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第一章 模索する調停者 3


 マリアージュが目を細めてロディマスを見やる。
「立場の意味をつまびらかになさい、宰相」
「一方は聖女教会とクラン・ハイヴ。対するはペルフィリア。陛下、あなたはそのどちらの肩を持たれるおつもりなのか。それを会議が再開される前に、わたしは確認しておきたい、そういう意味です、陛下」
 場が静まり返る。
 一拍おいて、ロディマスは緊張をはらんでいた表情を崩した。
「いいかい、マリアージュ。先の会議でわかっただろう。状況はただただ混乱している。衝突する二者がだれかは明らかなのに、僕らはその当事者たちと連絡を取れずにいて、正しい情報の入手すらできていない。かといって傍観しているわけにもいかない。クランもペルフィリアも、その領地は大陸の多くを占める。手をこまねいていれば、流民の問題どころじゃない。戦争そのものが周辺諸国……この国にも飛び火する」
 実際、すでにその兆候は表れている。
 デルリゲイリアの国境付近には、村を焼かれて住まいを追われ、着の身着のまま逃れてきた者たちで溢れている。戦火で街道が寸断されたため、国外からの物流は滞りがちだ。マリアージュが再び即位し、ようやっと落ち着きを見せ始めた国民感情がまた不安に揺れ動いて、いつ爆発するかわからない。
「早期決着が必要だ」
 と、ロディマスは言った。
「そのためには、どちらかに肩入れし、もう一方を潰すしかない。この会議では最終、二国のどちらに味方するのかが焦点となる。立場の曖昧なまま臨めば、僕らはただ振り回され、他国の都合に搾取されるだけとなるだろう。……だから、決めてほしい。我々はどちらを友とすべきか。君がひとたび決めたなら、それがどのような答えであっても、今度こそ僕はそれを支えよう」
 大陸会議直後、マリアージュから玉座の簒奪を目論んだ一派に、ロディマスは助力するかたちとなってしまった。ディトラウトとダイのことがあり、信用のならぬ女王を戴いたままではいられないとした、ロディマスの判断は宰相として正しいものだったし、それを恨んではいないとマリアージュは帰国したばかりのダイに述べている。
 だがきっと、ロディマスは忘れられないのだろう。己の女王への背信を。
 マリアージュはその彼の思惑をきっと理解している。人の機微に聡い女王だから。だから彼女はこの上なく面倒くさそうな顔をして、ダイに話の水を向けた。
「ダイ、あんたはどう思う? わたくしがどちらに就くべきか、意見はあって?」
「化粧師に求める意見ですか、それ」
「わたしの〈国章持ち〉に尋ねているのよ。文句あるの?」
「ありませんよ」
 ただ、ダイとペルフィリア宰相の確執を知る、周囲の探るような視線に苦笑したくなっただけだ。
「そうですね……。まずは各国の立場を検めてみるというのはいかがですか。自分の立ち位置がわからないときは、周囲から固めていくのがよろしいかと」
 と、ダイを育てた女は事あるごとに言っていたし、自分が惚れた男もおそらく似たことをするだろう。
「自分の価値ですとか、立場ですとか、正確に把握しておかなければ、食われると、どなたからか忠告を受けていらっしゃいませんでした?」
「あぁ、サイアね。……己を知りて、彼を知る、だったかしら?」
 かつて北大陸で盛栄を誇った国の将軍が述べた格言だ。ダイは微笑んで頷いた。
「カースン家の騒動のときも、ベツレイム家やホイスルウィズム家のお立場から、色々推察して動かれたのでしょう?」
 そうだったわね、と、マリアージュは短い同意をダイに返した。彼女はぱっと顔を上げて、壁際に控えていた文官に指示を出す。
「モーリス、大陸の地図を出してきて。複数。書き込んでもいいものを」
「かしこまりました」
 モーリスは短く応えて踵を返した。
