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第六章 微睡む王母 1


 ごぼごぼと音を立てながら、水が排水溝に落ちていく。
 大理石の手水場から水滴以外のすべてがすっかり洗い流される。
 ディトラウトは口元を親指の縁で拭い、もたせ掛けていた身体を壁から離した。呼吸の乱れはない。胸の不快感も治まっている。設置された鏡に映る男の顔色は悪くない――目ばかりがひどく暗かった。
 ディトラウトは自嘲に嗤って手を洗い、手袋をはめなおした。
「……おっそいんだけど。踏み込もうと思ったよ」
 ディトラウトが手水場を出ると、待たせていたゼノが低く呻いた。彼の隣に控える侍女に使い終わった手巾を渡し、ディトラウトは半眼でゼノを見る。
「手ぐらいゆっくり洗わせろ。……そんなに長かったですかね」
「腹下してんのかって思うぐらいは。それともあれか。出ねぇのか」
 そりゃつらい、と、真面目くさった口調で話を進めるゼノをディトラウトは無視して歩き出した。
 ペルフィリア王城の深部は相変わらず閑散としているが、忙しない気配に満ちていた。ぱたぱた、こつこつ。密やかな足音が方々から聞こえる。君主たるセレネスティと宰相のディトラウト。主要の複数名が旧メイゼンブル公国領に向けて明朝にここを発つため、だれもが支度に追われているのだ。
 蜜色の陽光がとろりとしな垂れ落ちる廊下。開け放たれた窓から吹き込む潮風に、庭で綻ぶ薔薇のあまやかな香りが混じる。一年でもっとも気候のよい時季――……。
「やだよなぁ」
 ディトラウトの胸中を見透かしたかのようにゼノが毒づいた。
「今が一番いいときなのにさ。辛気臭いとこに行かなきゃならないなんて」
「そうひどいわけでもないでしょう。各国の要人を集めるのですから」
 クラン・ハイヴが起案した大陸会議。最終的には八か国が集うこととなった。
 発起国であるクラン・ハイヴは無論のこと。ドンファン、ゼクスト、ファーリルといった大陸西部沿岸の小国群。南を占めるゼムナム。中央の森を拠とするドッペルガム。そしてデルリゲイリアとペルフィリア。
 国の体裁を取らぬ共同体がほかに十一、参加する。聖女教会や元々は国だった流民の団体などだ。また、商工協会が傍聴者として入るという。各国の女王や宰相、《国章持ち》だけに留まらない。文官は複数人同席するし、護衛の騎士たちや世話役の女官、料理人などもいる。その受け入れには徹底した事前準備が必須だ。
 開催地に指定された小スカナジアは、旧公国の西端の山間を切り開いて造られた、かの国でも随一の静養地だった。
 現在はかの国の生き残りが往年を偲んで暮らしている。大陸会議の話が持ち上がってすぐ視察させた官いわく、メイゼンブルの繁栄と技術が随所に見受けられる、うつくしい館が連なっているという。
 しかしゼノの評価は辛辣だった。
「辛気臭いのには変わりないだろ。メイゼンブルのじじばばが、昔はよかっただの昔に帰りたいだの言いながら、住んでるとこなんてさ。……陛下の心身に障るぜ、絶対」
 やだやだ、とゼノが頭を振る。ディトラウトは胸中では同意しながらも無言を貫いた。いまさら言っても詮無いことだからだ。
 メイゼンブルが崩壊して以後、初となる大陸各国代表の会合。他の七か国が参加するなかで、ペルフィリア一国が辞退するという選択はなかった。
 何より大手を振って仇敵の地を歩ける機会を逃す手はない。
「そういえば聞いたか? ディータ。お隣さんは一足先にあっちへ向かったんだと」
「えぇ。報告は受けていますよ」
 ディトラウトはゼノに肯んじた。
 各国の代表は大陸会議が執り行われる期日までに、小スカナジア宮入りを果たせばよいとされている。デルリゲイリアの女王マリアージュは半月も前に国を発ったようだ。
 そして、彼女が片時も離さぬ《国章持ち》も。
 ディトラウトは微かに瞼を伏せた。
 月色の双眸でこちらを鋭く射る娘の姿が眼裏(まなうら)に像を結ぶ。
