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DAHLIA 3

 パシリスコスは駆けていた。
 咆哮はパシリスコスの身体に先駆けて、暗い路地を疾駆する。その咆哮は道行く人々を恐れ慄かせ、退かせる。強化プラスチックのフレームから打ち出される弾丸よりも、早く。
 早く。
 パシリスコスは浮浪都市と呼び習わされる穴倉を、駆けていた。



 その日、ダリアは一向にパシリスコスの寝床に姿を現さなかった。
 パシリスコスは、寝床としている空間の片隅に丸め置かれているブランケットと、その周囲に散らばる彼女の私物を一瞥した。古びた本は湿気を吸って、主の帰りを待っている。
 何ゆえ、彼女がパシリスコスの寝床を訪れないのかは知れない。足の傷の治りが悪いのか、はたまた単にパシリスコスに興味を失っただけか。これで静かに惰眠を貪ることができると、思ったのは最初の間だけで。いくら眠っても、狩に出かけても、彼女のやってくる気配が全くないことにパシリスコスは次第に苛立つようになってきた。
 何かあったのか、と女の身を案じる自分が馬鹿らしくて仕方がない。悶々と様々なことを思案するうち、余計なことにまで思考が及ぶようになってきたパシリスコスは、気だるく重い四肢を起こして、寝床から這い出た。


 ポセインチアロードは、パシリスコスがもっとも苦手とする区画だ。よりよい身なりの男たちを誘うために、女たちは香水をまとう。その臭いは、嗅覚の優れたパシリスコスにとって拷問以外のなにものでもないのだ。
 パシリスコスが専ら街の移動に使っている通路は、天井に程近い通路である。かつて、この街の建設時に作業用として作られたその通路を、人が使うことは皆無といっていい。パシリスコスやこの街に棲息する獣たち、もしくは死体を求めて群れを成す血狐狸の類が、この通路を活用していた。
 ダリアが所属するというレッドへヴンを探して、パシリスコスは下界を見下ろした。二番街は“柱”にも近いせいか、天井が高い。大空洞と呼べる広さの空間の一角を、照明賑々しい娼館が軒を連ねている。ダリアもよく身につけていた、薄布のワンピースの裾を翻して、女たちが街を彷徨い歩いている。彼女らの足取りは幽鬼のそれで。店先から流れ出る歌声は、どの娼婦のものなのか見当もつかない。
 パシリスコスは通路から通路を渡り歩いた。銃声も、嬌声も、悲鳴も、この街ではひっきりなしに響いている。はずであるのに、そのどれかが物覚えの悪い娼婦のものではないかと、パシリスコスは妙に落ち着かなかった。
 結局、特に変わった雰囲気も、ダリアの姿も見つけられず、パシリスコスは寝床に引き返した。
 出歩きたくない日も、あるだろうと己を納得させながら。


 
 浮浪都市は血塗られた都市だ。それはよく判っている。弱いものは生き残ることはできない。強者だけが他者を踏みにじる権利を有する。自分が望む姿で生きたいと願うなら、強くあらなければならない。それが、この浮浪都市だ。
 それは、理不尽ではなかった。
 日常の一部といっても良かった。
 けれども、怒りが。
 湧き上がることだけは止められなかった。



