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Stage 8. ここは君の場所だから 5


「ねぇ隻兄」
 寺で借り受けた箒を手に少し先を真っ直ぐ歩く隻の背中に、遊は訊いた。
「お墓参りって、緑子さんの?」
 遊の頭に、他に墓参りするような人物は思い浮かばなかった。が、確か緑子の墓参りは、今年は真砂を誘って皆で行くのだと、いつか叶が話していたのに。ここで皆と待ち合わせかと首を傾げる。
「遊ちゃんのご両親のだよ」
 隻の回答は、無意識に遊が選択肢から除外していたものだった。
思わず、足が止まる。
「……お父さんたち、の?」
 遊の足音が止まったことを聞き取ったのか、隻は立ち止まった。呆然と立ち尽くす遊に柔らかく微笑みかけた隻は、遊の手首を取り再び歩き出した。
「どどど、どうや……え?え?お、おはかあるの?」
「いちおうここにあるのは磯鷲家代々の墓らしいけど……ユトちゃんは来たことがなかったの?」
「な、ないかな……」
 混乱しながら、遊は周囲を見回した。日の暮れた墓場は、ところどころに灯るオレンジ色の明かりに照らされている。全く暗いわけではないのだが、さすがに墓場以外の様相を確認するほど、その明度は十分ではない。もしかしたら物心付かぬころに来たことがあったのかもしれない。だが夜の暗がりに沈みかけた墓場は、この場所に来たことがあるという記憶を呼び起こしはしなかった。
「……お墓、あったんだ」
 両親が死んだ。
 その事実だけを告げられ、ろくろく顔を見る暇も何もなく、糸目の男に連れ去られ、最終的には妹尾家に落ち着いた。
 両親が、死んでいた。
 墓があるという事実は、今更ながらそのことを遊に実感させる。
 隻の手を振りほどいて、その手を遊は改めて握りなおした。
 じっとりと手を湿らせる汗。知らず知らずのうちに、隻の手を握る手のひらに力がこもる。その遊の行動を怪訝に思ったのか、隻が首を傾げた。
「……遊?」
 こちらを案じる色を彼の瞳に見た遊は、慌てて笑顔をつくろった。
「え、えとほら。私お父さんたちが一体どうなったのかとか、お葬式とかもしなかったし、なんか知らないうちにこっちきて慌しいままなんか生活してたから、えっと……」
どうなったのか。
 気になっていなかったわけではないけれど。
 両親が死んだということを、実は未だに現実として、きちんと認識できていなかった。
 考えないようにしていた。
 一度でもその事実について深く考えれば、永遠に抜け出ることができないような気がして。
 そうか。
 きちんと、土の下に眠っていたのか。
「……お墓、あったんだなぁって」
 ふと、隻の手が遊の髪に触れた。
「ごめん……」
「え?何で謝るんスカ!」
 泣き出しそうな隻の表情に、遊は驚愕の声をあげた。
「ユトちゃんが泣きそうな顔をしてたから、何か、傷つけたのかと」
「ちちち、違いますよっ。傷ついてなんかいないってば!ほらほら元気!」
 ばたばた手を振り回しつつ抗弁する。だが隻は疑惑の目を遊にむけたままだ。遊はため息をついて、いまだ握ったままの隻の手の平に力を込めた。
 傷つけないよう、柔らかく握り返してくる男の手。
「ありがとう隻兄」
 自分は墓参りもしていなかったのだ。
 状況が状況だったとはいえ、とても親不孝なことだったと思う。
 いや、多額の借金を残して死んだ親も親で相当子に対して不孝者だが。
 おそらく隻は、死に目にも会えなかった親に、会わせてくれようとしているのだ。
 遊は繰り返した。
「ありがとう」
「……どういたしまして」
 隻は微笑み、遊の手を再び引いた。
「さぁいこうか。もう夜遅いし。もっと早く遊園地を出ればよかったんだけど」
 歩き始める隻について歩きながら、遊は苦笑した。
「っていってもあれは私が悪いんすけどねー。流れるプールが面白すぎて」
「くるくる回りすぎなんだよユトちゃん……。凄いエキサイトしすぎで」
 くすくす笑う隻に、遊は口先を尖らせて反論を試みた。
「えーだってあれは」
「しっ」
 唐突に頭を押さえつけられ、他家の墓石の影に引き込まれる。遊は、何が何かわからないまま口元を押さえてくる隻を見上げた。
「ふ、もふふもふ?!(な、なんですか?!)」
「静かに」
 見上げた先の隻は、遊の頭および傍らの墓石越しに、通路の奥のほうを窺っていた。整然と並ぶ墓石。
 列最後の墓石の前に、人影が揺らめいている。
「……なんで、棗たちが?」
「へ?」
 暗がりで遊には判断が付かなかったのだが、確かに目を凝らしてみれば、通路奥の、しかしそう遠くない距離の墓石の前で、対峙していたのは棗と叶に違いなかった。二人は真剣な面持ちで言葉を交わしている。時に声を荒げ、時に抑揚を殺した声音で。内容は上手く聞き取れない。だが言い争っているわけではないようだった。
 頭上の隻は、渋面のままだ。何故彼女らの前に出て行かないのか、と彼に尋ねたくとも、口元をがっちりと手のひらで覆われていては、この状況に不満一つ零すことはできない。
 口元の手の平をどうにかすることはできないものかと奮闘していると、鮮明な棗の声が耳に届いた。
「ユトちゃんのご両親を殺したのは、ある意味、私達の家なのよ」