 クラン・ハイヴや大陸会議への道行にも同行したこの文官は、マリアージュが更迭されたとき、閑職に追いやられていたらしい。マリアージュが再び即位したのちには復帰して、いまは彼女の秘書官としてそば近くで仕えている。
 モーリスは丸められた複数枚の地図と、墨の小瓶、何本かの絵筆を盆に載せてすぐに戻った。墨の色は様々で、何に使うのかと首をひねるダイに、色分けをしてはいかがかと存じまして、と、文官は言う。
「大陸会議では座席の一覧など、国ごとに色分けされておりまして。とてもわかりやすかったものですから」
 なるほど、と、ダイはモーリスに頷いた。
 モーリスから受け取った地図を卓上に広げてロディマスが告げる。
「まずは会議前にした打ち合わせの復習からいってみるかい。よろしいですか、陛下」
「えぇ」
 マリアージュが鷹揚に首肯した。
 今回の会議に入る前、自分たちは地政学的観点から、それぞれの国の立場を洗い出していた。
 考えの核とした点は、ペルフィリアとクラン・ハイヴの開戦を、火急としてとらえているか否かである。
「今回の件をとりわけ火急と捉えている国は、主にデルリゲイリア、ドッペルガム、ゼクストの三国です」
 地図を見下ろしながら、ロディマスが諳んじ始めた。
「デルリゲイリアはペルフィリアと、ドッペルガムはクラン・ハイヴと接しています。それから、ゼクスト。やや離れておりますが、壁となるはずだったザーリハが倒れていますから、今回の紛争にはかなりの危機感を覚えているはずです」
 残りの国々は問題の地域から遠く、できることは限られる。責任を投げてくる可能性が高い。
「ただし、かといって傍観を決め込むつもりはないでしょう。地理的に言って、ドンファンやファーリルはゼクストを、ゼムナムはドッペルガムを盾にしながら、最大の利益を得ようとする」
 ドンファンとファーリル、そしてゼムナムは大陸内でも南部に位置する。クラン・ハイヴとの間に、前者はゼクストを、後者はドッペルガムを挟んでいた。ほかにも挟まる小国はいくつかあるが、大陸会議の誘いに応じられないほど余力がない。むしろ今回の二国の諍いが燃え上がると、ちいさな国々は崩壊して事態を悪化させる可能性のほうが高かった。
 宰相の説明に従って、モーリスが地図に関係性を示す矢印を書き込んでいく。
「戦争をするのに利益が出るの?」
 マリアージュが腕を組んで眉をひそめた。
「だって村が焼かれて人が怪我をして死ぬのよ。税収は減るし、あちこち修理して回らなければならないし、普通の生活はできないし、損失しかないでしょう」
「当事者であればそうだね。でも、物理的に離れているのならそうでもない。むしろ戦争によって物資が枯渇した土地は貿易の上顧客となりうるから、つかず離れずの場所で戦争をしていてほしいと願う人たちもいるほどだ。北大陸ではいまだそれで小競り合いの続く地域がある」
「あぁ……もしかして、ディスラ地方ですか」
 ダイの指摘にロディマスは深く頷いた。
 北大陸の中央部には銀樹の大森林が広がっている。招力石の世界的な産出地だ。ディスラと呼ばれるその土地は、利権をめぐって諍いが絶えない。落ち着きかけると他国が首を突っ込んで事態を掻きまわしてしまうのだと聞いた。
「各国の女王たちの、大陸の安寧を願う気持ちに偽りはないだろう。けれども切迫の度合いが違うということだね」
 デルリゲイリア、ドッペルガム、ゼクストは早急な解決を望んでいる。一方の他国は、解決も望むがそれ以上に、勝ち馬に乗りたい、ということになる。
 ロディマスの注釈に耳を傾けていたマリアージュは、顎に指の甲を押し当てて黙り込んだ。
「この争いを止める条件って、何なんでしょうか」
 ダイは指で地図上に引かれたペルフィリアの国境線を指でなぞりながら呟いた。
「いまのペルフィリアにはそれほど余力がないはずです。自国を戦火に焼かれたくないというのが本音だと思います。余裕がないのは、クランも同じだと思うんですよね」
