BACK//NEXT//INDEX

8.

 熱愛報道発覚。
 使い古された実に陳腐な見出しだ。僕は女性週刊誌をテーブルの上に放り投げた。長机の上を滑る紙面を取り上げて、眉をひそめてみせるのは樹だ。
「これ、事務所に了解とってあるの?」
「うん」
 コーヒーを啜りながら、僕は頷いた。意外そうに、樹は目を見開く。
「だ、大丈夫だったの?」
「うーん、あんま、大丈夫じゃなかったんだけど」
 そりゃもうこってり絞られたよ。だけど報道させることで、逆に話題を提供しようっていう決定が、うちの事務所とリーズンさんの間で下されたみたいだからさ。
 そういうことも全部想定して、華南はこれを僕に提案してきたんだろうか。本当に、脱帽だよ。
 樹が読む女性週刊誌の表紙についた見出しに視線を滑らせながら、僕は言った。
「でも、華南とは、昔から付き合ってたんだ」
 大嘘も、いいとこだ。


 とにかく、僕と華南は付き合うことになった。表向き。
 そして彼女の手引きによってデートを重ねた。れんげと。
 二股なんてひどい男という意見は却下します。実際には二股じゃないから。というか、れんげとは変わらずオトモダチでしたから、えぇ。
 アパートで会うのは不味いだろうという華南の意見で、外で待ち合わせをすることになった。待ち合わせ場所として重宝しているところは、最近爆発的に増えたカラオケボックス。やっぱりオープンな場所よりも個室のほうが、人の目がない分、華南との会話もやりやすい。居酒屋とかを選ぶこともあるけど、大抵個室を僕達は選んだ。パパラッチに目撃されるのも嫌だしね。


「ここに盗聴器しかけられてたら、一発でアウトよね」
 本日の待ち合わせ場所は居酒屋の個室。刺身の船盛りを突っつきながらの華南の言葉に、僕はやめてくれ、と低く呻いた。
「そんな縁起でもないこというの」
「でも周囲静か過ぎない? もう少し騒がれるかと思ってたのに」
「平和でいいことじゃないか」
 出し巻き卵を突っつきながら、反論する。僕は、平和主義者なんだ。
「うちの事務所とリーズンさんが上手くやったってことだと思うよ」
 何せ、J&M、後ろ暗いことを引き受ける人とかいるって噂だから。怖い怖い。
 そしたらすかさず、華南の訂正が入った。
「私達が上手いからでしょ」
「……ごもっともで」
 その件については賛成だ。華南とれんげは、二人とも上手に互いに化ける。その化け方といったら、僕はばれるのではと冷や冷やするよりも先に、彼女達を「間違えないように」細心の注意を払わなければならないぐらいだった。お見事としかいいようがない。
 そりゃぁ一卵性双生児っていうやつだから、姿かたちは同じなんだけど、雰囲気、口調、仕草も、れんげは華南に似せてくるんだ。
『れんげ、いなかったわ……』
 とか、まさしく華南の口調で部屋に現れた日、僕は本気で華南だと思ってれんげに接したことがある。あとで大いに笑われた。れんげと二人で歩いていたとき、華南と鉢合わせしたこともあるんだけど、それはもう見事な「れんげっぷり」だった。聞けば、昔は頻繁に入れ替わりごっこをしていたのだとか。僕に対しても抜き打ちでそういうことをするのは勘弁してほしいよ。
 うっかり彼女達を取り違えでもしたら大事だ。何せれんげと華南では接し方が違う。レディーには平等に接しろとかなんとか言うやつもいるかもしれないけど、むりむりむり。れんげはとにかく僕を立ててくれていつもにこにこしてるけど、華南は女王様口調ジャイアンルール男なんて滅びろの勢いなんだ。いや、妹に手だそうとしてた僕を嫌ってるだけかもしれないけど。
 なにせ華南は、頭がいいから、けっこうぽけっとしている自覚のある僕にいらいらしてしまうんだろうな。
 頭がよいといえば、入れ替わりの方法も、華南の発案だ。
 まず、ポケベルでれんげから合図がきたら、華南はお手洗いに入る。そこで、変装してやってきた彼女と合流。そこで姿を入れ替えて、れんげが僕のいる場所に戻ってくるっていう寸法。これが、ばれないんだよね。そんな感じで、もう丸々一年が経過してしまったんだから。
「平和ね」
 そんなことを繰り返し呟く華南は、この状況をスリリングでエキサイティング、なんて思っていたりするんだろうか。
「いいことじゃないか」
「そりゃ平和はいいけど……おかしいわね。そろそろ、仕掛けてくると思ったんだけど」
「……仕掛ける?」
 華南の言葉を思わず鸚鵡返しに口にして、僕は首を捻った。なんだろう。パパラッチが? それとも、事務所が?
