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第六章 微睡む王母 3


 謁見の間として使用されていると思しき広間で、デルリゲイリアの面々はダイたちを待っていた。
 人数は計六人。マリアージュとアルヴィナ、ユマとアッセの麾下にある騎士ふたり、文官ひとりだ。
「ダイ……!」
「団長」
「アッセ様」
 ユマたちが安堵の表情で次々と声を上げる。ダイはアッセと連れだって彼女たちに駆け寄った。
「ユマまで来てくれたんですか?」
「心配したのよ! 元気そうでよかった……。アルヴィナさんに話を聞いてびっくりしたんだから」
「もうダイからお守りの類を外させたらだめねぇ」
 アルヴィナが苦笑いを浮かべた。遣い魔の代わりとなる防護の守りを、ダイは一時的に外していたのだ。
 アルヴィナとはぐれたとき、彼女はその場でダイとアッセの戻りを待っていたらしい。しかし一向に戻る気配がないことに焦れて様子を見に行き、うろつくゼムナムの兵たちの会話を盗み聞いて、事態を把握したのだという。
「ごめんね、ダイ。上手く助けられなくて」
「アルヴィーのせいじゃないですよ」
 己れの国の領地だと信じきって歩いていたら、あるべき壁が存在せず他国に入り込んでいた。予想外もいいところだ。いかな卓越した魔術師だとて、どうこうできるものではない。
 ダイはアルヴィナに気にしないでほしいと告げ、マリアージュの傍らに跪いた。
「陛下。ご迷惑をおかけいたしました」
 主君の反応の無さに不安を覚える。ダイは彼女の顔を覗きこんだ。
「……あの、マリアージュ様?」
 マリアージュがじろりとダイを睨む。とてつもなく――怒っている。
 うぇ、と、呻きながら、ダイは反射的に仰け反った。
「す、すみません、マリアージュさ……」
「ダイ」
「はい」
 マリアージュの声音が地を這うような低さである。ダイは頭を垂れながら冷や汗をかいた。正直、ゼムナムの兵に捕獲されていたとき以上に危機感を覚える。
 マリアージュがすっくと立ち上がる。彼女は冷気すら感じられる空気を醸し出してダイに告げた。
「厄介ごとを連れてくるのは、アンタの才能なのね……?」
「……いえ、ちがう、ちがうと、おもいたいん、ですけど……」
 ダイは視線を逸らしながら過去を振り返った。マリアージュの言葉を全否定したいが、それをできるだけの要素がない。常に嵐の中に突っ込んでいる。
「どうして……庭を散歩するだけでゼムナムの兵に捕獲されるの?」
「ほんとうですね……」
「本当ですねじゃないわよ! このお馬鹿! 何度! それで! 死にかけてると思ってんのよっ!!」
「ああああぁあ! すみませんすみませんごめんなさいっ!!」
 ダイは頭を抱えてマリアージュに全力で謝罪した。
 マリアージュが椅子にどすりと座ってこめかみを抑える。
「……次、こんなことがあるようだったら殴り倒すわよ」
「わりといつも叩かれているような気もしますが……あっ、すみません、はい、気を付けます」
「本当にわかっているんでしょうね……」
 マリアージュが長い息を吐く。
 主君の疲れ切った顔にダイは罪悪感を覚えた。彼女に心配をかけたことに変わりはないのだ。
 静まり返った部屋にくすくすと女の笑い声が響く。その声量は次第に大きさを増した。ダイたちは振り返った。部屋の入口にイスウィルの腕に縋りついて笑い崩れるサイアリーズがいた。
「あっはははははっ、いや、申し訳ない、けどっ、おかしくて……あははははっ。仲がよろしいのだな、あなたがたは……っははははは!」
「……だれ?」
「ゼムナムの宰相閣下です」
 ダイはマリアージュへ手短に状況を述べた。ゼムナムの兵に捕縛されたのち、サイアリーズが《密談の約束》を利用して、ダイたちを助け出したこと。商工協会への制約により、ダイたちと敵対することはできないこと。
 護衛ひとりを付けてダイたちをマリアージュたちの下に送り出したサイアリーズは、着替えていたようだ。男装には変わりないものの、先とは違って黒みを帯びた濃い紫の上着を纏っている。その生地には同色の糸で、碇に似た剣に尾を巻き付けた蜥蜴が縫い取られていた――ゼムナムの、国章だ。
 サイアリーズの立場を衣装で知り、ユマたちがさっと居住まいを正す。
