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第九章 煩悶する少女 8


 窓を、ゆっくりと押し開く。
 軋みを上げる蝶番。油を注さねばならないと思った。ついでに雨戸を補強するべく修繕工を。それならば、あれもこれも。
 羽音に我に返り、彼は苦笑した。つらつら脳裏を過ぎる事柄の全ては、ただ彼の仕事を増やしていくだけのものだった。
 もう、彼にとって、無意味になるものばかりだった。
 まだ、決定はしていない。しかし、おそらく。
 そんな予感がしていた。
 彼は見上げる。鳥が羽を広げて月へ昇る。その影はやがて、光に掻き溶けていった。


 白砂の荒野から切り出された灰褐色の石を組み上げて、作り出された堅牢な娼館。絶え間ない弦楽の音。闇の奥へ、人を誘うように並ぶ灯篭。その橙色の明かりに照らされて、壁に施された彫刻が色濃く浮かび上がる。
 張見世に並ぶ少女たちの笑い。闇夜に伸びる、彼女たちの白い手。そこへ吸い寄せられていく男たち。
 これが、夜に目覚める街。
 ヒースの手を取り、この街を出た日はつい昨日のことのように思い出せるのに、馬車の中から別れを告げる街は見知らぬそれのようだった。
 花街も見て回りようやく気が済んだ様子のマリアージュは、対面の席で目を閉じている。芸妓たちに振り回されたらしい彼女は、ギーグの工房を見学した後以上に、疲れきった様子だった。
「アルヴィーは、今日はミズウィーリ家に泊まるんですよね?」
 隣に腰掛ける魔術師は、ダイの問いに微笑んだ。
「うん。そのつもり。結構疲れたもの。ダイも疲れたでしょ?」
「そうですね……」
 アルヴィナは労うようにダイの頭を撫でる。その手を照れくさく思い、ダイは目を閉じた。
 眠るつもりはなかった。
 しかし、いつの間にか意識が落ちていたらしい。
「ダイ」
「アルヴィー……?」
 揺り起こされたダイは、間近にあるアルヴィナの顔をぼんやり見上げた。
「到着したわよ、ダイ」
「とうちゃく……?」
 言葉を反芻し、ダイは我に返って跳ね起きた。意識が飛んでいる間に帰宅したのかと、窓の外を慌てて確認する。だが闇夜に沈む景色は、ミズウィーリ家のそれではなかった。
「……ここは、どこですか?」
「お城の裏門の傍よ」
「お城の? なんでそんなとこにいるんですか?」
「アルヴィナ、ダイ、起きたの?」
 扉が開き、マリアージュが顔を出す。彼女は外套を被り、出かける準備万全だった。
「マリアージュ様。お屋敷に戻るんじゃないんですか?」
「戻るわよ。その前にちょっと寄りたくなったの。あんたも主人差し置いてぐーすか寝るんじゃないわよ」
 頬を抓ってもまったく起きないし。
 マリアージュの指摘を受け、ダイは頬が妙にひりついていることを自覚した。その部位が熱を持っていることを考えると、相当弄くり回されたようである。
「マリアージュ様……」
「寝る方が悪いのよ」
 ダイの非難をマリアージュは肩をすくめて受け流し、戸口から顔を引っ込めた。
 アルヴィナが可笑しそうに喉を鳴らし、彼女に続いて馬車を降りる。ダイは仕方なく外套に袖を通して、二人に続いた。
「ここ」
 馬車を降りた先の光景には、見覚えがある。
「ダイ、行くわよ」
 ダイに催促の声を上げたマリアージュは、しっかりとした足取りで城壁傍の階段を上っていく。急勾配な丘を行き来するために設えられた、さして手入れも為されていない、木の枠がはめ込まれただけの階段だった。
 この階段が導く先を、知っている。
 ダイはマリアージュを追いかけて隣に寄り添った。時折ふらつき、階段を踏み外しそうになる彼女を支える。背後ではアルヴィナが軽い足取りで付いて歩いていた。
 今日一日の疲れのせいか、ダイもさすがに息が上がった。マリアージュは汗だくで、数段上っては足を止めて肩で息をしている。けれど彼女は音を上げなかった。何かに憑かれたように終わりを見据え、階段を上り続ける。
 到着した場所は、青の花が埋め尽くす、平原だった。
 ロウエンが、その命を落とした場所。
 花を踏み分けて進んだマリアージュは、街を見下ろせる位置で糸が切れたように腰を落とした。
