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Stage 2. ようこそ非現実的な一家へ 2


 ほこほこと湯船に入って温まりながら、遊は頭の中の整理につとめる。
 出来ることならばこのまま眠り込んでしまいたいのだがそうもいかないだろう。まだきちんと状況は落ち着いていないのだから。ため息を一つ落として、遊は風呂場を出た。
 そっと水気を拭っていき、遊はぽとりと落ちた下着を拾い上げた。バスタオルに挟み込むようにして用意してあった下着は上下両方が新しい。身につけるとなぜかぴったりだった。あの美女の胸の大きさは明らかに自分よりも勝っていたのに。
(私のために、かってきてくれたーとか、じゃないよ、ね?)
 トレーナーとスカートを着込みながら考える。どちらもぴったりであったが、こちらは洗濯して襟元がどことなく縒れていた。幾度も着込んだあとが窺える。肌をふわりと包み込むトレーナーは、清潔で着心地がよかった。スカートはロングで、とりあえず太めの足が露出しないことにも遊は安堵した。
 ダイニング、というより畳の居間には五人が食卓についていた。集、隻、おそらくナツメ、という名前の美女、オトワ、とかなんとかと呼ばれていた男、そして少年。
 テーブルは低く、布団が取り払われた掘りごたつであることはすぐに察しがついた。その上にほこほこと湯気を立てている銀シャリ味噌汁お漬物魚。
 なんか、涙出そうなメニューなんですけど。
「やぁユトちゃんおはようございます。よくねむれましたか?」
 新聞を読んでいた集が顔を上げて、にっこり微笑んだ。
「はぁ……えっと、よく眠れました。……その、ありがとうございます」
「どういたしまして。さぁユトちゃん座ってください。ワタクシ達お腹がすいていますしね」
 言われるままに空いている席に腰を下ろすと、さまざまな視線が遊を射抜いた。一つは集の隣の席でにこにこ笑いを浮かべている隻の好意的なものであったし、もう一つはあの男の、敵意とも取れる厳しいものだった。少年は子供らしい好奇心いっぱいという感じで。棗は、さして気にした風もなくお箸を手に取り始めている。
 集がまず言った。
「じゃ、いただきます」
『いただきまーす』
「……い、いただきます?」
 ワンテンポ遅れて遊は口にした。しかも疑問系で。この顔のパーツのありかた、そして集の言葉を照らし合わせてみるに、彼らは一つの家族で、そしておそらく集以外のメンバーは皆集の子供だ。車の中、運転席で愛情をこめて口にしていた子供の数と、それはしっかり合致する。
 けれども、綺麗な人達が掘りごたつに入って丁寧にそろって食膳の挨拶をし、日本食をむしゃむしゃばりばり食べているのは、とても異様だった。いや、食べ方自体はとても綺麗だが。
「……あーのー」
「ごはんまずい?」
 遊の声に即座に反応を示したのは美女だった。遊は思いっきり力いっぱい首を横に振った。皿の中身に手をつけられないのはまずいからではない。普通ならばこの状況で優先されるべき食欲が、自分のこのはっきりさせたい性格に打ち負かされてしまっているからだった。いったい、自分はどのような状況に置かれているのか、それを明確にしたい。
「えっと……私、これからどうなるんでしょう?」
「俺もソレを聞きたい」
 間髪いれずに遊に同意するのはあの一番怖い男。遊の前で食事を取る面々の中では、真ん中ぐらいの年齢だと思う。彼は遊に一瞥もくれなかった。
「俺隻がいつもみたく、女の子連れてきたのかと思ったぁ」
 そうにっこり笑っていうのは一番年下の少年だ。可愛い顔してなんつうことをいうのだろう。目をむいていると味噌汁をすすりながら美女が言った。
「集がつれてきたのよカナエ。それに隻がいくら女連れてきたって朝まで残すことはないでしょう」
「なんか俺けっこうひどい認識されてない?」
「だって、本当のことだし。ねぇ叶」
「うん」
