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第一章 模索する調停者 2


 マリアージュ、ロディマスとともに小会議室からほど近い別室に移る。空気を入れ換えたばかりらしい室内は、新鮮な空気と、それに入り交じる花の香りで満ちていて、楕円をした丈の低い小卓の上では、玻璃の器に盛られた茶菓子がマリアージュたちを待っていた。高さのある円卓ではなく、向かい合う長椅子に挟まれたそれに休憩の支度が調っているのは、よりくつろげるようにとの、女官たちによる配慮だろう。一列に並んでダイたちを迎えた彼女たちは、音もなく散って紅茶や焼き菓子の支度を始めた。
「声だけの会議って、疲れるわね」
 長椅子にしどけなく身を預け、首を揉みながらマリアージュが言った。ダイは彼女の背後に回って、その肩をほぐす役割を引き取った。長椅子と彼女の背に挟まれた長くうねる髪を、まとめて前に流しながら同意する。
「日頃、表情や動きからも情報をくみ取っていることがよくわかりますね」
 たった半刻と少し。それでも情報を漏らさないようにと、耳を澄ませ続けることはなかなかの苦行だった。
 ダイの言葉にマリアージュが息を吐く。彼女は首回りを解していたダイの手を押しやって身体を起こした。
「救いは、あぁもはっきり声が聞こえることよ」
 彼女の視線の先、壁際に男がひとり控えている。黒髪に孔雀石の目をした若い男だ。
 マリアージュは彼に告げた。
「その件に関しては、商工協会には助けられました。リルド、と言いましたね。礼を言います」
「恐れ入ります」
 男は胸に手を当てて丁寧に頭を下げた。
 リルドは商工協会からの遣いだ。各国と音声を繋いだあの魔術具を持ち込んだ男である。参加国すべてに配置されたその魔術具によって、マリアージュたちは遠隔ながらも大陸会議の開催にこじつけることができたのだった。
 ペルフィリアとクラン・ハイヴの開戦を受け、デルリゲイリアを初めとする数々の国、組織が事態の収束に向けて動いた。そのうちひとつが商工協会である。
 境なき国と称されるその組織は、原則として国々の争いには介入しない、と、言われている。だが全く動かないわけではないらしい。各国の力関係が揺らぐとき、中立を保った調停者を名乗り、力添えを権力者たちに申し出る。前回の大陸会議しかり。今回しかり。前回は小スカナジアからの要請で、招力石等の様々な魔術具を提供し、傍聴席に着いていたが、今回は人員を各国に派遣して魔術具で繋ぐ裏方を買って出たのだという。リルドは商工協会の中でも上役らしく、かの組織の意向を各国の情報に伝えて回った最後、小会議室に設置したあの魔術具を携えて、使者としてデルリゲイリアまでやってきたのだった。
「ロヴィーサ女王もおっしゃっていたけれど、前回はなぜあの……」
「通信具でございますか?」
「そう。それを使えなかったの? あれがあったなら、もっと多くの国々も会議に参加できたでしょうに……」
 リルドが通信具と呼んだそれと似たような魔術具はデルリゲイリアにもあるが、それはごく短時間しか起動せず、しかも時間や言語に制限が掛かるため、非常に不便なものらしい。音声も悪いので、専任の術者が単音を組み合わせた暗号で他方とやりとりし、改めて文章に書き起こすのだとか。それに比べてリルドが持ち込んだ道具は何の制限もなく、音声は間近で会話を聞いているように明瞭だった。同じ魔術具同士を魔力による不可視の糸で繋ぎ、魔術具で拾った情報を束ねて糸に伝わせる。設置場所に月が見える場所を指定された訳は、使用者に共通して見える天体が魔力の中継地となり得るからだという。まこと、謎の技術だ。
 ひと昔前どころではない。アルヴィナと付き合う自分たちにはわかる。
 商工協会が提供した魔術具は、とうに生産も運用する術も絶えて久しいものだ。
「技術……それとも、魔力の関係? あれを動かすための魔力も相当の量が必要でしたものね」
