BACK/TOP/NEXT

第六章 微睡む王母 4


 騒動の翌朝。
 淡い光の射しこむ寝室で、薬湯茶をすすりながら、マリアージュが息を吐く。
「仲良くするつもりなんて、本当にあるのかしら」
「サイアリーズ宰相に? あるんじゃないですか?」
 湯加減を確かめていたダイは、たらいから手を引いて述べた。
「あそこまで断言するんだから、仲良くはしてくれますよ」
 商工協会への宣誓の正否はともかく、デルリゲイリアが敵に回る可能性を示唆した途端に、サイアリーズは態度を変えた。そして改めて敵にならぬと宣言した。少なくとも、表向きは。
「わかったことに悩んでたら肌が荒れちゃいますよ、陛下」
「……わ、た、し、の、目下の苛立ちは全部あんたが原因なんだけど!?」
 マリアージュが座ったままダイの片頬をつねり上げる。ダイはその手を引き剥がしにかかりながら訴えた。
「まりあーじゅさま、いひゃいいひゃいいひゃい」
「反省なさいよ!」
 ユマがこの場にいれば諌めてくれるだろうが、今朝の当番の女官は気性の大人しいリノである。彼女は困った笑顔をダイに向けたきりで、肌の手入れ道具を黙々と卓に並べていた。
 リノに期待した役割は文官の男が代わりに担った。
「自分もセトラ殿の意見に賛成です、陛下」
「モーリス、理由は?」
「カレスティア卿はこちらを味方として取り込みたいように見えました。ペルフィリアに対する共闘、という言葉は、嘘ではないのかと」
 この壮年の文官は、クラン・ハイヴまで旅したときからマリアージュに付き従っている。前回に引き続いて今回と、二回も旅の采配を任されるだけあって、観察の目は鋭い。
 それよりも、陛下、と、モーリスが進言する。
「こちらと対等に付き合いたいと、ゼムナムに思わせる方策を、考えたほうがよろしいかと思われます」
 現在デルリゲイリアの扱いに対する決定権はゼムナムにある。昨夜のサイアリーズの態度はそれをダイたちに痛感させた。
 モーリスは続けていくつかの報告を口にした。
 館のすべての部屋を整え終わったこと。手の空いているものたちで館の敷地を調査していること、など。
 そしてマリアージュの午後の予定を述べて、彼は部屋を去った。
 マリアージュがリノに茶器を渡して長椅子に横になる。
「……対等に付き合いたいって思わせるような方策、ねぇ……」
 しばらく無言で天井を眺めていた彼女は、はっと、鼻で嗤ってモーリスの言葉を反芻した。
「それが簡単に思いつけば、苦労しないわよ」
「でも、モーリスさんの言う通り、考えておかなきゃいけないでしょうね。大陸会議でもうちの国の扱い、そんなによくなさそうですし」
 ダイは正直な感想を述べた。
 マリアージュの頭上に椅子を引き寄せて腰掛け、彼女の髪を手入れの邪魔にならぬよう軽く編む。次に衣服の襟元をくつろげた。リノが心得た様子でマリアージュの襟元に汚れ除けの布を広げていく。
 香り高い精油を手に取り、ダイは主君に一声かけた。
「始めますよ」
 応答の代わりにマリアージュが目を閉じる。ダイは微笑んで彼女の首筋と顔に精油を塗り延ばした。
 鎖骨の周辺をゆっくりと擦って浮腫みをとる。続けて首筋の凝りを解していく。
 耳の裏、耳の横、目の下、こめかみ、眉上。要所を指圧しては、顔の筋肉を摘まみ、揺らし、ときに擦る。一定の手順に従って丹念に。血のめぐりが改善され、体温の上昇に従って、精油の香りがほのかに漂った。
 ひさびさに肌の手入れに時間を長く確保できた。次はいつ時間がとれるか。
(骨休めしている暇なんてない)
 そのつもりで小スカナジアに自分たちを送り出したロディマスには悪いが。
 サイアリーズには早々に会えてよかったと、ダイは思っている。
