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Stage 5. 乙女よ、疾走せよ 9


「目には目を、歯に歯を。だけど苛め返したり殴り返したりするだけが、物事の解決に繋がるとは限らない」
 ぱちん、とビデオの液晶部分をひっくり返し遊のほうへと向けて、笠音が抑揚を抑えた声音で淡々と言葉を紡ぐ。そこに織り込まれた温度は低く、美紀への軽蔑の色が滲んでいた。
「コレが僕なりの報復の仕方。僕のものに手を出されてだまっているほど、僕はお人よしじゃないんだよ。知ってた?」
「……私、笠音くんのものじゃないけど」
「そこはうんって頷いておこうよ日輪」
 ロマンティックさにかけるなぁ、と苦笑いする笠音に、遊は脱力したくなった。身体を固定されているため、不可能ではあったが。
 その代わりというわけではないであろうが、背後の少女が心なしか肩をこけさせていた。
 この、日輪と笠音の緊張感のない会話は何なのでしょう。
 遊の呆れからの渋面を、彼はみてとったのだろう。微苦笑を遊に向けて、彼は手元に視線を落とした。
「よく撮れてるよこのビデオ」
 ほら、と掲げられた画面に映りこむのは、数分前の遊たちだ。そこにはしっかり美紀の姿もあり、笠音が音量を調節すれば、先ほどそのままの会話が展開される。
『……美紀さんが、指示したの?』
『まさか、気付いてなかったわけじゃないでしょ?遊さん、決して馬鹿じゃないわよね』
「最近の集音マイクは小型でも高性能だねぇ。……音も、よく、拾えてる」
 そう呟き一度映像を一時停止させた笠音は、ブレザーの胸元から携帯電話を取り出した。素早く操作を行って、通話。
「あーもしもし音羽?」
 その相手は、もしかしなくとも妹尾家次男であるらしい。
「うん。今から。じゃ、よろしくね。えー? だって音羽だってむかついていたでしょう? ……はいはい。判りました。今度奢りますよ」
 ほかにも一言二言言葉を交わした白王子は、マイクの部分をカメラのスピーカーに押し付ける。一体何をしているのか――怪訝さに一同が眉をひそめるなか、それは、始まった。
 ブッ……
 学校の、放送スイッチが、入る音。
 そして、校内に響き渡った。
『土屋さんへのシカトも、いろぉんなこまごまとしたことも、もちろんこの面白いショーも、筋書きを書いて指示をだしたのはみぃんな』
 会話。
『アタシ』
「―――――っ?!!!!」
 驚愕に、美紀の顔が引き攣る。遊自身、起こった出来事に困惑の色を隠せなかった。今起こった出来事を早急に脳裏で整理する。つまり。
 笠音が携帯電話を通じて、録音した音声を、流して。
 それを、放送室にいるらしい音羽が、全校生徒に。
「マイクを二つ三つ通してるから、かなり声はくぐもってるけど。でも十分だよね。コレだけはっきり聞き取ることができればね」
 笠音が冷ややかに笑い、美紀を一瞥する。その眼差しは、先ほど保健室で遊に日輪について語っていた男の、あの慈愛の眼差しとは遠くかけ離れていた。この人も、同類だ。遊は思った。
 彼も、あの家族と同類だ。敵には決して容赦はしない。隻たちと同じ。
 非情ともいえる残酷さと、泣きたくなるほどの慈愛を同居させる、あの、夜に生きる人たちと同じ。
『証拠がどこにあるの。私はいっておくけど、貴方を殴ってもいないし、拘束してもいないし、制服を隠してもいないわよ』
「……や、やめ」
 美紀が、唇を戦慄かせる。握られた拳には血の気がなく、見ているこちらが蒼白になる。
だが彼女の呟きに、笠音が反応を示すことはない。
 普段、チャイムと臨時の連絡のみを吐き出す放送マイクが、続けて遊と彼女の声を吐き出した。
『でも指示はしたんでしょうが』
『したわねぇ』
「やめなさいよぉおおおおおぉおっ!!!」
 ぶつんっ。ツ――――……。
 美紀の懇願に、笠音が携帯電話の通話を切断した。発信音がしばらく響き、やがてスイッチの切られる音と共に、放送マイクは元の通り沈黙する。
 美紀が、まさしく夜叉のような形相で笠音を睨みすえて絶叫した。
「ひ、……! 笠音くん貴方……!」