「おや」
 居間で買ってきたばかりの雑誌を流し読みしていると、背後から父親の声が響いた。
「音羽一人ですか?」
「めずらしいな集。この時間に帰ってくるなんて」
 戸口に立つ集は、いつも身につけている男組み羽織を綺麗に折りたたんでいる最中だった。いい年をして、下に身につけているスーツとのミスマッチをそろそろ考えればいいのに、と息子として思うが、決して口には出さない。
 集は、にこにこと、無言で先ほどの問いの答えを待っている。音羽は嘆息すると、開いていた雑誌をそのまま畳の上に伏せ置いた。
「全員どこかに出かけているらしい。帰ってきたとき俺ひとりだった。そろそろ腹が減ったんで、携帯にメールを送ってみたが、誰からも返事がこないところをみると、お取り込み中らしいな」
「ユトちゃんもですか?」
「あー遊は隻とどこかに出かけるといっていたな。今日は全員オフだし。何か用事でもあったのか?集」
「いえ。そういうわけではありませんが、お腹すきましたねぇ、と思いまして」
「許可があるなら、店屋物でも取るが。寿司がいい」
「……とる気満々ですね。いいですよ別に。特上でお願いします」
「ん」
 携帯電話は手元にあるが、こんな注文に小遣いから捻出している電話代を使用するのも馬鹿らしい。音羽は廊下にある電話を使うために、立ち上がった。集はいつの間にか台所に姿を消している。ばたんがたんという、やけに派手な冷蔵庫の開閉音に、一体何をしているのやらと眉をひそめつつ、電話の下の棚にしまわれているイエローページを引っ張り出した。インターネットが普及している今、使っている家は妹尾家ぐらいなものではないのだろうか。相当古いイエローページだが。
 人を撲殺できるのではないかと思える厚みの紙束は、夏の湿気からか、数ページごとにしっかりとくっついて、音羽は寿司屋の電話番号の捜索にかなりの苦戦を強いられることになった。
「あーそうでした音羽」
 集がひょい、と居間から顔を覗かせた。ようやく探し出したなじみある寿司屋の名前の下に記載された電話番号をまわしているときのことだった。
「なんだ?わさび抜きにするのか?」
「いえわさびは食べられますが普通に」
「やっぱり特上は困る?」
「それもたいして困りませんが。えっとですねぇ」
「……?」
 集の言葉の歯切れの悪さに、音羽は首を傾げ、一度受話器を置いた。ちゃ、というプラスチックの擦れる音。向き直った音羽に、集はにこりと微笑んだ。
「私の書斎、入りました?」
 一瞬。
 どう答えるべきか音羽は考えあぐねた。
 だが、この男に対して真実を黙っていたところで、何か得があるわけでもない。音羽は肩をすくめると、素直に頷き肯定を示した。
「真砂の住所がほしくてな」
「私に連絡をくれれば差し上げましたが」
「嘘こけ。何か教えろといってお前が今までタダで俺に何かを教えてくれたこと、一度でもあったか?」
「……そういえば、ありませんでしたねぇ」
 剣呑にそう返す父親の態度に、音羽はひとまず身を正して頭を下げた。彼の書斎に、無許可で入ったことには変わりない。
「あぁいいですよ別に」
 集は手を振りながら、さらりと言った。
「おかげでマナに貸しを作れたので。いやぁよきかなよきかな」
 どこから出したのやら、やけに達筆な文字で男組とかかれた扇子で身を扇ぎながら、からからと集は笑う。その道化のような様子に、呆れと、そして少しばかりの安堵を乗せて、音羽は吐息した。子供の自分ですら得体の知れない父から制裁を受ける。そのことは、たとえそれが想像であっても音羽の背筋を凍てつかせる。それを回避できたことは、誠に喜ばしいことだ。
 そう思いつつ、改めて電話に向き直った音羽は、図らずも父のその呟きを耳にした。
「では、音羽は知らないということですか」
 振り返る。
 認める。
 視線の先にある、薄く笑う父の姿。
「……何を?」
 音羽は、訝りながら眉をひそめた。
 集はいえいえ、といつも通り、食えない笑いを浮かべて鷹揚に扇子を振った。
「あ、ワタクシのお寿司はやっぱり山葵抜きでお願いいたします」
「……あぁ」
「では頼みましたよ」
 集はそのまま暑い暑いとぼやきつつ、洗面所へと踵を返す。しばしの間を置いて、シャワーの音が廊下に漏れ始めた。
 音羽は手にもったままの受話器を一度置いて、嘆息すると、今度こそ、探し出した寿司屋の番号を回した。
 何か起こったのだろうかという、胸の縁を過ぎる不安は、見ないふりをして。


