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第五章 暴かれる罪人 1 


「――すぐにデルリゲイリアへ向かってはおりません。仮初めとはいえ、玉座とその補佐の座に就いたわたしたちには、するべきこと、学ぶべきことが多くあった」
 内乱によって国内はどこもかしこも逼迫していた。親族の喪失による失意と、疑心に濡れる貴族たちを取りまとめ、各々の領地の復興に専従させる必要があった。一方でイェルニ兄弟の知識不足も問題だった。
 政治、経済、軍事、教養。ディトラウトは名家の継嗣として、ヒースも彼に仕える者として、ある程度の教育なら受けていたが、国を治めるための土台としては到底足らない。加えて、中央ならではの作法、儀典、派閥の相関図。驚くことなかれ。これほどまでに国が荒れていてさえ、貴族たちは派閥に分かれて足を引き合った。その手綱を執るために、イェルニ兄弟は文字通り、血を吐くまで寝食を惜しんで学び、権謀術数に身を投じなければならなかった。
 ヒース、否、ディトラウト・イェルニとして生きる男は、過去を淡々と語る。
「一年が経過し、ようやっと、内政も形になり始めたところで、周辺が騒がしくなった」
「ペルフィリアが併呑した国々ですか?」
「そうです。あちらが荒れた理由は、ゼムナムのものに近い」
 ペルフィリアの東の国々はメイゼンブル本国に近く、かの国の滅亡から逃れた貴族が多く逗留していた。彼らが国の王位継承問題に口を挟み、国政は混乱を深めていく。放置は出来なかった。東の国々が崩壊すれば、その余波はペルフィリアに必ず及ぶ。それを受け止めるだけの体力を、ペルフィリアは持たなかったし、何よりディトラウトたちは、国内にいまだ燻る復讐と虐殺の種火が、隣国の政情不安に煽られて燃え上がることを恐れた。
「隣国の行く末をわたしたちは待てなかった。……民人が蹂躙され、国の機構が破壊される前に、わたしたちは彼らから国を奪いました。……それは、上手くいったのでしょう。いくつかの犠牲はあったにせよ」
 男は詳細を語らなかった。だが、察することはできる。
 ディトラウトがセレネスティとなったとき、その無謀な案を実行できるだけの人材を、ペルフィリアはいまよりもっと有していたはず。
 彼は支えとなるべき人々を失いながら歩いてきたのだ。
 ダイは後方を歩く騎士たちを意識した。
「……ゼノさんたちが嘆いていましたよ。あなたは壁を築いている。だから、あなたを助けられないって」
「彼らを外へ置いておくのにも理由があります」
「わたしには話せるのに?」
 ダイの指摘にディトラウトが微苦笑を漏らす。
「あなたは、わたしの空白を知っている。……わたしは、わたしの罪深さを知っている。だから、ゼノには話さない。話したという事実を残さない。それだけです」
「罪?」
 からんからん、と、鐘が鳴った。
 余韻を曳いて、響き渡った。
 目的の部屋に辿り着く。番をしていたヘルムートが扉を開ける。
 時間通りに入室したダイに部屋の主たる青年は見向きもしない。梟に付き添われた彼は、気怠そうな面持ちのまま、長椅子で横になっている。
 躊躇いがちに、ダイは呼びかけた。
「……ディトラウト」
「それはもう僕の名じゃない。おまえの隣にいる男のものだ」
 ペルフィリアの女王を務める彼は、ダイへ緩慢にその顔を向けた。
 その顔色はひどかった。
 かさかさに乾いた土気色の肌。落ちくぼんだ眼下。ひび割れたくちびるからは、高熱に湿った吐息が断続的に零れる。皺深く折り畳んだ眉間は息苦しさの証左。
 その身体からは、時折、微かに光が零れた。
 彼は病に蝕まれている。
 〈魔狂い〉、という名の病だった。ドッペルガムの女王、フォルトゥーナが、クラン・ハイヴで発症したあの病だ。
 アルヴィナ曰く、外からの過剰な魔力に晒された体内の魔力が暴走した状態を指すらしい。
 要因は多々ある。その中でペルフィリア女王の症状は、ルゥナと同じく〈姿の上塗り〉由来のものだという。
