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第二章 呼ばずの来訪者 2


 夜の会食を終え、マリアージュ、ロディマスと、主要どころが集まった談話室。
「……――めんどくさいことになってるわね……」
 ジュノから聴取した内容をダイからひと通り聞き終えたマリアージュが、深々とため息を吐く。頭痛の種もここに極まれり、という渋い顔をして、彼女は対面でダイと隣り合って座るアルヴィナに問いかけた。
「実際、どうなの? 聖女って造れそうなもの?」
「他人の魔力を上乗せすることはできる、とだけ」
 答えるアルヴィナの表情は珍しく硬かった。
「条件を揃えなくてはなりませんが、可能です。……器、つまり、上乗せされる側の内在魔力が高く、安定して、揺らぎにくい素体であることが必須で、魔力との相性も多少は必要です。あとは、それを行う術者の腕がよいことですね。魔力の植え付けはそれを行う術者の力量を問われます」
 いまの時代はそれだけの術者を探すことに難儀する。
 ですが、と、アルヴィナは続けた。
「その不足を補う術もなくはありません。術式や力場、設備があるなら、充分な魔力と適当な器さえ用意すれば、問題ないでしょう」
「聖女が造れるってこと?」
「魔女になるかは不明、ですけど。そうですね……聖女と呼ばれるに足る魔術師を造り出すことはできると思います。……あとはその、器側が、正気を保てるかってところですね」
 危険なことなのだろう。
 他人の魔力を載せるのだ。《上塗り》でさえ負担になるものを、半永久的に定着させる魔術のそれは想像を絶する。
 皆、なんとも言い難い顔で黙り込んだ。
「……とにかく、聖女は造れるもの、という前提で動こうか。そう思っている者が多いのだしね」
 ロディマスがそう前置いて話を切り出した。
「ジュノについてですが、現状、彼の懸念は正しい。すぐに存在を他国に公開するのはよろしくないかと存じます。……ジュノが我が国を選んで庇護を求めたのは、おそらく我々が、聖女への感心が最も薄いと判断したからでしょう」
 デルリゲイリアが聖女と関わりが薄いというわけではない。むしろ逆だ。デルリゲイリアは、聖女の正しき血統、と他国から見られている。だがマリアージュが聖女の威光を振りかざすどころか、知らぬふりを貫いている。事実、小スカナジアに赴いたときはその事実を知らなかったわけだが、力に無関心ともとれるその態度が、ジュノの目に適ったのだろう。
「でもこういうことって、いつまでも隠し立てできるものじゃないでしょ?」
「えぇ、おっしゃる通りです、陛下。わたしたちは彼の存在を隠し通すのではなく、彼の価値と思惑を各国に公開すべきでしょう。……いま必要なものは、来るべきときのための根回し、彼の話の裏付け、そしてそれらを行うための時間稼ぎです」
 立てた三本指を一本ずつ折りながら、ロディマスが述べる。
「……彼を別名で城に招いておいてよかった。ダイ、彼は引き続きあなたのご実家に?」
「はい。うちで働いてもらっていますよ」
 ジュノが本物かどうか確証を持てなかったこともあるし、非公式に招きたかったこともあって、ジュノの登城はミズウィーリ経由の遠縁の側近面接という名目で、偽名を用いて記録してある。
 現在のジュノはアスマの娼館で裏方の雑用をこなしながら滞在していた。閉じた空間で衣食住をまるごと斡旋できるし、雑務を引き受けてくれる男手は、安易に招き入れられない業種がら、いつでも不足しがちなので、重宝しているらしい。
「現状はそのままでいていただきましょう。何かあったとき、下手に貴族街にいられるより逃がしやすいでしょう」
「根回しって何をだれにするつもり?」
「味方に引き込むなら………カレスティア宰相が適当でしょう。おそらく、一番、聖女に復活されると困る立場です」
「なんでよ?」
「……アクセリナ女王の、反対勢力ですか?」
 頭に過(よぎ)った予想を、ダイは躊躇いながら口にする。
「アバスカル卿の……。多分、残党とか、残ってる可能性がありますよね?」
「うん、その通りだよ」