 小スカナジアは戦場だった。
 剣を手に弓引き、魔術を行使するものではなく。
 弁舌と頭脳を駆使する権謀術数という名の戦場。
 大陸会議のお題目は一点。今後の大陸内の方向性について。
 魔の公国メイゼンブルが滅びて、大陸は混迷の一途を辿っている。
 このまま聖女シンシアが生きて大陸中を駆けた暗黒の時代まで墜ちるか。
 それとも生き残っている国同士が手を取り合って踏みとどまるか。
 後者を狙ってこの会議は発足した。
 発起国はクラン・ハイヴだ。休戦状態にあるペルフィリアを牽制する意味もあるのだろう。
 参加国は各々の主張を持っている。デルリゲイリアの狙いは、かねてよりクラン・ハイヴを含む周辺に呼びかけていた、流民問題の解決である。が、今年の初めに訪ねた折に見た市長たちの反応は、はかばかしいものではなかった。ペルフィリアが関心を持っているかはわからない。ドッペルガムはセイスの言葉から流民問題に注視しているようだった。しかし別れ際の会話を思い返すかぎり、穏便に話し合えるとは思えなかった。政治に私情は挟むべきではないが、互いに人間である以上、好感度は万事の円滑さを左右する。
 加えて、デルリゲイリアの発言権は低い、だろう。残念ながら。
「わたしたちは……どこまで戦えるかしらね……」
 ダイの心中を読んだかのようにマリアージュがささやく。
 ダイは手を止めて主君を見た。彼女は一見すると微睡みのなかにいるようでいて、その実、瞼に半分隠された胡桃色の双眸で鋭く虚空を睨んでいた。
 大陸会議は八か国。そのうちゼムナムとペルフィリアが二強。クラン・ハイヴは会議の提唱国として発言権がある。ドッペルガムは小国だが大陸内で唯一の招力石産出国だ。注目度は高い。
 ドンファン、ゼクスト、ファーリルの三か国とは、付き合いが薄い。大陸南西部沿岸部を領土とするこの国々は、ゼムナムと友好な関係を築いて安定しているようだ。
 参加国の中でデルリゲイリアの分は非常に悪いように思える。
 ダイ以上にマリアージュがそれを承知している。
「……ゼムナムのことは、よい演習として捉えましょう、陛下」
ダイはマリアージュを力づけるように告げた。
「壁の修復だってあります。しばらくゼムナムとは付き合わなきゃいけないわけです。カレスティア宰相にお手本を見せていただきましょう。どんなふうに、振る舞えばよいのか」
 サイアリーズのお手並みを拝見させてもらおう。
 ダイの提案にマリアージュが眉間に深くしわを刻む。
「……あんたのその変に前向きなところ見習いたいわ」
「珍しくマリアージュさまから褒められた!」
「褒めてないわよ。楽観的でいいわねって貶してんのよ。仕事なさいよ」
 止まっていたダイの手の甲を軽く叩き、マリアージュが再び瞼を閉じる。
「……本当に気を付けなさいよ」
「もちろんです。いつも気を付けてはいるつもりです」
「つもりじゃ意味ないの実行なさい。まったく」
 マリアージュが苦々しく毒づく。
「あんたにまで、いなくなられたら、たまったもんじゃないのよ……」
 ため息交じりに吐かれた、消え入りそうなほどか細い言葉。
 ダイは目を見開き、大丈夫ですよ、と、微笑んで告げた。
「私は、お傍におります、陛下」


 マリアージュに化粧を施して別れ、ダイは遅めの朝食を食堂でとった。自室で道具の手入れを済ませてからは、女官たちと小会議だ。オズワルド商会を筆頭とした商人たちから仕入れた、ゼムナム流行の衣装や装飾品、化粧についての情報をもとに、マリアージュが明日以降に身に着けるものを決めていく。