 ディトラウトは独りごちるように囁いた。
「順調なら、そろそろ向こうに、到着しているころでしょうね……」


「ちょっと、ダイ、こっちに来てみて」
 ダイが手水から戻ると、アルヴィナが振り返って手招いた。彼女と女官たち、そしてマリアージュが、居室の窓辺に集っている。ダイは首をかしげて彼女たちに歩み寄った。
 小スカナジアは小と頭についてはいても、敷地面積だけならばデルリゲイリア王都に匹敵する。山林に囲まれた盆地に大小さまざまな館が連なっている。大陸会議に参加する国や団体はそれぞれにあった規模の館を貸し与えられていた。滞在期間中はこの館が各国の領地扱いとなる。
 デルリゲイリアの館は五十ほどの部屋を備えた三階建てだ。会議の会場となる小スカナジア宮に近い一角に建つ。
 広い薔薇園と林を敷地に有する、ミズウィーリ家に似た風格の館には、昼をややまわった頃合いに到着した。マリアージュの居室にはその主室が割り当てられた。
 柱と床は木製。前日に先着した女官たちがよく磨き、国章が金で染め抜かれた薔薇色の絨毯が敷かれていて、それがまた壁に張られた布の暖色とよく合った。ダイが少し離れている間に家具類も整えられた居室は、デルリゲイリア王城の一室のようにくつろげる場所となっている。
 南西の壁一面に窓が等間隔で並んでいる。敢えて厚みに斑を出したらしき玻璃は乳白色で、南から射す強い陽を和らげて室内に招いている。マリアージュたちはその一枚を開け放し、顔を寄せ合いながら外を見ていた。
「外に何かあるんですか?」
「何っていうほどじゃあないわよ」
「もー、陛下は素直じゃないなぁ」
「うるさいわよ、アルヴィナ」
「見て、ダイ。いい景色よ」
 ユマがダイに場を譲る。ダイは窓枠に手を突いて促されるままに外を見た。
 光が、溢れる。
「わぁ……」
 小スカナジア。メイゼンブル公都スカナジアの深部、大スカナジアを模して建造されたという、貴族たちの街。
 薔薇石英の尖塔群と聖女像を戴く大聖堂を中心に、放射状に整然と並ぶ白い家々。壁や屋根に刻まれた魔術紋様が美しい縁取りのように輝く。路面はよく焼しめられた紅茶色の煉瓦。植込みの緑は濃く、それがまた街並みの白さを際立たせる。
 陽光を照り返して羽ばたく鳥が青空に舞い上がる花弁のようだ。
「……野ばらの花園みたいですね……」
 ダイの感想にアルヴィナが同意した。
「ホント。……でも実際にそうなのよ。スカナジアは野ばらの園に着想して造られたの」
「アルヴィナさん詳しいね」
 ユマの賞賛にアルヴィナが微笑んだ。
 ダイたちがデルリゲイリアを出立する間際に戻ってきたアルヴィナは当然のように一行に組み込まれた。騎士たちがどれほど警備を洗練させても、アルヴィナの魔術は依然として貴重だったし、ペルフィリアとドッペルガムが上位の魔術師を有している以上、対抗できる魔術師を連れて行かないはずはなかった。
 アルヴィナがきちんと着こんだ法衣の上からは《魔封じ》の様子はわからない。しかし逆に露出を極力控えた服装からあの禍々しい紋様が隙なく肌の上に描きこまれていることが窺えた。
 不老不死者として長いときを生きてきた様子の彼女。
 おそらく――メイゼンブルの魔術師だったのだ、と、ダイは思う。
 彼女の膨大な魔術の知識と卓越した技術は、亡き魔術大国にて培われたのではないかと。
「……だから、ねぇ、ダイ。お庭に少し出てみない?」
「え、私ですか?」
 唐突に誘いかけられて、ダイはアルヴィナを見た。アルヴィナは陽気に笑いながら、しかし少し困った顔をしていた。
「ダイってば、話を聞いてなかったのね?」
「すみません。……庭に出るんですか?」
「そ。ちょっと敷地を散策しましょ。どれぐらい広いか見ておきたいし……よろしいですか、陛下?」
「別にかまわないわよ」
 部屋の中央に設えられた長椅子に、いつの間にか座っていたマリアージュが、アルヴィナにあっさり許可を出す。
「今日ぐらいのんびり散歩したって罰は下らないわよ」
