第十章 契約する帰還者 2
「どういうことだ?」
真っ先に反応した女王はこれまで沈黙していた、ゼムナムの女王アクセリナだった。
年齢はまだ十に届かないはずだ。最年少の女王である。彼女は幼い丸みを残す顔に憤りをあらわにした。
「朕らは宰相らを助けるために、ここに集まったのではなかったか。そう簡単に殺すと言うとは、見損なったぞ!」
「陛下」
感情的なアクセリナをサイアリーズがたしなめる。
アクセリナは大人しくなったが、下唇を噛みしめてマリアージュを睨んでいた。
マリアージュは苦笑して執政者たちに告げた。
「うちの宰相に順を追って説明させます。……ロディマス」
「我が君が申し上げた通り、《西の獣》の今後、特にペルフィリアのことを考えるなら、王位条件の変更は必須です。我が君はペルフィリアの王冠を預かるだけで、ペルフィリアの民には自立を促すつもりでいます」
もちろん彼らの生活を整えるため、最低限の支援をするつもりではあるが、デルリゲイリアの資源も有限ではないし、支援が欲しいのはこちらも変わらない。
共倒れにならないように、双方の長期的な利益につながる貿易の関税調整などを主力とした支援にするつもりである。それなら何とか捻出できなくもないと、予め国許で文官に計算させた歳費と、ペルフィリアで手に入れた国の歳費の内訳を比べて、ロディマスに試算してもらった。
逆にマリアージュがペルフィリアの主権を握ると、もっと細部にわたって土地を見なければならない上、民衆が侵略を受けたと悪感情を抱く可能性がある。
「デルリゲイリアの負担から見ても、東部から恨まれたセレネスティ陛下の二の轍を踏まない意味でも、ペルフィリアは自身で王冠を戴かなければならない。それには、王位継承条件を掌握する、聖女教会の承認が不可欠です」
勝手に王位条件を変更してもよいのかもしれない。しかし教会が敵に回り、呪われるとまた囁かれでもしたら、せっかくの新しく王を立てても、統治どころではなくなってしまう。
聖女教会から、男子でも呪われない、王位を認める、と、宣言してもらう必要があるのだ。
「そのために聖女教会に恩を売ります」
「……恩?」
「セレネスティ女王の王位詐称疑惑は、侵略された東部民が主体となって流した不名誉な噂で、聖女教会は彼らに利用された被害者である」
ロディマスの言葉に執政者たちが息を呑む。
ドンファンの女王が彼に尋ねた。
「それはつまり……わたくしたちはセレネスティ女王の王位詐称を検めにきたのではなく、聖女教会の名を謀ったものたちを断罪しにきた、と、筋書きを書き換える、ということですか?」
「おっしゃる通りです、ファリーヌ女王陛下。……いえ、聖女教会に属していたものが、関与していた点は明らかにすべきでしょう」
ペルフィリアが荒れたのは、教会から男子だと糾弾された女王に民衆が不信感を抱き、さらに国が呪われて滅ぶことを恐れたためだ。
そしてそれは各地の教会施設から発信された。まったく教会が関与していなかった、と言うには無理がある。
だが、「聖女教会に属していた者」に罪をかぶせることは出来る。
「首謀者はあくまでレジナルド・チェンバレン。元ペルフィリア貴族であり、聖女教会に所属していた男が画策してしまった陰謀に過ぎず、各地の教会関係者は騙されただけ。彼がセレネスティ女王へ復讐の機会を狙う、ペルフィリア東部出身者と共謀し、ことが大きくなった」
「そして教会本部は、彼らを止めようとし、だからこそわたくしどもにセレネスティ女王、イェルニ宰相の保護を求めた……。そう、おっしゃりたいのですね?」
ドンファンの女王の確認にロディマスは微笑んで首肯した。
「レジナルドと共謀した聖女教会関係者が何人かいたことは認めてもらう必要がありますが、聖女教会に罪はない。ペルフィリアは呪われて荒れたのではなく、あくまで民族融和に失敗した結果であるとします」
《光の柱》で聖女教会は打撃を受けた。
彼らの急進派がその事件を引き起こしたと、為政者たちは知っているし、明らかに弱体化する。いま以上にそれが極まると、教会の威信を求めてますます聖女の血に固執する可能性がある。
元々、イェルニ兄弟の保護は、大陸会議の方から横やりを入れて、聖女教会に認めさせた。
それを変える。
イェルニ兄弟の救出は聖女教会からの発信であり、ペルフィリアを守ろうとした側であるとする。大陸会議に名を連ねる各国で、聖女教会の威信を守る。
聖女教会は《魔の公国》の流れを汲む政治組織だ。交渉の余地は充分にある。
ドッペルガムの宰相が顎に手を当てて呟いた。
「……確かにその方が、東部と分割する意味付けもしやすい。これ以上の衝突が起こらないよう、聖女教会の名で分割し、小スカナジアから女王を置く。レジナルドと通じていた者たちの処罰もしやすいでしょうな」
「ですがこれを行うにはひとつ、問題がございます」
ロディマスが声を張った。
「もしも、セレネスティ女王が本当に、性別詐称をしていた場合です」
というかしている。デルリゲイリア側は彼らの事情まで細かく把握している。世紀の大恋愛をしでかしている臣下のおかげで。
「セレネスティ女王は行方不明なので、もはや追及のしようがございません。ですが、イェルニ宰相が生きていると、真相を隠す折に差しさわりが出る」
「……兄妹を名乗っていたのだから、事実はどうであれ、すべてを知る人間がイェルニ宰相だね。ということは、生きていると、罪を被せられた側の縁者が……」
