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Stage 4. 春雨攻防戦 8 


 遊を召喚した客は、ふわふわのきらきら、男だったらまず守ってあげたくなるような女性だった。薄い生地を重ねて作られた襞が美しいマーメイドラインのスカートと、光沢のある派手すぎないドレスシャツ、そして控えめに身につけられたアクセサリー類。どことなく縁側で寝こけた猫を思わせるとろんとした目じり。微笑みのたたえられたぽってりとした唇。こんなひとがどうしてホストクラブなんかに用があるのだろう。これだけ愛らしかったら男なんてより取りみどりなんじゃないだろうか。そう遊に思わせた。
 が。
 その疑問は、彼女の前に引き出された瞬間、あっさりと解消された。
「へぇ、よくばけたもんだな確かに明るい場所でちゃんとみると小娘。いい度胸してらぁこんなところで働こうなんざ」
 え、えーと。
 思わず硬直してしまったのは、不可抗力だ。
 女の唇から吐かれたのは、男の声かと思われるほどに野太い声だった。言葉遣いも酷く乱暴だった。一瞬、オカマさんかと思って喉や顎の辺りを見つめたが、男なら突き出ているべき喉仏は存在せず、髭の剃り跡などもない。胸繰りひらいたシャツからのぞく胸元は本物で、どうみても正真正銘立派なオネエサマだ。
 これでは確かに男は寄ってこない。寄ってきても乾いた笑いを浮かべて逃走しそうだ。
 現に、遊自身、口元に引きつった笑みを浮かべつつ逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
 そのうえ他のオネエサマ方に見つめられているとくれば、気分は針のむしろの上、である。
「で、ちょっと今日は興ざめしたしな。あの馬鹿女は気絶して話にならんし? あーたとお話させていただこうかと思ってね」
 お座りよ、と顎で促される。しぶしぶソファーに腰を下ろすと、そのすわり心地のよさに驚いた。客用のソファーに腰を下ろしたのは初めてだが、今すぐコレをお持ち帰りしたいぐらいの心地よさである。
 置くスペースが、遊の部屋にあるかどうかは別問題として。
 そんな風に意識を飛ばさないと、精神的に耐えられそうもなかった。
「まぁ今回のことはご愁傷様としかいいようがないな。よくわからんがとばっちり受けたみたいだしよ。オツカレサン」
「……どうも、ありがとうございます」
 ねぎらいというにはあまりにその声音は冷ややかで、遊は唸るようにして返事することしか出来なかった。
「だけど納得いかねぇ部分があって。それでオーナーであるオジサマに頼んでつれてきてもらったわけだ。オジサマは知ってたわけか? このおじょーさんがおじょーさんだって」
「えぇ。彼女にこのお仕事紹介したのワタクシでございますから」
 遊の座るソファーの真横、“休め”のポーズで佇む集は、笑顔のままさらりと答えた。
「ふぅん。で、なんで今回のこと逆恨みされたんだよ?」
「そんなの、私が訊きたいです」
 元はといえば隻とマトノの話し合いに乱入して彼を強引に連れ出してしまったがためなのだが、説明する必要もあるまい。女が腕を組み、ふむ、と唸る。
「じゃぁ偶然とあの馬鹿女の思い込みが重なった不運だったわけか。髪の毛までばっさりやられてよ。最後見てたけど。ほんとご愁傷様。なかなか面白かったよ」
「私はちっとも面白くないです」
 ただでさえ苛立ちが鬱屈として肚の中に溜まっていた遊は、堪えきれずつい思ったことを口にしてしまった。あ、と思わず手に口を当てる。相手はお客。どんなに気に入らないことがあったとしても、それを正直に口に出すわけにはいかなかったのに。
 が、女は楽しそうに笑っただけだった。
「ま、それは置いとけ。さっきもオーナーに言ったんだけどよ」
「ハイ」
「ここで女の子に私ら客はあまり働いていて欲しくないわけ」
(そらきた!)
