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Stage 4. 春雨攻防戦 4 


「ねぇいい加減に機嫌直そう?」
「やです」
 もぐもぐとエビチリを食みながら遊は即答した。怒りからかどうなのかとにかく遊は空腹だ。腕時計が指し示す時間は夜の九時前。ちなみに目の前で、酒を飲んでいる隻が遊を“拉致した”のは午後五時過ぎ。ストレートでご飯を食べにいったなら、とっくの昔に食事を終えて帰宅しているころである。だが夕食は、つい先ほどスタートしたばかりだった。おいそれとは入れないような中華料理店の奥の席。白いタキシードに身を包んだおじさまが案内してくれた二人用の予約席に腰を下ろしたのは、ほんの数十分前のことだ。
 何ゆえそんなに時間が掛かっているのか。あちこち連れまわされたからである。約束通りご飯食べたら真っ直ぐ帰宅するよ、と笑顔で遊を車にのせた隻が最初に連れて行った場所は、少し外れたところにある高級ブティックだった。
 よっぱらっていた棗を彷彿とさせる勢いで、遊を着せ替え人形としてもてあそんだ隻は、次に遊をエステサロンに連れて行った。ぎゃぉおと悲鳴をあげる遊をオネエサマ方が綺麗に磨き上げた。全てを終えて、シャンパン色のワンピースを着せられた遊がようやく中華料理店にたどり着いたのは、すでに八時を回っていた。
「ご飯美味しいでしょ何も怒ることないでしょちゃんと約束どおり家には真っ直ぐ帰るって」
「私は早く帰りたかったから、真っ直ぐ帰ってねっていったの!」
 がしゃん、と卵粥の入った椀をテーブルに叩きつけて遊は憤然と言った。だが隻は困惑の表情すら見せることはない。ほんの少し肩をすくめただけだ。
「えーでも晩御飯の仕度しなくていいことにしてあげたでしょう?」
「晩御飯の仕度をしなくてよくても鬼のように出された宿題が私を待ってるの」
「ソレぐらい大丈夫だよ」
「隻兄さんと頭の中身違うんでムリ」
「だったらご飯食べるのやめて帰る?」
「ここまできて食べて帰らないの馬鹿じゃない。やだよ食べて帰るよ」
「わーがーまーまー」
「食べ物にはなんの罪もないしここで食べて帰らなかったら絶対後悔するから食べる」
「じゃぁそこまで不機嫌にならなくてもあっごめんなさい」
 諸手をあげて降参のポーズをとる隻を一睨み。遊は気を取り直し、ココナッツのお饅頭を手に取った。ぱりぱりと割って食べながら、楽しそうに遊の食事風景を眺めている隻に尋ねる。
「私にかまって、楽しい? 隻兄」
「うん楽しいね」
 隻の回答は簡潔かつ即答だった。何が、と遊が続ける前に、一呼吸を置いて彼は続ける。
「俺ってさ、かっこいいでしょ」
「普通なら自意識過剰ですねおにーさんと一瞬ヒクところっすが、かっこいいよ冗談抜きで」
 ずず、とジャスミンティーをすすりながら遊は隻の言葉を肯定した。彼を美形と称せないのなら、一体誰を美形と呼べばいいのか判らなくなってしまう。
 隻は満足げに微笑み、深く吐息した。
「女の子はいっぱいよってきてくれてよりどりみどりだけど」
「自慢っすか」
「いやいや」
 隻は苦笑を浮かべ、手にしていた杯をことんと置いた。手元が寂しそうなのは、煙草を吸っていないからだ。煙草を吸わないお嬢さんの前で許可なく煙草を吸ってはいけませんという家訓に従っているのかもしれない。一緒に生活を共にしている割に、彼の喫煙姿をみたのはまだ二、三回であった。
 ほんの少し、煙草を指に挟んでいるときのような仕草で、長い指でとんとんとテーブルを叩きながら彼は言う。
「でも皆同じなんだよね、女の子」
「はぁ?」
「造作の美醜はあるにしろ、まぁみんな同じ。みんな甘い言葉を吐けばうっとりするし、プレゼントすれば喜んでくれるし、デートに誘えば喜んでくれるし、エッチするのは気持ちいいけど」
「そりゃ男のひとに甘くいろいろ囁いてもらえば女の子はうっとりするし、プレゼントもらえばうわこんなのもらっていいのかな嬉しいなぁって思うし、デートに誘ってもらえれば、うわー私特別なのかも、とかって舞い上がるし、その、そっちの方面は私経験ないけど。てかねー兄さん堂々と公衆の面前で年齢制限ワード使うのやめてくださいよもー」
「あ、ちなみにここ角で俺ら以外に誰もいないし聞いてないし安心して」
「そういう問題じゃないんだって何度いったらわかるんすか」
「んまぁそれでね」
「……段々会話するの疲れてきた」
 行儀が悪いと知りつつも肘をついて、はふー、と一息。遠くに視線を飛ばしてみれば、壁に掲げられた振り子が夜の九時を指し示していた。