 〈上塗り〉とは、魔力による幻を表面に被せる術だ。元々は自らの髪や目の色を変えて遊ぶための術らしい。有事は自らの魔力の流れを敵方に悟られぬよう用いられた。
 自分で〈上塗る〉だけなら問題はない。だが他者の手を借りれば、その術者の魔力が蓄積されていく。
 身丈の合わない衣服の着用を強要されるようなもの、と、アルヴィナは述べた。
 他人の魔力は窮屈で重い。積み重なれば負担となり、それを撥ね除けるべく、自身の内在魔力が活発化する。度が過ぎれば暴走する。
 内在魔力はかたちを作る魔力だ。心身の丈夫さを、恒常性を維持している。その均衡が崩れると、当然、心身は変調を来す。長引けば命に関わる。
 セレネスティは本来の性別を偽っていた。初めは女物の衣装を纏うだけでよかったのだろう。しかし成長するに従って、単なる女装ではどうにもならなくなった。
 椅子の傍の円卓に、化粧道具を広げながら、ダイは感想を吐露した。
「ずっと、不思議だったんです。あなたがどうして、わたしをマリアージュ様に付けようとしたのか」
「あなたなら、気づいていると思っていましたが。わたしには、マリアージュの気を引く、彼女と深い関係になれる少年が必要だった……」
「いいえ。そういった意味ではありません」
 香りの微弱な香油。滑りのよい乳液。化粧水。肌触りのよい手拭い。
 下地、色粉を複数種。艶やかな色彩の詰まった色板。海綿。綿布。清潔な筆。
 ひとつひとつ、道具を検品して、ダイは傍らの男に告げる。
「ディトラウト……と、呼べばよいですか? えぇ、わかっていましたよ。できればマリアージュ様と恋人になって、あのひとを傀儡にするときに、利用できるような人材を、あなたは探していた。候補の方々が、芸術に長けたひとを傍に置いて自慢し合う、女王選の慣習を利用して。あなたは、画家や、楽士や、詩人を候補に挙げて……その中に、化粧師を入れた」
「それは、マリアージュが顔に自信を持っていなかったから」
「だからといって、化粧をしないことが当たり前だった社会にいたあなたが、化粧師を呼ぼうという発想にいたった、それが不思議だったと、わたしは言っているんです」
 ヒース・リヴォートはかつて言った。
 貴族社会に置いて、化粧は一般的ではない。
 化粧をすれば自信がないのかと侮られる。
 それは本来、魔力的に、という、意味、だったのではなかろうか。
 繰り返すようだが、内在魔力はひとの形を決定づける。均整と魔力の高さは比例する。聖女の血筋を濃く受け継ぐと自負する貴族たちが、己の魔力の少なさを――聖女の血の薄さを表しかねない化粧を忌避するのも当然。そのような社会に生きていたなら、顔を作る、という発想は生まれない。
「……身近に化粧を必要とするひとが、いたからだった」
 女王として立つことを決めた少年は、まず衣装と化粧に頼って身を偽った。所作を女性らしく改めた。発声の練習もしただろう。ダイは幼少のころに叩き込まれたが、成長してからの訓練は、どれほど困難だっただろう。
 鋭くなる骨格を隠すために、顔を薄布で覆い、乾季でも喉の詰まった服を着て、腰の位置を誤魔化さんと詰め物をする。
 成長を遅らせるべく薬を飲み、それでもどうにもならなくなって、彼は姿を上塗り続けるようになった。
 セレネスティは、魔術師ではない。
 ダイは梟を見上げた。灰色の髪に白い肌をした女王の側近。魔術師の出入りを禁じられた大陸会議の広間を除けば、まさしく影のごとくセレネスティに付き添っていた。
 それは単なる侍従としてでも、護衛としてでもなかった。
 梟がその魔術で女王の性別を偽っていたのだ。
「兄上が化粧師を有用だと言ったとき、頭がおかしくなったのかと、思ったよ」
 セレネスティが嗤いを見せて呟いた。
「でも、兄上の言う通りなんだろう。腕のいい化粧は、上塗りすら凌駕して、見目を欺ける。……化粧を下地にして上塗れば、負担はこれまでより軽くなる」