「あはは。やだなあ、許さないとか思ってる? 言っておくけど僕は君に許してもらいたいわけじゃないよ。こんな風に報復されることは、想定していなかった? 先生に言いつけるとか、その程度だと思っていた? 酷いと思う? 君の人生をむちゃくちゃにするかな。あぁ君のご両親にとってもスキャンダルだねぇ……」
「貴方ぁぁぁっ!!!!!」
 美紀の叫びに、くく、と喉を鳴らした笠音は、突如その表情をかき消した。暗い光を双眸に宿し、彼は嗤う。
「甘いね」
 その声音は、氷を切り崩して作られた刃よりも冷ややかで鋭利だ。
「こんなこと、君が行ってきたことに比べればかわいいものさ。かわいすぎて僕は涙が出るよ。……勘違いしないで遠藤美紀。君が僕を許さないんじゃない。僕が君を許さないんだ。僕を好いてくれていた女の子たちを利用したこと、僕は決して許さない。人間の心理として、一人外れることは勇気がいることだから、僕は彼女らを責めるつもりはないけれども、彼女らが、日輪に嫉妬してくれている、それだけ僕のことを好いてくれていたらしい人たちを、利用したことを僕は許さない。自分の手を汚さずに、そこにいる女の子たちに刑事責任に問われそうなことをそそのかしたことを僕は許さない。そして最後に」
 笠音の双眸が細められる。笑みに吊り上げられる口角。それだけで、周囲の温度が下がった。
 風は生ぬるいのに。
 背筋を、冷たいものがなで上げていく。笠音の言葉は抑揚にかけているからこそ、よく響き、聞くもの全てを戦慄させた。
「僕の大事なものに手をだした君を、僕が許すわけが無い。映像は音声とともに教育委員会と君の父君に提出してあげるよ。インターネットに流してもいい。それでも君がなお言い逃れをするのなら、僕が全力で君を叩き潰す」
「ど、どうやって、どうやって、わ、演劇の練習を、私がしていたって、主張すれば、それで終わりよ! あんたなんか」
 この状況で、なおも反論できる美紀の胆力に、遊は感嘆する。はっきりいって、自分だったらあの笠音に逆らおうなどとは露とも思わない。あぁいった人種は、一度怒らせると手が付けられない。その怒りをわざわざ煽って、自分の首をわざわざ絞めるようなまねを、遊はしない。
 だが、美紀はそれをした。
「往生際の悪い娘さんだなぁ」
 鷹揚なものいいだが、口調には苛立ちからくる剣呑さが滲んでいる。その気配を感じ取ったのか、美紀も口を閉ざした。
「判ってないね。君のご両親がどんな仕事をしているのか、僕は知ったことではない。けど、それが最高権力だなんて思ってるの? 君のご両親を潰そうと思えば、簡単に潰せるんだよ。君も含めて一文無しになってみる? まぁ」
「多少メンドクサくはあるが」
「……音羽?」
 笠音の言葉を引き継いで現れたのは音羽である。遊の呼びかけに彼は頷き、笠音の横に並んだ。汗で張り付いているらしい前髪を簡単にかきあげた彼は、ブレザーの内ポケットから携帯電話を取り出した。
「オイお前ら。決着はついているんだろうが。いい加減に遊と土屋を放せ」
 携帯電話を耳に当てながら、音羽が冷ややかに言い放つ。それは命令だった。王者にも似た貫禄でもってなされた命令に、誰も逆らうことはできなかった。ようやっと、少女たちから解放された遊は、その場にぺたりと膝をついた。単に、動く気力がなかっただけだが。
「……何をするの?」
 遊の問いかけに、音羽がにっと不敵な微笑に口角を曲げる。彼は無言だった。ただ、行動によって遊のそれに回答した。
「……あぁ。悪いな。仕事中か?」
「……誰?」
 電話の相手は、どうやら学校の人間ではないようである。誰何の声を上げた遊に、音羽が黙れという風に手をさっと一振りした。憮然となって押し黙っていると、ふと、影が差す。見上げると、笠音が歩み寄っていた。
「大丈夫?」
「……平気です」
 彼は遊を引き起こして、軽く衣服の土ぼこりを払って微笑んでくる。隻に似ているなぁと少し思った。彼はそうして遊の無事を確認し、脇をすり抜けて日輪のほうへと歩いていく。
 前に向き直ると、何時の間にやら通話は終わりを迎えていた。ごく短い用件だったらしい。
「……あぁ。判ってる。じゃぁ、頼む」
「……何、したの?」
「カードを揃えてもらっている」
 ぷっ、と通話をきりながら、音羽が答えた。一瞬、彼が微笑んだように見えた。果たしてそれは幻覚だったのか。その微笑が遊の網膜に映ったのは刹那の間のことで、確信をもって今見たものを信じることができなかった。
