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第一章 久闊の訪問者 2


 ぐったりと執務机に突っ伏して、マリアージュは白旗を揚げた。
「もう、駄目」
 傍らに立つ男が、おや、と片眉を上げる。
「もう? 昨日より半刻ほど短いなぁ」
「毎日の疲れが溜まってるの! 頭が痛くなるわよ、この書類の数!!」
 どん、と机に拳を振り下ろした拍子、積み上げられていた書類が安定を欠いてぐらりと傾ぐ。それをさして慌てる風もなく押し留め、男はやれやれと頭を振った。
「大丈夫。僕は今日もうその四倍ぐらい、書類に目を通してるよ」
「あんたと私、頭の造りがそもそも違うんだってわかりなさいよ!」
「はは、やだなぁ。僕の方が賢いのはわかってるよ」
「消え失せなさい!」
 マリアージュは憤りに突き動かされるまま、手元にあった筆記具の受け皿を投げた。男は涼しい――というよりもむしろ楽しげな表情でそれを避ける。周囲の文官たちもこのやり取りには慣れたもので、ある者は溜息をつき、ある者は肩を落として、壁に叩きつけられた受け皿を取りに歩いている。
「だってねぇ女王陛下。それは当然なんだよ。僕は女王を補佐する役目を母上から仰せつかって、子供の頃からずっと教育を受けてきたわけだからね」
 違う? と念押ししてくる男に、マリアージュは答えてやる気にもなれず、黙ったまま再び机の上に頬を預けた。
「ロディマス」
 男――ロディマス・テディウスは、マリアージュの呼びかけに、満面の笑顔で応答する。
「はい、陛下」
「私はきちんと女王をやれているのかしら」
「もちろん。貴女は紛れもなく女王だよ」
 彼は自信たっぷりに断言した。
「なんなら他の国の人にでも訊いてみる? ペルフィリアへの表敬訪問の話はしたっけ? 時期尚早だからって延期していたんだけどね」
「ペルフィリアねぇ……」
 身を起こして首を回したマリアージュは、先ほど放り投げてしまった書類をしぶしぶ手元に引き寄せた。
「そういえば、ダイは一体何をやってるの? 来るの遅くない?」
 ダイはマリアージュに四六時中張り付いているわけではない。ミズウィーリ家で働いていたときと同じように、大抵は女官たちと共に過ごし、合間を見てマリアージュのもとにやってくる。
 今日はその間隔がいつもより開いているように思えた。
「ダイなら今、知り合いと面会中だそうだよ。もうそろそろ来るだろうけど」
「は? 面会? 誰とよ?」
「さぁ、貴族ではないらしいけどね。ミズウィーリ家の人間でもないみたいだよ」
 その両者ではないとすると、推測は難しくなる。花街出身のダイには市井に大勢の友人がいる。マリアージュとてその交友関係全てを把握しているわけではない。
 書類の紙面をみっしり埋める文字に頭痛を覚えながら、マリアージュは首を捻った。
「……誰とかしら?」


 あいつを見た、とダダンは言った。
 ダイ。
 一体、何があった?