 そう来ると思ったよ、と思わずこっそり零れるため息。女は文字通りにやりと口角を上げる。全く容姿にそぐわない表情だった。
「何のために金払って男の園に遊びに来てるんだか、わかりゃしないし。それにほら、またあの女みたいな馬鹿があんたに今日見たく殴りかかったら興ざめじゃないか。この店にくる女たちはあたしたちみたいなのが主流で、きちんと割り切れている女ばかりのつもりだけれども、中にはホンモノの恋と勘違いするやつもいるから。人間だかんね。その相手が働いている店でのただ一人の女とくれば、嫉妬の対象になりやすい。たとえ無関係でも。今日だってわかったろ? 男の嫉妬は女に向かうが、女の嫉妬は女に向かうんだ。浮気するやつが馬鹿なんじゃなく、浮気する男を誘惑するほかの女が悪いってよ」
 彼女はともすれば手を叩いて喜びだしそうなほど、その口調には笑いが含まれている。語られる物事の筋は遊も納得できる、きちんと通ったもので、そのギャップが遊を当惑させた。どこか、遊を試している感がある。
「オーナーからなんだか事情があるらしいことは今聞いたよ。だけど私があんたをやめさせろ、といったらおじさまも考えざるを得ないんだ。知ってた?」
「いや知りません。え、でもなんで言い方失礼ですけどただのお客様がそんな」
「彼女はこの店の共同出資者でしてねぇ」
 横からおっとりと口を挟んだ集を、思わず遊は睨み付けてしまった。
「ミドリコさんのご友人な上に親戚ですので、ワタクシは非常にお世話になりっぱなしです。ないがしろにするわけにはいかないのですよ」
 どうしてそういう重要なことを突然いうのだろう。ある日突然、遊が引き取られることになった朝の、音羽の怒りがわからないでもなかった。
 ミドリコ、という女性は、集の今は亡き妻。つまり、あの超絶美人兄弟の生母さまである。未だに写真を見たことがないのだが、美人であったことは想像に難くない。
「ミドリコは、こーんなにちっさいころからのダチで」
 膝の辺りまで手を落としながら、女が言った。
「ミドリコはあんなだし、あたしだってこの声でよ。いやぁ男に囲まれてみるっての、ちっさいころは夢で、で、創ったんだ。ホストクラブ」
「……はぁ」
「そのミドリコの忘れ形見であるこの店に、いらないものが入るのは、いやなんだ」
 もの、ですか。
 とは思ったものの、あまりにもすっぱり言われてしまったので、かえって清々しいぐらいだった。この店を辞めてくれないか、と言外に女はほのめかしているのだ。遊は別段それを悪いとは思わない。むしろ彼女の反応が当然だと思った。だがここでこの店を辞めるわけにはいかない。遊には、借金を返す当てがない。
 だから真っ直ぐ目を見てそのままを、伝えるしかないのだ。
「私辞めたくないです」
 静かに、決意を込めて。
「辞めません」
 そう伝えるしか。
 女は冷ややかに笑った。
「あんたが仕事続けるかどうかはあんたが決めることじゃないだろ」
 そうだけど、と口ごもる遊の横で、再び集が剣呑な声音で口を挟む。
「ですがワタクシは辞めて欲しくないですねぇ」
「あれそうなのかよ?」
 意外だ、といわんばかりに、女が目を見開いた。
「えぇ。高い買い物でしたから。きりきり働いていただかないと」
「ふーん。よく判らないけど、もしかして不幸の星の下に生まれましたってやつか?」
「不幸の星かどうかはしらないですが、体力もたないようなことが度々あるんで、神様なぐりつけたいなとは思ってます」
「そりゃいいな!」
 ぱちん、とかしわ手をうち、けらけら笑った女を、遊は眉をひそめて眺めた。女の態度はふざけているが、周囲の客たちが釣られて笑いもしなければ怒り出しもしないことが不思議だった。
 部下みたいだ。女王の周囲を取り囲む、部下みたい。
「さて、えーと、磯鷲遊?」
「はい?」
 突然名前を呼ばれて我に返る。笑いを収めた女は、顎を少し持ち上げ、体をソファーに深く預けながら足を組んだ。
「何か、芸ある?」
「……芸?」
