BACK//NEXT//INDEX

1.

「馬鹿みたい」
 彼女の努力もむなしく、涙と言葉が零れ落ちる。
「馬鹿みたい」
 彼女は繰り返す。
「いまさら……今更、こんなに好きだったって、気づくのよ、創」
 僕は何も言えない。
 こういう形を選んだのは彼女。そして僕自身。僕はただ、精一杯強がって微笑んで見せるしかない。
「頑張って」
 長い沈黙の後、ようやっと探し当てた言葉は、とても陳腐だ。
 けれどその僕の言葉に、彼女は嬉しそうに微笑んで頷いたのだった。


SISTER


 平成十七年 春

『カンパーイ 』
 みんなで集まるのは、本当に久しぶりだった。
 最近、個人活動が多くなってしまって、滅多に集まることがない。それは仕事だけの話ではなくて。こうやって一緒に飲みに行ったりすることにも言えることだ。
 僕ら、つまり、MARIAのメンバー五人のこと。
 株式会社J&M。男性アイドルを輩出し続ける、大手芸能プロダクションだ。MARIAはそこに所属するロックバンドで、五人のメンバーで構成されてる。リーダーで面倒見のいい増嶋流、気さくで明るい沢口樹、体系を裏切って繊細なところのある永井匡、外見は結構派手目なのに、意外に地味な趣味している今井智紀。
 そして僕、大河創だ。
「新曲無事発表おめでとー!」
 がちん、と盛大な音を立てて、ビールのジョッキがぶつかりあう。ごっごと喉が鳴って、ジョッキの中の琥珀は見る間に嵩を減らしていった。
 みんなのジョッキがテーブルに叩きつけられた後、大きく息を吐いた智紀が笑顔で言った。
「あー本当、やっぱ気持ちいいよ歌うのって。あの高揚感が最高だって」
「ホント久しぶりだったかんなぁ。でもまた夏のツアーが始まるし、嫌っつうほど歌うことになるって」
 うきうきとした面持ちで智紀に言葉を返すのは樹だ。その横で、匡はさっそく並べられた料理を平らげにかかっている。やたらめったらボリュームのある、魚がメインのコース料理に僕も箸をつけつつ、残り四人の会話に耳を傾けていた。
 みんなの会話は面白い。
 トークっていうものは、やっぱりそれぞれの個性が一番出るからね。芸能界で人気を取るために必要な要素は何もルックスだけじゃない。バラエティーの司会だってそうだし、ゲスト、トークショー、ラジオのパーソナリティー、そして、ステージの歌の間に挟まれるおしゃべり。そういった場面で磨いたそれぞれのおしゃべりの技は、こんな日常の場面においても披露される。僕は、みんなの話に耳を傾けることが好きだった。楽しげにしゃべっているのなら、なおさら。
「さぁて本日お待ちかね、暴露大会の始まりだ!」
 ちーんと箸でジョッキの縁を叩きながら、高らかに樹が宣言する。それにぎくりと身体をすくませたのは流だった。
「……え? 何、ほんまにしゃべらなあかんのんか?」
「あったりまえだろう」
「だってずるくないかリーダーだけ俺たちのこと把握してるのって」
 恐々尋ねる流に、智紀と匡が返答する。本日仕事中に発覚した新事実についての暴露話が、当呑み会のメインコンテンツ! とは、樹の弁。実は僕のうかつな一言がリーダーを窮地に陥れてしまったのはここだけの話だ。うーんがんばって、リーダー。
 ようするに、流が妻帯者である、ということを、みんなが知らなかったんだ。僕はてっきり知っているものだと思ってたんだけど。確かに一般公開されていない情報だし、J&Mでも上層部しか知らないんだと思うよ。スキャンダルになりうることにはことに厳しいのがJ&Mだ。だけど、一応仕事を共にしている五人は……ねぇ? マネージャーの葛西ちゃんも知ってるぐらいだし。
「ぎゃははははちょ、ちょととややめぎゃはははははっ!!!」
 ギブアップしてしゃべればいいのに、なかなか口を割らない流を、三人がくすぐりにかかっている。そんなことしても、リーダーはしゃべらないって。口の堅さが売りなんだからこの人。
 そう思いながら傍観していた僕を、智紀がくるりと振り返った。
「創! なにそんな大人しくしてんだよ?」
「そうだってそ知らぬ顔なんかしないでリーダーの口を割らせようぜ」
「あ、そういえば、創は流の事情知ってるんだっけ?」