 なぜならその次の瞬間紡がれた声音は、笠音と同等、それ以上といってもいいほど、絶対零度の酷薄さを宿していたからだ。
「無駄な足掻きはやめておけ。市会議員? PTA? それがどうした。この世には、それを潰すぐらいわけのない人間が、五万といるということを、お前もわかったほうがいいぞ遠藤美紀。……笠音。この取引の代金は高いからな。お前も支払え」
「しんどいなぁ。メンドクサイものばっかりなんだよね?」
「やれよ」
 笑顔で命令する音羽に、いつのまにか日輪をつれて遊の横に並んでいた笠音が、憮然となりながら肩をすくめる。
「やらないとはいってないよ」
 男たちの間でちゃくちゃくと進められていく会話に、遊は首をかしげているしかなかった。だが音羽と笠音の微笑を見れば、彼らが本当に美紀と美紀の家族をまとめて潰すことなど、造作も無いようであったし、美紀の出方次第で、それを確実に実行することは明白だった。彼らは、それを明言したのだから。
「……によ」
「え?」
 身体を戦慄かせ押し黙っていた美紀が、足を踏み鳴らしながら激昂した。
「なによなによなによなんなわけ!? なんなのあんたたち! なんでどいつもこいつも、ホント、むかつくのよ!」
 振り上げられた拳は怒りに震え、空を切る。唇は傷つけられるほど噛み締められて、身体は蒼白であるのに、頬だけがまるで炎の色を写し取ったかのように紅潮していた。
 振り返った美紀が、遊と日輪を睨み据えてきた。そこには憎悪と、嫉妬、だろうか。火花散るような炎に、爛々と瞳を輝かせて、彼女は絶叫する。
「どうして、どうしてあんたたちばっかり!あんたたちなんて――なんにも無いじゃない! 人殺ししてるかもしれないふざけた宗教のキモチワルイ家の子と、家なき子! どうして、あんたたちみたいなろくでもない子たちばっかり!ばっかり!」
「ちょ……ろくでもないって!」
 こんな女にろくでもない子呼ばわりされるのは、心外である。遊は思わず反論しかけ、そして、息を呑んだ。
 美紀の見開かれた目からは、涙が零れていた。頬は赤いのに、噛み締められた唇にだけ血の気がない。ひくっ、としゃくりあげ始めながら、彼女は子供のように地団太を踏んで、激昂していた。
「私、一生懸命やってきたわ! パパにもママにも、自慢の子であれるようにいい子にしてた! 勉強だって学校で誰にも負けないようにしてた! 綺麗ねって言われるようにもしてたし、習い事だって、きちんとやってたわ! 委員長だってずっとしてた! なのになんでなんでなんで! あんたたちみたいなのばっかり――ばっかり!」
 それは。
「ばっか、ばっかり! いつもいつも、どいつもこいつも、アタシのことを、便利な道具ぐらいにしか、思ってないくせに! 陥れるのなら陥れればいいわよ! 知らないわよあんな親! みんなみんな、私以外の奴は地獄に落ちればいいんだわ! あんたを好きになった女たちを利用したっていってたわねぇ笠音くん。当然よ! あいつらを利用することのどこが悪いの! あいつら、私をいっつも利用してたわ! やれノートかしてだの、やれ委員会よろしくだの、いっつもいっつも、遠藤さんならできるよねって、当然でしょ! 私はできるように、努力してきたんだもの! いつもアタシを利用してた女たちを、利用しかえしてやることのどこが悪いの! 私を、理想の家族を演じる道具としかみてないパパとママを、利用してあげてなにが悪いの!」
 優等生、才女。今まで彼女が被り続けてきた仮面をかなぐり捨てた、一人の少女の慟哭だった。
 美紀は、日輪を指差してなおも絶叫し続ける。
「許せないわよ! こんな、ろくでもない、何の努力もしてないで平然としている、お、女が! 家だってどうしようもなくて、こんな、キモチワルイ女が、私を差し置いて! 私を差し置いて! よりによって、守里笠音に好かれる!? ふざけないで! なんで、なんでなのよ! こういうのは、こういう風にして注目を、集めるのは、私であるべきでしょう? 私は、ソレ相応にきちんと努力してきたのよ! がんばってきたのよ! なのにっなのにっ……!」
 どうしてよ、と。
 少女は泣き喚きながらその場に蹲った。
「なんであんたたちばっかり、そうやって守られるのよぉ……」
