紙にも書かれていた。彼女について訊きたい話もあるのだが、今尋ねるべきことはそれではない。
「それ以外よ」
 ダイの話はアリシュエルの件に終始していた。だが彼女が別の話を伏せていることは明白だった。
 だいたい、隠し通せると思っている点が腹立たしい。嘘が顔に出るのだということを、彼女はそろそろ自覚するべきだ。
「言いなさい」
 マリアージュは鋭く追及する。
「ダイと何の話をしたの?」


 魔術師たちには研究室を兼ねた書斎が与えられている。
 かなりの広さを有するはずのそこは、玻璃の管や器、花を閉じ込めた水晶、毒々しい色の液体に満たされた小瓶など、アルヴィナが持ち込んだ得体の知れぬ様々なもので埋め尽くされていた。観葉植物まである。その人の気配感じられる部屋の様子は、いつもダイにとって心地よいものだった。物を持たぬせいか、ひどく寒々しいと定評あるダイの部屋とは大違いだ。
「それで、溜息の原因はなんだったの?」
 円卓の上に茶道具を並べ置きながら、アルヴィナが首を傾げる。甘い香りで部屋を満たす彼女お手製の焼き菓子は、皿の上で等分される時を待っていた。
「仕事で何か失態を?」
「いえ。そういうわけじゃないです」
「化粧についての悩み?」
「いいえ」
「裏町の人たちが困ったことになってる」
「でもないです」
「マリアが文官の人を怪我させたとか」
「いや、最近はそこまで癇癪起こされませんよ。よくて文鎮投げるぐらいですかね」
「うんうん。そっかぁ。マリアも成長したねぇ」
 アルヴィナはよしよしと満足げに頷いて、紅茶を茶器に注ぎ淹れ始めた。
「じゃぁ、残りは一つだね」
 滴が柔らかい紅の水面に波紋を落とす。
 そこに映るアルヴィナの顔が、渋面とも微笑ともつかぬものに歪んだ。
「ヒースのことだ」
 差し出された紅茶に、ダイは口を付けた。
「どうして彼のことだと思うんです?」
「身体のことに今更ぐずぐずするとは思えないもの。だったら、ダイに憂鬱そうな顔をさせる原因なんて残り一つじゃない?」
 あたり? と友人が意地悪く問い質す。ダイは微苦笑を返した。
「今日、知り合いが会いに来たんです」
「あぁ、そうらしいね」
「知ってるんですか?」
「うん。お話だけね。用事があってユマとおしゃべりしたから、その時に」
 焼き菓子に小ぶりの包丁の刃を入れながら、アルヴィナが話の続きを促した。
「続けて?」
「……その、会いに来てくれた人……ダダンっていうんですけど。アルヴィーも会ったことがあるんじゃないかな。彼が、見たそうです。……ペルフィリアにいる、あの人の姿を」
 切り分けられた菓子が小皿に盛られ、ダイの前に差し出される。
「本当に彼なの?」
「間違いないでしょう」
 ダイを訪ねる前に、おそらくダダンはペルフィリアで一通り調査をしているはずだ。彼とて裏付けのない物を言いに、わざわざここまで来ないだろう。
「ヒースはペルフィリアで元気そうだったの?」
「さぁ? ダダンはそこまで言ってませんでした。ただ……あの人のことだから、相変わらず、過労死しそうになってるんじゃないですか?」
 ぷ、とアルヴィナが小さく吹き出した。
「……アルヴィー、どうしてそこで笑うんですか?」
「だって、ダイってば、ヒースに対する言い方が昔と変わらないんだもん。働きすぎなんですよって、もうちょっと身体大事にしたらいいのにって。……あぁごめんね、責めてるわけじゃないのよ」
「……わかってます」
 卓の上で手を握り合わせる。じっとり汗ばむそれを見つめながら、ダイは呻いた。
「別にあの人のことを聞いて気落ちしたとかいうのではないんです」
 心中は、奇妙なほどに穏やかだった。
 それが逆にダイ自身を狼狽させた。
「あの人がペルフィリアで生きていることはわかっていましたから。それを聞いて動揺したというわけではないんです」
 他ならぬ彼が言ったのだから。ペルフィリアへ戻ると。そこが、祖国なのだと。
「ただ、その話を、マリアージュ様に言えなくて……」
 それこそがダイをもっとも気落ちさせたことだった。
 マリアージュの臣としての部分では、あの男が今まさにこの国を攻め滅ぼす算段をしていると耳にしたところで、冷静に受け止めることができる。
 しかしその一方で、ダイは自分とは違う何かが身体を動かしているとも感じていた。そしてダイ自身はその背後で膝を丸めて泣いている。泥だらけで。まだ濡れそぼったままで。しくしく泣いている。
 首の痣はとうに消えていた。けれど今も雨が降るたびに、そこが痛む。
 癒えぬ傷を抱えたままの少女の部分が、ダイの奥底で泣き声をあげて彼を求める。