「もちろん、そういったことも理由のひとつです」
 リルドはすんなり肯定した。もっともな回答だった。魔術具とともに彼がもちこんだ招力石をダイは見ていた。透明度の高い石を一抱え。金額にして城があがなえるだろう。それを提供するには準備が必要だ。ちなみに、大陸の有事ですから、と、石を各国の机にざらざらぶちまけられる商工協会の経済力に対しての言葉はない。指摘するだけ野暮だ。
「我々は我々が、このような道具を所持していること、または、皆様がお持ちにも関わらず持て余しているものを運用できるという事実を、公にしたくはないのです、陛下」
 リルドはそのように話を続けた。
「頓に、覇権を望む力ある方々に対して。無補給船に見られる通り、我々は力を持っている。それがたとえ公然であったとしても、進んで他者の目の前に突き付ける事実ではないと認識しております」
「大陸会議でわたくしたちはあなた方の技術を公開してもよいだけの信頼を得られたということなのね?」
「有り体に申し上げるなら」
 と、リルドはマリアージュの問いに是を返した。
「我々が力を貸す国には、我々から力を奪うつもりのない、信の置ける王がおいででなければなりません」
「奪おうとすればどうなるの?」
「遺憾ながら、それを滅ぼさねばなりません」
 当たり前のようにリルドは言った。
 淡々とした声音だ。商工協会にはそれができると確信する響きだった。
 彼は続けた。
「前回の会議の折に皆様は純粋にこの大陸を憂いていると我々は判じました。そして、この度も。……我々はこの西の獣において、無辜の血が流れることを忌避します。我々はできうる限り、共通の目的を持つという信と制約に基づいて、あなたがたに我々が受け継ぐ知恵と力をお貸しします。しかし我々は血を止めるために、我々が主として力を奮うことはなく、また、力持つだれかに我々の天秤を傾けることはございません。それをご理解いただいた上で、我々をお使いください、陛下」
 リルドの長々とした口上は、商工協会の見解だろう。それを告げるべく彼はマリアージュの前に現れたのだ。
 マリアージュは緩く握った拳を己の唇に当てた。黙考することしばし、彼女は面を上げて再びリルドに尋ねた。
「商工協会の人間がわたくしたちのだれかに肩入れするのはよいの?」
「会員の個人が、ということでしょうか? えぇ。それはかまいません。……個人の信念に基づいて、我々をうまく利用する会員を、我々は歓迎いたします。我々の会員は、境なき国の民であり、同時に、いずこかの国の民です。……どこかの王に仕えながら、協会員でもある者は大勢います」
 マリアージュは頷いた。
「……ほかに何かわたくしに伝えたいことはおあり?」
「ございません、陛下」
「そう。ならあなたも休憩なさい。引き続き頼みます」
 リルドは洗練された一礼を披露すると、案内の文官に伴われその場を辞去した。
 閉じられた扉を眺めながらダイは感想を述べる。
「アルヴィーみたいな話し方をしますね、あのひと」
「ホント。……あんた実は知り合いだったりする?」
「ふふっ。さぁてどうでしょ」
 小会議室にも同席し、休憩室にもついてきていたアルヴィナが、マリアージュから向けられた水を笑って流す。否定しないところを見るに、どうやら彼女は本当にあの商工協会からの遣いと知己なのかもしれない。
「商工協会は裏方に徹する。敵味方なく平等に力を貸す。だからうまく自分たちを使え。……リルドさんの言いたかったことって、こんな感じで合ってます?」
「うん。おおよそそんなところだね」
 ダイの解釈にロディマスが頷いた。彼はマリアージュのさし向かいのひとり掛けに腰を据え、やや前のめりになって膝上で手を組んでいた。
 苦笑した彼がため息を吐く。
「商工協会は敵には回らない。その立場を明確にしてくれるのはありがたいことだよ。これ以上、ややこしくなっては困る。聖女教会が絡んでいるだけで、頭が痛いんだ。今回は」
