第六章 再演する狂信者 2
ガートルード家から下町の潜伏先に戻った直後のことだった。
「女王候補たちを探せないのかい?」
「……クリステルたちを? いま?」
「そう。女王候補さまたちは今、苦境におありなわけだ。そこをあなたがお救いになれば、ちょっとは味方になってくれるんじゃないのかね?」
と、アスマがマリアージュに提案した。マリアージュ、ダダン、アスマの三人で、擦り切れた絨毯の上に座り込み、暖炉の火を囲みながら、今後についてどうするべきか話し合っている最中のことだ。
「女王様になってから女王候補のお嬢様方を探すのもいいけれどね、手遅れにならないかね? あたしが胴元なら、いっちゃあ悪いがそんなまずい商品、もっと早くに手放すよ」
「確かにな」
アスマにダダンが同意する。彼は碗を手元で回して欠けのない部位を探している。
「お姫さん方が姿を消して、三つは月を超えただろ。最悪、聖女の血筋の腹が欲しいどっかのだれかの閨に、もうぶち込まれていてもおかしくない」
「……どこかの、誰か……?」
「状況からして、旧ザーリハとか、聖女の血を欲しがっている地域の連中の可能性が高い。……大陸会議でもそんな話が出ていたしな」
男だから、もしくは聖女の血が入っていないから、指導力のある者が国主として即位できない。
ディトラウトの言葉がよみがえる。
――ペルフィリアは提言いたします。
『各国の治世を煩わせる根本を切り離す……。政教分離の原則を、採択することを』
聖女の血は無能な小娘(マリアージュ)が玉座に就く正当性を与えた。
一方で有能な者たちが滅びに瀕する土地を救う可能性を摘み取る。
血を残すために腹を差し出せと人生を踏みにじられた娘たちもいたのだろう。
気分の悪くなる話だ。
『シンシアの存在は、彼女から受け継いだ血は、その血へ向けられる信仰は、わたくしたちをいまも呪い続けている』
「……もう、間に合わないのかしら」
「いや、そうでもないだろ」
ダダンが茶をすすって、マリアージュに否定を返す。
「相手の目的は姫さんらを殺すことじゃないからな。誘拐された時期から考えて、東はタルターザの蜂起でざわついていた時期だ。ペルフィリアは軍を派兵していたし、クラン・ハイヴだって似たような状況だったって聞く。そんなところを高貴な姫君抱えて抜けるのは難しい」
「西はどうかしら」
マリアージュは絨毯の上に広げられた地図を見た。デルリゲイリアを中心に据えたもので、周辺諸国も紙の隅に記載されている。
「西はザーリハも含めて聖女の血筋が途絶えて混乱している地域でしょう? そちらのほうに直接向かったって考えられない?」
「一理あるな……あっちのほうが治安が悪いから、抜けにくいかとも思うんだが」
「あたしは西じゃないと思うねぇ。多少は遠回りしても、安全を取るんじゃないかって」
アスマが白湯の入った碗を口元へ寄せながら述べた。
「道中の安全?」
「あとは、滞在場所の安全。……やっこさんの目的は、子どもを産ませることだろう? 難民で溢れかえった、食べるにも困る内戦地に、お嬢さまたちを連れて行って、やることやったとしても、子どもは一日二日でぽんと生まれるわけじゃあない。前半は悪阻、後半は身重で下手に動かせない。うっかりすれば流産する。環境が変わると子どもができにくい子もいるしねぇ。だから最初に安全な土地に移動させて、そこで売買、産ませるところまでひと揃い。あたしなら、そうさせるね」
「……元締めにその道の玄人が関わっていることを祈ろう。余計に希望が持てる」
ダダンがデルリゲイリアの地図の上に別のそれを重ねた。西大陸の拡大図だ。その大陸中部、やや西よりの山間部をとんとんと指で突いて彼は言った。
「アスマの考えを採用するなら、場所はここしかないだろ。小スカナジア。聖女教会の膝下だが、国としては中立。何より……手法も確立されているだろ」
デルリゲイリアの貴族は古くから聖女の血筋を魔の公国に売り渡してきた。小スカナジアは商品となった娘たちが最初に留め置かれた土地である可能性が高い。
「昨年は大陸会議で人の出入りが激しかった。いまも残っている奴らが大勢いる。そこに紛れ込めば買手も怪しまれない」
「……女王候補を誘拐したのは、レジナルドなのかしら」
軟禁中のマリアージュに面会の許される聖女教会から派遣された男。カースン家の客分。レジナルド・エイブルチェイマー。
「むしろそれを狙って来たって感じだろ。……すぐにわかるさ。女王候補の姫さんらを助ける過程でな」