 昼は文官たちと取った。昨晩の顛末を話さなくてはならなかったし、今後のゼムナムに対する方針も定めなくては。サイアリーズ・カレスティア宰相は敵ではない。が、味方でもない。その点を重々に留意すること。彼女の伯父であるヘラルド・アバスカル一派には気を払うこと。
 しばらくはゼムナムに注力するだろうが、小スカナジアに到着してくる参加国や団体を見逃さぬこと、等々。
 軽食を交えた話し合いを慌ただしく終えて、マリアージュの化粧と衣装を直しに向かい、彼女をゼムナムの館へと送り出した。付き添いはモーリスとユマとアッセを含む護衛の騎士たち。茶菓を挟んでの気軽な懇談。夜には戻る予定である。
 衣装の片づけを手伝い、化粧品類の欠けを補充。
 勧められた焼き菓子をひとつ摘まんで、騎士の詰所で警備の再編の詳細を耳に入れ、次は魔術師たちの様子を見に庭へ。
「団長が目を離すなっていった理由が最近ようやっとわかってきたよ、俺は」
 ダイと並行して歩くランディが言った。彼はアッセがダイに付けた騎士のひとりだ。年はダイと同じでそのせいか気安い。
「ここに到着して早々、ゼムナムに乗り込むなんて恐れ入るよ」
「別に乗り込んだわけじゃないですし。それにアッセも一緒でした」
「彼がいても問題が頻出するっていうことは、僕たちにはもう打つ手なしですね」
 呆れた声音で述べる騎士はユベール。アッセと同年。彼とランディのふたりが、本日のダイの見張り役だ。
 いつもならダイの護衛に就く騎士はひとりだけだ。が、今日はふたりがかり。どれほど信用がないかわかるというものである。
(仕方がないですけどね……)
 これから向かう先にいる魔術師たちはデルリゲイリアの者たちだけではない。ゼムナムの者もいる。警戒するに越したことはなかった。
 林を横断する道を通り抜け、銀樹の群生する場所に赴く。
 デルリゲイリアとゼムナム。二国が借り受ける館それぞれの敷地を隔てると思しき位置に、双方の魔術師たちは輪になって集まっていた。
 彼らに歩み寄りながら、ダイは銀樹を観察した。昨日は夕刻だった。夕暮れ時の薄暗がりの中で銀樹は神々しく輝いていた。
 今は昼下がり。
 陽光の下で目にする銀樹はやはり、美しかった。
 折り重なった銀色の葉が紗幕のように煌めく。陽光に透ける枝ぶりは玻璃細工のように繊細だ。異様な樹木。大勢の生活を支えている招力石の原木。
 改めて観察すると銀樹の数本は朽ちかけた壁に憑りつく形で根を張っている。突き出た一本の太い枝――いや、根が、地面に突き立ち、その大きく傾いだ幹を支えていた。人間でいえば片脚を掛けて壁をよじ登る途中で制止しているかのような。
 通常の樹木はあのような根の張り方はしない。銀樹はやはり特殊なのだ。
 ダイが銀樹を観察しながら近づくあいだに魔術師たちの輪は解けていた。持ち場へと散り散りになる魔術師たちの中にアルヴィナの姿がある。彼女はダイの姿を認めると、笑顔で手招いた。
「お疲れ様です、アルヴィー。作業の進みはどうですか?」
 歩みよりながら尋ねたダイにアルヴィナがほかの魔術師たちを振り返る。
「敷地の線引きぐらいは今日明日中にどうにかなりそうよぉ」
「やっぱり、鉄線を張るんですか?」
「うん。ただし、銀製のね。そっちのほうが魔術と馴染みやすいし」
 アルヴィナいわく、銀樹の侵蝕を受けていない壁と壁の間に銀線を渡し、それに沿って警報の術を仕掛けるそうだ。
 相手の侵入を阻み切るような術は設置しない。扱える魔術師がアルヴィナのみだからだ。
 彼女の実力はゼムナム側には伏せておくよう命ぜられている。
「ユベールくんたちにこの辺りの巡回をお願いすると思うのね。アッセくんへのお話しは、またあるとは思うけど」
「ゼムナム側からもいまごろ陛下たちに通達されている頃でしょう」