「ああぁあぁ、疲れた!」
 彼女は、叫ぶ。
「もうやんないわよ帰りあんたが背負って帰って!」
「無理言わないでくださいよ。勝手にここまできたのマリアージュ様じゃないですか」
「じゃぁここでしばらく休憩していくわよ」
「このままいくと夜明けになりそうなんですけど」
「ふん。朝日を眺めてみるのも一興かしら」
「明日の予定どうするんですか!?」
「体調不良で断りなさいってヒースに言うわよ」
「うわぁ最低……」
 ダイの口からつい漏れた正直な感想に、マリアージュは不快そうに口の端を曲げる。
「ほんっとうにあんたの口は遠慮ってものを知らないのね!」
 ぐ、と口を抓まれて、ダイはうぐうぐ呻きながら手足をばたつかせた。追いついたアルヴィナが傍らで腹を抱えて笑っている。
「ぷはっ! ……アルヴィーも見てないで助けてくださいよ!」
「だぁって、見ててたのしぃんだもぉん」
 こちらも負けじと最低だ。ダイが睨み付けると、アルヴィナは逃げるように明後日の方向へ駆けていってしまった。
 その背を嘆息して見送るダイの横で、マリアージュがおもむろに、ぷちりと手元の花を千切る。
「これももう終わりね」
 花弁を宙に放り投げ、彼女は言った。
「ロウエンも、よくこんな場所知ってたなぁ……」
 夜の闇を吸い込んでなお青い花で満たされたこの場所を、教えた人物は亡き友人だ。彼はどのようにして知ったのだろう。アリシュエルから聞いたのだろうか。
 開花時期も終わりに近い花畑を見渡し――丘の向こうの眺望に、ダイは息を呑んだ。
 白亜の王宮。それを取り巻いて連なる赤い屋根。壁を隔てて広がる、城下町。
「薔薇を背に乗せて飛ぶ鳥みたいな形してんのね。初めて知ったわ」
 ダイと同じ方角を向いたマリアージュが、この眺めをぽつりと形容する。
 その胡桃色の瞳が、ゆっくり細められる。
 つぶさに。見落としたくないとでもいうように。
 彼女はこの景色を見つめていた。
「……そろそろ教えてくださいよ」
 ダイは彼女を見下ろして言った。
「なんで突然、街を見学したい、だなんて言ったのか。いい加減教えてくれなきゃ怒りますよ」
「あんた怒りたいときに好き勝手怒るじゃない。今更何言ってんのよ」
 嘆息したマリアージュはおかしそうに笑って続ける。
「でも今日、あんたの育ったところ見て思ったわ。何よあの遠慮のかけらもない女たちは。あんたがすぱすぱ物言う理由が、ようやくわかったわよ、私は」
 芸妓たちの物の言い方にそっくりだと隠喩され、ダイは唇を引き結んだ。
「……あそこまであけすけなつもりはないですけど」
「そーお?」
 いつの間にか戻ってきていたアルヴィナが、会話に割り込む。
「似てると思うわよぉ?」
 あくまでアルヴィナはマリアージュに味方し、ダイをからかいたいらしい。反論すべく彼女を仰ぎ見たダイは、その肩にちょこんと留まる黒い鳥の存在に目を瞠った。
「どうしたんですか? その……鴉?」
「ご紹介しまぁす」
 アルヴィナは鴉の頭を指先でちょいちょいと撫ぜた。
「この子が私の遣い魔ちゃんです」
「遣い魔?」
 マリアージュが怪訝そうに眉をひそめる。
「なにそれ?」
「んー。魔術師の召使ってところかしら。色んな用事をこなしてくれるの。ヒースとの連絡も、ほらこの通り」
 アルヴィナに喉を撫でられた遣い魔は、黒曜石の如き目を細め、本来ならばありえぬ声を紡ぎだした。
『もう勝手にしてください』
 ヒースの、声だ。
 呆れ滲むその声に、ダイは目を剥いた。マリアージュも同じように驚いた顔をみせている。アルヴィナはにこにこと笑って鳥の喉元を撫で続けていた。
「だ、そうよ。……この子は連絡に使う遣い魔なの。こぉんなふうに、互いの声を届けてくれる」
「すごいですねぇ」
 ダイの感嘆に、アルヴィナは得意げな面持ちを見せる。もっと褒めて、と胸をそらす彼女に、マリアージュは呆れ顔だった。
「まぁ、とにかく好き勝手すればいいって言質はとったわね」
 ヒースに向けてだろう。文句を言ったら許さないわ、と彼女は呻く。今頃、屋敷で頭を痛めているだろう彼に、ダイは同情した。