「さて、お嬢様たちが小スカナジアに連れていかれたと仮定して……いきなりあっちを調べて空振りっていうのもね。裏付けが取れたらいいけど……何かないかねぇ」
「……聖女の血筋ってどうやって証明するのかしら」
マリアージュは口元に指をあてて首をかしげた。
「犬猫の血統書みたいなのがあるの……?」
「そりゃああるだろうな。相手に偽物だって騒がれたくねぇだろうし……あぁ、そうか。公正証書だ。……マリア、お前、知っている祐筆を書き出せ」
「は? 祐筆?」
祐筆は公文書の専門家だ。正式なあらゆる書面の作成から貴族間の手紙の代返なども幅広く行う。
「アスマも。貴族に入り込んでいる嬢ちゃんたちで、調べられねぇか」
「なるほどね。聖女の血筋にだって証明書が必要。それはそんじょそこらの人間が適当に書いたものじゃないし、これまでに使っていたならちゃんとした書式があるだろうしね」
上級貴族から信用されている祐筆で、昨今の収入や動きに不審な形跡のある者を抽出する。証明書を作成した人間さえわかれば、そこからこの件と関わりを持った貴族、商人、教会関係者をあぶりだせる。
小スカナジアと別の場所へ女王候補が移送されていても、オズワルド商会やダダンの持つ商工協会の伝手を使って跡を辿れるだろう。
碗を盆の上において、アスマは請け負った。
「いいよ、調べさせてみよう」
それから女王候補の足取りがつかめるまでひと月。
小スカナジア手前のちいさな町でダダンの知己たちが彼女たちを保護するまでにさらに一月。
そのときにはもう、マリアージュが玉座から離されて半年が経過していた。
――オズワルド商会が準備した貴族街の空き家に身を滑り込ませ、ひと息吐きながらマリアージュは呟いた。
「シルヴィアナは当主になれるかしらね」
「大丈夫だろ」
不審な点が室内にないか、確認しつつダダンが答える。
「事前にベツレイム派の貴族に顔出しして、父親が下手な動きできねぇようにしてあるしな。ここで事を荒立てて権威を失墜するのは、保身がお好きなご当主の意向じゃねぇはずだ」
「これでご当主になって、マリアージュが助けてくれたって吹聴してくれれば、敵方の勢力も削れるってことねぇ」
布がかかったままの椅子に座り、膝の上にほほ杖をついて、アルヴィナがにっこりと笑った。
「上手くいってほしいね、クリステルのお嬢さんみたいに」
そうね、と、マリアージュはアルヴィナに同意した。
一足早くホイスルウィズム家に戻ったクリステルは、当主たちと衝突し、暫定的な当主となった。いまは急ぎ若手の側近を取りまとめている最中だ。
「というかね、アルヴィナ。あんた椅子はメリアに譲っておきなさいよ」
「はいはーい。ダダンが絨毯を敷いてくれるの、待っているだけでーすよー」
「お前ら、ちったぁ手伝え」
巻いて立てかけられていた絨毯を広げながらダダンが呻く。マリアージュは部屋の奥の彼に問いかけた。
「何をどうするの?」
「使えそうなもん出しておいてくれ。食事にする」
「わかったわ」
「さ、メリアお嬢さま、どうぞ」
部屋の入口に棒立ちするメリアを、アルヴィナが椅子の元まで導く。
彼女のこわばった顔を後目に、マリアージュは水と雑穀の棒を荷物から出した。
「温めて食べるの? そのまま?」
「アルヴィナ、火は出せるか。煙のないやつ」
「出せるわよ。暖炉を点せばよいかしら?」
「あぁ、そうしてくれ。……マリア、雑穀は温める。そっちに小鍋はあるか?」
「待って。探すわ」
マリアージュは調理場と思しき一角の戸棚を漁った。
オズワルド商会が提供した家は、住人が出て間もない、ひとり住まい向けのものだ。広さはミズウィーリ家の執務室ほどもない。家具類も置き去りにされている。自由に使って構わないといわれていた。
マリアージュは小鍋を見つけ、乾いた清潔な布で中を拭った。その中に雑穀の塊を入れて水を注ぎ入れる。あとはその鍋をアルヴィナが点けた暖炉の火に掛ければいい。
「マリアージュも随分と色んなことができるようになったねぇ。えらいえらい」
「……必要だったもの」
それに潜伏中は暇だった。自発的に何かしなければ、気が狂いそうだったのだ。
「マリアージュは……」
メリアが外套の前を掻き合わせて呟いた。
「……ずっと、こんな生活を?」
「半年ぐらいね」
「いやじゃないの? 使用人みたいよ」
「自分のことを自分でしているだけよ。……ところであんたは、いつになったら泣き止むの?」