「なんでもないわ」
 そういって首を横に振った彼女は、頬杖をついて話題を転換してきた。
「そういえばあんた、れんげとちょっとは進展したの?」
「うぐ」
 華南さん、とても鋭い突っ込みですね。
「パパラッチが落ち着いてるのは、私とあんたの仲が硬くて、これ以上女性週刊誌を賑わすような、スキャンダラスな事柄がないからだと思うのよね」
 うん。その通り。互いの事務所が僕らの交際を公表した当初こそ、それなりに賑わった紙面も、今は別のアイドルの顔写真に取って代わられている。一年も経てばそんな話、あったっけかなぁという状態。その上僕も飛びぬけた美形、っていうわけじゃないから、話題性に欠ける。これが二枚目を地でいく、仲間の智紀とかだったら、もう少し話は別だったのかもしれないけれど。
「この平和な間に、あんた、れんげにアプローチはかけたわけ?」
「……えーっと」
 視線を泳がせるしかない。こんな特殊な条件化で逢引を繰り返している僕らは、ただの、ではないかもしれないけど、でもオトモダチから脱出できていないことは否めない。
「……根性なし」
「いや、ほら、お姉さまの許可を貰わなきゃいけないのかと」
「誰がお姉さまよ誰が」
「ひはひひはひ!!!」
 テーブルごしに両方の頬を思いっきりつねりあげられて、僕は涙目になりながら痛みを訴える。ひとしきり僕の頬の限界にチャレンジして、華南はようやっと手を離し、軽く肩をすくめた。
「まったく、あんたと遊んであげてると疲れるわ」
 遊ばれる僕も非常に疲れます。
 頬をなで擦っていると、華南のポケベルが鳴った。合図だ。
 華南はばくばくばくとテーブルの上に載った料理を口に頬張り、それを咀嚼しながら身支度を整え始めた。最後にカンパリソーダを飲み干し、バッグを持って立ち上がる。
「それじゃぁ交代してくるわ」
「ん」
 僕は足を崩したまま頷いて、微笑んだ。
「いつもありがとう」
 ――これでも、華南には感謝しているんだ。
 彼女がいなければ僕はれんげと友人であることすら許されなかったかもしれないし、それに、慣れてしまえばれんげとの待ち合わせの前に持つ華南との会話も楽しいものだった。駆け出しの僕としては、人間関係はどうしてもMARIAの仲間やその周辺に限られてしまう。別プロダクションの人間と交流を持つことの楽しさは格別だった。
 だから、れんげと入れ替わりに姿を消す華南には、毎回、お礼を言うことにしている。
 それに、礼をきちんという理由はもう一つ。
 僕に礼を言われるたびに、少し頬を上気させて口先をへの字にまげ、礼など言う必要はないというように眉間に皺を寄せてみせる彼女の表情が、意外に可愛らしかったのだ。


「待たせたわね」
 合流したれんげは、華南の口調で言った。彼女と知り合ったばかりのころ常に結われていた髪は、華南と成り代わるために解かれて肩に落ちている。その髪を白い指先で耳にかけながら、れんげは先ほどまで彼女の姉が温めていた席に腰を落とした。
 そしてきょときょとと、周囲を見回す。
 一体何を探しているんだろう。僕は彼女の挙動を不思議がりながら、次のアクションを待った。れんげは、先ほどまで華南が持っていたショルダーバッグをを開き、紙を取り出す。銀行なんかで通帳作ったときなんかにくれる、手のひらサイズのメモ帳だ。ぺりぺりって一枚一枚が千切れるやつ。
 その紙面に、れんげは丸っこい文字で、「盗聴器ついてないよね」などという物騒なことを書いてみせた。なんで姉妹揃ってそんな物騒なことおっしゃるんですか。
「な、ないと思うけど……。さっきも、そんな話してたけどさ」
「ほんと? じゃぁ普通でいいかな?」
 少しだけ声量を落としつつ、元の口調に戻したれんげはにっこりと微笑み、テーブルの上並んだ料理に目を輝かせた。
