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5.

 はぁ。
 これでもか、というほど大きな、ため息一つ。
 どうしたんや? と声をかけてきたのは流だった。最年長の彼は、何かと面倒見がいい。人懐こい笑顔と、関西弁が人の警戒心をほぐさせて、僕もついついぺらぺらとしゃべってしまう。
「僕の職業ってなんなのかなぁ?」
「アイドルの卵やろ。なんやお前また思い悩んどるんか」
「んー」
 ちらり、と僕は自分の服装を見やる。今日は、デビューのイベントを除けば、初めてのテレビ出演。きちんとお披露目の終わった僕らは、今期デビューの新人ばかりを集めた特番に出演することになっていた。そう。僕は芸能人。そう自覚が持てるまでに、なっている。
にもかかわらず。
「もしかして、まだ言うとらへんのか? 自分アイドルになるんやーって」
「んー」
 僕は流に生返事をして小さく嘆息した。
 季節は、もうすぐ春。
 れんげと出逢って、もう数ヶ月がたっている。晩御飯はよく彼女のお相伴に預かってるし、オフの日には、デート、っていうのはおこがましいけど、二人で出かけたりすることもある。お互いに忙しいし、最近は注意深くもならなきゃいけなくなったから、そんなに頻繁じゃないけどね。
 れんげは本当に可愛い。あのくりくりっとした目だとか、真っ直ぐな黒髪だとか、弾む笑い声だとか。うーん。
「……い。……いい加減に返事せな、どつくでボケ!」
 ごんっ
「っ……たー! もう殴ってるじゃないか流っ」
「返事せぇへんお前が悪い」
 ふん、と憤慨に鼻を鳴らす流。僕は小さく笑って御免と返した。彼は彼なりに僕のことを、心配してくれているのだから
「それで、今日はまたなんで悩んどるんや」
「お察しの通りだよ」
 流の半眼の睨みを受け流しながら、僕は軽く肩をすくめた。
 最近の憂鬱。
 かわいい悩みだとは思うけれども、僕にとっては結構深刻だ。僕は未だにれんげに、僕の職業が何であるのか告げていないのだ。
 何だ、そんなことかと思われるかもしれない。けれども芸能人というものは特殊で、そして僕が所属する事務所は近頃とみに有名になったJ&Mだ。
 アイドルの登竜門に僕は立っている。いくら彼女がどこか流行りものに疎い節があるとはいえ、J&Mの名前を知らないとは思えない。そうしてこれから、売り出される僕ら。れんげの人間性を疑うわけじゃないけれども、ちょっと怖い気がする。
 遅かれ早かれいつかはわかることだろうけれども、それでも僕は、どこか恐怖している。
 彼女に、今までも僕とは違う目で見られてしまうことを。
「でもいつかは言わなあかんことやろ。どうせ近々判ってしまうことやで」
「……そうだね。ねぇ流、彼女いる?」
「おるよ」
「……いたんだ」
 そんな素振りはちっとも見られなかったので、僕は純粋に驚いていた。時々、親戚か誰かに電話していることは、知っているけれども、時々泊まりにいく彼の安アパートに、女の影は欠片も見られなかったから。
「その彼女は知ってるの?」
「これのことかいな。知っとるで当然」
「それでも彼女、態度変わらない?」
「かわらへんな。態度もうちょっと変えてくれてもえぇんちゃうかー思うけど、がちゃがちゃ五月蝿いままや」
 がちゃがちゃ五月蝿いっていうのが一体どういうものだか判らないけれども、流の言い方がやけに信頼たっぷりであったので、僕は羨ましく思った。
 果たして僕は、彼のように真っ直ぐに相手を信頼した恋をしているのだろうか。恋に盲目になって、相手を無条件に信頼しているのではない。僕だってれんげが、僕の職業を言ったところで露骨に態度を変えるような少女ではないことは判っている。けれども、想像ができないのだ。僕がこれからの僕の行く道を告げたときの、彼女の反応が。
 それが、怖くて。
「うー」
「ま、なんでもえぇけどはようカタ付けとかんと、お前大変やで?」
「へ? なんで?」
「何でってお前そりゃ、当然やろ。芸能人と一般人。しかも俺ら、今からデビューするんやで?」
 僕は椅子に腰掛けたまま、傍らに佇む流をほけっと見上げていた。流の言葉に含まれる意味を、上手く汲み取ることができなかったのだ。頭悪いしね。うん。
 僕は次の瞬間、流が呆れた声で紡いだ内容に、少し青ざめた。
「お前がっちり足元固めとかんと、れんげちゃん事務所の上に露払いされてしまうんとちゃうんか?」
 露払い。
 わ、忘れて、た。
 事務所の存在。
 初めてではないけれども、久方ぶりの夢中の恋に、僕は少々舞い上がっていたのかもしれない。念願の、アイドルとしての入り口に立てたことも僕を有頂天にさせていた。間抜けもいいところだ。
 J&Mは、色恋沙汰にとても厳しい。だって僕ら、ブラウン管の向こうの何千っていう女の子たちに、夢を売らなきゃいけないんだから。僕はそこまで顔に自信が持てているわけじゃないけど、女の子たちのかりそめの恋の対象である芸能人に、生々しい『彼女』なんていう存在は不要。
 実際、人気のあるKidsの中には、彼女との交際を隠している人もいるぐらいだ。
 事務所側が、何もいってこないはずがない。
 そりゃぁ僕だって、ただ能天気にれんげとあってきたわけじゃないよ。デビューをかぎつけたパパラッチたちが、新しい話題を掻っ攫おうと僕らの周りにまとわりついている。おかげでれんげと二人であう回数はただでさえ目減りしている。会うときだって、毎回毎回、場所やら時間やらなんやら、いろんなものに細心の注意を払ってきたからだ。それはアイドルの扉を叩き、そして一歩を踏み出したものたちが共有する、防衛本能みたいなもので。