鍋の中を木匙でかき混ぜつつ、マリアージュはメリアに問う。
メリアは椅子の上で頬を濡らしたまま俯いた。
「……やっぱり、違う。お父様は何もしていない」
「何もって?」
「何もよ! わたしたち女王候補を売り飛ばそうだなんてしていない! お父様は潔白! クリステルやシルヴィアナのお父様たちとは違う!」
「なら、どうしてあなたの御父上は、死に物狂いであなたを探そうとされなかったのかしらね? ……アルヴィナ、これお願い」
「はぁい」
マリアージュは鍋と匙をアルヴィナに任せた。そのまま調理場を離れて、メリアの正面に回り込む。
「残念ながら、あんたたちを探す中で、カースン卿がこの件の中心に近いことは確定なの。たとえベツレイム卿やホイスルウィズム卿のように、女王候補の誘拐にかかわっていなかったとしても、あんたの御父上はほかふたりよりもうんと悪いのよ」
「どうしてよ!」
「リリス・カースンの父親だからよ! 決まっているじゃない!」
マリアージュの怒声にメリアが身体を震わせる。
マリアージュは額に手を置いて長く息を吐いた。
「……わたしは目的があって女王になりたい。でもそれはわたしの勝手よ。リリスが出来のいい女王になれるなら、なってもらったって構わないのよ」
タルターザの混乱の中、姿を消したダイを探す。
そのために女王に付随する人員と権力が欲しかった。
ただ当たりをつけられるなら、いまのマリアージュでも人は探せる。
それを女王候補たちの捜索は実証した。
女王にならなくてもよかった――リリスさえ名君なら。
「正式でもそうじゃなくても、リリスは今、女王の名代で、あんたの御父上はその後見でしょう。わたしを追い回すのは結構だけれど、しなければいけないことはたくさんあるのよ!」
「しなければ、いけないこと……?」
「貴族の意思統一! 城で決議されたことの実行! わたしを女王から降ろすことになって、次の女王をどうするのかで揉めて、国政はいま止まっている状態なのよ! 基本的なものはともかく、取り掛かっていた穀倉の再分配や流民の政策、国防の下準備まで、全部とん挫してるっていうじゃない! 国境の荒れ具合だってとんでもないし……どうしてそっちを放置するのよ! しておきなさいよ!」
メリアたちの行方を捜索する最中、西周りの動向も調べたが、マリアージュが知るより状況は悪化していた。これではあれだけ苦労して大陸会議で話し合ったことまで水の泡ではないか。
「マリア、わかってねぇ姫さんいじめて泣かすなよ」
「いじめるんじゃないわよ。これは愚痴っているの」
マリアージュとて国政の云々は女王に即位して初めて知ったことだ。メリアの無知を嗤うつもりは毛頭ない。
「それに、知らなければ教えておかなければならないと思うわ。知っている人間が」
「マリアージュ……」
メリアが涙を手の甲で拭って問う。
「あなたの言っていることは、お父様がしなければならないことなの? それをする人が別にいるのではないの? 任せておけばいいのではなくて?」
「これはひとりふたりが動けばいいのではないもの。国の事業よ。何百という人間が足並みを揃えなければならない。……その号令役が女王なの。女王がしないなら、後見人が女王に号令しろと指導するべきなのよ。ルディア夫人なら少なくともそうする。でも、あなたの父親は怠った」
「……それは、怠ってはいけないことだったの? していないだけで、わたしたちの誘拐を謀った方々よりも悪いの?」
「……言い方が悪かったわ。どちらかが悪いか、なんて、審判する権利はわたしにはない」
でも、と、マリアージュは言い置いた。
「今回、放って置かれたままのことは全部、国が荒れないように、大きな戦争にならないように、大勢が議論を重ねて、実行を決定したことばかりだったの」
「戦争って……そんな大げさな」
「口出しするのもなんだがな、姫さんよ」
部屋の隅に寝具を広げながらダダンが口を挟む。
「マリアージュが昨年末に顔を出していた大陸会議の目的を知っているか? 国がばたばた倒れて、あっちやこっちでドンパチしている大陸をどうにかするために、生き残っている国同士で協力しようっつう会議だ」
「……存じません。……あなたの言っている意味が、わたくしにはわかりません」
「わかりやすーい言い方をするとね」
暖炉の火に掛けた鍋をかき混ぜていたアルヴィナが言った。