「いい加減に説明しろ。俺も混乱してるんだ集。これからコイツが家に住むことになるって聞いたけど、一体何がどうしてどうなってそんなことになったんだ。まさか後妻とかいうんじゃないだろうな」
「えーワタクシまだミドリコさんを愛しておりますので。そんなこといたしませんって」
 と、言って集は羽織の袂から定期いれを取り出す。羽織は無論あの金糸で男組と刺繍されたアレだった。彼は定期入れから古い写真を取り出すと、ちゅっと口付けしてまたそれをしまいなおした。唖然と遊は口を開けてしまうが、他の五人はどこ吹く風だ。慣れているらしい。
「借金があって」
 説明する気配を見せない集にため息をついて、遊はことの顛末を手早く話した。両親が死んで、その二人に莫大な借金があったこと。借金のかたに売られそうになったところを、集が助けてくれたこと。そして自分がこれからどうなるのか知りたいということ。
「いい加減話さなきゃ、ナツメもオトワもぶち切れそうじゃないの? 集、俺みんな怒ったら収集つけらんないからね」
 そういうのは隻だ。対してさして関心もなさそうに、ご飯を丁寧に箸で運んでいる美女が視線も動かさず応じる。
「私怒ってなんかいないわよ。もう呆れてるだけ」
 かちゃんと箸をおいて彼女は続けた。
「だけどぶちきれそうなオトワも判るわ集。また突然女の子連れてきて今日から家族ね、といわれても納得するのは難しいわさすがにね」
 ねぇ、どうするの、と彼女は言って、傍から見ている遊までもが背筋が凍てつくような眼差しで、集を見やった。その表情を見て少し哀しくなる。先ほどの柔らかい微笑をみていたから余計であった。やはりどう考えても赤の他人、しかも借金を抱えている少女を好き好んで迎え入れる家など無い。いつの時代もそうであるが、食い扶持が一人増えるだけでも世間一般の人々は苦労するのだ。
「みんながユトちゃんの状況を確認したところで、ワタクシの考えをお話いたしましょうか」
 箸をおいて、集が微笑む。急に残りの四人の表情が真剣なものに移り変わった。その変わり様に驚きつつ、遊自身も居住まいを正して正面に向き直る。緊張からか、ごくりと喉が鳴った。
 自分は、果たしてどうなるのだろう。
 その答えが、今手に入る。
「これからユトちゃんには借金分の働きをしてもらいます。うちの店で働いてもらおうと思ってますよ」
 遊は首を捻った。
 うちの店?
「本気か集!?」
 眉をひそめる遊のはす向かい、怖い雰囲気を漂わせていた男がその目じりを吊り上げた。言葉を継ぐのは隻だ。彼は腕を組んで、さらに怒鳴り声を上げるべく口を開きかけた男を牽制するように早口で集に問う。
「でもユトちゃんどう考えたって女の子だし。しかも若いよ。どうするの?」
「何をおっしゃっています。ナツメだって昔は働いていたではありませんか」
「昔と今じゃ違うわよ集。昔と違ってうちみたいな店は結構いろんな人の知るところとなってるし、規制も厳しくなってるんじゃないの」
「そうだよね。それに年齢だってぱっとみ二十歳未満だ。まさかこの顔でニジュウンッサイとかじゃないでしょ? まぁ琴子さんとかの例もあるけど。オトワはともかくとしていっちゃ悪いけど赤の他人を働かせることなんてできるの集?」
「僕どうだっていいよ。どうせ決定権ないでしょ小学生だもん。だけどお店のお客さん怒んないの?」
「まぁ落ち着きましょうね」
 にっこり集が笑って言えば、本当にみんな黙ってしまうから不思議だ。皆が皆、呼び捨てでぞんざいな物言いをするのに、きちんと統制がとれている。呆気にとられている遊を差し置いて、話はどんどん進んでいく。
「まず、こちらでユトちゃんに働いてもらう。コレ決定です。係りはフロントでどうですか。髪の毛はまとめて、男装しましょうね。胸はあまりないようなので安心です」
 なんかさり気にひどいことを言われた気がしないでもないが、突っ込んでしまえば話が進まない気もするので黙っておく。ぴくぴくと上がるこめかみを意識しながら、遊はひたすら自分自身に平常心平常心、と言い聞かせた。