「どういうこと?」
 思わず。
 呟きながら立ち上がっていた。
「……ユトちゃん?」
 棗が驚愕の眼差しで遊を見据える。遊の傍らでは、目元を押さえた隻が立ち尽くしている。棗の隣では、一体どういう反応をすべきか迷っている様子の、叶。
「……なんで、ユトちゃんがここにいるの?」
「私の両親のお墓らしいんで、いておかしくはないとは思うんだけど、ねーさん」
 胸を張って、遊は主張した。とはいえ、自分もこの場所をついさっきまで知らなかったのだ。なぜ棗がこの場所にくるに至ったのかはわからない。しかしこの状況が酷く不自然なものであることは判っていた。
 なぜか、自分よりも先に、棗や隻がこの場所を知っていて。
 そして棗はなぜか、自分の両親の死の秘密を握っている。
「そうだよ棗」
 遊の言葉を引き継ぐように、一歩前にでたのは隻だった。
「どうしてこの場所を知ってるんだ?」
「その言葉、そのままそっくり返すわオニイサマ」
 腕を組みなおした棗が、顔をしかめて隻に言い返す。押し黙る隻に、なおも言葉を浴びせかけようとしたのか口を開きかける棗を、制したのは叶だった。
「ちょ、ちょっとまって!」
 叶は遊にも負けぬ困惑の表情を浮かべて、棗と隻の間に割って入った。
「二人がユトちゃんのお墓の場所をどこでどうやって知ったのか、僕には知ったこっちゃないけどさ。大体何、ユトちゃんのご両親を僕らん家が殺したって。一体どういうことなのさ?!」
 叶が混乱の極みといわんばかりに声を張り上げる。周囲に人影がないことに遊は感謝した。墓地は静寂を纏い、暗がりを薄める橙の明かりに影を落とすのは、小蝿や蛾といった虫の類のみだった。
 彼の狼狽とは裏腹に、話の中心である遊は酷く冷静だった。叶に追求され、口ごもる棗と隻の姿がよく見えた。この二人が何故遊よりも先にこの場所を知っていたのか。それは今となってはどうでもよいし、隻が自分をこの場所に連れてきてくれたのも、棗が遊にこの場所について漏らさなかったのも、両方が遊に対する好意からくるものだと、うぬぼれではなく知っている。
 ただ、遊が確かめたいのは一点だった。
「お父さん達、事故で死んだんじゃなかったの?」

事故死と聞いていた。
今でも時折思い出す。
前の高校の担任教師が、血相を変えて教室に飛び込んできて、その事実を伝えた日を。
天と地がひっくり返るように。
遊の生活の全てを覆してしまった。
その始まりを。


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