 かわいそうなディアナ。ようやっと日の目を見たというのに、男との別離を採択した結果、また引き裂かれてしまった。
 ふ、とダイは自嘲に嗤った。わかっている。ダダンの報告をマリアージュに告げられなかった理由は、“彼”を庇おうとする――あるいは、対立を認めたくない――この少女の部分が口を塞いだからなのだと。
「マリアにはまた言えばいいよ。大丈夫」
 アルヴィナは紅茶をかき回していた匙を受け皿の上に置いた。
 ちん、と陶器の澄んだ音が響く。
「ダイはまだ、ヒースのことが好きなんだね」
 ダイは笑った。
 本当は、泣き伏してしまいたいと思いながら。
「えぇ――……残念ながら」


 もう半年過ぎた。
 まだ、半年しか過ぎていない。
 憎むことも忘れることもできやしなかった。
 ダイの恋は、あの雨の夜、男との別離を選択した瞬間から、始まったのだ。


「つまり、そのディトラウトっていう男がヒースっていうこと?」
「あぁ」
 煙を吐き出しながら、ダダンは頷いた。
「ここ三年ほどの間、表に出てくることの全く無かったペルフィリアの宰相。影が薄いと言われているが、伝を辿って色々掘り返せば、出るわ出るわ。表立っちゃねぇものの、宰相の名で出された政策ははっきりいって化け物じみている。女王もいい加減豪胆で傑物だといわれるが、それを支えてんのは間違いなく兄、ディトラウトだろう」
「それがヒース? 人違いじゃなくて?」
「間違いであってほしいから、こっちに来たんだ」
 ヒースがデルリゲイリアの王城で働いているのなら、人違いとして笑い話にできる。
 しかし、現実はそう優しくはなかった。
「お前、驚いてねぇな? ペルフィリアにいることは、知ってたのか?」
 マリアージュはダダンの問いに沈黙を返し、膝の上で重ねた手を強く握り込んだ。
「……知ってたんだな? お前も、ダイも」
「情報に感謝するわ。礼金は、いくら用意すればいいの?」
 僅かに気色ばんだ様子で、ダダンは即答する。
「いらねぇよ」
「でもあんたは情報屋なんでしょう?」
「そりゃそうだがな……。別に俺はこれを売りに来たわけじゃねぇよ。ただ、知りたくて来たんだ」
「何を?」
「何があったのかを」
「答えるつもりはないわ」
 あの夜のことは、最重要機密だった。
 ヒースに関しては、『女王選出の夜、ミズウィーリ家が受けた何者かの襲撃に巻き込まれ、生死不明』と公式発表がなされている。それも貴族階級で彼と接触を持ったことのある、極々僅かなものたちに対してのみだ。彼らは通達がなされた最初こそ、マリアージュを女王の座に押し上げた青年の不在に対し、様々な憶測を並べ立てたものの、新女王誕生からくる多忙さに流されて興味を失っていった。
「……ダイに話したのは、それだけなのね?」
「あぁ」
「なら、用はすんだわ」
 接見終了の宣言を受け、ダダンはゆらりと立ち上がった。マリアージュを一睨みして踵を返す。その足取りは苛立たしげで、時間を無駄にしたと言わんばかりだった。
「……待って」
 囁くほどの声量であったにもかかわらず、マリアージュの制止をダダンはきちんと拾い上げたらしい。立ち止った彼の広い背が、溜息に大きく上下する。
「要件は終わったんだろ? 何の用だ?」
「一応言っておくけど、変に嗅ぎ回らないでよ」
 ダダンがゆっくり振り返り、無言のまま、歩いた道を引き返した。腕を取って立ち上がらせたマリアージュの鼻先に顔を寄せ、いいか、と言い置く。
「むやみやたらに訊いて回るつもりなんてねぇよ。俺だって命は惜しい。だがほんのちょっとお前らに関わっただけの俺でも気になるさ。俺がいない半年ほどの間に、お前の家臣だった男が消えている。それも、ただの家臣じゃない。お前を女王にするために、ありとあらゆるお膳立てをした男がだ」
 ダダンにヒースがミズウィーリ家にとってどのような立場なのかを教えた覚えはない。調べたのだろう。登城する前に、マリアージュの生家に立ち寄ったのかもしれない。使用人をつかまえて、二、三質問すればわかることだ。
「そしてお隣の国では、その行方不明になった男と同じ顔の奴が、女王の兄として、宰相として何食わぬ顔で立っている」
 気になるだろ、とダダンは繰り返した。
「痛い目に遭うわよ」
「きな臭いのはわかってる」
「なら何故?」
「女王陛下、お前はどうなんだ? 自分を女王にするために粉骨砕身働いていた奴が理由もなく突然消えて隣国で宰相やってて、気になったりはしないのかよ?」
 マリアージュは沈黙した。男と睨みあった時間は、そう長くはないだろう。疲れたように溜息を吐いて話を切り出す、彼の声音は穏やかだった。
「なぁマリアージュ……ヒースの奴、なんで怪我したか、知ってるか?」
