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第二章 呼ばずの来訪者 1


 少年が長椅子の上で片膝を抱き、茫洋とした目で窓の外を眺めている。
 室内へ踏み入ったダイを振り返り、彼は瞬く前に笑顔になって片手を挙げ、軽薄な口調で挨拶を述べた。
「や、邪魔してるよ」
 ダイは彼に笑顔だけを向け、ちらと傍らのアルヴィナに目配せを送る。だいじょうぶ、と、アルヴィナは囁いた。
「上塗りの気配、は、ないね」
「ありがとうございます。……ジュノさん、お久しぶりです」
「どーも。大陸会議ぶり……なんか雰囲気かわった?」
「そうですか? ジュノさんは……お変わり、ないですね」
 女官の先導を受けてジュノの対面の席に腰掛けたダイは、改めて少年を見返した。
 ジュノ。ダイが小スカナジアの大陸会議で出会ったとき、彼はクラン・ハイヴの議長イネカ・リア=エルの世話役だと名乗っていた。イネカにとっての〈国章持ち〉。あの場ではクラン・ハイヴの国章、宝玉を戴く双頭の蛇に絡みつかれた剣を刺された、乾いた大地の色の上着に袖を通していた。
『大陸会議で見かけたガキを保護した』
 裏町に逗留しているダダンから、アスマや貴族街入りしていたアルマティンを経由して連絡が届いたとき、ペルフィリアとクラン・ハイヴの衝突から早数ヶ月が経過していた。
 大陸会議で決定したとおり、各国ができうる限り動いてはいるものの、状況は膠着したまま。そんなとき、ダダンから一方が届いた。ジュノがマリアージュと話したがっていると。
 だがマリアージュは女王であるし、ロディマスもその他の高位文官たちも国内外あれこれの対処に忙しい。かといって下の文官では要領を得ないことがある。と、いうわけで、現状であっても時間調整がやや可能で、かつ、マリアージュの名代が務まるダイが、一報から安息日をひとつ数えた昼下がり、本人確認も含めて接見に応じた、というわけである。
 アルヴィナを連れてきたため、姿が上塗りされている様子もない。しかし小スカナジアのときと服装やらが異なっていることを差し引いても、奇妙な違和感があった。
 渦巻く癖の強い黒髪と同じくぬばたまの黒をした瞳。左頬から首にかけて広がる、特徴的な赤の紋様。
 初対面のときにも強く人目を引いたそれらに誤魔化されがちな、幼げな容貌がダイの感覚を刺激する。
 観察に目を細めたダイに、ジュノは瞬き、にやぁ、と口角をあげた。
「あぁ、気付いたんだ。すげーじゃん。俺ら一回ぐらいしか会ってないよな?」
「勘違いかもしれません」
「そうかな。いいぜ、答え合わせして。その方が話も早いしさ」
「わかりました……」
 ダイはため息を吐いて周囲に目配せを送り、信用できる文官と騎士をひとりずつ、そしてアルヴィナを除いて退室させた。
 行方不明となっているイネカの無二の従者が、マリアージュとの謁見を求め、流民に紛れてデルリゲイリアに転がり込んでいる。その事情に絡む内容だ。もともと最低限しかつれていないが、人員はさらに少ない方がよいだろう。
 扉番の騎士が心得た様子で鍵をかけるまでを見守り、〈消音〉の魔術が発動するまで待って、ダイは問いを口にした。
「外見、成長しないんですか? それとも留めてるんですか?」
「どっちもってとこ。すごいな。マジでわかったんだ」
「……わたし自身にも、覚えがあることなので」
「あぁ、なーる。あんた、内在魔力高そうだもんな」
 ジュノはそんなこともあるか、と、ダイの告白に得心したようだった。
 ダイは十になったころから身体の成長がなかった。栄養不良のせいではない。魔力によるものだ、と、アルヴィナが以前ダイに述べた。
 ジュノが自身の胸に手を当てて呟く。
「高い内在魔力は器の維持に努める。本人が望み、魔術で鍵をかければ、死ぬまでガキのままでいることもできるってよ。実際、俺がこうなって……メイセンブルが潰れる直前だったから、もう二十年近いな」
 つまり、実年齢はダイより一回り近く上だということだ。