 髪を解いて背に落としたマリアージュは、欠伸をかみ殺しながら伸びをした。一拍置き、視線を城下に戻した彼女は微笑んでいる。久方ぶりに堪能した自由な時間に、満足したのだろう。
 やがてマリアージュは微笑を徐々に消し去り、下唇を噛み締めた。その表情の変化に、ダイは首を傾げる。
 夜風を受け、草花が触れ合う。漂う、微かな湿った土の匂い。
 静寂を挟み、マリアージュは言った。
「ルディア夫人が私を支持するそうよ」
「……は?」
 思考が、追いつかない。
 間抜けな声を上げたダイに、マリアージュは解説する。
「ルディア夫人、つまり、ガートルード家一門が、私を女王として推薦するって言ったの。今朝のルディア夫人の訪問は、その話を私にするためよ」
「はぁ!?」
 ダイは絶句した。マリアージュは淡白だが、本当ならばもっと興奮していて然るべきだ。
 なにせマリアージュが女王の座に就くのだと、ほぼ決まったといっていいのだから。
「信じられないって顔してるわね」
 ダイを見上げて、マリアージュが笑う。
「私も信じられなかったわよ。冗談やめてって思ったわ。でもルディア夫人は私を支持してくれるんですって。でも……はっきり言って、辞退したい気でいっぱいだったわ」
「マリアージュ様は女王になりたくないんですか?」
 マリアージュの意外な発言に、ダイは思わず尋ねた。
 最初こそ女王になれるはずがないと叫んでいた彼女だが、近頃は入る予定をきちんとこなす。その活動は精力的といっていいほどだというのに。
「今は特別なりたいわけじゃないわ」
「どうしてですか?」
「どうして? あんただって知ってるじゃない。娘をなぶり殺しにしようとするほど男を狂わせんのよ、あの女王とかいう座は。それに巻き込まれて、あんたの友人だって死んだんじゃない。……この場所で」
 ざっ、と。
 風が吹き、花を揺らした。がくから離れた花弁が、煽られて宙に踊る。
 押し黙ったダイから、マリアージュは視線を逸らした。
「女王っていう座がすごいのはわかってたわよ。私たちの頂点なんだもの。子供の頃、エイレーネ様にお会いしたことがあるの。たくさんの人に傅かれて微笑んでたわ。ちょっとね、こう、指をね、動かすだけで、みんながさって動くの」
 彼女は腕を持ち上げ、指揮者のように人差し指を軽く振る。
「子供心にすごいと思ったわ。あの頃はまだお母様がいて、みんなそっちに掛かりきりで、私には侍女が一人付いているだけで。……その侍女も、私の言うことに従うときは嫌々よ。なのにエイレーネ様が何かを言うと、皆嬉しそうに、うっとりとした顔をして動く。なんてすごい地位なのかって思った。だから皆がそれを求めて躍起になるのねってね。……でもね」
 マリアージュは下ろした指を、そっと握りこんだ。
「私は、あの地位の怖さ、とかいうものを、わかっていなかった気がするのよ。なれるとも思っていなかったし、なりたいって元々強く思ってたわけでもなかったけど、今ははっきり思う。なりたくないわ。あんなふうに人を狂わせたりする座に、私座りたくない」
「……では、ルディア様の申し出を辞退されるんですか?」
 ダイの問いに、マリアージュは首を横に振った。
「辞退したとこでどうなんのよ。うちは没落していくだけ。結局は生き残れない。私には誰かに仕えて生きてくってやり方は無理。だから……女王になれるなら、なってやるわよ。そっちを極めていくしか、私は生き残れない」
 追い詰められたものの、独白だった。
 主人としての振る舞いが、マリアージュには染み付いている。ダイも同じだ。裏方が性に合っている。その生き方を覆すことは容易ではない。
「……女王になるんだったら、その前に見ておきたいと思ったのよ」
 マリアージュは丘から見える街並みを真っ直ぐ見つめて言った。
「……私がこれから治めていく、国の姿を」
 今まで世界は、自分ひとりで完結していた。
 しかし女王になるというのなら、そうもいかない。彼女はこれから顔も知らぬ者たちのことも、気にかけなくていかなくてはならない。
「……アリシュエルに昔、訊かれたの。女王になったら、どんな国を作っていきたいかって」
「アリシュエル様に?」