 追及する男に沈黙を貫き通し、ダイは慌ただしく面会を打ち切った。時間に余裕がなくなったことは嘘ではない。いつもならとっくに主人のもとを訪れているはずの時刻だった。
 ダダンが“彼”を見かけたのは、ペルフィリアの城下だったという。
 民衆に手を振る女王の傍ら、彼女の兄、彼の国の相として――ペルフィリアの女王にもっとも近しい、忠実なる臣として。宰相ディトラウト・イェルニとして。
 ヒース・リヴォートは生きていた。
「ディトラウト」
 男の名を無意識に、ダイは口内で転がした。ディトラウト。ディトラウト。幾度繰り返してもその名は馴染まず、ダイの舌を縺れさせるだけだった。
 半年前。マリアージュがまだ、女王候補に過ぎなかった頃。ロウエンとアリシュエルの一件の折に、ダイは将来について情報屋の男と、少しばかり話したことがある。
 他の候補が女王として選出されるにしろ、そうでないにしろ、ダイは変わらず“あの男”と共にマリアージュに仕えているだろうと。ミズウィーリ家で、あるいは、王宮勤めとなって、二人で、彼女を支えているだろうと。
 ダイに会えぬ可能性が高いと踏みながらも、ダダンが城を訪れた理由の一つは、“あの男”の所在を確かめる意味合いもあったのだろう。
 忘れていた隣の空虚さを実感し、ダイは身を震わせてマリアージュの執務室の前に立った。
 番兵による取り次ぎを経て入室を果たすと、マリアージュの傍に控える男が振り向いた。
 ロディマス・テディウス。
 年は二十三。亜麻色の髪と瞳を持つ、甘い顔立ちをした男である。政務のほとんどを取り仕切る、宰相の地位に就いている。マリアージュが女王として即位する以前、ガートルード家で彼女に踊りの誘いをかけた男が彼だった。
「どうしたんだい? そんな怖い顔をして」
 その笑みの柔和さにつられるようにして、ダイは表情の強張りを解いた。歩み寄りながら問いかける。
「お疲れ様です、ロディ。怖い顔なんてしていましたか?」
「してたしてた」
「面会相手と何かあったのか?」
 窓際に控えていた騎士が、思案顔で首を傾げた。
「何かあるなら早めに教えてくれ」
 ダイが問題有りと答えれば、今にも相手を斬り伏せにいくと言い出しかねない表情である。大丈夫ですよ、とダイは男を宥めた。彼にはやや直情的なところがある。
 マリアージュの護衛を請け負う彼は、アッセ・テディウス。ロディマスの弟である。しかしながら兄弟とはいえ、二人に共通している点は髪と瞳の色のみだ。アッセの体格はロディマスのそれより優れており、人当たりよい兄とは対照的に、切れ長の眼を厳しく細めていることが多い。
 だがダイに向けては、穏やかによく笑う男だった。
「私のところに来るのが遅れて、慌ててただけでしょ」
 執務の席に着くマリアージュが、しかめ面を書類に向けたまま口を挟む。
「で、私を放り出して、誰と長話していたの? ダイ」
「ダダンですよ。覚えていらっしゃいます?」
「ダダン……?」
 一瞬の黙考の後、マリアージュは息を詰めて顔を上げ、目を大きく見開いた。
「あの男? いつこっちに戻ってきたの?」
「昨日の夜だそうですよ」
「陛下もご存じの方だったんですか?」
「えぇ」
 アッセの問いに、マリアージュは肯定を示した。
「知り合いが世話になったのよ」
「へぇ。だったら晩餐にでも招待しようか?」
「いえいえ。それはやめたほうがいいと思いますよ」
 ダイはロディマスに提案の棄却を促した。普段は安宿を転々とするダダンが、宮廷式の作法を要する食卓に馴染めると思わない。招いたところで、彼も堅苦しい場を厭って辞退するだろう。
「それで一体どんな話をしてきたっていうの?」
「えーっと……今はちょっと」
 ダイは言葉を濁しながら、部屋に集う文官たちに視線を巡らせた。誰もが信の置ける官とはいえ、アリシュエルの件を話して聞かせられる者たちではない。
「休憩になってからでいいんです。急ぎませんし」
「そう? じゃぁ今休憩にするわ。あんたも来たことだしね」
 マリアージュが頬杖を突き、空いた手を軽く振る。解散の合図だ。
「誰か女官を呼んで続き間に茶の用意をさせなさい。ロディ、その書類の処理は任すわ」
「御意に」