 ユベールがゼムナムの館の方角を振り返って述べる。そちらではマリアージュがサイアリーズと接見中だ。
「アルヴィーは作業しないんですか?」
 ほかの魔術師たちと異なって、持ち場に戻る気配がアルヴィナにはいっこうに見られない。
 ダイが怪訝に思って問いかけると、アルヴィナは薄く笑って言った。
「少し、気になることがあってねぇ」
「気になること?」
 ダイに首肯したアルヴィナが唐突に歩き出す。置き去りにされたダイは、護衛たちと顔を見合わせてから、アルヴィナの後を追った。
 アルヴィナは壁の前で止まった。銀樹の侵蝕を受けていないきれいな壁だ。
 アルヴィナがその場に屈み込んで壁の根元を覗きこむ。ダイもアルヴィナの傍らに腰を落とした。
「ダイ、覚えてる? 昨日、私が陣を展開したの」
「覚えてますよ」
 昨夕に外壁の調査をしていたときだ。アルヴィナがこともなげに魔術の陣を現出させてアッセを驚かせていた。
 アルヴィナが独白のように述べる。
「広い範囲を長いあいだ術の支配下に置くのなら、一定の間隔ごと術式を配置しなきゃならないの。魔術の基本」
 あるいは巨大な陣を敷いてしまうか。
 館の敷地を区切る結界は前者だ。壁に沿って等間隔に刻まれた陣によって発動していたという。
「だけどねぇ……。ココ、壁はあるのに、あるべき術式が刻まれてないのよね」
「銀樹に吸収されたわけではなく?」
「銀樹は魔力を吸うだけよ。壁は維持するための魔力が吸い取られてしまったから崩壊しただけ。ここには壁があるのに陣がない。どこにも見当たらない」
「……つまり?」
 ダイの追求にアルヴィナが薄い笑みをくちびるに刷く。
「これは偽物の壁。元々あった壁じゃない」
 だからこの壁は原型を留めている、と、アルヴィナは告げた。
「ねぇ、ダイ。昨日もおかしいと思わなかった? 銀樹はこの壁の周辺にしか生えていないわ。ダイは銀樹の真ん中でゼムナムの兵に囲まれたって言ってた。なのにどうしてゼムナムの兵は、背後からも現れたのかしら」
 指摘を理解しきれずにいるダイに、アルヴィナがさらにかみ砕いて言う。
「普通は行く先を阻むだけじゃない?」
「領域侵犯はあちらが先」
 ダイの呟きにアルヴィナが微笑んだ。
「そゆこと」
 下手をするとダイとアッセは、デルリゲイリア側の敷地でゼムナムの兵に捕えられた可能性がある。
 そもそも昨夕、ダイがひとり駆け出した理由も、見覚えのない子どもを目撃したからなのだ。
(あの子は……だれだったんだろう)
 風貌からしてゼムナム側の人間に見えた。
 金色の瞳が印象的な、年端もいかぬ幼い子。性別はわからない。
 身なりも悪くなかった。いっとき捕えたアッセに無礼と叫んでいたから、それなりの位にあるはずだ。が、仮にゼムナム側の子どもだったとして、サイアリーズが、小スカナジアまで連れてくるだろうか。
 黙考するダイの横で騎士たちが疑問を口にする。
「要するに、ゼムナムは我々をはめたと?」
「んー、断定するのは早いと思うの」
 アルヴィナがダイの背後に視線を走らせる。そちらではデルリゲイリアとゼムナム、両国の魔術師たちが銀線を渡す準備を整えている。
「でもこのままだと偽物の壁を基準に敷地が区切られちゃうし。……色々と面白くないよねぇ」
 アルヴィナがダイに向き直る。
 稀代の魔術師の目は悪戯を思いついたときの煌めきを宿していた。
「たまにはこっちから仕掛けてみましょっか」
 面白いものが釣れるかも、と、彼女は楽しげに笑った。


「ご足労いただき恐縮です、マリアージュ女王」
 昨晩と同じ広間。同じ位置取り。
 杖を従者の男――イスウィルと言ったか――に預け、サイアリーズが言った。