「そう。興ざめ気分を吹き飛ばしてくれちゃうような芸だ。腹踊りでもいいよ。今あたしたちはあの馬鹿女のおかげでしらけまくってる。それを、あぁ今日ここに来てよかったわぁって思えるような芸だ。あの女の尻拭いをさせられるなんざとんだとばっちりだと思うけど」
「だったら」
「でもやって頂戴。あたしを感心させれて、あんたがここに居る価値あるねぇと思ったら、私が他の客たちに話通しておいてあげるし」
 女は一端言葉を切り、もったいぶるようにしてソレを告げた。
「ドンペリコールを今いる客分入れてあげるよ」
 周囲を取り囲んでいたホストたちがわっと歓声を上げた。
 最後に言われたものの意味がいまいちよく判らない。が、しきりにホストやボーイの兄さんたちが血相を変えて遊の応援をしてくれることから、なにかとても大変なことを彼女が言ったのだということだけは判る。
 遊はただ急転していく物事についていけなかった。集を思わず仰ぎ見たが、彼はいつもの通り剣呑な微笑を浮かべるだけで、遊の無言の訴えにはちっとも耳を貸さない。
 ただ一人、遊の代わりに訴え出たのは隻だった。
「マナ姐さん。それはいくらなんでもあんまりだ」
「あん? なんか文句が?」
 ひょい、と頭を後ろへ倒すと、背後には隻と音羽が佇んでいた。音羽はいつものことであるが、隻もまた珍しく渋面である。首をかしげるマナ、と呼ばれた女は、物知り顔になりながら唇の端を曲げた。
「珍しいねあんたがそんな言い方をするなんて」
「だってこの子は俺の問題に巻き込まれただけだよ。今日だって怖い目に遭ってるし、なんでこんな」
 音羽も頷きはしなかったものの、不機嫌そうな表情をみせている。そこから推測するに、どうやら隻と同じくマナの提案には賛同しかねるようだった。
 その二人の表情をみて、マナがさらに笑いの皺を深めた。
「本当に珍しい。あんたら二人が人を庇うなんて! いいもんみせてもらった」
「マナ姐。ふざけてるんじゃないんだよ」
「あたしだって別にふざけてるわけじゃない」
「だったら――」
「いいよ私やるよ」
 くいくいと隻の服の袖口を引っ張り、遊は言った。隻がさらに渋い色を顔に浮かべる。いつも飄々とした余裕を崩すことのない彼に限って、本当に珍しいこともあるものだと、遊は笑った。
「だって私ここ辞めるわけいかないし。認めてもらってちゃんと働いたほうがいいじゃん」
「だけどねぇ遊」
「それにメンドクサイの。ここまでもうだうだ言ってるよりも、さっさと終わらせて仕事戻んなきゃ」
「まだ君お仕事続けるつもりなの?!」
「え? あぁフロントは出来ないだろうけど」
 ちらりと自分の服装を一瞥して、遊はため息をついた。借り物なのでこういうのもどうかと思うが、襟が跳ね返っているしわくちゃのポロシャツ。まさかコレでフロントに立つわけにも行くまい。
 キッチンスタッフの面々は、いつも雑用が足りないと愚痴を零しているから、彼らの手伝いをすれば勤労時間に入るはずだ。
 閉口する隻の横で、溜まりかねたように音羽が口を開いた。
「呆れた奴だなお前は」
 彼は仏頂面の口元を曲げて、薄く笑っている。全くもって失礼な奴だと遊は改めて彼の陰険さを再確認する思いだった。
「なかなか、図太いね」
 別に図太いわけではないのだが。マナの言葉にむっと眉間に皺を寄せて、彼女の方を見やる。彼女は相変わらずにやにやと意地の悪い、けれどどこか楽しげな表情を浮かべている。容姿自体は愛らしい、それこそ白い日傘とマルチーズが似合いそうな上品なものであるから、遊はひどく珍妙なものを見た気になった。
 女は嘲るような眼差しを遊に向けて。
「それで、どんな面白い芸を見せてくれるの?」
「いや私なんも芸できないんだけど…ですけど」
 遊はむっと唇を引き結び、不快感を乗せて言葉を返した。
 まぁ人前で見せられるかな、というものはただ一つだ。
 面をあげ、傍に佇んでいたボーイに遊は尋ねた。
「あの、カラオケってありますよね?」
 歌ぐらいのものである。


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