だけど、ねぇ。今このときばかりは忘れていた。事務所による、露払い。
 最大の敵は、身内ですか。
 流の一言によって明らかになった新たな問題に、僕はさらに重たいため息をつく。
 こんこん。
「お?」
「おーい」
 がちゃ、と控え室の扉が開いた。顔を出したのは、樹と匡だった。きちんと衣装を調え、少し緊張した面持ちで控え室の入り口に佇んでいる。
「何時までそこでしゃべってるんだよ。スタジオにそろそろ移動しないとやばいぜ」
「緊張感ないやつらだなぁ二人とも。智紀なんてもうスタジオ入りしてるぜ。探してこいってさ」
 呆れた眼差しを向けてくる二人に、僕と流は顔を見合わせて苦笑する。立ち上がりながらふと、どうしてこの二人が僕達を呼びにくるのだ、と僕は首をかしげた。
「カサちゃんは?」
 本来なら、マネージャーの葛西ちゃんが呼びにくるはずである。
「ちょっとヘマやらかして後始末に奔走中」
「なにやらかしたんだか」
「たいしたことじゃないけどな。カサちゃんも緊張してたってことかなぁ。何せ彼女も初めてのマネジャー業だし?」
 行くぜ、と促されて僕は頷いた。流が楽器を手にとって、歩き始める。僕も立てかけられていた僕の楽器を丁寧に取り上げて、歩き出す。
 流はギター、僕はベース。僕と流がここに残っていたのは、簡単なチューニングを行うためだった。
 スタジオが近くなるたびに、少し緊張に動きがぎこちなくなっていくのがわかって、つい笑ってしまう。
「おはようございまーす」
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
「あ、はいおはようございます」
 スタジオの裏方で忙しなく働く一人ひとりと挨拶を交わしながら、僕らは奥へと進んでいく。裏方からちらりと見える客席には、新しいアイドルたちを一目見ようと集まった人々が、期待に目を輝かせてざわついていた。
「おはようございますMARIAさん」
「お、おはようございます」
 歩み寄ってきたのはディレクターさん。流の傍らに立ち、軽く頭を下げた彼は、クリップボードに留められた紙をぱらぱらとめくりながら、僕らのリーダーである流と打ち合わせを始める。
 前もって大まかなことは葛西ちゃんから聞いているし、リハーサルも一回流しだけなら、先日終えていた。けれども当日になって変更になることだってある。リハーサルで上手くいかなかった部分を考慮しての、出番の順番、タイミング、リハーサルで会うことのできなかった出演者について、等々。
 僕は流と並んで、ディレクターさんの言うことを頭に入れていく。いつのまにか、智紀たちも合流していた。僕と流の背後にならんで、ディレクターさんの一言一句に、相槌を打っている。
「それでは、他の方々のところまでご案内いたします」
 若いADの人が呼ばれて、こちらです、と僕らに平手で道を示した。ディレクターさんは軽く会釈をして、スタジオに入ってきたほかの新人グループのほうへと走っていった。
 別に案内がなくたって、新人歌手の人たちが集う場所は目立つんだけど。
 案内が付くのは礼儀なんだろう。
 僕らは一応トリ、ということになっている。最初は若手の女性歌手がトリを努める予定であったらしいけれども、J&Mの事務所がテレビ局と掛け合って僕らの出番を最後にねじ込んだ。それほどまでに力のある事務所の新人として、僕らは舞台に立つ。
 スタッフの人たち一人ひとりの視線に、どこか畏怖めいた色が垣間見える。これが、これから僕らが背負っていかなければならないものだと思うと、頭が痛くなった。
 この特番に出演する新人は、全部で十組。そのほとんどが、既にそのスタジオの一角に集っていた。緊張を紛らわすためだろうか、チューニングを繰り返しているひともいるし、歌を絶えず口ずさんでいる歌手もいる。幾人かは椅子に座って、水の入っている紙コップを握り締めていた。
「あ、こっちこっちー」
 ぶんぶんと元気よく手をふるのはマネージャーのカサちゃんこと、葛西律子。本来なら、僕達にきちんと付き添っていなきゃいけないのに、一体何やってるんですかこの人は。
 制服さえ身につけていれば、余裕綽々で高校生、下手をすれば中学生で通じる童顔の持ち主だ。その、あどけなさすら浮かぶ顔に満面の笑顔を乗せて、彼女は僕らにむけて彼女は手招きをしている。
 カサちゃんの傍らには、綺麗に着飾った少女と、そのマネージャーさんらしき女の人。
 僕は、眉をひそめた。
 淡いオレンジでまとめた衣装を身につけ、すこし緊張した面持ちでマネージャーさんと会話している少女に、見覚えがあるような気がしたからだ。
 いや、見覚えがある、なんてものではない。
 カサちゃんが、微笑んだ。
「紹介するわね」
 カサちゃんの言葉に反応して振り返った少女に、僕は心臓を鷲づかみされた思いで硬直する。傍らでマネージャーさんが頭を軽く下げていた。
 スタジオの、ざわめきが、遠のく。
 カサちゃんの声だけが、僕の耳に滑らかに滑り込んできた。
「こちら、リーズンプロダクションさんから今期デビューする、聖上華南さんよ」
 綺麗にルージュの塗られた唇を引き結び、会釈するその少女の面影は。
 れんげに、瓜二つだった。

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