 先の会議で再確認した点は次の通りだ。
 ペルフィリアとクラン・ハイヴは二国の国境付近、クラン・ハイヴ側にあるラマディ平原にて開戦。どちらが専攻したかは不明。ただし、状況を問いにペルフィリアが立てた使者をクラン・ハイヴ六都市がひとつ、エスメル市市長グラハム・エスメルが殺害したことから全面戦争に突入。
 ペルフィリアの侵攻を受け、エスメル市は壊滅。グラハムは死亡。
 ペルフィリア側は宰相ディトラウト・イェルニ、並びにその護衛についていたと思しき、ヘルムート・サガンが行方不明。
 国内では民衆の東から西への大移動が始まっている。
 クラン・ハイヴ側は沈黙。影の女王たる議長イネカ・リア=エルの行方が途絶。
 クラン・ハイヴが上からの指示亡きままその矛先を納めず、ペルフィリアに信仰し続ける理由は、聖戦を謳う聖女教会によるもの。
「今回はっていうか、また、聖女教会よ。……あいつらって、そもそも何なの? なんでこんなに国の事情に首をつっこんでくるの?」
 紅茶を豪快に飲みながらマリアージュが呻く。彼女に顎で座れと指示され、ひとり掛けの椅子に腰を下ろしながら、うーん、と、ダイは唸った。
「確かに身近にありすぎて、なんだかよくわかりませんね」
 女官から受け取った紅茶を啜り、ダイは考えられうる聖女の気配を振り返った。
 聖女教会は生活に密着している。安息日や祝祭日は聖女教会の暦に従っているし、だれに教えられずとも皆、祈りの文句をいつのまにか諳んじている。冠婚葬祭のすべてに聖女の影はある。
 ここまで身近ながら、その歴史にも教義にも、ダイは思い至れなかった。
 ただ、気になっていることはある。
「実は、ペルフィリアで感じたんですが、うちの国ってそんなに聖女聖女してないですよね……? もっとこう、主神さまと、聖女さまっていうか……」
「そうね。聖女にもそりゃあ祈るけど、どちらかと言えば、主神に祈ることのほうが多くないかしら? 聖女って言っても、偉業をなしたわたしたちのご先祖っていうだけなのに、前の大陸会議のときも、皆やけに聖女聖女ってうるさかった」
 だれもが主神そのものであるかのように聖女を称える。
 ダイとマリアージュの指摘に、ロディマスが肩をすくめて告げる。
「その疑問に答えるためにはまず、話を遡ったほうがいい。……聖女教会とは、何か」
「その話、わたしからさせていただけないかしら」
「アルヴィーから?」
 唐突に口を挟んだアルヴィナが、ダイの問いに、えぇ、と、頷いた。
「まずわたしが大陸の外から見た認識で話しましょう。その方が、聖女教会の本当のかたちを捉えやすいでしょう」
「できるの?」
「もちろんですよ、陛下」
 アルヴィナはマリアージュに請け合った。
「わたしの推薦状、どなたの署名が覚えていらっしゃるでしょう? 北大陸の北の果て、氷の帝国の女王サリサリサ。わたしはながぁい引きこもりでしたけれど、この大陸から出て生活したことも、それなりにあるんですよ?」
 アルヴィナは洒落っ気たっぷりに片目で瞬き、壁際から衣装の裾を捌いて歩くと、ダイの座る椅子の隣で立ち止まった。
 そして語り始めた。
「聖女教会は、メイゼンブルの前身、魔の公国スカーレットによって、生み出された宗教です」
 混迷の大陸を平定した魔女シンシア。時のスカーレット王は彼女の巨大な魔力と飽くなき献身に、神に連なる神聖を見いだし、聖人に列した。それが始まり。
「他大陸では聖女を知らない者すら多い。つまり、西大陸独自で発展した信仰です。ほかの大陸じゃ、主神信仰が一般的。土着の精霊を信仰していることもあるけど……。精霊はちなみに、思考して自立的に動く巨大な魔力で、受肉していないもの。妖精光があるでしょう? あぁいう魔力の吹きだまりに生まれて棲みつきます。人前には滅多に姿を現さないけど、土地を災厄から守るから、守られた人たちが信仰する。……そういう意味で、他大陸では聖女信仰も、少々規模の大きな精霊信仰、に分類されていることもある」