「上塗りなんてさせませんよ」
 ダイはセレネスティの顔に手を添えて正面を向かせた。
「上塗りから回復するには、他人の魔力を抜かなければなりません。上塗りしていてはそれが叶わない。だから、させません」
 そのための化粧をするべく、ダイは彼の寝室を訪ったのだ。
 フォルトゥーナの症状は発作的なものだった。アルヴィナが魔を抜いたのち、〈上塗り〉を控えれば回復する程度のものだと聞いた。
 セレネスティの症状は違う。彼に蓄積した魔は膨大だ。
 病を理由に人を遠ざけ、女装を解いたところで、容易には取り払われない。それでも上塗りを中断するに超したことはないだろう。
 セレネスティの身体は年月を掛けて蝕まれた。
 ここ数年、魔を上塗らなかった日はなかったという。
「……ディトラウトを、デルリゲイリアに向かわせたときからでしょう? こうも、上塗りを多用するようになったのは」
 彼は命に関わる負担を覚悟してでも、宰相をデルリゲイリアへ向かわせた。それだけの益がデルリゲイリアにあった。
 ダイは傍らの男を見上げた。
 これまで開示された情報を脳裏に並べながら微笑む。
「ようやっとわかったんです、ディトラウト」
 彼がいったい、何を望み、求め、自分たちの前に、現れたのか。
 彼は答えを初めから告げていたのだ。
 すべては。
『私の主が、真の意味で』
 国の主と、なるために――……。


 城を囲むように配置される上級貴族たちの家々はそれなりの敷地を有する。ガートルード家もまた然り。庭は広大だ。敷地と敷地を隔てる木々の連なりも密だった。その影に身を潜めながら、マリアージュはダダンと、建物周りを往来する歩哨たちを観察している。
 どれほどの時間が経ったか。晴れていた空はいつの間にか鉛色に転じ、粉雪がちらつき始めていた。
 髪を結い上げた襟首に夜の冷気を感じ、マリアージュは外套の襟元をかき合わせた。呼気が白い。思わず深く息を吐くと、おい、と、低い声が頭上から降った。
「息を殺せ」
 防寒服に身を包んだダダンが、無声でマリアージュを叱咤する。潜伏に気づかれてしまうと言いたいのだろう。怒鳴り返したい衝動を堪えて、マリアージュは眉間に皺を刻むに留めた。
 ルディアからバイラムへ当主を替えたガートルード家には、日ごと違った客人がひっきりなしに出入りしていた。食糧や酒を運び込む商人の数も多く、彼らに混じって敷地内に潜入するまではどうにかなったが、屋敷の内部となれば警備が厳しく、マリアージュはダダンに手を引かれながら敷地の庭を彷徨って、林の影に落ち着いたのだった。
 目的はルディア・ガートルードとの面会。
 救出は諦めている。それが可能なほどの手勢をマリアージュは持たない。だが、敵の狙いを知るためにどうしても、知らなければならないことがあったし、そしてそれはアッセたちを通じて探りを入れた限り、他の上級貴族たちの知るところではなかったのだ。
 すぐにでもルディアと話がしたい。
 そう希望するマリアージュをダダンは諫めなかった。彼は頭をかき回してため息を吐くと、淡々と潜入の手はずを整えていった。危険を叫ぶこともなかった。
 マリアージュはダダンを改めて見上げた。
(何、考えているのかしらね、この男)
「ぼっとするなよ、マリア」
 ダダンがようやっと動いた。立ち上がった彼の視線の先で番兵たちが慌ただしく駆けだしていく。陽動の仕掛けが作動したらしい。煙と複数人の悲鳴が窓から漏れている。
 出発の合図を口にしかけたダダンに先んじて、マリアージュは口を開いた。
「訊きたいことがあるのだけれど」
「あぁ? 今か?」
 面倒くさそうな男にマリアージュは問いかける。
「あんた、死にたいの?」
「……突然、何だ?」
 出鼻をくじかれたダダンは不快感を隠さない。
 マリアージュは腰を上げて木の葉を払った。
「わたしを連れて歩くのは厄介でしょう。よく文句を言わないわね」
