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77 あかい料理

 デルリゲイリアは寒い。
 マリアージュがそれを知ったのは、即位を経て、大陸の方々へ出かけるようになってからである。
 大陸会議のために訪れた小スカナジアで、うっすらと思っていたが、ペラギア――旧ペルフィリア東部の女王即位式に出席し、後年、アクセリナ女王即位十周年記念式典の来賓としてゼムナムに招かれ、マリアージュは改めて思い知った。
 デルリゲイリアは寒い。
 訳知り顔でロディマスが苦笑する。
「ゼムナムは特に暖かい土地だからねぇ」
「暖かいっていうか、もうむしろ暑いわよ」
 内海を下ってきたから余計にそう思う。近隣諸国の来賓を乗せてペルフィリア王都から出航した無補給線は、内海経由でゼムナムへ進路を採った。ペルフィリア自体は外海に面しているのでデルリゲイリアより寒いぐらいだが、内海に入ってからはどんどん気温が上がっていく。内海に突き出した土地を領土とするゼムナムは、もう暑いとしか言いようがない。
 初めこそは温暖な気候に気をよくしていたが、ゼムナムに到着するころには自国との気温差に負けていた。女官に扇で扇がれながら、マリアージュは長椅子にぐったりと体重を預ける。
 ゼムナムには明け方入国し、こうやって迎賓館に与えられた一室でロディマスとともに寛いでいるわけだが、重ね着した衣類が暑くて、昼食もいまひとつ進まなかった。旅の疲れも重なってかなり気怠い。
「今日の正餐も食べられる気がしないんだけど……」
「ゼムナム独特のものも出るだろうしねぇ」
 ロディマスの指摘通り、ゼムナムの料理は北方のものとかなり異なるらしい。ゼムナムは東大陸と非常に近く(実際、天候がよいと向こう岸が見えることもあるらしい)、南大陸とも商業経路が開けている。様々な穀物に果物、香辛料が手に入りやすいから、見た目も彩ゆたかで、味付けもしっかりしたものが多いと聞く。
 昼食は自国から連れた料理人がつくるので慣れた味だが、夜の新しいそれは――はたして。


「――……で、これがゼムナムで陛下が召し上がられたお料理ですか?」
「そうよ」
 ゼムナムへの旅を回想した主君は、にこにこ、何かたくらんでいる顔で、目の前の卓上に並べられた品々を前に、ダイの問いに頷いた。
「とっても、異国情緒あふれているでしょ」
 いこくじょうちょ。とてもよい響きである。確かにそうかもしれない。長い卓に並ぶ品々は、どれもこれもこの国では見かけないものばかりである。
 どこがどう違うのかと問われれば色々あるが、ゼムナムの料理をひと目みて特筆すべきはその色だろう。
 鮮やかである。
 ダイが化粧に使う色板もかくや。
 よくいえば彩り豊か。
 正直なところ、ドギツイ。
 なにせ、目が痛くなるような発色の良さである。絵の具を食べるのか、連想するのも致し方のないこと。
 特にダイの席に置かれた料理は、食え、と言わんばかりの無言の圧力を放っているが、色がなんというか、赤い。
 口紅を溶かしたのかと見間違う赤さだ。
 ダイはこめかみにすっと流れる冷や汗を感じつつ、上座の主君に尋ねた。
「えっ……と、これ、食べられる、ん、ですよね?」
「身体があたたまるわよ」
「本当に、食べられるものなんですよね!?」
 マリアージュはにこにこ笑っている。ダイは正直、こういう笑顔で上機嫌なときの彼女がわりと怖い。なにせ、夫があくどいことを企むときの顔にそっくりだし、夫の場合と違ってたいていマリアージュの戯れの対象は自分であるからして。
 口元を引きつらせるダイを見かねてか、同じく異国料理を前にしたロディマスが、大丈夫、食べ物だよ、と受けあってくれる。
 意を決して匙を握り、ダイは料理を口に運んだ。
 驚きに、目を瞠る。
(あれ、おいしい?)
 細切れにした野菜とよく炒めた細切れ肉に油が甘く絡み合って、食べ慣れないが悪くない香辛料の香りがつんと鼻に抜ける。香辛料の働きなのか、マリアージュが述べた通り、料理の滑り落ちた胃の腑から、身体がぽかぽかと温まり始める。
 これは、わるくないのでは。
 と、思えたのも、一瞬だった。
「ーーーーーーー!!!!!!!」
 猛烈な、筆舌にしがたいしびれが口内を襲った。口中を火傷したみたいだ。
 マリアージュがのんびり問う。
「どう? ぴりぴりするでしょ。辛いっていうんですって」
「かひゃひ!?」
 辛い感覚はダイも知っているが、これか辛い?
「寒い冬にはもってこいだって思って。見た目はびっくりするけど、なかなかじゃない? それであんたと食べようと思って、サイアにお土産に香辛料をたっくさんもらったわけ……ダイ?」
 案外、味付けがまったく違う異国の食事が口に合ったらしい。いや、ダイが思い通りの反応をしたから楽しいのか。ダイにはわからない。
 襲い来る辛味に半ば失神しかけたからである。


 後日、マリアージュはダイの夫にこっぴどく怒られ、香辛料は回収された。
 激辛色ゲバ料理を食べる機会はなくなったが――……。
 没収された香辛料は料理が趣味になりつつある彼の手で、一皿一皿の風味づけに使用され、毎日夫婦の食卓を豊かにするようになったのだった。