「ちょうどフロントの子が一人抜けたところでしたしね。それから、家でも働いてもらいます。家事を引き受けてもらいましょう。ナツメ、また東京への出張が増えるのでしょ?」
「……そうね」
「他のメンバーは家事をしたがらないメンドクサガリさんが多いみたいですしね」
「あのぅ」
 そろりと遊は挙手する。集が学校教諭よろしく笑顔で
「はいどうぞ?」
 と発言を促した。
「家事って……私洗濯ぐらいならできる……できます、けど。でも料理とかしたことないんですけれど」
 遊の母は遊が学校へといっている間近所の雑貨屋へアルバイトに出ていたが、それ以外は主婦業に精を出していた。遊が夕飯を作るのはほんの時々で、それも作りおきを温める程度に限られている。
 遊はいまどきの女子高生である。料理が趣味なわけでもなんでもない、親の手伝いもろくろくしなかった集のいうメンドクサガリなのだ。
「それはナツメに教えてもらってくださいね。大丈夫。私ほとんど家にいないから」
「ちょっとまて! それは俺らがマズイ飯を食わなきゃいけないということじゃないのか!?」
「あはは相変わらず自分勝手父上」
「カナエ、そこあんた笑うところじゃないわ」
「ま、ナツメの教え方次第ということで。そういうことなので頑張ってくださいユトちゃん」
「……はぁ」
「ナツメも頑張って教えてあげてくださいね〜苦手かもしれませんが」
「…………まぁ、努力するわ」
 ナツメ(もうこれに美女の名前は決定である)が眉間を押さえつつ、軽く手を振って同意した。
「おいちょっとまて。何でこいつがこの家に上がりこむことが決定しているんだ」
 息巻いて反論の意志を示したのは無論彼だ。立ち上がったりテーブルを叩いたりすることはなくとも、その口調と瞳にたたえる輝きは、どうしてこんなものを家にいれなければならない、という嫌悪がありありと浮かび上がっている。だが静かにそれを制したのは隻だった。
「オトワ。父上の決定は決定だよ」
 そこに反論を挟む余地はない。のんびりとした口調で、けれども決然として隻がいう。
 オトワ、と呼ばれた例の彼はまだほとんど中身ののこった茶碗を前に両手をそろえてご馳走様、と口走った。そのまま立ち上がり、遊の脇をすり抜けて居間を足早に出て行ってしまう。声をかける暇も無い。柔らかな黒髪がほんの少し風に揺れて残像を残し、ばたん、という扉を乱暴に閉じる音が遠くで聞こえた。
「…………ガキ」
 可愛い少年の口から冷ややかに漏れたその言葉に、遊は思わずびくりと身をすくませた。先ほどから思っていたことであるが、天使のなりをしてこの少年はなんだかとっても恐ろしいことを口走る。硬直している遊をくるりと振り向き、彼はにこりと笑った。その微笑はやはり見ているものを蕩けさせてしまうような天使の微笑だ。先ほど耳にした嘲りの呟きは何だったのだろう。
「えーっとユトちゃん? でいいの? はじめまして。僕はカナエ。夢を叶えるの叶える、ってかいて、カナエって呼ぶの。よろしくお願いいたします」
「……え、あ、の」
 その言い方は礼儀正しい。きらきらと輝く薄茶の瞳が返事を待っている。少年のギャップにいささか混乱しつつ遊は思う。どうして皆揃いにそろって自己紹介のときに漢字の説明までしてくれるのだろう。なにかこだわりでもあるのだろうか。
 あちこちに飛び始める思考をまとめて遊はどうにか返事した。
「い、そわし、磯鷲遊です。お願いします」
「えへぇ。やたぁ。僕もひとりお姉ちゃん欲しかったんだよね。ナツメはいろいろ厳しいし」
「叶。あんた学校でしょう? 遅刻しないの?」
 ナツメが眉を寄せて口を挟む。叶は壁掛け時計を一瞥し、両手をきちんと合わせてご馳走様を告げた。そしてえへへと遊に笑いかけ、立ち上がる。
「じゃ、また学校から帰ってきたらお話してねユトちゃん」
 先ほどオトワが早足で抜けていった場所を元気よく駆け抜けていく。次は隻だった。