 ぎく。

「……知ってるっていうほどのものじゃないよ。いることは知ってるだけ。ちょっと世話になったから」
 僕は声を低めて答えた。声量を落としたのは、用心のため。借り切っている部屋は料亭の一番奥だけれども、壁に耳あり障子に目ありだし。
 みんなも一応、これだけ騒いで決定的な言葉は口にしていないんだ。そういうのは、プロの意識が働いているなって思う。
「世話?」
 首をかしげる匡に、僕は曖昧に笑う。実はあまり、このことについて触れたくないのは僕のほうだった。くすぐり攻撃が尾を引きずっているのか、ぐったりしている流はその辺の事情を知っているから、渋い顔をして僕を見ている。
 どう答えるべきかなぁ。
 仲間たちの視線を笑顔でのらりくらりとかわしながら考えあぐねていた僕は、突如鳴り響いた有名時代劇のファンファーレに飛び跳ねた。
「うわっ!?」
「将軍様!?」
「ちょっ、とまって」
 某時代劇の主題歌で催促する携帯電話を取り上げ、僕は相手を確認する。液晶画面に映っているのは、もちろん知っている名前だった。
聖上、華南――……。
「……はい」
 僕はおっかなびっくり受話器を耳に当てた。壁に身体を方向転換。音漏れを防ぐために、受話器にそっと手を添える。
 けれど僕は、そんなこと、しないほうが良かったと即座に後悔した。
『あんたちょっとどういうことよ――!!!』
「――――――っっっつ!!!」
 割れに割れた大音量。甲高い女の声が脳を揺さぶりながら耳の中で反響する。鼓膜を突き破らんとする勢いで携帯から飛び出した叫びは、僕の聴覚を一時的に麻痺させた。
 背後では他の面々がくすくすと笑っている。いいよいいよ。存分に笑ってくれ。
 呼吸を整えた僕は、小さく嘆息しつつ携帯電話に向かって呟いた。
「……ちょっと華南。いま人がいるんだよ後にしてほしいんだけど……」
『人?』
「MARIAのみんな」
『なら平気でしょ』
 ふんぞり返って断言する華南の姿が見えるようだ。僕はこめかみの辺りに軽い頭痛を覚えながら、きっぱりと言い放った。
「平気じゃない。ねぇ華南。どうせつまらないことなんでしょう」
『つまらなくはないわ。私の話は何時だって貴方にとって大事なはずよ』
「あぁもう――判った。マンションに寄って話聞くから。それでいい?」
『用事が終わったらすぐに帰ってきてブルーローズカフェのチーズケーキがお土産よ』
「ちょっと華南。そんなの無理だよそっちに行くころにはカフェは閉まって」
『あとデザートワインも忘れずにね』

