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第五章 錯綜する使用人 3


 ミゲルの店を後にしてアルヴィナに案内された先は、表通りにある茶屋だった。赤茶の煉瓦を積み上げて作られた二階建て。玻璃がはめ込まれた窓から、甘い香りが漏れ漂っている。
 店員に導かれるまま、窓際の席に腰を下ろす。花の生けられた丸い円卓。壁に掛けられた絵画。店内は異国の客で賑わっている。すんなりと席に案内された自分たちは幸運だったのだろう。店の入り口で列を為す客達を見つめながら、ダイは思った。
「ううーん楽しみねぇ。こういうお店にはいるのって私すごく久しぶりなのよねぇ」
「……私は初めてです」
 きょときょとと周囲を見回しながら、ダイは呻いた。陽光差し込む明るい店舗は、かつてダイにとって馴染みなかった類の場所である。この街の生まれである自分よりも異邦人の客たちのほうが、よほどくつろいでみえた。
 アルヴィナも彼らと同様に、久方ぶりという割には馴れた様子で店の女を捕まえ、流行りの菓子を注文している。
「ダイは?」
「あ、水だけで……」
 入店しておいて申し訳ないが、余計な持ち合わせがないのである。ダイがそのことに気が付いた時にはすでに、店に足を踏み入れてしまっていた。
 アルヴィナは思案した様子を見せ、じゃぁこれこれで、と菓子と紅茶を追加して注文する。
「分け合って食べましょう」
 微笑んで提案してくる彼女に、ダイは瞬いた。
「いいんですか?」
「いいの。私が誘ったんだもの。お姉さんに任せておきなさいな。それに二人で分けたほうが、色んなもの食べられるでしょ?」
「ありがとうございます」
「うんうん。どーんと甘えちゃいなさい。もうちょっと肩の力ぬいて」
「……私、こういうとこ来るの初めてなんで……」
 肩をすくめて、ダイは呻いた。昼間行動することに慣れたとはいえ、やはりこういった日中に大衆の集まる場所は落ち着かない。夜の酒場のほうがよほど気安い。
「アルヴィーはよく来るんですか?」
 卓に生けられた花の向こうでアルヴィナは、頬杖を突いたまま僅かに首を傾ける。
「私? そおねぇ……最近は来てなかったかしら。お菓子とかご飯とか、おんなじものばかり作るようになったりすると、来たりとかね。美味しかったらそれを参考に、家で作ったりするの」
「あぁ、趣味だって言ってましたね」
 作ることが、趣味だと。
 彼女の家で出された料理も、とても美味しかった。
「そう。一人暮らししてると暇だから、手慰みね。料理以外にも色々作るのよ」
「化粧品もそのうち一つ?」
「そう。最初は頼まれたんだけど、面白くてはまってしまって。凝ったものを作るうちに、今度は置く場所がなくなっちゃって。ミゲル君は出来さえよければなんでも引き取ってくれてるから助かってたの。ちゃんと使ってくれる人がいたのねぇ」
 この国には、何かを『作る』人間が多い。
 芸技の小国と呼ばれる所以だ。花街にもそういった類の人々は大勢いた。芸妓のために衣装を手縫いする針子。ランタンの玻璃に細工をする職人。芸妓の胸元を飾る品を何年も掛かって作り上げる工芸人。
 自分が作り出したものが誰かに愛されるということは、とてもとても、幸福なことだ。ダイは物を作ることはないが、化粧を扱う業師ではある。自分の化粧が求められることに自分が少なからず充足を覚えることを思えば、アルヴィナの嬉しそうな表情の意味を理解することは容易かった。
「化粧品とか料理のほかには何を作ったりするんですか?」
「んー。花飾りとか銀細工とか、お薬とかまぁいろいろあるけど……こんなものも作ったりね」
 軽く思案した素振りを見せて、アルヴィナが懐に手を差し入れる。何が出てくるのかと、ダイは期待に胸を膨らませた。細い指先の間に挟むようにして彼女が取り出したものは、銀製の小さな円盤にはめ込まれた、宝石とも見間違うようなきらめきを宿す石である。透明度の高い青の半円球。その中には、古い文字が刻まれていた。
 そして、その文字に囲まれるようにして描かれる幾何学の図形。
 魔術の証。
 ダイはようやくその石が何であるか思い当たった。
「招力石(しょうりきせき)?」