「わぁ、美味しそう」
「華南の食べ残しだけどね……」
 船盛りに鯛のおかしらの塩焼き、湯葉揚げ、揚げ出し豆腐、茶碗蒸し、鳥のから揚げ、エトセトラ。
 どれも綺麗に手が付けられて、食べ残されている。
「半分残しておいてくれてるの。華南、優しいんだよ」
 そういって嬉々としてお箸を手に取るれんげに僕はそうだね、と頷いた。三分の二を残しておいてくれないところが、ミソだよね、と。
 僕の心の声が聞こえたのかどうかは知らないけれど、れんげは彼女の側に集中していた料理のいくつかを、小皿にひょいひょいと盛って、僕に差し出した。
 満面の笑顔で、彼女は言う。
「はい、これ、創の分」
 差し出された小皿を凝視しながら、僕はびっくりしていた。その様子を見て、れんげ自身も気づいたらしい。
彼女が、僕を呼び捨てにしたこと。
「あ」
 皿を持っていないほうの手で口元を押さえて、れんげは顔を赤らめる。そんな彼女の様子に、驚いていただけの僕のほうがなんだか気恥ずかしくなった。
 華南は僕のことを呼び捨てにするけれど、れんげは君付けするのが、普通だったんだけど。
「ご、ごめん、えっと……華南の癖がつい移っちゃって……」
 確かにこうやって個室にいるとき以外、つまり人の目がある場合、極力れんげは華南の振りをしているから、癖が移ったとしてもおかしくはないんだけど。
 どきっとする。
「ごめんね?」
「あ、あやまる必要ないって」
 僕は力いっぱい手を振って、彼女の言葉を否定した。
「だって知り合って長いんだしさ、ぜんぜん呼び捨てでいいんだよ! 仕事仲間とかも、みんな呼び捨てだしさ!」
 控えめな、軽やかな声で、創君、と呼ばれることも捨てがたかったけれど。
 でも名前を呼び捨てって、なんか親密度増した気がしない? 気のせいかな。
「私も呼び捨てでいいの?」
「もちろん」
 僕はれんげから小皿を受け取りながら頷いた。彼女はからっぽになった手をしばし見つめ、ふふ、と笑い出す。
「創」
 僕の名前を再び舌先に転がして、彼女は口元に手を当てる。
「ふふふ、なんか、不思議な感じね」
「そう?」
「うん。なんか、照れちゃうね」
 そういって目元を朱に染める彼女を見ている、僕のほうがテレまくりだよ。
 れんげは頬を紅潮させたまま面を伏せて、自分の取り皿に分けた料理にお箸の先っぽをつけ始めた。
「なんだか、平和で、嬉しい」
 その言葉に、僕はふと、引っかかるものを感じる。
 平和って、その言葉、華南さんもおっしゃっておりましたね。
 一体、どういう意味なんだろう。
 華南が言うと、芸能界関連のことかとも思うんだけど、れんげだと少し違った意味合いに聞こえる。
 何せれんげは、とにかく芸能界に疎い。僕はグループだし楽器が主体だから、単体で目立つことも少ないけど、華南は今をときめく女性歌手だ。いくられんげの家にテレビがないからといっても、華南の歌は有線を引いてるスーパーだとかデパートだとか、とにかく街中で聞くことができる。
 だっていうのに、れんげは今を持ってなお、華南と僕がテレビ局でスタッフとして働いているのだと信じている。
 そういった振りなのかどうかは、僕には判別がつきかねるけど。
 そのれんげは、一体何におびえているんだろう。何が、平穏を脅かすと思っているんだろう。
 彼女達のいう平和の意味を、勘ぐる必要なんて全くなかった。
 答えは、すぐにやってきたのだ。
 ピーピーピー
 食事をあらかた平らげ一服していると、ポケベルが突然呼び出し音を部屋に響かせた。れんげは驚いた様子でバッグの中をまさぐる。僕は口の中に揚げ出し豆腐を頬ばったまま、身を乗り出していた。
「華南からだわ……」
「かはんはは?」
 華南から?