 子どもの顔に似合わない老成した苦笑を浮かべ、ジュノが話を続ける。
「俺をこうしたのはイネカだ。つっても、こうなっちまったのは不本意で、イネカと俺を結びつける魔術の副作用ってとこなんだが」
「紐帯の魔術だね」
 ダイの背後に控えるアルヴィナが口を出した。ダイは思わず背後を仰ぎ見た。アルヴィナが見定めるように目を細めてジュノを観察している。
「わたしも久しぶりに見るな。こんな時代だし、廃れたと思っていたけど」
「どういう魔術なんですか?」
「ふたりで感覚や知識を共有する魔術なの。使い方は色々。師が弟子に口での説明が難しい技術や知識を、継承したいときに使うこともあるし、医師が病気になったひとと感覚を繋いで、痛みの度合いや箇所を確認したりとか。魔力の受け渡しや共有もできるし、制約を色々つけることで、鍵と金庫みたいにすることもできるよ」
「鍵と金庫……?」
「そう。主に知識の。宝のありかとか、お城の逃走経路とか、そういう知識を守りたいとき、ひとりが知識の維持を、ひとりが説明役を担うの。それを、魔術で固定する。ふたり揃わなければ公開できない。知識を持つひとは魔術で自身の口で話せない。文書にも残せない。説明役はそもそもの知識がない」
 そこまで説明を聞いてダイは閃いた。
 イネカは小スカナジアの挨拶で、ジュノをなんと説明していたか。
 彼女は、従者を示唆して――………。
『わたしの口』
「まさしく、俺がソレなんだ」
 ジュノが感心した様子でアルヴィナを見上げる。
「あんた城の魔術師? 元はメイセンブルにいた?」
「さぁ、どうかしら」
「……話を戻させていただいても?」
 ジュノとアルヴィナの会話にダイは割って入った。
「その……つまり、あなたはイネカ議長がお持ちになる、何かしらの知識の、説明役である、という認識で、間違いありませんか?」
「その通り」
 理解が早くて助かる、と、破顔した彼は、一瞬ののち、表情を厳しいものに改める。
「俺はいま、身柄を狙われている。俺を狙ってるやつはレイナ・ルグロワ。あんたもご存知のルグロワ市長。クラン・ハイヴの女狐。そしてペルフィリアにクランをぶつけた、今回の戦犯のひとりだ。イネカは……俺を逃がす時間稼ぎに、たぶん、あの女の手に落ちた」
 お願いだ、と、ジュノは懇願した。
「俺が提供できるもんはなんでもやる。だから、イネカを助けてくれ。俺たちを、保護してくれ――メイセンブルの亡霊から」


「以前、教会が聖女の復活を嘯いているとご報告申し上げましたが、あれは決して教会の妄言ではなかったということです」
 紙のように白い面をして寝台に横たわる梟を見下ろしたまま、ディトラウトはセレネスティに告げた。寝台の傍らの椅子に腰掛けたセレネスティは、組んだ手の上に顎を載せ、無言で梟を見つめている。
 エスメル市との会談の場で招力石を爆破された衝撃からディトラウトたちを守り切った梟は、混乱に乗じて現場を脱出したあと、魔術の〈上塗り〉を多用した。自分自身とディトラウトとヘルムート、計三人分。しかも性別などの印象をずらすものではなく、輪郭などまで変化させるものを使い続けた。安全が担保されるセレネスティの元に戻るまで、気を抜くことができなかったとはいえ、複雑な魔術の連続行使は術者にとって大きな負担となる。戻ってからこちら、寝台からほとんど動けずにいる。
 本来であればもっと早くに回復してしかるべきだ。しかし長年の疲労の蓄積が、彼女の身体に刻まれた多くの傷が。なにより、彼女を後天的に魔術師たらしめた、実験の爪痕が、彼女をここまでむしばんでいる。
 ディアナには話さなかったことがある。
 元の梟はペルフィリア貴族出の娘だ。
 彼女は女王となる資格と引き換えに、高度な魔術を行使し得る魔力を得た。メイセンブルが崩壊する前の話である。それは彼女の意思に基づくものではない。ペルフィリアの聖女の血筋の固執、メイセンブルの力への渇望によるものだった。
 クラン・ハイヴとの国境から撤退する道中、寝食を確保すべく聖女教会に頼らざるをえない場面が幾度もあった。その折、梟が聖女復活を唱える教会側の真意に気付いた。いまだにメイセンブルの呪いをその身に負う彼女だからこそ。