 ロディマスが微笑んで首脳した。
 ヘラルド・アバスカルはゼムナム宰相サイアリーズ・カレスティアの伯父である。だが彼女が女王として戴くアクセリナ・バレーラ・ゼムナムをメイゼンブル公家の遠縁であるとして認めず、公家傍系の娘を女王に就けようとしていた。ヘラルド自身は小スカナジアで死んだが、彼を支持していた派閥はいまも残っていると聞いている。
 結局のところ、聖女教会に対して離れずの立場を維持しながら、最も警戒心を抱いている国は、サイアリーズが動かすゼムナムなのだ。
「フォルトゥーナ女王はどう?」
 顎に手を当てて思案していたマリアージュが根回し先にドッペルガムを挙げた。
「貴族に……というより、あれはメイゼンブル縁の貴族にでしょうけど、反発心たっぷりじゃない? その上、あそこの魔術師団長がメイゼンブルの被害者なんでしょ?」
「はい。ですが陛下、あそこはより慎重になるべきであると思います」
「まぁ、あそこがわたしのことを気に食わないのはわかるけれど」
「そういうことではないんだ」
 ロディマスは否定に頭を振ったあと、いや、と、自らの発言を打ち消した。
「……ある意味、陛下のおっしゃる通りです。ただ……あそこはメイゼンブルと確執がありすぎる」
「……どういう意味?」
「答えるまえにひとつ質問をよろしいでしょうか。……陛下、あなたはクランのおふたり…――ジュノとイネカ・リア=エル議長を助けることを前提とされている。それでよろしいのですね?」
「え? えぇ……そういう話ではないの?」
「あぁ……そういうことですか」
 ロディマスの意図するところを理解してダイは思わず呻いた。すぐに皆の視線が一斉に自分へ注がれる。その中でもひときわ不可解そうな主人に微苦笑を返して、ダイはロディマスに代わって答えた。
「……フォルトゥーナ女王は、クランのお二方を、排斥する可能性がある、ということですね?」
 ゼムナムのサイアリーズは聖女そのものは不要でも、教会という機構に必要性を感じている。だからこそ聖女復活の要になるふたりの取り扱いは慎重になってくれるだろう。
 ところがクラン・ハイヴでルゥナとして出会ったフォルトゥーナは、マリアージュが貴族だというだけで敵愾心を向けていた。
 聖女の復活は、その血をいまに継ぐ貴族全員の活性化につながる。
 フォルトゥーナは政治の場ではもう少し理性的な判断をする女王だったが、それでも貴族への嫌悪ゆえ、それに力を与える存在を受け入れられず、排除に動く可能性がある。
 つまり、即刻ジュノを殺せ、と、マリアージュを糾弾するかもしれない。
 火種は燃え上がるまえにもみ消したほうが何事もなくすむ。
 ダイはそっと目を伏せた。
(マリアージュ様が……それを選ぶ日が、来なければいい)
 昔からたびたび思っていた。
 政治はきれい事では立ち行かず、国の頂点に立つ者はその手を赤く染めなければならないこともある。
 彼女の奪う命の最初が自分なのやもと、思った日もあった。
 いまは――庇護を求めてやってきた、子どもというには成熟し、男と呼ぶにはいびつなクラン・ハイヴの彼を、死刑台に突き出す役割が主人でなければ、と。
「……そういうなら、カレスティア宰相だってジュノを暗殺しかねないわよ。……本当に必要なら、躊躇わない女だと思うんだけど」
「どの国も、油断ならないのは変わらないよ」
 ロディマスはもっともなことを少し砕けた口調で言って、さて、と、話を戻した。
「とりあえず、簡単な方針だけ決めてしまいましょう……。時は金なり、と、申しますから」
 そうね、と、彼に同意し、ジュノを生かし、彼の要請に応じるためには、と、議題を提示する主人を、ダイは誇らしい気持ちで見つめる。
 このひとは。
 人を生かすために動く王だ。
 ダイは自身への永遠の命題を、改めて胸中で反芻する。
 ――この、難しい道を往く王を支え続けるために、自分には、いったい何ができるのだろう。


 ペルフィリアから戻ってからこちら、ダイがこなす仕事の量は決して少なくない。
 マリアージュの身の回りのことの監督はもちろん、文化事業的な物事はダイが女王の名代として対応している。