「じゃ、俺も仕事いってくる。ごちそーさま」
 彼は出掛けにぽん、と遊の肩を叩いた。面をあげると、そこには戸惑いはありつつも優しく微笑む顔がある。人懐っこい笑い方をする人だなと思った。この笑いがあるからだろう。その顔のつくりが精巧な人形のように整っていても、怖さはあまり感じない。
「じゃ、今日からよろしく。今日は手始めにカレーライスがいいかも。頑張ってねユトちゃん」
「はぁ……」
 ぽんぽんと叩いてくる手つきは子供をあやすようで優しかった。本当は何か言うべきだと思うのに、間の抜けた声しかでてこないのが少し悔しい。背中を見送っていると、最後に集が大きな欠伸を一つかまして食後の挨拶を告げた。
「それじゃぁワタクシもう一寝入りいたしますよ。後はよろしくナツメ」
「はいはい。お昼ご飯は?」
「いりませんよ」
 立ち上がって大きく伸びをし、集は裸足の足をぺたぺた言わせて横をすり抜けていく。遊は慌てて振り返ってその背中に声をあげた。
「あ、あの」
 ん? と集が振り返る。ほんの少し眠そうな顔。よくよく見れば目の下に隈がある。昨日の夜は接待だといっていて、それを放りだして、彼は抜け出てきてしまったのだ。絶対埋め合わせか何かがあるはずだ。もしかしたら眠っていないのではないかと思った。服装もズボンは柔らかそうなものであったけれども、上は昨夜身につけていたカッターシャツで。
 迷惑をかけた。
「……すみませんありがとうございました」
「過去形はまたいつかにしておいたほうがいいですねユトちゃん」
 にっこり笑って集は言う。
「仕事キツイかも知れないけど頑張ってね。一億三千万円分の働きを期待しております」
 やっぱ。
 それですよね。
 ひらひら手を振りつつ部屋を退出していく集を見送って、遊はため息をついた。
 自分は何はともあれ買われたのだ。この状況が異常なことには変わりない。いやむしろ先日のほうがきちんと未来を予測できるものであった。今回の今回ばかりは、どんな目がでるのか判らない。判っていることはたった三つしかない。
 ここの家に居候すること。
 ここの家で働くこと。
 そしてここの家の“店”とやらで働くこと。
 話から推測するに、酒がらみの商売であることはなんとなくわかるが、それ以外は一切不明。
 もう一度ため息をつきかけ。
「ねぇ」
 呼び声に面を上げた。
 そこにはナツメが半眼でテーブルの上の品を見渡しながらため息をついている暇があった。
「あいつらこんなに残してくれちゃって酷いと思わない?」
 がらんとした居間のテーブルの上、とりあえずご飯と魚、そして味噌汁はオトワの分を除いてからになっているものの、その他のおかず――卵焼きやら、ソーセージやらにはほとんど手が付けられていなかった。とかいう遊の分もまったく手付かずである。ナツメのため息と腹の底からの空腹感にせきたてられるようにして、遊は慌てて箸を取った。
「あ、あの、いただきます」
 口に含んだ食べ物はほとんどが冷めてしまっている。けれども丸々二日、マトモなものを口にした覚えの無い遊にとって、それはべたな言い回しであるが、かつて無いほど美味しく感じられた。
「おいしい」
 口をもごもご言わせながら、心の底から呻く。というよりも箸を握る拳を振り回して力説した。
 ナツメは一瞬きょとんと一瞬動きを止め、そしておかしそうに笑った。さきほどと同じパターンだ。何かおかしいことを自分はやらかしているのだろうかと思ったりもしたが、一度食べ物に着手した今はほかの事に気が回らない。その笑いが気になりながらも手と口がひたすら動く。オトワたちが残したおかずにも手を伸ばす遊に、ナツメは嬉しそうに言った。
「ゆっくり食べていいわよ。ちゃんと待ってるから、喉に詰まらせないようにしなさいユトちゃん」


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