 アリシュエルとそんな深い内容を話していたとは知らなかった。かつては彼女と顔を合わせるだけで、不機嫌の極みだったというのに。
 驚くダイに、マリアージュは深く頷く。
「そう。国をよりよくする存在を求めて、女王候補を戦わせて、こんな馬鹿げた女王選が行われるはずだってあの子は言ったの。ルディア夫人もおっしゃったわ。国をよりよい場所へ導ける存在を女王に。……でも私、アリシュエルみたいに頭よくないから、国をよりよくするなんて言われたってさっぱりよ。大体現状がわかんないのに、よりよく、って無理な話じゃない?」
「だから見ようと思ったんですか? 今の、国の姿を」
「この都の中と外でもまた全然違うんだって聞いたけど、さすがに荒野へ出て行くのは無理でしょ。ならせめて、この、街の中だけでも」
 見ておきたかったのだと、彼女は言った。
「……でも見るだけなら、女王になることが本当に決定してからでもよかったんじゃないですか?」
「馬鹿ね。身軽なうちに動いておいたほうが楽じゃない。女王候補ってだけでヒースがあれだけ大騒ぎして私が街へ出ること渋るのよ。女王になったら裏街だの花街だのそんなところに出かけられないじゃない?」
「なるほど……」
 その通りだと、ダイは納得した。だからマリアージュは機会を改めて用意するとヒースに言われても首を縦に振らず、強引に街へと繰り出した。
 女王になる前に街を見る。それを実行できる日が、今日しかなかったのだ。
「裏街や花街をあれだけ見たがったのはどうしてですか?」
 街を見学するのなら表通りとその周辺に留めておけばよい。裏街の奥深くまで足を踏み入れたがる貴族などまずいない。花街を訪れる貴族の子弟も、むやみに散策したりはしないものだ。マリアージュのように娼館の裏方まで見て回った貴族など、前例ないに違いない。
「この国は芸技の国だっていうわ。だけど職人なんて、私は楽師か絵師か、歌手か、そんな人たちしか見たことがない。この国にはもっと違う類の職人がたくさん生きてるんでしょ? ダイ、あんたみたいに」
 街を見つめていた胡桃色の双眸が、ひたりとダイを捉えた。
「その大半が裏街にいるっていうんだったら、そっちを見るしかないじゃない」
「……花街は?」
「あんたが生まれた場所だからよ。どうすればあんたみたいに呆けて育つのか知りたかったの」
「……ひどい」
 ダイの非難に、マリアージュは低く笑った。
「……ヒースが言ってたじゃない? この国の起源は、湯女にある。全てを生み出したのが芸妓たちだって。だから……見てみたかった」
 出来る限り。
 この国の姿を。
 その目に焼き付けるために、彼女は皮なめしの悪臭に耐えながら、女たちの嬌声に耳を塞ぎながら、肉刺の出来た足を動かして街を歩いた。
 革細工の工房で、マリアージュは顔を蒼くしながらも目を逸らさなかった。あの場所では男たちがひどい悪臭に晒されながらも、動物の臓物と糞を扱って革を仕上げていく。
 貴族たちは美しい完成品しか目にしない。しかしそこに到達するまでの間、作品に注ぎ込まれる人の生から、彼女は目を逸らさなかった。
 マリアージュを案内した芸妓たちが、娼館を見て廻ったときの彼女の様子を語ってくれた。貴族に対する悪戯心もあったと正直に告白した芸妓たちは、男たちを迎えるために肌と技を磨く生活の場から、裏の裏、壁一枚隔てて客と睦み会う深部まで、マリアージュを案内したらしい。
 それでもマリアージュは逃げ出すことなく、芸妓たちに従い全てを見たのだ。
 ふと興味を引かれ、ダイは尋ねた。
「マリアージュ様は、どういう国を作りたいって、アリシュエル様に答えたんですか?」
「職人制をなくしたらどうかって答えたわよ」
 マリアージュがそっけなく応じる。
「職人制を?」
「そう。だってそのせいで、あんたもややこしいことになったんでしょ?」
「そうですけど……それは、やめたほうがいいです」
「どうしてよ?」
 噛み付くように訊き返すマリアージュに、ダイはゆっくりと解説した。