 屋上に、ひくひくとすすり泣きが響く。誰も、何も言えないでいた。美紀とともにこの“悪ふざけ”に興じた少女たちも、笠音も音羽も、そして一番の被害者である日輪でさえ。
 一同が押し黙っている中、動いたのは遊だけだった。屋上のコンクリートを吹き晒す風を掻き分けて、蹲る少女を引き起こす。なによ、とにらみつけてきた少女の横っ面を、遊は問答無用で平手打ちした。
「……っ、あ、あんたっ」
「ふざけんな」
 唾を飛ばす勢いで吐き捨てて、美紀の襟首を手放す。支えを失った少女の体は、もともと脱力していたこともあって、あっけなく重力に引かれて地に落ちる。
「ふざけんな。あんたの言い分もわからないでもないけど、でも、今あんたかなりむちゃくちゃなこと言ってるの、判ってる? 美紀さん」
 美紀は、尻餅をついた形のまま呆然とした眼差しで遊を見上げている。仁王立ちになった遊は嘲りと怒りと、一片の同情を込めて彼女を見下ろした。
 かわいそうな、女。
「美紀さんの家庭の事情はよくわからない。いってることも、判る。みんなから、期待をかけられるのってしんどいことだと思うし」
 聞きかじった事情から察するに、美紀の両親は忙しく、美紀にろくな愛情を与えていなかったのだろう。彼女がいくら好かれようと努力しても、それが報われることは無かったのだろう。その部分だけを聞けば、彼女はただきちんと親に愛されなかっただけのかわいそうな少女だ。
「私だってそんな親もってたら、ぶちきれると思うわよ。私別の部分で、天国だか地獄だかにいるあのふがいない両親殴りつけたいって思うもの。いやむしろ殴らせろ。地獄におちて枕元にたたんでもいいから私に謝れって思うけど」
 親を選ぶことは誰にもできない。夜の世界の水商売を営む家に生まれた妹尾家の兄弟たち。そして、ギャンブルにはまり、娘に内緒で借金をこさえてあの世へ逃走した遊の両親。美紀のような、金と権力はあっても共働きで子供に愛情をかけることのない親もいれば、日輪の家のように、怪しい噂のたえない宗教を信仰している親もいるだろう。
 けれども。
「学校でまで、優等生であることを結局選んだのは、美紀さん自身でしょうが」
 それとこれは、話が別だ。
「みんなの前で、優等生を演じること、頼られることに、快感をえてなかったって、言い切れるわけ? そうすることを選んだのは美紀さんで、他の誰でもないでしょうが。親の期待もあったのかもしれない。だけど、途中で遊び呆けて親の目を引くって方法もあったわけで、友だちに、ノートを貸したくないんだったら、一緒に勉強しようねって、言えばよかったわけだし、そういうことをしないで、ただ利用されやすい、誰にでも優しい委員長を、学校の才女を演じていたのはどこのだれよ。あんたでしょうが。美紀さん」
 転入してきた遊にも、わけ隔てなく優しかった美紀。皆平等に、同じように優しかった。皆に頼られていた。頼られる瞬間、美紀が嬉しそうにはにかんでいたことを、遊は知っている。
「日輪ちゃんは、そりゃ確かに変な家に生まれたのかもしれないけど、だけど、ただ、人との付き合いを拒絶しているだけだと思ってたわけ? 日輪ちゃんは、それを自分で選んだ代わりに、泣き言は何一つ言わなかったわよ。私に助けてっていうこともなかった。笠音君にも助けてって言わなかった。あれだけ無視されていて、それでも、きちんと毎日の行程を変えることはなかった。それがどれだけ大変なことか。それどころか勝手に首を突っ込んだ私にもあれこれ気をつかってくれて、それが、なんの努力もなしにできることだと思うわけ?」
 日輪は最初から全てを諦めているのだと、遊は思った。
 けれどもそれは大きな間違いだ。彼女はおそらく、幼い頃から繰り返された誹謗中傷を乗り越えた上で、一人で耐えることを決めたのだ。自分でそれを選び取った代わりに、泣き言一つ言わないで。
 その日輪を指差して、ろくでなし呼ばわりするなんて。
「守里君は見る目あるわよ。私もあんたみたいな女より、絶対日輪ちゃんを選ぶわよ。努力は、いつも報われるとは限らないんだから。そうしたら、努力の方法を変えればよかったのに、それをしなかったのはほかでもない美紀さん、あんたで。あんたが口にしていることは、全部単なる八つ当たりだよ。自分一番の八つ当たり女を、人を見ることをしない女を、だれも、誰も好きになんてなるはずが――!」