 潜伏だの潜入だの、その道に慣れたものが細心の注意を払って行うことだ。それをずぶの素人であるマリアージュを連れてする。無謀なことこの上ない。
「……俺が嫌だって言って引くのか?」
「引かないけど」
「お前は死にたいわけじゃないだろう?」
「少なくとも、ダイをはっ倒すまではね」
 はっ、と、ダダンは笑った。
「なら、いいだろ。死にたがりのくそガキを連れて逃げ回ったことだってある。まぁ、面倒だが、俺の邪魔しないように心がけてんだろ。否はねぇよ」
「……そう。色んなことしてるのね、あんた」
「国を興そうとする厄介なじゃじゃ馬に付き合ったりとかな」
「それってルゥナのこと? わかる気がするけど」
「お前も似たようなもんだろ」
 渋面になったマリアージュの肩をダダンが叩く。
「緊張はほぐれたのか。今度こそ行くぞ、じゃじゃ馬」
「じゃじゃ馬って言わないで」
 マリアージュは歯がみして男の背を追った。


 死にたいのかと問われる程度には危険だと承知している。ダダンもひとつ間違えれば巻き添えだ。それでも必要だと感じている。
 ルディアが屋敷の中庭の一角に建てられた別棟に囚われて久しい。領地に戻されていたら手も出なかったことを思うとマリアージュにとっては幸いだった。しかしルディア当人にとっては死にも勝る屈辱だったであろう。
 厳重な警備。制限された出入り。それらをかいくぐって踏み入れた先、ルディアの部屋は暗かった。
 戸口で待つようにダダンがマリアージュを制止する。マリアージュは構わず踏み込んだ。歩きながら外套の結び目を外そうとするが、指先がかじかんで上手くいかない。マリアージュがもたついていると、ダダンが己の外套を素早く外した。
 寝台の上で四肢を投げ出していたルディアは、のろのろと身体を起こした。ダダンに着せかけられた外套の裾を前に引き寄せ、乱れた髪を耳に掛けて、三つ指を敷布の上について頭を垂れる。
「陛下……お見苦しいところを……」
「ごめんなさい。あなたをここから出してあげる余裕は、いまのわたくしにはないの」
 マリアージュは痛ましさに目を細めてルディアを見る。腫れた顔の輪郭。切れたくちびる。声を出すことはおろか、起き上がることすら辛いに違いない。マリアージュの無力さがルディアを窮地に陥れた。
 助けにきたのよ、と、告げることができたなら、どれだけよいか。
 せめて縋って謝ればよいのかもしれない。
 だがマリアージュは思いとどまる。
 許しを請うべきときは今ではない。瞬きの間も惜しいのだ。
 マリアージュの状況を理解したのだろう。はっと目を瞠り、ルディアは微笑んだ。
「……このようなところまでご足労いただき。……何をわたくしにお求めですか? マリアージュ様」
「答え合わせよ。ルディア・ガートルード。あなたは知っていた? 度々、この国から消える上級貴族の娘たちが、どこへ行ったのか」
 ルディアの眼光が鋭さを増す。
 あぁ、この、先代の女王と近しかった女は、やはり知っているのだと思った。
「なぜ、いま、それを知りたいと思われるのですか?」
「……すべての、答えだから」
 なぜ、ペルフィリアはデルリゲイリアを欲したのか。 
 なぜ、デルリゲイリアは他国と異なっているのか。
 なぜ、ゼムナムはデルリゲイリアと共闘を持ちかけたのか。
 なぜ、デルリゲイリアの発言に、古い国々は同調を示したのか。
 なぜ。なぜ。なぜ。
 そして、行方の知れない、クリステル、シルヴィアナ、メリアたち、女王候補はどこへ消えたのか。
 ルディアがやさしく微笑む。
「答え合わせとおっしゃった。では、陛下が思われる答えをどうか。わたくしはそれに是か否を述べましょう」
 マリアージュは深く吐息した。
 国の汚辱を問い質すためには、若干の勇気が必要だったのだ。
「消された上級貴族の娘たちは、メイゼンブルに売られたのね。……聖女の正しい血統を生み出す、母体として」


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