 ぷちっ

 言いたいことを早口で並べ立てた華南は、即座に通話を切ってしまう。
「……」
 スピーカーから悲しい発信音のみを響かせる携帯電話を、無言でぱちんと折りたたみ、僕はため息をついた。ふと、周囲が静まり返っていることに気がついて振り返る。その視線の先では、笑いを必死に堪えていた四人のメンバーが、一塊になって僕のほうを凝視していた。
 通話を終えてしまえば息を潜める意味なんてない。みんなの笑いはすぐに爆発して、部屋に響き渡った。
『ぎゃははははははははははははははははっ!!!』
「笑い事じゃないって……」
 ワライダケでも食べたかのような勢いで笑い続ける仲間たちに、僕は脱力して肩を落として見せた。席に戻って僕は食事を再開する。やがてようやっと笑いを収めた――それでも引き攣った腹を抱えてはいるけれども――智紀が、たまりかねたように口を開いた。
「相変わらずだなぁ華南ちゃん」
 華南の女王ぶりは皆の知れるところだ。今更取り繕う気にもなれない。
「で、どうするんやお前。早う帰らな怒られるんとちゃうんか? 華南ちゃんに」
 次々と口上される、からかいの言葉を右から左へと聞き流し、黙々と僕は並べられた料理を平らげていった。だってもったいないじゃないか。お金一応割勘で払うわけだし。
 四人が見守るなかで、とりあえず腹八分目まで特急で料理を腹に収めた僕は、鞄をもって立ち上がった。
「おぉ?」
「あーマジ帰るのかよお前」
「俺ら放って帰るのか、このアイサイカめー」
「だって」
 襖に手をかけて、振り返りながら嘆息した。好奇の光できらきらとその目を輝かせる仲間たちに、にっこりと微笑んでやって僕は言う。
「むさい男たちよりわがままでもかわいい女の子と一緒にいたほうが、楽しいでしょ」
 むさいとは何だー! と笑いを含んだ叫びが帰ってくるが全て無視。僕はひらひらと手を振って、廊下へと足を踏み出した。


 聖上華南は、日本を代表する歌手の一人といっていい。
 年は僕よりも二つ下。KANANのレーベルで年に一度ヒット曲を打ち出す、女性歌手。彼女がせっかくの飲み会の席を中断させることができるのは、彼女が僕の恋人だからだ。じゃければ僕だって仲間を放置して先に帰ったりしないし、女なんて放っておけってMARIAのみんなが怒らないのは、相手が華南だからに決まってる。
 僕と彼女が知り合ったのは僕がデビューして間もない頃だ。そしてすぐに芸能界を代表するカップルになった。つまり、短いスパンでくっついただの破局だのが取りざたされる芸能界でも、僕らは結構付き合い長ぁいカップルとして扱われている。
 そういうことになっている。
 表向きは。
 だけど実際は、僕らが本当の恋人同士になったのは、一年ほど前のことだ。
 じゃぁそれまで僕らはなんだったんだって?
 問われると少し返答に困る。
 彼女は僕の友人であった。まぎれもなく。妹のようでもあった。今は、そうだな。
 わがままで甘えたな妹と、保護者、兼、恋人という感じかな。
 ブルーローズカフェに寄って、彼女ご所望のチーズケーキを買って帰る。ブルーローズカフェは僕らもよく利用する、品の良い洋食屋のことだ。営業は夜十一時まで。ほんと、閉店すれすれ。チーズケーキが売り切れていなかったのも、運がよかった。一緒にデザートワインも購入する。これで、華南の機嫌を損ねずにすむと思うとほっとした。
 合鍵を使ってマンションエントランスのオートロックを外し、エレベーターを使って上階にある彼女の部屋へ向かう。礼儀として、とりあえずインターフォンを鳴らすと、まるで玄関で待ち構えていたかのようなタイミングで扉が開いた。
「まったく! 何やってたのよ遅かったじゃない!」
「何言ってるんだこれでも急いで――」
 玄関口で仁王立ちする人を見つめ返しながら、僕は思わず絶句してしまった。
 まとめて結い上げられた、緩くウェーブした長い髪。すべらかな白い肌を包むのは薄手のセーターと濃い色のジーンズパンツ。どこもかしこも、華奢なか細いパーツで構成されている人だ。なのにその身体に潜む“強さ”は、いつも僕を驚嘆させる。
 華南の顔をした人が、華南の仕草をまねて、なによ、と唸る。
 僕は軽く天を仰ぎ見て呼吸を整えると、彼女に微笑んだ。
「まったく、僕が驚いてケーキを落としたら、どうするつもりだったんだよ、れんげ」

BACK//NEXT//INDEX