 女官から差し入れられた紅茶を受け取りながら、マリアージュは呟いた。
「……ここには早く、着いているんだから」
 大陸会議の開催自体は、半月以上も先のことだ。出席国の半数以上は小スカナジアに到着していないという。デルリゲイリアもロディマスを筆頭とした出席者の半数はまだ国に残っている。マリアージュとダイは先発したのだ。
 マリアージュは部屋で休むという。女官たちに彼女を任せ、屋敷の部屋を整えるため奔走する皆をしり目に、ダイはアルヴィナに連れられて館を出た。
「今日どころか、しばらくゆっくりしてたっていいと思うのよねぇ、私」
 庭を歩き始めて少しのち、アルヴィナが唐突に言った。彼女は植木の根元に屈み込んで、珍しい色の野ばらを観察している。
「私が留守のあいだダイも陛下も頑張ったんでしょ? お城だってある程度は落ち着いたんだから離れたんだもの。息抜きしたらいいのよ」
「そうかもしれませんけどね……」
 花の匂いをくんくん嗅ぐアルヴィナの隣に立ったまま、ダイは曖昧に応じた。
 マリアージュが社交に注力した効果もあってか、国の内政も円滑に動き始めていた。ダイの動きもそれに幾何か貢献したようだ。王城の文官女官騎士たちも元を辿れば、貴族の財産相続から漏れた子女たち、あるいは有能さから貴族の推薦を受けた市井の出である。貴族から安定した支持を取り付ければ、王城の空気からも自然とマリアージュへの叛意は削がれていった――マリアージュがロディマスに先んじて小スカナジアに来られた理由のひとつだ。
「気を抜くわけにはいかないですよ。先に来たのだって、別に観光するためっていうわけじゃないですし」
 アーダム・オースルンドのもたらしたゼムナム宰相からの密談の誘いは、ダイたちに大陸会議の前にも外交が可能であることを示した。デルリゲイリアにとって馴染みのない出席国もある。早めに現地入りをして情報を集めることは重要だったし、できれば各国の女王や冢宰、《国章持ち》とも接触を持つべきだと、ロディマスが判断した。
「そっかなぁ……?」
「遊びに来たわけじゃないが、アルヴィナには同感だ」
 アッセがアルヴィナの意見に同意を示した。
 館の敷地を巡ると報告したダイに彼は護衛として同行している。騎士の長として、警備の視察も兼ねているらしい。
 アッセが真面目な顔でダイを見下ろす。
「ロディマスが君と陛下を先に送り出したのは、政務から引き剥がす意味もあったはずだ。骨を休めることも重要だ。会議の準備に望むことはもちろん大切だが……。クラン・ハイヴから戻って以来、君はまったく休んでいなかっただろう?」
「そんなことないですけれど」
「そんなことはあった」
 アッセが深いため息を吐く。
「空いた時間は商人や貴族たちと顔を合わせ、踊りに護身術に作法に……夜は遅くまで勉強していたと聞く。さらに女官たちと陛下の肌の手入れや化粧をするのだ。君に付いて行った皆も感心していた。……だが、そのままでは身体を壊しかねない」
 真剣に説くその様子から、アッセがダイの身を心から案じてくれていることはよくわかった。ダイは笑って礼を述べた。
「ありがとうございます、アッセ」
 ルグロワの船上でダイが襲われて以降、アッセはダイが出かける先々の警備を、予め丹念に調べるようになった。さらには慎重に人選した数名の騎士を新たにダイの専属とした。彼らはダイの出自や仕事の内容を侮ることなく、ひとりの貴人として丁重に扱ってくれた。それもやはりアッセがよく言い含めていたからこそである。
 アッセの配慮があったからこそ、ダイは自由に動くことができた。ダイは彼に深く感謝している。
 けれどもアッセはダイが忠告を受け流したと感じたようだ。彼は歯がゆさらしきものを滲ませてさらに言い募る。
「本当に、ゆっくりしたらいいんだ。化粧を女官に任せたとしても、陛下はお叱りにならないだろう……?」
「アッセ、私は……」
「ハイ、減点げんてーん」