「遊ちゃん」
 頭に血が上り詰めようとしていた遊は、日輪の呼び声にふと我に返った。日輪が、目元だけで小さく笑む。それは微かな微笑みであったが、遊の逆上せた頭を冷やすには、十分すぎるほど威力があった。
 ばつの悪さに口を閉ざした遊の横をすり抜けて、日輪がちょこんと美紀の傍らに屈み込んむ。ほんの僅かに腰を浮かせただけの体勢で、膝を抱えるようにして、日輪が美紀の顔を真っ直ぐ見つめた。その、曇りの無い眼差しに、美紀が僅かにたじろいだ。
「……なに」
「みんなに謝ってほしい」
 淡々とした、けれども明朗な声で、日輪が言った。
「みんなに謝ってほしい。私の大事な人たちに。私には謝らなくていいから。それだけしてほしい。……遠藤さんは、やっぱり笠音君が好きだったんだよね?」
 日輪の発言に、周囲一同が絶句する。あのヒステリックな美紀の会話を聞いていて、どうしてそのような結論に陥るのか、遊はこのときばかりはさっぱりだった。
 が。
「……そうよ」
 美紀は意外にも、日輪の言葉をあっさりと肯定した。
「……そうよ。悪い? ずっと好きだった。なのに許せない。なんであんたみたいなのが、笠音君の彼女なわけ? ふざけないで。私であるべきでしょうが。私、ずっと努力してきたんだから。いい子であるように。好かれるように。なのに、結局みんな、私のことを好いてくれるひとなんて、いやしない。パパもママも笠音君もだれもがみんな、私以外のものを選んでいくのよ。……そんなのって、許せない。許せないじゃない……」
 膝を抱え、顔を伏せる美紀の顔を、日輪がさらに覗き込んだ。
「うん。私も思う。なんで私なんだろうね。かわいい子、一杯いるのにね。私自分でも、自分気持ち悪いって、思うから。私、美紀さんのこと、嫌いじゃないよ」
「なんなの同情?!」
「違う」
 顔を上げて叫ぶ美紀に、日輪が静かに首を振った。
「ごめんね。笠音君、あげられない。このひと、あげられない。沢山の、犠牲を払っている、恋だから。あげられないんだ」
 ごめんね、と日輪が繰り返す。
「ごめんなさい……それだけ、いっておこうと、思って」
 美紀は顔を膝に伏せたまましばらく沈黙していたが、次第にその顔と膝の狭間から、忍び笑いが漏れるようになった。くつくつという、その笑いはやがて音量を増して、哄笑となって周囲に響いた。
 気狂いのような、その笑いに、誰もが呆然と立ち尽くす。日輪ですら、きょとんと目を丸めていた。やがて笑いを収めた美紀が、膝を抱えたまま、ぐすっと、鼻を鳴らして呟いた。
「……馬鹿みたい……」
 たったそれだけ呟いて。
 美紀はもう何も語ることはなかった。ただ、膝を抱えて蹲っている。そうやって、親の前で泣けばよかったのにと、遊は思った。この、頼りない少女の姿をみて、何も気付くことがないのなら、それこそ碌でなしならぬ人でなしであろう。
 立ち上がった日輪は、遊の手をとった。先ほど、美紀を平手打ちにしたその手のひらは、すこしばかり紅潮している。それを柔らかく包み込んで、日輪が言った。
「痛かったね」
「……え? あ」
「ありがとう」
 その、向けられる、真っ直ぐな眼差し。
「私のために、人を叩いてくれて、ありがとう」
 ぎゅっと、握り締めてくる手のひらから伝わる温かさ。
「一緒に、いてくれて、ありがとう」
 繰り返される、ありがとうの言葉。
 まだ、いろんな事後処理が残ってはいるだろうけれども。
 とりあえず、終わったのだと、遊は思った。
 ほっと安堵のため息をつく。今日からまたぐっすりとはいえないだろうが、おそらく理不尽な理由から制服の洗濯を行いながら、夜遅くまで起きていることはなくなるだろう。棗や隻にも心配をかけずにすむ。多少は、クラスメイトとはぎくしゃくするではあろうが。
 遊は泣きそうになりながら、頷こうとして。
 視界が湾曲していることに、気がついた。
「遊ちゃん!?」
 日輪の悲鳴じみた声が耳元で弾けるのと、意識が混濁するのは果たしてどちらが早かったのだろう。
 網膜に焼きついた青空の残像。音羽の声。身体を襲う衝撃。
 遊が意識を失ったのは、間もなくのことだった。


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