「それこそベルンメク宰相からの報告にあった、聖戦、のせいだね」
 ロディマスが地図に視線を落とす。
「今回の争いは、ペルフィリア対クラン・ハイヴ、というより、ペルフィリア対聖女教会というべきだろう。混乱したクランに代わって戦を進めているのが、聖女教会からの兵なのだから」
「ねぇ、聖戦って、そもそも何なの?」
 マリアージュがロディマスを見上げて首をかしげる。
「聖戦っていうからには、聖女の名の下にこの戦いは正しいって主張しているってことでしょ。聖女の敵がペルフィリアだって認定されているってことよね。それって、どういうことなのかしら」
「おそらく……ペルフィリアが聖女から離れようとしている点を指しているんだと思う」
 腕を組んでロディマスが述べた。
「昨年の大陸会議を思い出してほしい。政教分離。魔術に依らない技術の推奨。それらは聖女の信仰にひびを入れるものだ。それから……昨今の聖女教会の主張」
「聖女への信仰の不足が、わたくしたちから魔力を奪っている、ですね」
 ダイが口を挟むと、ロディマスは深く頷いた。
「魔術素養を持つものは年々、目を瞠る勢いで減っている。それは聖女への信仰がおろそかにされているからだというのが、教会側の意見だ。聖女から離反する政策を採るペルフィリアを目の敵にしてもおかしくはない」
 ペルフィリアは聖女を敵としたわけではない。ただ魔力資源の枯渇に対して、現実的に対処しただけだ。その合理性が、教会の訴える聖女の奇跡と衝突している。
「……早期に解決したいのなら、聖女教会に加担するのが、よいのでしょうね」
 マリアージュがため息混じりに呟いた。
 そうですね、と、ロディマスが首肯する。
「おっしゃる通り、聖女に迎合したほうが簡単でしょう。貴族階級の反感も少なく、協力を得やすいかと。教会勢力の強化は、従来の体制を強固にするものでもあります。むしろ喜ばれる可能性があります」
「問題は倒れたあとのペルフィリアをどうするか?」
「はい。ですがそれはクランの場合でも同じですね。どちらか一方が倒れた場合、他方に併呑される可能性もありますが、おそらく解体して、今回の大陸会議に参加している各国で分割併合することになるかと。ペルフィリアには東の穀倉地帯、クランには鉱山地帯や、流通に有利なルグロワ河川があります」
 下手をすれば今度は自分たちが戦後の利権をめぐって争うことになる。
 それはぞっとしない話だ。
 マリアージュが組んだ手に唇を押し当てて瞑目する。
 しばし黙考した彼女はふいに居住まいを正した。その凛とした佇まいに、場の空気が一瞬で塗り替わる。
「ペルフィリアに、付きましょう」
 マリアージュが宣言した。
「先の女王選で、聖女教会はすでにわたくしと対立しました。祈るだけで救われることはない。聖女にすべての救済を求める、聖女教会の思想は危険です。他人に自分の生を預けるということは、楽な一方で恐ろしい――わたくしはこの国を、自分で自分を救える道にしたいのよ」
 マリアージュが遠くを見つめるように目を細める。
 ダイは彼女が何に思いを馳せているのかわかって目を伏せた。
 マリアージュは過去の己を思い返している。女王になりたくないと呻きながら、彼女の父とヒースの意図の下、女王選に臨むしかなかった少女の自分を。ミズウィーリの生殺与奪をひとりの男に預けて生きていたころのことを。
 あのころは、楽だった。けれども一方で、きっと、苦しかったはずだと。
 だからきっとダイの主君は、己の民にも傀儡であることを許したくないのだ。
「わたしはあなたの思想に賛同いたしましょう、陛下」
 厳かにロディマスが言った。
「ですが思想に反する。それのみでは、聖女教会と対立するに足りません」
「ペルフィリアには失われてはならない技術の芽があります」
 ダイは宰相に告げた。
 これは私情から来るものではない。単なる事実を告げているのだと、声色に注意を払いながら説明を続ける。