 おかしなことだ。別れたばかりの華南が連絡を寄越してくるなんてことはまずないのに。
「は、な、れ……ハナレロ」
「離れろ?」
 頬袋にためていた食べ物をようやく飲み下し、僕はれんげの言葉を繰り返す。れんげははっとした様子で立ち上がり、コートとバッグ、そしてふわふわのベレー帽を取り上げた。
「ここを、でなきゃ!!」
 尋常でないれんげの様子に、僕も慌てて僕のコートと帽子、テーブルの端においていた財布を手に取って立ち上がる。
 僕の頭を過ぎっていたのは一つの可能性だ。
 つまり、パパラッチか何か、質の悪いものに、ばれた、っていうこと。
 ふすまを開けて外へ。廊下に出てすぐの壁に掛けられていた伝票をひったくり、れんげの手を引いて居酒屋の出口に向かう。華南やれんげが、こういうときのために、彼女達は僕に会うとき、ぺたんこの靴を選んで履いている。スニーカーは紐が解けたり絡んだりすることがあるし、ヒールは折れたりするから論外、だそうだ。まるでサンダルに足を突っ込むときのような素早さで靴を履いてしまったれんげは、僕の早足にもしっかりとついてきていた。
 廊下ですれ違った給仕や酔いの回った客が不審そうに僕達を見るけど、知ったこっちゃない。会計に出てきた給仕スタッフに、僕は伝票と、それを少しばかり上回るお札を渡して外を飛び出た。
「お、お客様!?」
「おつりはいらない!」
 嘘。本当は欲しいけど、でも数百円なら、今の僕の懐は痛まない。
 自動ドアが開くのももどかしく、ネオンサイン煌く繁華街に飛び出る。れんげの手を引き、人通りを掻き分けながら駆け出した僕は、行き当たった大通りでつんのめるように立ち止まった。
「……だ、誰だ……?」
 当惑しながら、僕は誰何に呻く。
 道を、女性が塞いでいる。単なる通りすがりではない。
 彼女は明らかな意図を見せて、僕達の行く道を塞いでいた。
 黒髪をベリーショートにした妙齢の女性だ。すらりとした長身を、シーズン先取りした春物のコートで包んでいる。襟元には、黒とピンクで柄を作ったシャネルのスカーフ。耳元では、シンプルなリング型のイヤリング――いや、あれは、ピアスだったっけ? ――が揺れている。
 背後から、れんげが囁く。
「お、おばあさま……」
 僕は驚愕して背後を振り返った。
 お、おばあさま!?
 れんげは僕の肩越しに女性を見つめ、青ざめている。僕は彼女の視線を追って、改めて目の前に立ちふさがる女性を見つめ返す。
 まったくもって孫がいるようには見えない女性は、ほんの少しだけ目じりに皺を刻み、くっと笑って言った。
「さぁ、詳しい話を聞かせてもらいましょうかねぇ、れんげ」

BACK//NEXT//INDEX