 寝床に帰り着いたパシリスコスを迎えたのは、慣れた血の臭いだった。口元を引き結び、耳をそばだてて気配を探る。通路には身体を引きずったような痕跡が残っている。黒ずんだ染みはまだ真新しく、できてからさほど時間が経っていないことをパシリスコスに知らしめた。
 体毛が知らずのうちに逆立つ。足音を殺して、パシリスコスは奥へと踏み込んだ。
「……ダリア?」
 穴倉の奥で、壁に背をもたせかけ、項垂れているのは他でもないダリアだった。彼女は呼びかけに応じ、緩慢な動作で面を上げ、微笑んだ。
「あー、らいはー。どこにいってたわけ? さがしちゃったわ」
 彼女は僅かに身体を揺すったが、諦めたように吐息した。どうやら、立ち上がろうとしたようだった。が、出血がそれを許さないらしい[・・・・・・・・・・・・・]
 そう、出血だ。
「その傷はどうした」
「御免ね。雷覇の寝るところ、汚しちゃったね」
「その傷はどうした!?」
 半ば叫ぶように詰問すると、ダリアは驚きにか目を見開いて瞬きを繰り返した。彼女の腹部に添えられた手は、黒い、何かに濡れている。彼女がくるといつも火を入れるランタンは、今日は沈黙している。灯りがないためその色を明確に判別するのは難しく、けれどもその臭いによって、一体何が彼女の手を濡らしているのかは知り得た。
 血だ。
 血なのだ。
 彼女の腹部から、おびただしい血の臭いがする。それに混じって、硝煙の臭いがする。破れた衣服の裾から、真新しい打撲の痕が覗いている。
「その傷は、どうした」
 パシリスコスは三度繰り返した。もし人であるならば、もし、本当に声を発していたならば、その音は確実に掠れていただろう。
 ダリアは答えない。ただ、微笑んで、無言で片手をパシリスコスのほうへと伸ばした。
 パシリスコスはその手に導かれるままに身を寄せた。パシリスコスの体毛を、ゆっくりと撫でてくる震えた手のひら。
「ドジを踏んでしまったの。でも、モルモットになることは、避けられたわ」
 彼女はパシリスコスの首回りにしがみつくようにして身体を寄せ、掠れた声で呟いた。
「ねるところ、よごしてごめんね。でもほかに……ほかに、かえるとこ、みつからなか……」
「ダリア」
 ダリアの声はもはやあのよく通る音律を保ってはいなかった。空気の抜ける音が、喉から漏れている。
 彼女は面を上げ、パシリスコスと視線を合わせると小さく微笑んだ。
「そらが、みたい」
「見られるだろう」
 パシリスコスは答えた。気休め程度にしか、ならずとしても。所詮気の利いた慰めの言葉など、かけてやれるほど、自分は器用ではないのだ。自分は独りで生きるように定められた生物――獣なのだから。他者を気にかける必要など、ないのだから。
「上にいくのではなかったのか?例えお前の望んだように緑あふれていなくとも、例え荒れた大地でも、例え水や食べるものに貧窮しても、上には壁がない……自由に、行く場所を決められる」
「……うん」
「空は変わらず広いだろう。ともに見に行こうダリア。空の下、華のように舞うお前を、見たいとおもう」
「……ほんとう?」
「あぁ。だからダリア――……ダリア?」
 ダリアは答えなかった。否、答えることができなかった。パシリスコスの首元から腕がはずれ、ぐらりと彼女の身体が傾ぐ。抱き留めようにも、それをするための腕が、自分にはない。前足を僅かに伸ばすが、彼女の身体は背後の壁にもたれかかり、動きを止めた。
 彼女の薄布は血溜まりに沈み、その赤黒い水溜りは、波紋を幾重にも描いている。酷い出血だ。よくも今まで、呼吸をしていたものだ、とパシリスコスは冷めた思考で感心していた。
 もしかすると、今会話していたのは彼女の亡霊かもしれない。既に、息絶えていたのかもしれない。薄く開いた彼女の瞼の奥、硝子球のような瞳は虚ろで、もはや何も映すことはなく、彼女の手首にはめられた安っぽい金の腕輪が、暗闇の僅かな光りを集めて照り返している。
 華のようだ、と思った。ダリア。そのような名前の花があった。広がる血の跡とスカートの裾が、花弁のように広がっている。
 涙もなく。
 ただパシリスコスは、咆哮した。



