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76 無謀な挑戦

「えーっと、なんで私、こんなことしてるんですかね?」
 しゃこしゃこと焼き菓子の種をかき混ぜながらダイは自問した。
「えーお手伝いが欲しかったからぁ」
 のほほんと、アルヴィナが言う。彼女は竈の中を覗き込んでいた。
 女王選出も一ヶ月を切って誰もが多忙な最中、厨房の竈が壊れた。
 竈自体はすぐに修復されたが、術式を刻んだ部分が焼け焦げたらしく、再調整の為にアルヴィナがやってきた。
 そこまでは、いいのだが。
 アルヴィナに挨拶をするだけに留める予定だったダイは、何故か彼女に付き合って焼き菓子製作の助手を務めている。
「ほら、お料理教えてあげるねっていってたじゃなぁい?」
「いえ、今のこの時期に教えてもらわなくてもいいですよ」
「気分転換気分転換。あ、ダイ、次はそこに置いてあるお砂糖入れてね」
「はい」
 ダイは傍にあった玻璃製の壺から茶色の粉を匙ですくい、抱えている壺の中に放り込んだ。
「何杯入れればいいですか?」
「五杯」
「わかりました」
 いちにいさんしいご。
 数を数えながら粉を入れて、もう一度かき混ぜる。時々見つけた卵の殻をひょいひょいと抓んでは捨てた。割りいれるときに、粉々に砕けた殻が混ざってしまったことはアルヴィナに内緒である。
「じゃぁここに流しいれてね」
 混ぜ終えた種を指示に従って型に流す。
 余熱してあった竈で、じっくり焼くこと四半刻。
 


「見た目はいいのに」
 出来上がった焼き菓子を眺めながら、アルヴィナは溜息を吐いた。
 皿に載った焼き菓子は、芳しい香りを漂わせながら周囲のものを誘う。
 しかしうっかり手を出したが最後。
「……何をどうやったらこんな味になるんでしょうね……」
 匙をくわえたままげんなりとしながら、ダイが呻いた。
 自分が監督している以上、下手なものにはならぬはずと思ったのだが、実に謎である。
 決して食べられぬ味ではないが、美味しくない。甘さが全くない。時折、卵の破片らしき妙な歯ごたえがする。
「いきなり焼き菓子は無謀な挑戦だったかしら。今度は炒め物から入ってみる……?」
 うぅんとアルヴィナは唸った。ダイに料理をさせてみよう作戦は失敗だったようである。
「紅茶の淹れ方から始めて欲しいです」
 匙を置いて、ダイは言った。
「この間教えてあげたじゃなぁい?」
「あと十回は教えてもらわないと無理な気がしてきました」
「……大丈夫! 才能が全くなくっても、練習すれば紅茶ぐらいは」
「……やっぱり教えていただかなくていいですもう放っておいてください」
 はぁ、と肩を落として、ダイはよろよろ卓から離れた。
「すみませんがアルヴィー、私ちょっともう時間で。また今度ゆっくりお話してください」
「うん。もちろん。お付き合いさせてごめんね」
 いいえ、と首を横に振ったダイは、アルヴィナに微笑み返して食堂を出て行った。
 やはり、元気がない、と思う。
 ミズウィーリ家は忙しない空気で満ちていている。ダイの様子も多忙さ故の部分が大きいだろう。なにせ女王選は目の前なのだ。しかしそれだけならば、もう少し目が輝いていてもよいはずだ。祭りを前にしたものたち特有の熱狂が、ダイから感じられない。
 アルヴィナは頬杖を突いてぼんやり焼き菓子を見つめた。ダイに作らせるより、自分でなにか甘いものを用意して与えたほうがよかったか。
 失敗作を捨てようと席から立ち上がったアルヴィナは、部屋に差した影に瞬いた。
「ヒース?」
「竈の術式の修理ご苦労さまでした」
 現れた当主代行の男は、部屋に歩み寄ってくると抱えていた書籍の間から一枚の紙を引き抜いて、アルヴィナに差し出した。
「今日は急に呼び立ててすみませんでしたね。申し訳ないですがこちらに署名をお願いします」
「報酬の?」
「そうです」
 アルヴィナは卓の上に契約書を置いて、ざっと目を通した。修繕に対する報酬の保証がつらつらと記された契約書。大層な、とも思うが、いつ誰が仕事を負ったのか記録しておくことはミズウィーリ家にとっての決まりだ。この契約書もきちんと書庫に収められるのだろう。
 署名を終えてアルヴィナが顔を上げると、ヒースがじっと皿の上の焼き菓子を見下ろしていた。
「貴女が作ったんですか?」
「ううん。ダイよ。あ、怒らないでね。私が無理やりつき合わせたの」
「……ダイが自分の休憩をどう使おうと、私に関係ありませんよ」
 ミズウィーリ家に被害がない限りは。
 そう付け加えて、彼は匙を手に取り焼き菓子を口に入れた。止める間もなかった。
「あ、あーあー」
「……まずい」
「失敗作よって言おうとしたのに。捨てるつもりだったの」
「貴女、監督しなかったんですか?」
「したんだけどなぁ」
 材料も確認したし、入れる量も間違っていなかったはずだ――多分。
「……ヒース?」
「なんです?」
 もくもくと焼き菓子を切り分けて口に入れていく男に、アルヴィナは驚いて瞬いた。
「美味しいの?」
「まずいと私は言いましたが」
「じゃぁ何で食べてるの?」
「小腹が空いていたので、丁度貴女に署名してもらうついでに、厨房で何かをもらって帰ろうと思っていました。今からわざわざ寄るのも面倒なので」
「そう」
 かちん、と匙を空の皿に放り投げて、彼は書類を取り上げる。
「ありがとうございました。それではまた」
「えぇ」
 踵を返す青年の背に、アルヴィナは問い掛ける。
「ね。胃薬用意しようか?」
 足を止めて振り返ったヒースは、可笑しそうに笑った。
「そんなに酷いものなんですか? これ」
 ほんの僅かに覗かせた、どこかあどけなくもある年相応の青年の顔。
 しかしすぐに、人を従えるもののそれに塗り変わる。
 彼が退室し、閉じられた扉を見つめながら、アルヴィナは微笑んだ。
「素直じゃない子ね」