「ユトちゃんは全部違うよね」
「……えーっと何がですか?」
 ウエイターのお兄さんが運ぶ垂涎物の北京ダックに視線を奪われていた遊は、突然名前を呼ばれ、きょとんと隻を見つめ返した。彼は椅子の背に重心を預け、微苦笑を浮かべている。寂しそうな微笑だと遊は思った。
「優しくしてもプレゼント贈ってもこうやって美味しい料理をご馳走してもてんで効果なし。豪快に俺のこと貶してくれるわ殴ってくれるわ容赦なく突っ込んでくれるわ」
「優しくしてもらえるのはありがたいけどプレゼントは私が本当に欲しいと思うものを贈ってこそ効果があるものだと思うし、美味しい料理は罪がないんでありがたく食べさせてもらっちゃってるけど、でも拉致誘拐されてのことだったから、とりあえずありがたみは半減。お兄さん突っ込みどころありすぎなんだよ。殴ったのは、その年上を容赦なく殴るというのはものすごく失礼だと私も知っているのでそれなりに労力を要したことをご理解いただきたいです。でもまぁ殴られた理由は私の話を聞かないからだと思って兄さん」
「そういうことをマシンガントークで言ってくるのは棗除けば君ぐらいなものでね。ソレが実に面白くて」
「お兄さん実はマゾ?」
「俺に下ネタ禁止してくる割には君もいーかげんそういう言葉でつっこんできたりするよねユトちゃん」
 露骨に顔をしかめた遊に、嬉々として言葉を返してくる隻。遊は本当にこのひとマゾなんではなかとでしょうかとか思いながら、とりあえず空っぽになった湯のみと、箸をテーブルの上に置き、手を膝の上に揃え置いた。
 真面目に向かい合った遊に、隻がほんの少し目を見張る。
「どうしたの? おなかいっぱい?」
「ご飯は後でも食べられるけど、隻兄が真面目に話、しているのにいい加減にきいたら失礼よねと思って」
 隻はきょとんと目を瞬かせた。一瞬笑われるかと思ったが、そうではないらしい。彼は居心地の悪そうな笑みに顔を歪め、一拍後、ふっと表情を消した。
 その瞬間に浮き彫りになる、端整さ。
 それは相手に畏怖すら抱かせる。表情のない人間ってこんなに怖いものなんだな、と妹尾家に来てから遊は初めて知った。
「みんな同じだ」
 静かに、彼は切り出した。
「皆同じ。この外見に惹かれてくる人間なんて、皆。俺の一言で一喜一憂する。虫けらをひねり潰すよりも簡単で、他愛ない。俺が本当にどんなであるか、なんてね、誰も考えない。優しくて綺麗な俺を望んで、それ以外の部分には、見向きもしない」
 ぞっとするような、氷点下の音律で言葉を紡いだ後、隻は一言付け加えるようにしていう。
「渇きがある」
 遊は黙って真っ直ぐ隻を見つめていた。実際、目をそらすことが出来なかったというのが本音だった。
 そして同時に思った。
 凡人の遊には、所詮理解できないことだと。
「だからねぇ。ユトちゃんとしゃべってるとそういうの忘れられてなかなか楽しい感じなんだよね」
 だから次に微笑んでそういった隻に、遊はあっさりと思った通りのことを告げた。
「うらやましい悩みですね〜」
「うらやましい? メンドクサイだけだよ」
「あーでも、いいじゃないですか隻兄頭いいし顔もいいし、少なくとも外見でよってくる人はいるわけで」
「だからねユトちゃん」
「外見があまりよくなければ、内面をみてくれる人どころか人が近寄ってくることもなかったりするんだよ」
 どれだけ性格がよくても、付き合い始めなければ判らない。人が集まらなければ意味がない。世の中性格が一番とはいっても、性格が悪くても多少可愛ければそれでも我慢する人はいるだろうし、性格がよくても外見が可愛くなければ最初にお友達になりたいとも思わないかもしれない。
 付き合いなんてそんなものである。
「外見可愛ければ美人であれば、下手な鉄砲数うちゃあたるでそのうち誰か内面を見てくれる人も現れるだろうし、外見不細工ならその内面どころか友人としてお付き合いも遠慮したいかも、っていうことが多いよ。隻兄さんの悩みなんて超可愛いもんだと私は思うんだけど」
 言われたことが一瞬判らなかったのか。
 怪訝そうな表情を浮かべる隻に、遊は小さく嘆息した。
「でもまぁしんどいことなんて人それぞれだし、隻兄さんの悩み、わからなくもないけど。でも隻兄さんってなんか自分でプレイボーイな自分を作ってそれに酔ってるところがあるでしょ。それなのに今更そんなこと言い出すのってちょっと卑怯っぽいよ」


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