 パシリスコスは疾駆していた。暗い暗い、浮浪都市と呼び習わされる穴倉の中を。いつも使う通路ではなく、滅多に飛び込むことのない人の道を。
 獣が人前に姿を現すのは、狩りの折のみだ。存在は知れていても、初めて目にする獣の存在に、あるものは立ちすくんで悲鳴をあげ、あるものは脱兎の如く踵を返し、あるものは屈強にも、これが今夜の食糧とばかりに喜々として銃を構えていた。
 何故、自分が走っているのか、判らない。
 けれども、走らなければならないような、気がした。
 目指しているのはこの浮浪都市を支える“柱”――上へと繋がる唯一の通路である螺旋階段だ。螺旋階段の中央に設えられたエレベーターでは、上へ昇る際に止められてしまう可能性がある。一番街の中央に設えられた巨大な柱を目指し、パシリスコスは銃弾をかわし、邪魔する輩を跳ね飛ばし、雷の如き勢いでもって、覇王の威厳でもって何人も寄り付かせず、通路を疾駆していた。
 螺旋階段はエレベーターの調整用に取り付けられているため、酷く安っぽい。パシリスコスの巨体を辛うじて受け止めてはいるものの、体重を乗せるたびに金属の凹む音がした。
「何なんだこいつぐぁっ……!」
 ばき、という骨を踏み抜く音。パシリスコスの体重は人の身体では受け止めきれない。まともに体当たりを食らえば、その衝撃だけで事切れることもある。
 時折兆弾が弾け、散る火花が毛先を焦がした。上へ上へ。如何な獣でもこの長時間は知り続けるほどの体力を持ち合わせているわけではなく、パシリスコスもその例外ではない。けれども歩みは止まらなかった。上へ上へ。
 たどり着いた最上階には、エレベーターの昇降口を除けば、たった一つの階段が、天井に吸い込まれるようにして伸びているのみだった。銃を構えた男たちを蹴散らし、上へ続く唯一の階段を駆け上る。が、その重厚な扉は開くことなく沈黙を保ち、パシリスコスの行く道を、阻んだ。
 パシリスコスは、咆哮した。胴体に、銃弾が打ち込まれている瞬間も。
 その咆哮は、悲鳴ではない。
 嘆きだ。
 不条理な世界を作り出した何者かに対する、怒りだ。
 牙を剥き、爪を立てる。何者も紙のように容易く切り裂くパシリスコスの爪でもってさえ、扉には僅かな傷すら残らない。上と下を断絶する扉は、パシリスコスを冷たく拒絶した。
 ぱん、と。
 首元に弾けた鉛玉が、パシリスコスの身体を揺るがした。安定を欠いた胴体が階段から滑り落ちる。エレベーターホールの中心に引きずり出された身体に、新たな銃弾が打ち込まれた。
「てこずらせやがって……!」
 誰かが吐き捨てた言葉が耳元に届く。パシリスコスは嗤った。その嗤いが、タダヒトの耳に届くとは、思えなかったが。
 鉛玉に肉を抉られる痛みは、パシリスコスですら、耐え難い。ダリア。彼女の華奢な身体に空いていた穴はからもたらされる痛みは、壮絶であっただろう。自分をあの暗い穴倉で待つ間に耐えた痛みは如何[いか]ほどであったのか。
 こめかみに押し当てられた銃は、重く、口径が広かった。この口から吐き出される鉛を受ければ、所詮は動物でしかないパシリスコスは、あっさりと死ぬだろう。
 それもいいだろうと、パシリスコスは自嘲に笑んだ。
 死ねば肉体から解放される。鉄の壁は無意味と化す。空が見たいと、ダリアは言った。浮浪都市に留まるしかない肉体の枷から解放された彼女は、今どの空を旅しているのだろう。
 かちりと、ハンマーを上げる音がした。
 瞼を下ろしたパシリスコスの耳に。
「待て」
 届いたのは、子供の声だった。
 涼やかな声音だった。変声期前の少年の声だ。こめかみから重さが取り除かれ、男たちの気配が僅かに遠ざかる。