「とるに足らないって思われてるっていうこと?」
「学術的には別枠がとられます。が、そうですね。一般的な見方からすると、あまり気を払われない教えってことです」
 アルヴィナの解説に、ダイは落胆を覚えた。この方々に知見の深い魔術師は、あくまで客観的な事実を述べたに過ぎないのに、自分たちの信仰を貶められた気がした。加えて、ダイはその感情に驚いた。そこまで自分が聖女を崇めているつもりはなかったのだ。
「嫌な気分になった?」
 ダイの表情を見下ろしてアルヴィナが笑った。
「だから、わたしがまず説明しようと思って。たぶん、皆、無意識に、庇った言い方をするだろうからね」
「なるほど……」
 ロディマスが口元を抑えて唸る。彼もまたダイと同様の感情を覚えたらしかった。
 アルヴィナがやや憂いを帯びた声音で囁く。
「それだけ、西大陸の人々に、深く食い込んだ崇拝の対象。それが聖女であり、彼女を讃える組織が、聖女教会です」
 聖女教会は聖女の意思の代行者。
 聖女を崇める人たちを束ね、聖女の教えを正しく今世に伝えながら、それを実行し続けることを教義とする。
「聖女の教え……?」
「たぶん、それはわたしより宰相閣下の方がお詳しいでしょう。……閣下?」
「……汝、隣人を支えよ。手を延べ、共に祈れ。さすれば楽園への道よ開かれん」
 アルヴィナから説明を譲られたロディマスが重心を椅子の背に預けて諳んじる。
「これが公開されている聖女教会の教えだ。……周りのひとと支え合って祈れば、まぼろばの地にて主神に目通りが叶い、幸せな来世が約束される。こんなところだね」
「案外、単純ね」
 マリアージュが呟き、ダイも同意に頷いた。
 ロディマスが苦笑する。
「民衆に向けた教えはね。でも実は、貴族向けに様々な、補足、とでもいえばいいのか、細かな条文がある。……貴族が貴族たるための条文だ」
「……きぞくが、きぞくたる? 何よそれ」
「聖女教会は聖女の教えを正しく後世に伝えるべく、聖女の血筋を保全しなければならないと考える。聖女の血筋が絶えたとき、聖女の教えや祈り、祝福もまた、途絶えるだろうと考えられているからだ。……だから、聖女教会は聖女の血筋を監督する。そのための条文がある。……女王は聖女の正当な血筋であることが条件だね。それを定めているのは?」
「聖女教会……」
 ダイが思わず零したつぶやきに、そうだね、と、ロディマスは肯定を返した。
「メイゼンブル公家から数えて数親等以内。この数は国によって異なるけれど、メイゼンブル公家の近い血筋、つまり、聖女の血統であることが求められる。性別は女性のみ。それを定めているのは聖女教会だ。加えて、その聖女の血筋を保持し、支える義務を負う者、として、貴族を定義している存在も聖女教会だ。……クラン・ハイヴの背後に聖女教会が付く、ということは……」
「わたしたちの存在そのものを、否定することを、意味している」
 マリアージュが呻いた。
「聖女教会がわたしたちを貴族ではないと断じれば、貴族ではなくなる可能性がある」
「実際にはそのようなことは起こらないかもしれない。けれど、聖女の代行者そのものに楯突くことへ、恐れを覚えない貴族はいないだろう」
 聖女が身のうちに刻まれているほど、その存在を否定することを心が拒否する。
 自分の生まれ育ち、立場まで揺るがすのなら、なおさら。
「マリアージュ女王陛下」
 先とは代わって厳かな声音でロディマスが尋ねる。
 マリアージュもゆっくり身体を起こした。
「なにかしら、宰相」
「これで聖女教会が絡むことの煩雑さはおわかりいただけたと存じます。その上で、問いましょう」
 宰相が女王に問いかける。
「此度の件、あなたはどちらの立場をとられるおつもりですか?」


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