「わたしたちは早く探し出さなければ」
 そして、叶うなら、殺さなければ。
 ペルフィリアを守るために。
 ディトラウトは虚空を睨み据えて呟いた。
「聖女を復活など、させてなるものか」


 ジュノの要望はふたつ。
 まず、聖女教会を筆頭に、他国、あらゆる機関からの身柄の保護。
 もうひとつは、イネカ・リア=エルをクラン・ハイヴから救出すること。
「イネカ議長の救出へ動くことはおそらく問題ないと思います。……ですが、聖女教会だけではなく、他国からも保護してほしい、とはどういうことですか?」
 ダイはジュノに問いかけた。
 裏町からジュノの一報を受け取ったものの、当人確認がいままで出来ていなかったので、まだどこにも彼の発見を伝えてはいない。だが、デルリゲイリアとしては最終的に、ジュノの所在は少なくとも大陸会議に参加する女王たちには報せ、各国共同で庇護したいところだった。ジュノはクラン・ハイヴの内部事情に通じる重要参考人のひとりだ。その彼の存在をデルリゲイリアが秘匿すると、それが漏れた何かのはずみに各国の連携に亀裂が入りかねない。
 ジュノが膝の上で拳を握りしめて答える。
「あんたが不安に思ってることはわかる。でも俺のこと、明らかにしたほうがもっとまずいことになる」
「どう、まずいんですか?」
「あんたら、ペルフィリアとクランの対応のために、足並み揃えて動いているんだろ。それが分裂する。えーっと、俺を取り合うか、俺を殺すか。それでまず国の主張が割れる。あと、レイナにつながる輩がでるのが一番まずい。レイナに俺を売り渡すやつがでないとも限らない。……だから、俺のこと、どうしてもほかの国と一緒に扱いたいってんなら、これから話すことを聞いて、それで、女王様たちと相談して、判断してくれ」
 ダイは口元に手を当てて黙考する。マリアージュを同席させるか否か。状況からせめてロディマスだけでも呼んだほうがいいか。だがふたりの時間の都合と、状況のひっ迫具合から、このままダイだけが話を聞くことにした。政治的な対応は文官から補佐してもらえるだろう。
「説明を続けてください。……つまり、それだけあなたの抱える情報が、各国の意向を揺らしてしまうほどのもの、ということなんですね。どのようなものかは、話していただけるんですか?」
「あぁ、大丈夫。……イネカが、伝えてくれって、言ったから」
 別れたときに思いを馳せているのか。それとも感覚が繋がっているのだろうか。
 遠くを見つめるように目を細め、ジュノが答える。
「イネカは、技術者なんだ」
 と、彼は告白した。
「イネカは、崩壊する前のメイゼンブルで、こっそり進められていた計画に携わっていた。……あんた、〈滅びの魔女〉はわかるか?」
「メイゼンブルを滅ぼした傾国の美姫。知らない人はいません。……実在もした、と、聞きました」
「あ? だれに?」
「メイゼンブル出身の、魔術師の方に」
〈深淵の翠〉ドッペルガムの魔術師長。ユーグリッド・セイスはメイゼンブル出身の魔術師だ。小スカナジアで彼は述べた。〈滅びの魔女〉は実在した。
「そっか。……じゃあ、これも知っているか。メイゼンブルは、〈滅びの魔女〉を捕らえて研究していた。彼女は比喩で〈魔女〉と呼ばれた女じゃなかった。有史以来、歴史の転換のときに生まれ落ちるとされる、正真正銘、〈呪い持ち〉の魔女だった」
「……呪い?」
「魔術師と魔女を見分ける、ひとつの特徴なのよ、ダイ」
 アルヴィナが口を挟む。仰ぎ見た彼女はどこか悲しげにも見える微笑を浮かべた。
「ダイは、トリエステはわかるよね。〈無魔〉のトリエステ」
「城の防衛の術の大本だったっていう、魔女の方ですよね」
「うん」
 近距離の盗聴は部屋ごとに施された魔術が阻んでいる。それと同時に城は、外からの盗聴や追跡を阻む魔術も建物の基礎に組み込んでいた。それが、トリエステの術だ。かつてダイがペルフィリアの表敬訪問でディトラウトたちに捉えられたとき、この術が居場所の探索を阻んだらしい。