 サイアリーズはイスウィルに付き添われ、杖を突きながらダイたちの元まで来た。彼女は側近に手を借りたまま一礼した。
「サイアリーズ・カレスティアと申します。このような形で失礼を。お見苦しいやもしれませんが」
 かまいません、と、マリアージュはそっけなく告げる。
「マリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリアです。私の化粧師と騎士が世話になりました」
「さっそくですが、事情の説明を。……問題は早く解決するに限ります」
 挨拶もそこそこにサイアリーズが本題に入ろうと試みる。
「えぇ、望むところです」
 マリアージュが手を振って文官を呼び寄せる。騎士たちが護衛の配置に就いた。ダイもマリアージュに促されて彼女の隣に座す。
 対面の長椅子にサイアリーズが腰掛け、イスウィルが傍らに直立して寄り添う。
 知らぬ間に入室していた女官数名が、アッセの為にひとり掛けの椅子と、茶の支度を瞬く間に整えていった。
「こちらはゼムナムに貸し与えられた館の大まかな配置図です」
 サイアリーズが用紙を卓上に広げて言った。底辺が短い台形の敷地。その中央には館の位置を表すらしい四角形が並ぶ。詳細の伏せられたざっくりとした図である。
「この右側があなたがたの館で間違いありませんね。……お互いの敷地は術式を刻んだ壁で隔ててあります。が、ここの部分」
 サイアリーズが台形の右上に指で円を描いた。
「ここが崩落しています」
「崩落、というよりも、壁そのものがありませんでしたが……」
 ダイの指摘にサイアリーズが頷いた。
「吸収されたらしい。どうやら」
「吸収?」
「銀樹ね」
 口を出したのはアルヴィナだ。ダイは魔術師のひとりであるとアルヴィナをサイアリーズに紹介した。
 マリアージュがアルヴィナを振り返って問う。
「ねぇ、ぎんじゅって何なの?」
「銀樹は魔力を吸って成長する特殊な樹よ、陛下。紫の幹に銀の葉を持つ……」
「あぁ、あの樹ですか」
 ゼムナムの兵に捕縛されたとき、周囲に生えていた異様な樹木だ。それに思い至ってダイは声を上げた。
 アルヴィナが説明を続ける。
「銀樹は通常の養分を必要としない。地中や空気中の魔力を溜め込んで育つ、招力石の原材料」
「……あれが招力石の原木なのか」
 アッセが驚きを露わにして呟く。ダイも同様に驚いていた。招力石が特殊な樹を素材とすることは有名だ。しかし実際にその樹木を目にしたことは初めてである。
 マリアージュが怪訝そうに眉根を寄せる。
「その銀樹が、敷地に生えているということ? それと敷地の壁がなくなったことに何の関係があるっていうの?」
「銀樹は魔力のあるところほど生え、必要な分が枯渇すれば周囲に根を伸ばして探します」
 サイアリーズが答えた。
「銀樹の幼生が、吸収してしまったんですよ、壁を。……おそらく、魔術的な要素の多い素材で出来ていたのでしょうね」
「それで互いの敷地が繋がってしまった。……対策はどうするんですか?」
 縄でも張りますか、と、ダイはサイアリーズに尋ねた。
 館は大陸会議期間中の仮住まいにすぎない。壁を補修する義務はない。けれども仕切りがまったくなくては困りものだろう。線引きは必要だ。
「鉄線を張ろうと思っている。あと、結界めいたものを張れる魔術師がいれば助かるんだが……」
 サイアリーズがデルリゲイリアの一同を見渡す。ダイたちはアルヴィナを見る愚を犯さなかった。彼女の実力は安易に明かせない。
「……ゼムナムに、魔術師はおられないの?」
 マリアージュが静かに問いかける。サイアリーズは頷いた。
「結界までとなると、術者に確認が必要ですね」
「そう。……わたくしたちの方も確認が必要でしょう。そうね? アルヴィナ」
「現地を皆で視察しなければ、何ともいえませんねぇ」
 できればゼムナムの術者の皆様と一緒に。にこにこと笑ってアルヴィナが述べる。サイアリーズは思索を表情に過ぎらせたが、よろしいでしょう、と微笑んだ。
「術者たちを呼びますのでしばらくお待ちを」
「失礼ながら宰相閣下」
 アッセが挙手をして発言する。
「私とダイがゼムナム側に迷い込んでしまった理由はわかった。拘束されてしまったことも仕方がない。あの場では私たちが不審者だったのだから」