「昨年の大陸会議でも報告にありましたように、魔術に依らない技術の導入を、ペルフィリアは実践し、効果を確実に上げています。その研究が途絶し、職人が戦争で失われることは、大きな損失と考えます」
「魔術素養保持者の数が増えていくことはないでしょう」
 ダイに続いていつの間にか背後に立っていたアルヴィナが口を出した。
「魔術の衰退はこの数百年を掛けて進む、世界全体でみられる避けられない潮流です。よしんば教会側の主張――祈りで、魔術素養の回復が見られる、ということが、事実だったとしても、この流れをとどめるには至らないでしょう。ペルフィリアが保有する技術の保護は、今後のデルリゲイリアの発展にも寄与すると存じますが」
「あとまぁ……あれよ」
 威厳を保つことに疲れたのか、マリアージュが肩をすくめる。
「……どれですか?」
「これ」
 意図を察しかねたロディマスに、マリアージュが地図をとんと指で突く。
「ペルフィリアよりクランのほうが、うちより遠いわ。……倒れてもらうなら、あっちのほうが、楽でしょ。地理的に」
「……そうですね。……えぇ、かしこまりました、陛下」
 ロディマスが苦笑し、モーリスを振り返る。主だった文官たちを招集するように彼は命じた。打ち合わせをするのだろう。
 ぬるまった茶に口を付けながら、地図を睨んでマリアージュが呟く。
「他国はそれぞれどちらに味方するつもりかしらね」
「ドンファンは聖女教会の方針に批判的だけれど、そもそも教会とは縁の深い国だからね。心情的に表だった対立はとれないと思う。ファーリルとゼクストも同様だけれど……ゼクストはクランと近い分、教会の行動を苦々しく思ってはいるだろう」
「色で塗り分けますか?」
 ロディマスの説明を聞きながら、ダイは絵筆をとりつつマリアージュに尋ねた。えぇ、お願い、と主人から端的な応えがある。ダイは聖女教会と対立しやすい段階に応じて色の濃淡を変えて国境を塗った。
「ゼムナムは静観を決め込むかしら」
「おそらく――サイアリーズ宰相はゆくゆく聖女教会と決別されるつもりだっただろうから、君の方針と対立はしないだろう。聖女教会からうまみある何かが提案されていれば別だけれど」
「サイアとは事前に話を通したほうがよさそうね……アルヴィナ」
 ふいに呼ばれたにも関わらず、アルヴィナは泰然と小首をかしげた。
「はい、なんでしょうか、陛下」
「リルドに訊いてきてちょうだい。会議の再開前に、サイアと……あと、そうね。ゼクストの、ロヴィーサ女王にも、対話できるかどうか」
「あっちと調整できる文官を借りても?」
「えぇ」
 マリアージュが外務官向けの命令書を書き付けて、アルヴィナに手渡す。さっと一瞥した紙をくるくると丸め、アルヴィナは一礼して部屋を出て行った。
「ドッペルガム……フォルトゥーナ女王は、どうでしょうか」
 ダイはクラン・ハイヴと接する領地を見つめた。
 フォルトゥーナ――ルゥナはその独立の経緯からか、昨年の大陸会議ではペルフィリアの政教分離に賛同していた。
 だが聖女教会側、つまり、クラン・ハイヴが潰される側となれば話は変わってくる。クラン・ハイヴはドッペルガムの隣国だからだ。
「どちらの立場にも転びうるだろう」
 と、ロディマスは述べた。
「けれどもそれはどの国にも言えることだって、僕らはいま、確認した。だから、僕らが決めよう。彼らの立場を、彼らの役目を、僕らが割り振る」
 そうして会議の流れを掌握する。
 そう、他人の顔色を伺っていてはならない。
 他人に自分の未来を握られたほうが負けだ。
「大丈夫。ごらんよ。どちらかといえば、僕らの味方が多そうだ」
 ロディマスが目で地図を示唆する。加えられた色の濃淡と綴られた文字が、彼の言が正しいことを示していた。


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