「本来ならわたくしが御元に参じるべきですのに」
「気になさる必要はありません。館の支度がカレスティア宰相をお迎えするに充分でないだけです」
 謙遜ではない。
 ダイとアッセがゼムナムに捕縛されるという騒動の影響で、館の支度に遅れが出ている。
 ひと通りの整頓は終わったと聞いている。けれども客人を招くには不安が残った。
「明日にはお招きできましょう――お望みであれば」
「よろこんで」
 社交辞令の挨拶を交わし終え、銀樹によって崩壊している壁の話題に移る。今日明日中にはかりそめの線引きを終えるそうだ。敷地を跨げば警報がけたたましく鳴るかたちとするらしい。ただし敷地を渡ること自体は不可能ではない。兵を巡回させますとサイアリーズは言った。デルリゲイリア側もそうなるだろうと、マリアージュは返した。
 ひとまずの懸念事項に解決の目途がつき、話題は次へ。
「あぁ、アーダムですか。……私が宰相となる以前に世話になった男でしてね」
 アーダム・オースルンドとの関係を問うたマリアージュに、サイアリーズはあっさりと答えた。
「ずいぶんと信用していらっしゃるようですのね」
「そうお見えになりますか?」
 えぇ、と、マリアージュは茶器を持ち上げながら首肯した。
「オースルンドは南部の商工協会の長だと聞きました。王室に出入りして然るべき身と思われます。にしても、内密に伝言を託けてわたくしの国に送り出すなら、それなりに関係深くなければなりませんでしょう」
「なるほど」
 マリアージュの考察にサイアリーズは納得に相槌を打った。
「……失礼とは存じますが、陛下は《朱の海嘯(かいしょう)》をご存知で?」
「……七……八年前だったかしら。内乱のことをおっしゃっているの?」
 大陸会議参加にあたって、さすがに参加国の歴史ぐらいは浚ってある。《朱の海嘯》はメイゼンブル崩壊後のゼムナムを襲ったもっとも大きな悲劇だ。
 当時の女王はメイゼンブル公家出の公子を夫に据えており、彼を頼った大勢の貴族たちがゼムナムに一気に流れ込んだ。それを端に発して派閥争いが勃発して王室は虐殺。貴族の大半がおよそ一年半にも及ぶ闘争に明け暮れた。
「我が家、カレスティアは王室に近しい古い血筋で、かの内乱時には早い段階で襲われました。私の脚もそのときに」
 サイアリーズが言葉を切って己の足を指差した。
「イスウィルの手を借りて辛うじて生き延びましたが、一年以上を逃げ回らなければならなかった。そのときに手を貸してくれた男が、アーダムです」
 ドッペルガムの建国に尽力したひとりであるアーダムは、南に下ってまもなく《朱の海嘯》に巻き込まれたらしい。彼は内乱の静定に乗り出したサイアリーズに力を貸し、その報酬として大型船を手に入れたようだった。
 そして貿易商を本業とする傍ら、サイアリーズの手足として働いているのだろう。
 マリアージュは茶の湯気ごしにサイアリーズを見た。溌剌とした女だ。目を離したすきにどこまでも歩き出してしまいそうな。けれども彼女の脚は歩行にすら難儀する。それが彼女の印象を歪にした。
「さぞやご苦労なさったかと思います」
 マリアージュの労いをサイアリーズは笑顔で流す。
「それほどでもありません。……いまのほうが、難題は山積みなのですよ」
「たとえば、ペルフィリアについて?」
 マリアージュは問いを投げかけた。何気ない風を装って。しかし逃げは許さぬという鋭さで。
 サイアリーズが笑みを深める。
「そうですね。……たとえば、ペルフィリアについて」
 マリアージュは気を引き締めた。
 自分は、昨日の話の続きを聞くためにここに来たのだ。


BACK/TOP/NEXT