 逆の立場であればダイたちも見知らぬ人間を侵入者と決めつけて捕縛しただろう。そこまではよい。けれども、と、アッセが言い募る。
「なかなか開放されなかった理由は何だ? 宰相閣下は壁の一部が消失していると信じられた。が、私を取り調べした兵は私の主張に効く耳すら持たなかった」
「そうですね」
 ダイはアッセに同意を示した。先ほどからの疑問をサイアリーズに投げる。
「どうして私を助けるために、わざわざ、オースルンドさんの話を持ちださなくてはならなかったんですか? 私たちの証言が真実だとサイアが言えば、兵たちも私たちを解放したはずじゃないんですか?」
「それらの問いの答えが、オースルンドに伝言を託けた理由だ」
 ゼムナムの宰相は微かな自嘲らしきものを口元に刷いた。
「正直に申し上げよう。ゼムナムはいまふたつの派閥に分裂している」
 ダイは唖然となった。ほかの皆も同様だった。
「そんな国の内情を他国の人間にぶちまけていいのか、っていう顔をしていらっしゃるね、皆々さま」
 サイアリーズが愉快そうに笑う。
「もちろん、誰彼かまわず打ち明けるわけではない。あなたがただから。これに尽きる」
「さっきの質問に答えるための前提になっているから?」
 ダイが確認すると、サイアリーズは首を縦に振った。
「それもあるけれど、デルリゲイリアは敵に回らないと期待していてね」
 同大陸においてもっとも距離が離れており、かといってペルフィリアのように商売敵にはならない。政治的にも関わり合いが薄い。だからこそゼムナムの内政が分裂していることを知ったところで、損益のいずれもない、と、サイアリーズは解説した。
 ダイは呆れてサイアリーズの言葉を言い換える。
「つまりデルリゲイリアは毒にも薬にもならない、と」
「仲良くしたいな、ということだよ」
 曲解しないでほしい、と、サイアリーズは微笑んだ。
「先に申し上げた通り、ゼムナムはふたつの派閥に別れている。ひとつは私の派閥。もうひとつは伯父、ヘラルド・アバスカルの派閥。残念ながらこの派閥を介すと、兵たちの意思疎通も上手くいかずじまい」
「私とダイを捕えた兵はあなたの伯父上の側ということなのか」
「その通りだよ、テディウス殿。……伯父上の兵には融通が利かない。てっとり早くあなたがたの安全を確保するために、侵入者ではなくもともと会う約束をしていた、という建前はたいへん有効的で、利用させてもらった次第だ」
「それで……どうしてサイアリーズ宰相は、もともとわたくしたちに会いたかったのかしら?」
 マリアージュが再び疑問を口にする。
 静謐な声音だ。しかしそこに宿る押し殺された苛立ちをダイは気取った。
 サイアリーズが答える。
「詳しい事情は省きます。が、わたくしは早くにこの小スカナジアに来たかった。その理由を欲したのです」
 一方のヘラルドは、出来うるかぎり、サイアリーズをゼムナム国内に留め置きたかった。
「公式の使者を立てて会合を企画する程度では、伯父からの妨害は必至でした。ので、非公式のお誘いとさせていただいた次第です」
 秘密裡にことを運ぶにしても、近隣諸国に対して働きかければ、ヘラルドに感づかれてしまう。
 そこで政治的にも敵対する可能性の低いデルリゲイリアに白羽の矢を立てた。
 ようするに、デルリゲイリアはとばっちりを受けたのだ。
 マリアージュが堪えられないといわんばかりに眉間にしわを刻む。
「……あなたは、会合には応じなくてもよい、と、オースルンドに託けたようね」
「事実です。小スカナジア入りを果たせればどうとでもなると思っておりました。……が、ダイたちがこちらの領地に飛び込んできてくださったことは、わたくしにとって僥倖ですよ。おかげで伯父上にはわたくしの主張の幾何かは真実だ、と、わかっていただけたようですし。このようにデルリゲイリアの皆さまとも、お近づきになれたことですし、ね」
 サイアリーズがいけしゃあしゃあと言い放つ。
 なるほど。彼女はデルリゲイリアに敵対はしていない。
 けれども、駒のように利用することに躊躇いはない。あなたがたを使わせてもらった、と、公言することにも。
「……このようなかたちで私たちはあなたと接見するに至ったわ。サイアリーズ宰相」
 マリアージュが素の口調に戻っている。その目が昏い。