 デルリゲイリアは芸事が国の基幹産業である。ところが脳天気に贅沢三昧する貴族は、だいたいがマリアージュに後ろ暗い立場をとってしまい、彼女の即位に伴って財を没収されて落ちぶれるか、国から金を横領して散り散りになっているし、近隣諸国は戦時中。つまり、国内も国外も客が少なく、職人の多くが虫の息である。
 だが国政はどうしても軍事だの食糧の確保だのに重きを置かざるをえない。実際、マリアージュとロディマスは毎日その手の会議と決裁に多忙を極めて手が空かない。だからダイが、産業面の調整役となった。アスマを通じて各街へ根回しを行い、マリアージュの名を借りて貴族や商会を動かす。実際の実務の大半はもちろん文官が行うが、女王の側近たる《国章持ち》がお飾りになることが大切なのだ。見捨ててはいない、という、女王の意思を表せる。
 そういった物事に加えて、女王周りの人々の、意欲の保持を、自分の仕事のひとつに加えていた。
 思い出したのだ。
 花街で生きていたころ、自分は化粧ばかりをしていたのではなかった。芸妓の娘たちの話を聞いて、宥めて、鼓舞し、気持ちよく仕事へ送り出していた。
 それを自らの仕事だと定めてしまえば、単に心配だからという独善だけでは躊躇う領域に、踏み込むことだってできる。
 夜の女子寮を籐の籠ひとつ抱えて歩き、人を訪ねるにはやや不躾な時間帯に、友人の部屋の扉を叩くことも。
 こここん、というダイの叩扉に、部屋の主は一拍あけて応じた。
「……はぁい?」
「アルヴィー、こんばんは」
「あら」
 彼女はすぐに扉を開けて出迎えた。
 いつもは笑みにやや細めているその目を大きく開いてダイを映す。
 彼女は柔らかそうな生地の部屋着姿だった。いかにも就寝前といった姿だ。予想はしていたのだが、ダイは眉尻を下げて謝罪した。
「すみません。……寝るところでしたか?」
「起きてたよ。大丈夫」
 ダイの問いにアルヴィナは笑って頭を振った。
「どうしたの? 珍しいね」
「少し時間が空いたので……」
 正しくは、アルヴィナの予定を確認した上で、空けたのだが。
 ダイは抱えていた籠を持ち上げた。籠の中には布の包みがいくつか詰められている。
「食堂で焼き菓子の余り、譲ってもらったんです。一緒にどうですか」
「いいわねぇ。お誘いうれしいな。ちょうど、お茶を淹れているところだったのよ」
 入って、と、アルヴィナがダイを招いて部屋の奥に戻る。ダイは付いてきてくれた女性の騎士に御礼を言って入室し、後ろ手に扉を閉じた。
 異性に対する身体接触が苦手になってから、ダイは女子寮の奥に部屋をもらっている。それに伴ってアルヴィナも同じ寮に移ってきており、ダイの部屋と間取りや調度品はほとんど変わらない。
 出入りの護衛や使用人、業者に至るまですべてが女性に限定される寮らしく、作り付けの家具以外の調度品は、女性でも動かしやすい瀟洒で小ぶりなもので揃えられている。広めの居室に置かれた木製の円卓や長椅子は透かしの彫刻で重量を削いでいるが、その掘り出された花や蝶に、角灯の明かりが、柔らかな陰影を投げかけていた。火の入った小ぶりの炉には薬缶が掛かっている。流し場の天板には茶器が一客。アルヴィナの言葉に偽りはなかったらしい。
 彼女はもう一客、ダイの分の器を戸棚から出した。
「ダイは何飲む? あ、その前に、焼き菓子ってなぁに?」
「無花果の包み焼きです。お茶は、アルヴィーと同じもので」
「そ? じゃあ。香草茶にしようかな。甘くないの」
「お願いします。あ、お皿借りていいですか?」
「あぁ、持って行くわね」
 待ってて、と、アルヴィナが長椅子を指す。
 ダイは大人しくその勧めに従った。椅子に設えられた楕円の卓には、魔術具らしき装飾品が散らばっている。
「ソレ、端っこに寄せてもらっていーい? 壊れはしないから」
 ダイに背を向けて皿の準備をしながらアルヴィナが言った。
 ダイは言われた通り、装飾品をなるべく丁寧に寄せ集めた。丸い銀の円盤から、長さの異なる鎖が房のように延びている。鎖の途中途中に大小いくつかの招力石が絡まったものだ。