 〈無魔の魔女〉トリエステはメイゼンブルの前身、スカーレットの中期に存在した。濃密な魔力を集め、周囲の魔術一切を無効化する呪いを負っていたという魔女である。
「その身から溢れる魔力によって、本人の意思に関わらず無差別に発動する広範囲魔術を、呪いと呼ぶのよ。それを持つことが、魔女の証明」
「加えて、七色に移ろう銀の瞳を持つ。……すっげぇ、キレイで、怖い目だ。魔に愛された瞳だよ。……膨大な魔力をその身にため込んでいるっていうことが一発でわかる。……まだ、俺とそんな変わらない年だったな」
 セイスも言っていた。
 まだ、子どもだったと。
「メイゼンブルはその魔女の魔力を利用した計画を進めていた」
「……魔術師を作る、計画ですか?」
 説明を続けるジュノにダイは尋ねた。
 以前、セイスから耳にしたことがある。力ある魔術師を望んだメイゼンブルが秘密裏に進めていた、魔女の魔力を素養のある子どもに植え付ける研究。セイスはその結果として生まれた、生体兵器だと自身を称していた。
「魔術師? あぁ、違う。やつらが作ろうしていたものは、そんなものじゃない――聖女だ」
 ダイの背後でアルヴィナが小さく息を呑む。
 ジュノは口角を吊り上げた。
 亡国の所業をあざ笑うように。
「聖女シンシアは、魔女だったって言うだろ。だから、同じ魔女を手に入れたメイゼンブルは、作ることにしたんだ。意のままに操ることができて、落ち始めた国の権勢を取り戻すための、メイゼンブルのためだけの、新しい〈聖女〉をさ」
 場が水を打ったように静まり返る。
 その静寂を切り開くようにジュノは淡々と話を述べた。
「表向き聖女の代理人を名乗ってたけど、実際は力を求めて何でもやる国だった。血なまぐさい研究に腐心する狂った学者たちを庇護していた。地下は地上をそっくりそのままひっくり返したみたいな、だだっぴろい研究施設があって、俺とイネカはそこにいた」
「……ジュノさんは……」
 研究者だったのか。被験者だったのか。
 答えはわかりきっていたのに、つい口に出してしまったダイに、ジュノが微笑みを向ける。
「俺は実験動物。被検用の鼠みたいなもんだった。……聖女の条件は周囲に呪いをもたらすぐらい、膨大な魔力をその身に宿すこと。そしてその魔力の高さが瞳に現れること。聖女は女じゃなきゃならねぇし、聖女の血筋が好ましい。でも、聖女の血筋の娘なんて希少なもん、使い遣い潰すわけにはいかないだろ。だからメイゼンブルは本番に向けて、内在魔力の高い子どもを何人も何人も、それこそ何百と集めて、他人の魔力を子どもに植え付ける実験を繰り返した。定着が成功すれば、魔術師になる。それだけでも儲けもんだ。魔術師の数だって、年々減ってたわけだから」
 つまり、セイスが強力な魔術師として生み出された過程は、あくまで聖女を生み出す研究の副産物だったということか。
「イネカはメイゼンブル公家の、かなり血の濃い傍系に当たる。聖女信奉者の第一人者で、研究のとりまとめをしていた、地位も権力も実力もある魔術師だった。当時のメイゼンブル公主、アッシュバーン王から一任されて、魔女の世話係もしていて。……そうして、メイゼンブルが滅ぶ、少し前。イネカは、とうとう完成させた。……新しい魔女、聖女を生み出す大魔術だ」
 だが、イネカは逃げた。
 その研究の結果をすべて己の頭に封じ、ジュノを連れて。
「レイナ・ルグロワが狙っているのは、イネカの頭の中にある、大魔術の儀式手順、準備物、そして、術式一式」
「けれどレイナさんはその情報を取り出せない。……ジュノさんの口を通さなければ、その情報は開示されない」
 ダイの確認にジュノが首肯する。
「聖女の復活が本当になされるとしたら? その聖女が自分の意のままに操れるとしたら? ……そんなん、どの国だって欲しがる。だから、俺はどこの国のものになるわけにもいかない。けれど、死ぬわけにもいかない。イネカを、助けるために」


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