「でももしダイが迷い込まなかったら、どうするつもりだったの? 私たちはお茶でもてなして、ハイ、終わり、で済ませられると思ったのかしら」
 安く見られたものだ。マリアージュの怒りが見て取れる。
「茶菓子を摘まみながら歓談し、友好を深めることの何がいけないのでしょうか、陛下」
 サイアリーズは泰然としていた。
「社交とはおしなべてそういうものではありませんか。私には私の。デルリゲイリアの皆様におかれましては、ゼムナムと親しく誼を結ぶ機会を、会議の事前に得られるという。双方の利があることを提案することに、私はいささかの罪悪も持ち合わせませんよ」
 国力はデルリゲイリアよりゼムナムの方が上。大国にとって小国はおもねるべきものだ。
「……マリアージュ様、サイアリーズ宰相のおっしゃる通りです」
 ダイの発言にマリアージュが訝しげに目を細める。アッセを含むデルリゲイリアの官たちも驚きの目でダイを見た。
 ダイは皆の視線に素知らぬ顔でサイアリーズに微笑む。
「このように親しく会話できる機会は、そう持ち得るものではありません。それにお茶でもてなして終わり、だなんて。宰相閣下は事前にきちんと利を提案なさっていらっしゃった。……ペルフィリアに向けて、我が国と共闘したいと」
 サイアリーズがにこりと笑ってダイと同調した。
「そう。年々、国力を増すペルフィリアは、我が国にとって無視できない国。あなたがたにとっても脅威なのだろう? だからぜひとも情報交換を、と思ってね……」
「なるほど? ……けれどおかしいですね。共闘、だなんて――デルリゲイリアとペルフィリアは、争ってなどおりませんよ、宰相閣下」
「うん? だがあなたがたは――……」
 サイアリーズは発言の半ばで口を閉じた。
 ダイは笑みを深めて先の言葉を言い換える。
「デルリゲイリアとペルフィリアはよき隣国です」
 公式にはそのようになっている。
「ゼムナムの内部が分裂していると、かの国に伝えてあげることもできますよ」
 ペルフィリアほどの国ならその程度の情報は伝えられるまでもなく知り得ているだろうが。
 かの国の宰相は抜かりがない。
 彼は言った。
 呑みこまれたくないのなら、戦って、ねじ伏せなければならない。
 ただ使われるばかりの弱国であると思わせてはならない。
「……一年前の表敬訪問」
 サイアリーズの囁きにアッセたちがちいさく震える。
 マリアージュだけが膝の上に両手を重ねて静かに座している。
 サイアリーズが口角を上げた。
「いろいろと派手だったと小耳にはさんでいたけれど……私の早合点だったかな」
「昨日の敵が今日もそうであるとは限りません。同様に先の好ましさがのちまで続くかは相手次第」
「なるほど? 私を脅すか」
「仲良くしたいとおっしゃってくださったのは、あなたです。サイア」
 ゼムナムにはあるはずだ。デルリゲイリアにペルフィリアとの仲を深めてほしくない理由が。
 ペルフィリアは『共通の敵』であると、敢えて擦り込んでくる程度には。
 デルリゲイリアを《使う》だけなら、ゼムナムの敵に回ってもかまわない。
 サイアリーズはダイをしばし見つめ、唐突に膝を叩くと高らかに笑った。
「あっはっは! 申し訳なかった!」
 ダイはきょとんとゼムナムの宰相を見つめた。彼女は実に愉快そうに笑い続けている。
 デルリゲイリアの面々は揃って呆然とした面持ちだ。
 イスウィルが見かねた様子で肩を叩き、サイアリーズはようやく哄笑を収めた。
「いや……どうしてなかなか。うん、面白い」
「あなた……試したの?」
「いいえ、女王陛下。ですが、いまは国から取り寄せたい気分ですよ。デルリゲイリア建国年の葡萄酒を」
 酒の種類や産出年を相手の国の記念日に準えて給仕する。それは敬意を表することでもある。
 つまりデルリゲイリアの評価を上げたということだ。
 サイアリーズがマリアージュに告げる。
「お気持ちを害したことはお詫び申し上げましょう。改めて私は宣言いたします。私はあなたがたの敵とはならない。あなたがたに危害を加えない」
 彼女はダイを見て微笑んだ。
「隣人として仲良くしていただきたいな――……この、大陸会議が終わるまで」



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