 瞼を上げたパシリスコスに、幼い少年の顔が、映った。
「扉を開けろ。彼はただ、空が見たいだけだ」
「し、しかし」
上層部[うえ]には俺から説明しておく。開けろ」
 それは奇妙な光景だった。
 まだ年端も行かぬ子供が、大人たちに命令を下している。その堂々とした様相から、彼が命令を下しなれているということは、判った。子供の首元では、奇妙な色合いに輝くプレートが細い鎖に繋がれ揺れている。
 まだ、扉が開く気配はない。少年は、業を煮やしたように、苛立たしげに告げた。
「彼は俺の獣[・・・]だ。それで文句はないだろう?」
 僅かな沈黙の後。
 ご、という鈍い音が、頭上で響いた。
 それは断続的にエレベーターホールの空気を揺らした。やがて、光がもれ始める。蛍光灯のそれよりもさらに明るい、光。
「立てるか?」
 少年はパシリスコスの頸の辺りをそっと撫でて、語りかけてきた。
 パシリスコスは無言のまま、身体を起こした。肉に食い込んだ鉛が血管を圧迫し、ぽたたと雫が零れ落ちる。少年は、パシリスコスを支えるように傍らに立ち、パシリスコスの歩みにあわせてゆっくりと階段を上っていった。
 あれほど冷たくパシリスコスを拒絶した扉はあっさりと口を開き、少年と自分を迎え入れる。足を踏み入れた先は無機質な空間であるが、浮浪都市のどことも違う――清潔で、明るかった。こざっぱりとした服装の男女が、手元にファイルフォルダを抱えている。彼らは動きを凍てつかせ、驚愕の眼差しで自分たちを凝視していた。
「こっちだ」
 少年はパシリスコスを誘導し、硝子張りの扉の元へと導いた。どこかにセンサーでもあるのか、自動的に扉は自分たちをさらにその奥へと導き、進むにつれて空間を満たす光量は増していく。
 そうして最後の扉の向こう。
 風と、光と、鮮烈な蒼が、パシリスコスを歓迎した。
 広がっているのは、地平だ。ただ、予想したような黄砂吹き荒れる大地ではなかった。そこに広がるのは、ダリアが夢見心地で語ったような、ありえないと思っていた緑の平原であり、地平の彼方で、蒼穹と溶け込むのは、きらきらと光りを反射する何かだった。知識と照らし合わせれば――それはおそらく、海と呼ばれるものだ。湖かも、しれない。
 満ち溢れる光に、パシリスコスは目を細めた。
「……眩しいな」
「あぁ? あぁ……眩しいな。俺も最初見たとき、思ったよ」
 何気ない一言に、少年が同意を示す。パシリスコスは思わず、少年を振り返った。
「……声が?」
「獣使いっていうのに、分別されるらしい。どの動物の声も聞こえるんだけど、でも特別あんたの声はクリアーだよ」
 よく聞こえる、とおどけたように己が耳を指差した少年は、すぐさま表情を引き締めた。
「名前は?」
「……名前?」
「あるんだろ? 獣には必ずあるものだって、乙――あぁ俺の獣なんだけど、狼のカタチした。えーっと、そいつが、獣には必ず名前があるって、いってたから。あんたは、“獣”なんだろ?」
 パシリスコスが沈黙していると、少年は空を仰ぎながら言葉を紡ぎ続けた。
「俺の獣だって、皆にいっちまった便宜上、これからあんたには俺と一緒に来てもらわなきゃいけないし。怪我の手当てだってしなきゃならねぇしさ。いやだっていうなよ。そうしたら俺お前殺さなきゃいけない上に、俺がお叱りうけちまう。あぁそっか。俺の名前から先にいえばいいのか? えっと……」
「雷覇だ」
 パシリスコスは――今となっては、雷覇は――瞑目した。眩しさが、突き刺さるようにして網膜を焼いていた。
 次に目を見開いたとき、少年は微笑んで雷覇の背を撫でていた。
「いい名前じゃん。ぴったりだよ。雷覇――あんたの走る姿を、見たよ。雷みたいだった。獣の覇者といっても差し支えない」