 猫のように伸びあがったアルヴィナが、手にしていた書類挟みでアッセの頬を叩いた。なめし革の書類挟みだ。あまりの早業にアッセも不意を突かれたのか。べちり、と音がする。
 苛立たしげに書類挟みを押し退けてアッセが呻く。
「何をする!?」
「言ったでしょお? 減点なの。ダイが心配なのはわかるけど、要らないことまでいわないの」
 アルヴィナがダイの腕に己のそれをするりと絡ませ歩き出す。ダイは半ば歩き出しながらアッセを振り返る。
「私は……マリアージュ様の化粧を誰かに任せて休むなんてことはしませんよ」
 しかし他者からみて休息が必要だという点は確かなのだろう。こんな風に散歩することも思えば久しぶりかもしれない。
 西日が視界に射し、ダイは面を上げた。
 乱立する木々の向こうに小スカナジアの街が見える。昼下がりに窓から眺めたときには白かった街並みが燃えるように紅い。思わず足を止めて見入った。
 真紅の薔薇が咲き誇るかのような光景。ダイはメイゼンブルの二つ名を思い出す――聖女の紅国。
「大スカナジアは海まで紅に染まって、それは美しかったの」
 アルヴィナが隣に並んで言った。アッセが不思議そうに問う。
「アルヴィナは、メイゼンブルで暮らしたことがあるのか?」
「遠い昔に」
 謳うようにアルヴィナは言う。
「血潮に染まってばかりだった聖女は紅の意味を変えようと言った。街は白に塗り染められ、紅に変わることは、今日も平和な一日が始まり、終わることを意味した」
 その一日が連続して永遠となることを祈願した都の名残がここにある。
 会議参加国に割り当てられた館は、小スカナジア宮を取り巻くかたちで、小高い斜面に建てられている。かつての覇者の面影を残す街並みを楽しめるか否かは国それぞれだろう。少なくとも自分はこの眺望を美しいと思えた。
 涼を含んだ風がさっと頬を撫でる。
 ダイは心地よさに目を細めた。ひさしぶりに、胸がすっとした。
 街だけではない。この館自体もメイゼンブルの技術や美意識の高さを多く匂わせるものだった。
 この館は長らく住まう者がいなかったという。が、荒れ果てた様子は微塵もみられない。注目すべきは屋敷を取り巻く広葉樹林だろう。数種類の木々は適度に間隔を空けて生えている。低木や花々はきちんと剪定されているかのように点在している。そしてときおり見られる、魔術文字の刻まれた石柱。
「この子が植物の生育を管理しているのねぇ」
 高さはダイの腰の位置。直径は拳ひとつ分。一見しただけでは花崗岩に見える。
「魔術の調整は必要ないんでしょうか?」
「した方がいいとは思うけど、今のところはうまく動いているわねぇ」
「門もそういえば魔術の鍵で開錠していたな……。この館では敷地のいたるところで魔術が働いているということか?」
 アッセが真剣な顔で思案する。
「アルヴィナ、壁を見たい」
「はぁいはい。どれぐらい広いのかしらねぇ、この林。ダイはもうちょっと歩いて大丈夫?」
 ダイは首肯した。
「平気ですよ」
 疲れは感じていない。むしろ身体を動かしたせいか気分がいい。長らく移動で馬車に閉じこもってばかりだったから。
 ダイたちはさらに林を歩き進めた。
 やがて街が見えなくなり、館も枝葉の天蓋越しに屋根が窺えるのみとなる。日も山の稜線に残照を残す頃合いとなって、ダイたちはようやっと敷地の端に行き当たった。金属製の網を細かに編んで造り上げられた外壁である。
「早く戻らないと怒られそうですね……」
 ダイは空を仰いで呟き、アルヴィナたちに向き直った。ふたりは表情を引き締めて外壁を調べている。
「これもやっぱり魔術が使われているわねぇ。でも、んー……あんまり動いていない、の、かしら」
「見たところあまり頑丈ではないようだが……。破られる可能性は?」
「いまのところ大丈夫だとは思うんだけど。何なのかしらこれ」
「どういった魔術が働いているんですか?」
「ちょっと待ってねぇ……あ、あった」