 ロディマスの承諾を待って立ち上がり、マリアージュは隣室へと歩き始める。女王個人の休憩室としてあるその部屋に、ダイも彼女に付いて向かった。
 かなりの広さを有する室内には、入口から見て、応接用の卓と椅子、本棚、寝台の順に調度が整えられている。そのうちの一つ、布張りの椅子に腰を落としながら、マリアージュがさっそく話を切り出した。
「それで、アリシュエルの様子はどうだったの?」
「なんでアリシュエル様の件だってわかったんです?」
 まだ何も告げていないのに。胸中を見透かされたような居心地の悪さを覚えながら、後ろ手に閉じた扉から離れる。
「人払いが必要なおしゃべりの内容なんてそれとあと一つぐらいしか思い浮かばないわよ」
「マリアージュ様って時々ものすごく敏いですよねいだっ!」
「殴るわよ」
「いった……予告は殴る前におっしゃってくださいよ、もう」
「あんたこそその馬鹿正直なのどうにか直しなさいよ。いいから座りなさい」
 ダイは頭を撫でながら、下座に腰を落ちつけた。
「で? アリシュエルの様子はどうだったって言ってたの?」
「あまりよくないそうですよ」
 ダダンの言葉をそのまま返答に流用する。
「ロウエンの後追いしそうな気配だって言ってました。今はカイト……覚えていらっしゃいます? ロウエンの弟さんですけど」
「覚えてるわよ」
「あの人たちがアリシュエル様に張り付いてるそうです」
 自ら命を絶つことのないように。
 頭痛がすると言わんばかりに額に手を当て、マリアージュは溜息を吐いた。
「何やってんの、あのこは。謝りに行ったんじゃなかったわけ? なのに何相手に面倒かけてんのよ。もう一回ひっぱたきにいくわよ」
「まぁ内海を隔てた向こうから、人がひっぱたきに来るとはアリシュエル様も思ってませんよ」
「何よ。私は本気よ?」
「はいはい。存じてますよ」
 主人の子供のような物言いに苦笑しつつ、ダイは懐から手紙を引き出した。その簡素な封書に、マリアージュが胡乱な目を向ける。
「なんなの? それ」
「さっき、ダダンから預かりました。アリシュエル様からの手紙です」
「あんたね」
 マリアージュは呆れた様子で低く唸った。
「そんなものあるんだったら早く出しなさいよ」
 ダイから手紙を奪った彼女は、封を切る手ももどかしく、取り出した紙面に視線を落とす。まるで文字に食らいつかんばかりの勢いだ。
 紙を握る指先が、白く血の気を失って、戦慄いている。
「……アリシュエル様は、なんて……?」
「元気だから、心配するなって」
 僅かな沈黙を挟み、マリアージュは続ける。
「男の故郷に無事着いた。国は住みやすいし、皆にはよくしてもらっている……そんな内容よ」
「……そうですか……」
 おそらく、明るいことだけを選んで記してあるに違いない。しかしその内容が逆に痛々しい。マリアージュも同じ感想を抱いたらしく、その表情はひどく翳っていた。
 手紙を畳んだ彼女が、胡桃色の目でダイを捉える。
「それで、ダダンの話はそれだけだったの?」
 おそらくマリアージュにしてみれば、自分への伝言はないのか、と言いたかったのであろう。
 しかしダイは問いの意味を完璧に取り違えた。
『ヒースの奴を』
 ペルフィリアで見たんだ、ダイ。
 耳にこびり付くダダンの言葉を追いやって、ダイは返答していた。それだけです、と。
 マリアージュが眉間に皺を寄せて追及する。
「何よはっきりしないわね。本当に何もないの?」
「……ありませんでした」
「そう、ならいいけど」
 長椅子の背に重心を預けるマリアージュの顔は、どこか釈然としていない。彼女は探るようにダイを眺めている。ダイはぎこちなく笑みを取り繕った後、そっと主人から視線を外した。自らの口の重さの理由を、上手く説明できなかった。
 突如、扉の蝶番の擦れる音が高く響き、来訪者の存在を知らしめる。
「なるほどね」
 鍵をかけ忘れてしまっていたらしい。はっとなって振り返った扉口で、宰相が腕を組んで寄り掛かっていた。
「失踪したアリシュエル嬢の行方は、陛下とダイの二人が知っていたのか」
「盗み聞きなんて趣味が悪くてよ、宰相」
「偶然聞こえてきたんだよ。扉を叩いたのに返事をしないのがいけないんだ。お許しください、女王陛下?」