「ヒー……リヴォート様も前言ってましたけど、職人制度は私たちを縛るものであると同時に、保護するものでもあるんです。職人制をなくしたら芸妓たちは職人ではなくなる。ただ身体を売るだけの女に堕ちる。ほかの職人も同じです。例えば今日見た皮細工の職人。あの仕事はしんどいでしょうが、親の代からずっと続いているおかげで、失敗も、不衛生からくる怪我も病も少ないんです。知識が蓄積されて、対処の仕方を叩き込まれますからね。ずっと続いてきた制度には理由があるんです。簡単になくしたらいいものでもないです」
「……そうなの。難しいものなのね」
 マリアージュは立てた膝に頬杖を突いて溜息を吐いた。
「ダイ、退屈な国って、どういう意味?」
「……退屈な国?」
 こちらが訊きたいと反論しかけたダイは、ひらめきに渋面になる。
「マリアージュ様。狸寝入りはよくないですよ。話聞いてたんですか?」
 工房の見学が終わった後、ミゲルとの会話の中にその単語があった。
「狸寝入りじゃないわよ。あんだけ叫ばれれば誰だって起きるでしょ。話は聞こえてきたのよ」
 人聞きの悪いと、マリアージュは憤った。
「それで。どういう意味?」
 ぐい、と顔を寄せて追求する彼女に、ダイは当惑する。
「どういう意味って……だから、退屈な国です。代わり映えのない毎日が続くだけの」
 虐げられず、傷つかず、技の研鑽に皆が励む。
 平和で、穏やかな国。
「あんたも、そんな国が欲しいの?」
 終わる気配のない尋問に、まるで子供との問答のようだと、ダイは苦笑した。
「国が欲しいっていうか……そう、ですね。デルリゲイリアがどんな国であって欲しいかっていうんだったら、そんな国がいいです。今のまま、穏やかな毎日が、続いていって欲しい」
 意識の片隅には、アスマとの会話があった。
 国に波紋がにじり寄っているという。実感は湧かないが、彼女は冗談を述べるような人間ではない。
 ならば祈るしかない。
 どうか、どうか、このまま。
 真意がどうであれ、アスマたちがダイを守り育ててきた。今も慈しんでくれている。ダイは彼女たちが大事だった。皆に、今までと変わらぬ日々が与え続けられることを祈る。
「別に、劇的に発展してくれなくてもいいんだと思います。……今の生活を守ってくれる女王様だったら、誰も文句はないと思いますよ」
「そう」
 マリアージュは立ち上がって衣服の裾を軽く払った。難しい表情で街を睨む彼女に、ダイは微笑みかける。
「まぁ、まだ時間ありますし。どんな国を作りたいとか、急いで考えなくてもいいと思いますよ」
「なに人事みたいに言ってんのよ。あんたも考えるのよ、あんたも」
「え。私も?」
 思わず問い返したダイに、腰に手をあてたマリアージュは呆れた目を向ける。
「当然でしょ。国のあり方だとか女王のあり方だとか、私一人で考えたところでわかるはずないじゃない」
「……いや、威張って言わないでくださいよそういうことは……」
 一緒に考えてくれ、といえばまだ可愛げあるものを。どうして彼女は喧嘩を売るような物言いしかできぬのか。
「わ、か、っ、た、の?」
「わわわわ、わかりましたよ! 一緒に考えますから! その手をわきわき動かすのやめてくださいよふぐっ!」
 ばちっと音を立て、マリアージュはダイの頬が挟み押し潰した。間近に顔を寄せて、彼女は意地悪い笑みを浮かべながらダイに命じる。
「あの花街の芸妓たちをみてたら仕方ない気もするけど、でもあんたはもうちょっと私に対する敬意とかを示しなさいよ!」
「うぐぐぐっ」
「女王になったら適当に『わかりましたー』じゃなくて、ちゃんと敬意を示して御意に、って承諾するのよ!?」
「わひゃりまひたわひゃりまひた!」
「麗しのってつけて!」
「わはりまひた! いひゃいいひゃい!!」
「全然わかってないじゃない!」
「あるふぃーはふへへ!」
 くつろいだ様子で腰を下ろし、完全に傍観を決め込んでいたアルヴィナは、ダイの訴えににっこり微笑んだ。
「うん、無理」
「ひほい!」
 マリアージュが手の力を更に強める。そのうち顔が変形してしまうのではないだろうかと危惧し、ダイは涙目になりながらマリアージュの手に抗った。
 もみ合うこちらを眺めるアルヴィナは、仲良しねぇと爆笑したのだった。


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