 アルヴィナが外壁の根元近くに彫り込まれた紋様を指でなぞる。刹那、彼女の周囲に魔術の陣が展開された。宙に浮かびながら燐光を散らす円陣。アッセがぎょっと目を剥く。
「な、なんだ!?」
「あぁ、アッセは初めて見るんですね……」
 ダイはアルヴィナの自宅やミズウィーリの屋敷で目にしたことがある。ほかの王宮魔術師たちはこのような術式の読み取り方をしないらしいので、アッセが驚いても無理はない。
「変な癖ついた術ねぇ……。えぇっと。とりあえず侵入者を阻む結界と、警報……それから、あぁ、これは駄目だわ動いていない」
「触っても大丈夫なのか?」
「内側からはね」
 アッセが外壁を軽く叩く。ダイも真似てそれに触れた。硬質だが、暖かくも冷たくもない。金属製かと思ったが違うようだ。
 外壁伝いに数歩進む。日は完全に落ち切ってしまったものの、林の奥はほのかに明るかった。魔術の照明でも設置されているのかもしれない。ただ、風が強まってきた。
 肌寒さに腕を擦ったダイは葉ずれの音が増した方を見遣り、驚愕に息を呑んだ。
「こ……ども?」
 低木の合間から、子どもがひとり、ダイたちを覗き見ている。
 年は片手の指を越すか否かといったところだ。ぱっつりと切った前髪の下で、大きな金色の瞳がまっすぐダイたちを見ている。
 その双眸と視線がかち合う。
 子どもが顔を青褪めさせて踵を返した。
 ダイは反射的に走り出した。
「ダイ!? どこ行くの!?」
「アッセ! アルヴィー! 一緒に来てください……子どもがいます!」
『こども!?』
 その間に子どもは林の奥へ駆け去っていく。
 しかしその足取りはそう早くなかった。拙い走りだという点に加えて、身に着けている衣装が豪奢なのだ。幾重もの透かし織りが足の動きに合わせてひるがえる。上着は細かな刺繍が入っていて、見るからに上等そうだ。
「ま、待って……!」
「止まるんだ!」
 さすがに息の切れ始めたダイをアッセが追い越していく。彼はみるみるうちに子どもとの距離を詰め、がっしとその襟首を掴み上げた。
「おとなしくしろ……!」
「……っ、はなせ! はなせっ!! ぶれいだぞ!!」
 手足をばたつかせて子どもがアッセに抵抗する。ダイは肩を上下させながらアッセに追いついた。
「だ、だれなんでしょう……?」
「わからない……」
 子どもを取り押さえたままアッセが頭を振る。ダイは呼吸を整えながら周囲を見回した。ずいぶんと奥まで来てしまった。
「とりあえずその子を連れて戻りましょう。もう遅いですし……――アッセ」
 ダイは声色を変えてアッセを呼んだ。アッセが訝しげにダイを振り返る。
「ダイ、どうし……」
 彼もまた気が付いたらしい。
 林の様相が一変していることに。
 これまで林で目にした木々はあくまで茶の幹と緑の葉を備えたものだった。しかし今ダイたちを取り巻く樹木は見慣れたものと違った。
 折り重なる淡い紫の外樹皮に覆われた幹。蜘蛛の巣のように広がる細い枝。その先に広がる銀色の葉。
 輪郭はほのかな光を孕んでいる。
「なんだ……これは……?」
「アッセ! 子どもが」
 異様な樹木に気を取られたアッセから子どもがすり抜ける。植木の影に飛び込んだ子どもを追いかけたダイは、差し向けられた鈍い光に踏鞴を踏んだ。
 がさりと植木を掻き分けて――数人の男たちが現れる。
 その手には弓が握られている。
「ダイ、後ろに」
「駄目です、アッセ。……塞がれました」
 背後に庇おうとするアッセにダイは呻いた。来た道を塞ぐように弓を引き絞る男たちが立った。
「両手を上げろ」
 男のひとりが前に進み出てダイたちに命じる。
 剣を佩いた騎士然とした男だ。右目を眼帯で塞いだ彼の背後には、あの子どもが隠れている。
「お前は剣を捨てろ。……三、二」
 アッセは剣を地面に置いた。
 用心深くアッセの動きを目で追っていた眼帯の男が、忌々しげに吐き捨てる。
「いったい……どこから入ってきた。侵入者め」


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