 中に込める魔力次第で、魔術の代用として様々な効果を発揮するその石は、正しくは魔力を溜め込む特殊な樹木を加工したものである。質は幅が広く、使い捨てのものもあれば、半永久的に効果を発揮するものもあるという。暗闇に反応して自動的に光ったり、水を湯に変えたりといった初歩的な効果から、人の傷を癒したりという類のものも存在するらしい。魔術的な仕掛けの多い西大陸ではあまり使われない石だが、ないわけではない。とりわけ過去に失われてしまった魔術の効果を発揮する一昔前の招力石は、金一山で取引される貴重品だった。
「そう」
 アルヴィナは肯定を示し、卓の上に円盤を置いた。銀の台座が卓の上でぱちりと音を立てる。そして彼女は青の頂点に人差し指を押し当て、石をダイのほうへと滑らせて寄越した。
「かなり、いいものですよね。これ」
 アルヴィナの指先から解放された青を見つめてダイは呻いた。どう見ても、市井でも簡単に手に入る使い捨ての屑石でない。ずいぶんと純度の高い石だということは、招力石に対してあまり眼力のない自分の目を通しても明らかだった。
「そぉねぇ。どれぐらいのお金になるかっていう意味なら、私あまり詳しくないのだけど」
「はぁ」
「でもまぁ、毎日使っても百年ぐらいは保つかしらね」
 たいしたものではない、とでも言いたげに、アルヴィナが答える。
 ダイは、絶句した。彼女と目の前に置かれた青い石を交互に見やり、改めて息を呑む。アルヴィナが言うような持続性の高い招力石を手に入れられるのは、王侯貴族ぐらいなものだからだ。
「これは……お守り?」
 純度の高い招力石に守りの術を込めて護符とし、贈り物にすることはよくある。
「ちがうわよぉ。この子の効果は〈伝達〉。遠隔地と連絡を取り合うためのものね」
「遠くと、連絡?」
「そうそう。これさえあれば、遠くにいる人とすぐに連絡が取れるの」
「へぇ」
 そんな魔術があるのかと、ダイは感心に深く頷いた。興味がなかったため、自分は魔術に関し、あまり造詣が深くない。
「誰とでも通じるんですか?」
 ダイの問いに、アルヴィナは残念ながら、と首を横に振った。
「特定の誰か、もしくは場所、だけね。ちなみにその子で連絡付くのは私だけ。なぁに、誰かと連絡とりたいの?」
「えぇ、まぁ」
 苦笑を浮かべながら言葉を濁したダイは、試しに尋ねてみた。
「……それって簡単に作れるものなんですか?」
 頭にあったのはミゲルやアスマだった。自分と連絡を取るため、アスマに伝言を預けたよろず屋の店主。そしてわざわざ花街の外を経由して手紙を出してきた、自分の育ての親でもある娼館の女主人。
 回りくどいやり方を用いずとも彼らと連絡を取る術があるというのなら、ぜひとも手に入れたい。もしアルヴィナにとって〈伝達〉の招力石を作ることが容易いならば、金を払ってでもいい、アスマ達との連絡用に一つ作ってもらいたかった。
 しかし世の中都合よく事が運ぶわけではないのが道理である。
「術式自体は簡単だけど、材料がね。質のいい招力石がいるの」
「どれぐらいの質?」
 ダイの質問に応じて、アルヴィナが細い指を青い輝石に向ける。
「それぐらい」
「……あーそうなんですか……」
 ダイは諦めに呻いた。ミズウィーリ家からの給金はダイには余るほどだが、招力石を贖うには及ばない。何より今の状況を考えると、ミズウィーリ家にいつまで仕えていられるかも怪しい。
「……ダイは、魔術がどうやって行使されるかわかる?」
 不意に投げかけられた問い。
「魔の粒子を織る、んでしたよね? 構成っていうんでしたっけ?」
 曖昧な知識を引っ張り出してダイが答えると、アルヴィナは満足そうに頷いた。
「そう。世の中には魔の粒子が循環しているわよね。これに呼びかけて世界に変化をもたらすことが魔術」
 魔という名前の、銀の粒子。
 今はまぼろばの土地で眠りに付くという主神の吐息、命のかけらとも呼ばれるそれらは、万物に宿り、世界を廻っている。魔がぶつかり合えば、宙では火花が散る。結合すれば水になることもあるらしい。
 魔は世界を循環するだけではなく、物質に宿りもする。内在魔力と呼ばれるものがそれだ。
 魔と物質――人でいえば肉体――は隣り合って存在し、互いに影響を与え合っている。例えば、内在魔力が高いと、傷の治りが早く病気にも罹(かか)りにくい。一種の才能に秀でることもある。
 自分たちの目にはしかと見えぬ、しかし確かにある粒子。それが魔だ。魔術師はこの粒子を見る才能に長けていなければならず、魔を集め、織ることによって一定の形を作り出す。そして形となったものが、効果を生み出しながら魔術として世界に現出するのだ。