 少年は微笑みながら雷覇の顔を覗き込み、そして僅かに表情を強張らせる。彼は怪訝そうに首をかしげ、躊躇いがちに尋ねてきた。
「泣いてるのか?」
「……獣が泣くと思うのか?」
「……そっか」
 雷覇の回答に、納得したわけではないだろう。けれども彼は好奇心あふれるだろう子供にしては、らしくない素直さであっさり引き下がり、行こう、といった。
「とりあえず、怪我の手当てしないと。痛いだろ。銃の傷って」
 少年は陽気にそういい、“下”と繋がる建物のほうに向かって、小さく腕を振り上げた。指示を、出しているのだろう。おそらく。白い衣服を身につけた男女が、慌しく駆け寄ってくる姿が、視界の端に映った。
雷覇は再び空を仰ぎ見た。生まれ出る瞬間、文字通り脳に直接叩き込まれていた[・・・・・・・・・・・・]知識は、体験するに等しい生々しさを有する。けれども、実際に目にした蒼は、痛烈といってもいいほどの鮮やかさで以って、今まで雷覇が有していた知識を上書きした。
 果てなく広がる蒼穹と、光。
 吹き渡る風、草いきれ、地上に広がる、鮮やかな色彩。緑、白、黄、そして。
 赤。
 風にゆれる、赤がある。
「あ、おい雷覇!」
 鉛の食い込んだ四肢は、砂を詰めたように重く、絶えず鈍痛が響いている。その身体を引きずるようにして、雷覇はその赤に歩み寄った。緑に埋もれるようにして揺れる華。何故その色に惹かれたのかは判らない。幾重にも細い花弁を重ねて咲くその華は、強く雷覇の興味を引いた。
「全く、勝手に行かれると困るんだよ俺お前を殺さなきゃいけなくなるだろ」
 追いついてきた少年が、嘆息交じりにそう呻く。沈黙するこちらを訝しんでか、首を傾げた少年が、赤い華を覗き込んだ。
「へぇ、珍しい。こんなところに咲くのか? この華」
「……珍しいのか?」
「あーうん。珍しいんじゃないか?俺実際どこに咲くのかしらないけど。あはは」
「……お前」
「ま、どうでもいいじゃん」
 少年はそういって軽く肩をすくめる。踵を返しながら、彼は言葉を続けた。
「いいからそろそろもど……」
「知っているか」
「ろ……って、は? 何を?」
 足を止めた少年は、身体を傾けたまま首を捻っている。雷覇は先ほどから自分の興味を引いて止まない赤い華を、顎で指し示した。
 ――どうして、外に出たいと思う?
「その、華」
 ――え? だって、素敵じゃない? 天井のない、光あふれるところで、踊るの。
「あぁ……気にいったの? その花」
 ――それだけの理由なのか……。
「なんという?」
 ――外に出たら、真っ先に雷覇の前で踊ってあげるわ。
 ――踊るな。
 ――そんな照れなくてもいいのに。
 ――照れるか! どうしたらそういう結論に陥る事ができるんだ貴様は!?
 だって素敵だと思わない?
 写真で見る、空の青は、きっとランタンの明かりの下で見るよりも明るく眩しい。そこでは手を伸ばしても、壁に当たることがない。吹き抜ける風は花と緑の匂いを運んで、鳥が、私の舞いに伴奏をつける。
 ねぇ雷覇。きっと素敵だわ。
 そんな風に、私は生きたい。
 生きたい。
 生きたかった。
 生きたかったの、だろう。
 パシリスコスは瞑目する。その瞼の裏に、鮮やかに女の爛漫な笑顔が蘇った。
 問いに答えなかったことに気分を害したのか、それとも興味がないだけか。
 少年はそっけなく、赤い花の名前を口にする。

「ダリア」

 艶やかに咲くその花は、まるで、風に舞うように揺れていた。


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