 扉を閉めて歩み寄ってきたロディマスを、マリアージュは鋭く睨め付けた。彼は苦笑するしかないと見えて、ダイの隣で立ち止まった後も、居心地悪そうに表情を歪めている。
「休憩に入られる前に、陛下、こちらにも目を。先ほどお渡しするのを忘れておりました」
 馬鹿丁寧にそう言って男が差し出す書類を、マリアージュは億劫そうに眺めた。
「あんたがいいと思うならそれでいいわよ」
「女王陛下がご覧になった、という事実が大事です」
「お飾りね」
「そう思うなら学べばいい。僕が教える」
「……面倒」
 文句を言いながらもマリアージュは大人しく書類を受け取り、紙面をその細い指で繰った。その内容の半分すら理解出来ているかは怪しい。それでも彼女はきちんと文字を追っている。
「読んだわ。別にいいわよそれで」
「かしこまりました。……すぐ女官がくるよ。内緒話をするのならそれからにしたほうがいい」
「失礼いたします」
 ロディマスの言を証明するように、茶道具を携えた女官が頃合いよく現れた。微笑む宰相と剣呑な女王。二人の視線の狭間に立って、女官はてきぱきと茶の支度を進めていく。
 その手が、ふいに止まった。
 卓の上には、二人分の茶器――……一客足りない。
「申し訳ありません。すぐにお持ちいたします」
 安心させるべく、ダイは青褪めた女官に微笑みかけた。
「大丈夫ですよ。ついでに盥と水を用意してもらっていいですか?」
 傍らに置いた鞄を一瞥する。マリアージュはひどく疲れた様子だし、精油を溶かした湯で彼女の脚と腕を揉み解そうと思ったのだ。しかしながらそれを、他でもないマリアージュが制止した。
「それはいいわよダイ。私もこのお茶飲んだらすぐ戻ることにしたから」
 マリアージュが休憩に、ダイを必要としないことは珍しい。
「よろしいんですか?」
 口元に紅茶を運びながら、女王は小さく首肯する。
「きりがいいところまで集中してやってしまうわ。その代わり、後でいつもより早めに来て頂戴」
「夜のご予定の前に?」
「そう。今日はルディア夫人と夕食会だから、その前にゆっくりして疲れを取りたいと思って」
 ダイは納得に頷いた。
 ルディア・ガートルードは、一門を挙げてマリアージュを女王に推薦したガートルード家の現当主だ。今は多数の中級、下級貴族たちを従えつつ、相談役としてマリアージュを支える女傑である。彼女との会話はマリアージュにとっていい気晴らしになっているようで、会う予定があれば疲れた顔を見せぬよう、仕事を調整するほどだった。
 それならば、とダイは大人しく引き下がる。
「かしこまりました、女王陛下」
「別にこのお茶、君が飲んでくれてもいいんだよ、ダイ」
「宰相閣下、目の下に隈ができてますよ」
 紅茶を勧める男の疲労を、ダイはすかさず指摘した。
「ロディもちゃんと陛下と一緒に休憩してください」
「ダイ、こいつと一緒に茶を飲んでも、ちっとも休んだ気にならないってわかってて言ってるわけ?」
「マリアージュ様」
 ダイは厳しい声音で主人を諌めた。
「こいつ、じゃなくてロディマス様です。お化粧でお顔は取り繕えても上品さまでは無理ですから。口調、直してくださいね」
「あ、ん、た、ね」
「大体、すぐに休憩切り上げられるんでしょ? お茶ぐらいご一緒されたらいいじゃないですか」
 マリアージュがげんなりと肩を落とす。
「……あんたってホント変わらないわね、その減らず口……」
 主人の呻きを聞き流してダイは立ち上がった。
「どこ行くの?」
「戻ります。何かありましたらお呼びください。あ、ということで紅茶はいいですから」
 控える女官に一声掛け、主君たちの前から退く。
「それでは、失礼いたします。……女王陛下、また後ほど」


 ダイに続いて退室する女官が、扉を静かに閉じていく。
「アリシュエル嬢のことだけど、ルディア夫人も行き先をご存知なのかい?」
 躊躇いがちに口を開くロディマスに、マリアージュは素直に答えた。
「えぇ、存じていらっしゃるわ」
 アリシュエルがどこへ向かったかは、マリアージュの方からルディアに告げてある。
 正確には、“あの男”が自分に代わって報告した。
「納得」
 腕を組み、うんうんと首を縦に振る男を、怪訝な目で睨め付ける。
「何が納得なの?」
「ガートルード家一門が君を女王に推した理由だよ」