「魔の粒子はいつも動いてるの。それを、こっちよって呼びかけて、形を整えてあげる。それを、構成を組む、編む、織る、なんて表現をするんだけど、出来上がった形で、魔術の効果が決定する。その魔術の効果を生み出し安定させるためのものが、陣。そして術式」
「そういえば私、魔術の陣と術式ってどう違うのかあんまりよく知らないんですよね」
「効果を持続するために書くものが陣。効果を定義するものが、術式」
「……もうちょっと、わかりやすく」
「んー例えば、これぐらいの箱が、あったとして」
 アルヴィナが指で宙に長方形を描いてみせる。彼女の頭ぐらいの大きさだ。
「箱の中に、接着剤で絵を描いておいてね。丸、とか、三角、とか、なんでもいいんだけど」
「……はい」
「そこに、砂をどさーっと流し入れて中身捨てると、接着剤のところに、砂がくっついて箱の底に絵が浮かび上がるでしょ?」
「あぁ」
 いわゆる、砂絵というやつだ。子供用の玩具として、色の付いた砂が売られていることもある。
「砂が魔。砂をくっ付けておく、接着剤が陣。描きたい図柄、つまり魔術の場合の効力を指定するものが、術式」
「へー、そういう意味だったんですね」
 今までの解釈も決して間違っていたわけではないが、こうやって専門の人間に説明を受けると、自分が本当に漠然としか理解していなかったことがわかる。
「あくまで、たとえ話で」
 アルヴィナが前置いて、説明を続けた。
「本当の原理はもう少し違うんだけど……招力石っていうものは、石そのものが、すごく強力な接着剤だと思ってね。純度が高ければ高いほど、たくさんの砂をくっ付けていられるの。〈伝達〉の魔術は効果を発揮するために、ものすごく魔力が、つまり砂がいると思ってね」
「だから、純度の高い招力石が必要、と」
「うん。そういうこと」
 理解を示したこちらに、アルヴィナは微笑んで、謝罪した。
「ごめんね」
「え? いや、謝らなくていいです。なんで謝る必要があるんですか?」
「でもなんか、期待させちゃったみたいだし」
 申し訳なさそうな魔術師の言に、見抜かれていた、と、言葉に詰まる。図星を指された際の表情の変化を彼女から隠すようにして、ダイは面を伏せた。
「……えぇっと、そんな術が、あるんだなぁって、感動した、だけなので」
 嘘ではない。遠くの人とやり取りできる術があるなど知らなかったのだ。
「そか」
「はい」
 頷いて、そろりと目線を上げる。卓の上に頬杖をついていたアルヴィナはダイと目を合わせてくると、招力石を指差した。
「じゃぁお詫びに、それあげる」
 まるで飴玉でも分け与えているかのような気軽な言葉。
 ダイは驚愕に目を剥いた。
「は!? もらえませんよこんなの!」
「もらって」
「駄目です。お詫びとかそんなのしてもらうほどのことじゃないですし」
「いいのよ」
 柔らかいが、拒否を許さぬ声音がダイの耳に届いた。アルヴィナを見つめ返す。彼女は手を卓の上で組み合わせて微笑んでいた。
「ねぇダイ。偶然で私と何度も会う人ってそういないの。こうやって短い間に二回も顔を合わせたのは何かのご縁。だからあなたにそれを持っていて欲しいなぁって思ったのよ」
「何のために?」
「また一緒にお茶をするために」
「お待たせいたしました」
 アルヴィナが注文した菓子と紅茶を、給仕の娘が忙しない様子で卓の上に並べ置いていく。砂糖で色付けされた焼き菓子が立ち上らせる、甘い香り。
 卓上の花瓶に生けられた花の向こうで嫣然と微笑むアルヴィナをダイは見つめた。こうやって、お茶と菓子を囲んでいると、彼女の自宅で世話になったときのことを思い出す。あの時も、彼女が作った料理の並べられた卓を挟んで向かい合っていた。彼女は終始機嫌よくこちらを眺めていたのだ。
 そして。
 一体、どうして、彼女は――……。
「一つ、訊きたいことが、あるんですけど」
 給仕の娘が一礼して去った頃合を見計らって、ダイは口を開いた。今アルヴィナに付き合ってこの席に着いている理由を、思い出したからだった。
「私に先に質問させて」
 アルヴィナが仕草でダイを押し留める。続けて彼女は、酷く真剣な声音でダイに問うた。
「ダイ、あなた、いつからそうなの?」
 アルヴィナの質問は、曖昧である。
「……いつ、から?」
 意味を探るべく問い返す。
「うん」
 アルヴィナは両腕を卓に付き指先を組み合わせ、質問を言い換えた。
「あなた、いつから、身体が成長していないの?」
 今度こそ。
 ダイは身体を強張らせ、アルヴィナを凝視した。
「あなた、十五歳ぐらい、よね? でもその身体は多分十歳かそこらから成長が止まっている。違う?」