「国中で、家が壊されて人が殺されて生き残った人も食べるに困って誘拐されたり売られたりちょっと前のあなたみたいに檻に入れられたりっていうことがたくさん起こっているから、一緒に対策を立てましょうって会議だったのね」
「そこで決められたことまで、あなたの御父上と妹君は放置している。まだ女王ではない? 女王を蹴落としたぐらいなんだから、屁理屈こねてそれぐらい官にさせなさいよって思うわ。まごうかたなき悪よ」
「さぁて、お食事できましたよぉ」
食事は雑穀の粥だ。塩味が効いていて、少量で腹が膨れる。湯が使えないときは雑穀をそのまま齧ってもよい。ダダンの言うところの、一般的な携帯食だという。
女王のままであったなら、目にすることもなかっただろう。
マリアージュはメリアに碗を渡した。それを受け取りはしたものの、彼女は沈んだ顔で黙り込んだままだった。
椅子は一脚しかなかった。マリアージュは絨毯の上に腰を下ろした。
対面に胡坐をかくダダンが綿詰めを投げて寄越す。
「冷やすな。体調を崩す」
「投げないで。碗の中をこぼすじゃない」
「あ、熱いから食べるときも気を付けてね。はい、匙」
「ありがと」
アルヴィナから匙を受け取って、マリアージュは碗の中をかき混ぜた。
「さてさて」
白湯を配りながら、アルヴィナが言う。
「シルヴィアナのお嬢さまはお父様の説得に何日かかるかしらねぇ」
「最大で二、三日か。それ以上は変わらないだろうな」
「シルヴィアナの連絡がなくても次に移るわ」
「はぁい。わかっていますよぉ」
アルヴィナがひらひらと手を振り、ダダンが頷く。マリアージュは彼女たちに微笑んで、粥を口に運んだ。
今回の貴族街潜入を最後にマリアージュはもう城下へ戻らない。
クリステルの協力で王城へ戻るつもりだ。できればシルヴィアナも力を得て、マリアージュを支援してくれるならありがたい。彼女がベツレイム家を掌握するまで待てる限界が三日だ。
そのときにメリアをカースン家に帰す。
「悪いけど、もうちょっとだけ付き合ってもらうわよ、メリア」
「……わたしを人質にとるの?」
「そんなところね」
メリアを先に帰さなかった理由は多々ある。
彼女の父はリリス・カースンの父親だ。レジナルド・エイブルチェイマーを庇護者でもある。会うには相応の手順が必要であり、そのためにメリアが必要となる。
加えて、リリスがいる以上、うかつにメリアを帰せば、殺されることもありえる。
だから彼女にはもう少しマリアージュと共にいてもらう。
ばしゃっ、と、熱い何かが頬に跳ねる。
マリアージュは瞠目して振り返った。眼前に魔術の陣が浮かんでいる。燐光を零しながら消失するそれにマリアージュは瞬いた。
ダダンの怒声が室内に響く。
「おい、何しやがる!」
彼の怒りはメリアに向いている。
「マリア、ごめん。飛沫がちょっと飛んじゃったね」
「大丈夫……」
アルヴィナに答えながらマリアージュはメリアを見た。空になった碗を握りしめて彼女は戦慄いている。
「そんなにも……そんなにも、女王様になりたいの!?」
「なりたいわよ」
マリアージュは答えた。
「あなたの御父上だって、そんなにも娘を女王にしたいから、わたしを玉座から引きずり落としたのではなくて? おかげさまで、大変だったわ。この半年、ずっと追い回されてね」
「逃げるからいけないのよ!」
「逃げなければ死ぬもの」
メリアが瞬いてマリアージュを見た。
マリアージュは言い含めるようにゆっくりと告げた。
「わたしは、死ねと言われたの。座を退くだけではなく、次の女王の邪魔になるから、死ねとね。だから、逃げたのよ。いまも、逃げているの」
「……殺されないために、女王になりたいの?」
「それもあるわね」
マリアージュはメリアに首肯した。
「逃げるという選択肢も最初はあったわ。……でも、玉座を望んだわたしのために、動いている者たちがいるわ。いまここで、わたしが全部を投げたら、彼らが総じて死の毒杯をあおるかもしれないのよ。彼らを放り投げて何も思わずに生き延びられるほど、わたしは強くないのよ」
ふとマリアージュはカースン家の当主はなぜメリアをそのまま女王に据えなかったのかと思った。
権力欲しさであるなら、メリアが女王でも問題なかっただろうに。
「……リリス」
「知らない知らない! わからない……マリアージュ、わからない! あなたの言っていることが、何も!」
メリアがそのまま泣き伏せる。
マリアージュは質問を飲み込んで娘を眺めた。
その姿になつかしさすら覚え、マリアージュは瞑目して息を吐いた。