 盆を提げ持って戻ってきたアルヴィナが、茶器をダイの前に置きながら尋ねる。
「気になる?」
「いえ……お仕事中だったんですね」
「ってほどでもないけどね。手が空いたから、ちょっと弄っておこうかしらって」
 最近、忙しいもんねぇ、と、ダイの対面の椅子に腰を落として、アルヴィナは笑った。
 マリアージュに退位を迫ったものたちのなかには、魔術師も多くいた。それは重用されるアルヴィナに対する、嫉妬からくるものもあったのではないかと、ダイたちは見ている。
 女王選を終えて、マリアージュが玉座に就いてから、自分たちは必死に力を尽くしては来たけれど、やはり未熟さや余裕のなさから、多くの視点と配慮が欠けていたことも確かだった。マリアージュと対立した魔術師の中には、王都を去った者も少なくない。
 いま、暫定的に魔術師長となっている術者は事務方には長けているが、魔術そのものの腕はよくなく、魔力も高くないので、難解な魔術の調整はほとんどアルヴィナひとりで見ているようなものである。
 ダイは湯気を立てる茶器を包み持った。
「アルヴィーも、そんなに根詰めなくていいと思いますよ」
「別に、根を詰めてしているわけじゃないのよ」
 アルヴィナも茶器を取り上げる。彼女の吐息が白い蒸気をふぅっと揺らした。
「これぐらいなら、単純作業だしねぇ……時間があくと、色々、考えてしまうでしょう? だから、いいの」
「色々……」
「このご時世だもの」
「……たとえば、聖女さまの、こととか?」
 ほんの、いっときだけだ。
 アルヴィナが動きを止めたのは。
 彼女は香草茶をひと口飲むと、ダイを正面から見据えて苦笑した。
「そっか……ダイはそれをわたしに訊きに来たんだね?」
「……気のせいだったら、申し訳ないんですが」
 訪問の意図をあっさり見抜かれた気まずさにダイは肩をすくめて前置いた。
「……ジュノさんの件のとき、すこし、変だった気がしたので」
 アルヴィナはこれまでどんな局面であっても余裕のある態度を崩したことがなかった。それは彼女の絶対的強者たる実力と、不死の特性からくるものだとダイは思っている。
 だがメイゼンブルが行っていたという聖女の研究を耳にしてからの彼女は、たびたび険しい顔をする。
「できれば、その……何か、思うことがあるなら、聞かせてもらえたらなって、そう、思いまして。いえ……答えたくなかったら、いいんですが」
 アルヴィナは厳しいことでも平然とダイたちに指摘する。だからおそらく彼女の強ばった表情は、デルリゲイリアの現状を憂いてのものではない。
 おそらくもっと、彼女個人の感情に由来する。
 そこまで踏み込んでよいものか一度は迷い、それでもダイは彼女を訪ねて問うことにした。
「もしかして、アルヴィーは……聖女さまの」
 知り合い。
 いや、もっと。
 クラン・ハイヴの田舎の村で、聖女の逸話、《ログ湖戦線の敗走》を題材にした演劇を前に、まるで過去を見てきたかのように、実際の出来事との差異を語ったアルヴィナ。
 アルヴィナは、古い魔術師だ。彼女が失われた魔術を自在に行使できるのは、なんのことはない、それらの術が活用されていた時代を、彼女が生きていたからなのだ。
 そして、その時代こそ。
「妹がいたの」
 と、アルヴィナは言った。
「わたしのたったひとりの家族だった。特別賢いわけじゃなかったし、身体を動かすことも苦手だった。少し抜けていて、甘えんぼで、ちょっとしたことで泣いてしまう、そんな、どこにでもいるような子だった。……たったひとつ……魔女に生まれついてしまっていたことだけを、除いて」
 アルヴィナは茶器を置くと、悲しそうに微笑んだ。
「あの子の望みは、好きな人と一緒に生きて、ただの人として、老いて死ぬ。それだけだった。だけどわたしはあの子を生かしてあげることも、殺してあげることもできなかった……。あの子の肉体と魂が滅んで幾星霜、いまなお、政治の道具として存在を生かされ続けるあの子を殺せずにいる。わたしはだめな姉なのよ、ダイ」


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