 彼女の家に、泊まった日。
 年齢は一度たりとも話題に上らなかった。
 にもかかわらず、アルヴィナは確信を込めてダイに囁いてくる。
 何故、お前の身体は、子供のままなのだと。
「……なんでそう思うんですか?」
「勘。腕のいい魔術師は、勘もいいのよ」
 アルヴィナは組まれた指先を唇に当てて、薔薇色の唇を三日月の形に歪めた。その微笑に初めて、得体の知れなさを覚える。
「とぼけてもいい。でも、私は誰にも言うつもりはない」
 己の考えが間違っているなどと、微塵も思わぬ発言。常識で考えれば、人の身体の成長が止まるなどと、ありえぬ考えだろうに。
「……そうです」
 嘆息を零し、ダイはアルヴィナの言葉を肯定した。
「私の身体、アルヴィーが言うように、十過ぎた頃から止まってます。背は伸びないし、何をしても肉が付かない」
 独白のように呻いて、ダイは自らの身体を見下ろした。非力なままの薄い身体。かといって全くの子供でもない。大人への階段に足の先を踏み入れ、そのまま止まってしまった身体だ。
 母が死んだ、その日から、時を止めた身体。
 ――……この身体故に、自分は花街を出なければならなかった。
「可哀相に」
 アルヴィナが痛ましげに目を細める。
「本来あるべき形から歪められてしまうのは、とても辛いでしょう」
「そんなことないです」
 反射的に、ダイはアルヴィナの言葉を否定していた。
「……助けてくれる人が、たくさんいましたから。私は、不幸じゃないです」
「辛いことと不幸は、必ずしも同じではないのよ。……どう思うかは、あなた次第だけど」
「……お風呂場で、貴女が取り違えずに用意したのも、魔術師の勘、なんですか?」
 籠の中に入っていたもの。
 本来ならば、そこにあるべきではなかった。
 アルヴィナは答えない。ただ、ダイの苦渋に苦笑を零すだけだ。
「ねぇダイ。あなたはその身体のことを、隠しているんでしょう? ヒースもわかっていないのよね?」
「……みたいですね」
「何か相談したいことがあるときは、それを使って」
 アルヴィナに示された招力石を見つめる。青い輝石は陽光を受けて穏やかな光を放っている。
「使い方が、わかりません」
「もちろん教えるわ」
 気安く請け負ったアルヴィナは、神妙に言葉を続けた。
「ダイ、私、あなたへの同情だけでこれを渡すわけじゃないのよ。事情を知らない人間からの安っぽい同情なんて、あなたも真っ平でしょう?」
「じゃぁ、何で」
「最初に言った通りなのよ。あなたが暇なとき、また、お茶できれば嬉しいなって、それだけ。……あなたの身体のことを確認したのは、余計な気負いは要らないってことなの。……それとも、逆に警戒させてしまったかしらね」
 人の機微に疎いと、よく言われるのだと、アルヴィナが苦い微笑に眉を寄せる。その表情は、彼女が軽々しい意味合いでこちらの事情に踏み込んだわけではないことを示していた。真実を知っているのだと明かしたことは、彼女なりのダイに対する労わりなのだろう。
 ダイは卓の上で煌いていた招力石を取り上げ、そっと胸に押し戴いた。
「ありがとうございます」
 アルヴィナが、安堵にも似た吐息を漏らして破顔する。
「いいえ。こちらこそ。……それじゃあ食べましょう。せっかくのお茶、冷めちゃったかしら」
「アルヴィー」
 縁に湯気の名残を残す茶器を取り上げ、口付けるアルヴィナを呼び止める。怪訝そうに瞬くアルヴィナに、ダイはこれが最後、と、質問を口にした。
「アルヴィーは、あまり人に関りたくない、んですよね?」
 荒野の最中に、隠れ忍ぶようにしてある彼女の家。来訪者もいない。偶然が重ならなければ、自分たちは彼女の家を訪れることなどなかった。
 人の目から逃れるようにしてある女の生は、世捨て人のそれ、そのものだ。
「なのに、どうして、私と?」
 関わりを持とうと、するのか。
 かちりと、陶器の触れ合う音が響く。アルヴィナが茶器を皿の上に戻した音だった。
 半分ほど減った紅茶の水面に広がる波紋。それを見つめる魔術師の亜麻色の瞳に、影が宿る。
「似ていたから、かしら」
 自嘲にも似た響きを宿らせて、アルヴィナが答える。
 自問にも似た答え。
「あぁ、それとも」
 歪みに喘ぐもの特有の孤独感を宿して、アルヴィナの声はか細く喧騒に紛れ響いた。
「飽いていたから、かしら――……」


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