「……怪我?」
「アリガ……アリシュエルが、行方不明になったときだ。城の裏山に入ったときだ。ヒースの奴、手に怪我をしていただろう。覚えてねぇか?」
 アリシュエルの恋人が、彼女の父親に殺害されるという悲劇が起こった日のことだ。あの事件をきっかけに、彼女に代わってマリアージュは女王の最有力候補となった。もうずいぶん前だし、あの時はアリシュエルが殺されるか否かという瀬戸際で、ヒースの様子に注意など払っていない。
 覚えていない、と口に仕掛けたマリアージュは、閃いた光景に口元を覆った。
「……覚えて……る」
 思い出した。
 森の中。発熱から気怠そうな面持ちをした男の手に巻かれた赤黒い包帯。その奥に隠された怪我を、ダイは終始労わっていた。
「そうだわ。怪我を、していた」
 応急処置は終えていたものの、動き回って傷口が開いた為に、跡が残ってしまったのだと聞いている。
 だが、あの怪我が一体何だというのだ。
 ダダンが苦笑を浮かべて言った。
「あれな、ダイを庇って負った怪我なんだ」
「……え?」
 思いがけぬ回答に、マリアージュは瞠目した。
「あの時、ロウエンと俺は刺客から身を守るために、罠を張っていた。からくりに引っかかった瞬間に、弓矢の勢いで短剣が射ち出される。上手くいきゃ、獲物の喉笛を一突きっつう代物だった」
 ダダンはそこで一度言葉を区切り、射出の勢いを示そうとしたのか、刃を投擲するように手を振ってみせる。ぶん、という空気の裂く音が微かに響いた。
「けどな、運悪く、ダイが引っかかった」
「……それを、庇ったの?」
 ダダンは笑って頷き、手を下げた。
「たとえ罠が作動する前にヒースが気づいていたとしても、そこにわざとダイを誘導する理由もねぇだろうし、何より罠自体、庇ったふりとかできるような代物じゃねぇ。うっかりするとヒース自身が致命傷を負いかねない。ダイを庇ったのはふりでもなんでもなく、とっさ、だったんだろう。あぁいう命のかかわる状況っていうのは、素が出る。人間っつうもんは我が身が一番に可愛いもんだ。どれだけ親しいふりをしていても、命が危険に晒されれば真っ先に自分の身を守ろうとするのが人間だ。だっていうのに」
 ヒースは、ダイを庇ったのだ。
 もし、ダイを利用しているだけならば。
 もし、裏切るだけの相手だったならば。
 命を懸けて守ろうなどとはしなかっただろう。
「罠が作動して、誰が引っかかったのか様子を見に行ったとき、そこにいたのは命に代えても女を守ろうとする男と、その男から片時も離れたくないっていう目をした女だったよ」
 ダダンが視線を窓の外へと移動させる。目を細める意味は、苦渋か、単純に差し込む陽光に眩しさを覚えたからなのか、マリアージュにはわからない。
「あいつらが恋人同士だったとかは思わねぇよ。それでも近いもんはあったろう。表面上の態度はともかく、ヒースがダイの奴を大事にしてたのは目に見えたし、ダイもめためたに言われていてもヒースの奴を信じていた」
「ほんの少ししか見てないくせに、なんでそんなことが断言できるのよ」
「綺麗だったのさ」
 マリアージュは一瞬、男がおかしくなったのかと思った。
 だがダダンは至極真面目な面持ちで、静かに言った。
「世界を回って相手を出し抜いたりだまくらかしたりする経験を積むとな、人の心の美醜にもそれなりに目端が利くようになる。あいつらが二人いる姿は、綺麗だったんだ。いろんなものがひっくり返った、玻璃の砕けたぼろぼろの部屋で、血まみれだったっていうのにな」
 マリアージュは沈黙し、下唇を噛みしめた。ダダンも我に返った様子で、気まずげに頭の後ろを掻く。
「あぁ……くそ、余計だったな」
「わかる気がするわ」
 ダダンが瞠目する。
 瞼を伏せながら、マリアージュは繰り返した。
「……わかるわ。そういうの」
 何気なしに窓を見下ろしたとき、庭先で肩を並べる二人を見たことがある。幸せそうに笑う青年と少女。誰も知らぬ場で密やかに、彼等は温かな時間を共有していた。それは僅かな間だったけれども、ダイに失われていた性別を取り戻させ、マリアージュにヒースという男のことを見直すきっかけを与えもした。
 恋人同士ではなかっただろう。だが、いずれはそうなったであろう。
 そう思わせるに十分なほど、優しい光景。
 胸が、痛くなるような。
 それはやがて歪み、そして最後には断裂した。
 ――……だから気になるのだ、と男は言った。
「あいつらの生き方を、分けたものは、一体なんだったのか」


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