 一拍置き、ロディマスは自らの言を補足した。
「アリシュエル嬢が失踪してすぐ、もうルディア夫人は君を選ぶって決めていたらしいじゃないか。なるほどね、アリシュエル嬢失踪の鍵を君が握っていたからか」
「多分ね」
 ルディアは他でもないアリシュエルの母親である。しかし彼女はマリアージュを女王に推挙する折、その訳を娘が世話になったからというだけではなく、女王としての才覚を見出したが故なのだと説明した。
 だが実際はロディマスが述べる理由が本音だろう。マリアージュ自身、ルディアの期待に添えているとは到底思えない。
 直立したままのロディマスに、マリアージュは目線で椅子を示唆する。
「座ってお茶飲めば? 冷めるわよ」
「それでは、失礼して」
「だからそういう言い方やめてってば。あんたに気を遣われると、身体痒くなるのよ」
「酷い言われ様」
「だって事実だわ。私があんたに気を遣わないんだからあんたも遣わなくていいのよ、殿下」
 ロディマスが微笑み、主張する。
「そういうわけにもいかないよ」
 既に幾度も繰り返されたやり取りだ。
 とはいえ、その反復が無駄となっているわけではない。今ではほとんど敬語を使うことなく会話している。
 当初、ロディマスは一貫して家臣としての態度を通そうとしていた――母の教えだから、と。
 ロディマスの母は先代エイレーネだ。玉座を与えられぬ王子。以前はマリアージュのほうが下の身分であったため、彼から敬意を払われることに未だ違和感を抱く。
「ねぇ、アリシュエル嬢は何故失踪したんだい?」
「私だって詳しく知っているわけじゃないわよ」
 マリアージュは空になった茶器を受け皿の上に置いた。
「アリシュエルは女王の座……ま、あのままいけばあの子が女王になっていたのは確実だったわよね。それを、放棄しようとしたの。それが、長年、玉座に固執していた父親の逆鱗に触れたわけ」
「行方不明になっている伯父上か」
「そう。そいつがアリシュエルを殺そうとしたのよ。で、アリシュエルは逃げたの」
 事の顛末を掻い摘めば、こんなところだろう。仔細はもう少し異なるが、話す気は起きなかった。説明しようにも、事態の原因たる彼女の失われた恋人について、マリアージュは詳しくない。
 言葉を失っていたロディマスは、腑に落ちたという顔で小さく頷いた。
「……伯父上も愚かだね。あのひとがああだから、母上も僕らに妹の支えに徹するよう、厳しく言い含め続けていたんだろう」
 ロディマスの受けた宰相としての教育は、いずれは女王となるはずだった妹を補佐するためのものだった。
 国を背負うものには一角の敬意を。そして自分の分を弁え、あり続けること。
 それが国の、ひいてはそこで生きる王子達自身の幸せに繋がるのだと、エイレーネは息子達に言い聞かせ続けた。
 その教えは、今も生きている。妹がマリアージュに置き換わったところで変わりはない。ロディマスにとって、それがマリアージュを立てようとする理由だった。
「あれ? もう休憩は終わりですか? 陛下」
 立ち上がったマリアージュに、ロディマスが驚いた様子で目を見張る。
 マリアージュは衣服の裾を引いて頷いた。
「ダイにも言ったでしょ。集中してやってしまうわ」
「賢明ですね」
「ロディマス」
 得体の知れぬ苛立ちに支配され、宰相を呼ぶ声が険を持つ。
 椅子から腰を上げたロディマスは、訝るように眉を上げた。
「いかがされました? 女王陛下」
「お願いだから、敬語はやめて頂戴」
 穏やかでありながら、人を従わせる術を知る叡智溢れる男の声音。その抑揚。その口調。
 それらは、もういなくなった男をふとした瞬間に髣髴(ほうふつ)とさせる。
「……マリアージュ?」
「それと」
 ロディマスを制し、マリアージュは続けた。
「人を探して頂戴。街中まで誰かをやらなければいけないかもしれないけれど、運がよければまだ城にいるわ」
「……誰を探せばいいんだい?」
 苦い表情でロディマスが口調を改める。マリアージュは微笑んで問いに答えた。
「散々私に世話になった癖に、挨拶の伝言ひとつ寄越さなかった馬鹿者よ」


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