「そう」
サイアリーズの呟きにロディマスは頷いた。
「イェルニ宰相を狙って騒ぐ。教会側も扱いに困るでしょう。だから、いま、殺してしまうのが一番よいのです」
彼は暴動を起こした東部のひとりに刺されて意識不明である。傷は癒えているが、そのことは上層の一部にしか明かされていないし、このペルフィリアに来た大多数の人間が、彼はもはや虫の息だと思っている。
いつ死んでもおかしくない。そう思われている。殺されたとしても、わからない。
「この件に同意していただけるのなら、ペルフィリアの件は責任をもってデルリゲイリアが見ましょう」
両肘を卓に突き、組んだ手に顎を押し当て、マリアージュは為政者たちに告げた。
ファーリルの宰相が困惑した顔で問う。
「マリアージュ女王陛下……。それは、我々がペルフィリアに、援助を行わなくてもよい、という意味でしょうか?」
「もちろん、復興費の一助として、ペルフィリアを通過する荷の関税率を融通していただくなどはさせていただければと思いますし、ペルフィリア貴族との話し合いに皆さまも入っていただければと思います。援助や人員を拒むということもありません。が、皆さまには東部を主に見ていただきたいのです」
これは魅力的な提案のはずだ。支援に食い込むことはできるが、金は出さなくてもいいと言っているに等しいのだから。
「……関税率などはどの程度に調整されるおつもりでしょうか?」
「それは合意をいただいてから、ロディマスから説明させます、カレスティア宰相」
どちらにせよ、大まかな方針が決まらなければ、細部は決めかねる。
マリアージュは組んでいた手を解き、一同を見回して冷厳に告げた。
「いかがでしょうか、皆さま。わたくしの案に、ご賛同くださいますか?」
――ペルフィリアの王都の大陸会議は、五日を経て終了し、修繕を終えた無補給船で女王たちは己の国へ戻っていった。
会期中、ドッペルガムから特使が小スカナジアに向かい、聖女教会本部と交渉。大筋は大陸会議で話し合った通りとなり、教会は急進派に属していた者たちを事前に破門していたと公表。レジナルド・チェンバレン以下、百名以上の教会破門者と、クラン・ハイヴの市長たち、および、ペルフィリア東部の一部領主が聖女教会と、七か国の女王たちの連名で処断された。
聖女教会からすでに破門されていた者たちが、クラン・ハイヴを唆し、ペルフィリアと開戦したことに端を発する一連の事件は、《聖教騒乱》として史書に載り、他大陸の国々にも経緯を伝達されることになる。
一方、ペルフィリアは領土を縮小。東部は旧国の領土に戻され、小スカナジアより女王となるべくメイゼンブル宗家傍系の女子が遣わされることになる。
同時に大陸会議に名を連ねる七か国から官吏がペルフィリアに派遣。
ペルフィリア貴族は生き残り、ゼノ・ファランクスを代表として据え、デルリゲイリアを筆頭とする他国の官吏たちと、今後について話し合うことになった。
と、ここまでが、大陸会議ののちに起きた出来事の簡単なあらましである。
「え、ヤヨイさん、帰るんですか?」
「はい。残念ですけれど」
ダイの問いにヤヨイが眉をへにょりと下げる。
自室で着替えを彼女に手伝ってもらっていたダイは、悄然と肩を落とした。
「……元々、お手伝いできてくださっただけでしたね……。全然、そんな感じがしてなかったんですけど」
「わたしもセトラ様のお手伝いするの、とても楽しかったんですけれど。里の仕事もあって……」
ヤヨイがアルヴィナに連れられ、ダイの女官となってから、半年以上が経っている。共に活動した時期はその半分にも満たないが、特にペルフィリアから戻ってきてから二ヶ月は、体調の優れなかったダイの傍であれこれと世話を焼いてくれた。年が近いこともあって、昔からの友人のように仲良くしていたのだ。
「セトラ様もお元気になられましたし、ちょっと……いえ、とっても寂しいんですけど、戻りどきかと思いまして」
「いつまでですか?」
「次の安息日までです」
「そうですか……じゃあ、その前に、お茶会でもしましょう。皆で甘いもの持ち寄って」
「ぜひ。でも、セトラ様、お時間あります?」
「……ないかもしれません」
上着の袖に手を通し、ダイは遠い目をした。
ダイがデルリゲイリアに戻ったのは大陸会議がまだ開かれている最中だった。高熱を出したせいで、マリアージュに強制送還を命じられたのだ。アルヴィナが反則をして、ダイをその日のうちにデルリゲイリア王城へ連れ帰った。
タルターザで怪我を負ってから、身体が弱くなっていたところに、クラン・ハイヴへ行き、ペルフィリア王都へ無茶な旅をした。その無理がたたったらしい。体調のよい日はたまりにたまった書類仕事を片付けたり、留守を任せていた人々に挨拶をしたりしていたが、二ヶ月、ほぼ寝台の上だったと言える。もちろん、処理しきれていない仕事が山積している。というか、化粧の腕が落ちていそうで怖い。ヤヨイたち傍についていてくれた女官に、たまに手習いするぐらいで、本格的な仕事を全くしていないのだ。
「書類が少ないといいなぁ……。お化粧したい」
「ふふっ、安息日までなら練習台にはいつでもなります」
「お願いします。……さて。じゃあ行ってきます」
「はい。行ってらっしゃいませ」
部屋の片づけに入るヤヨイに手を振り、廊下に出るとブレンダが待っている。彼女に付き添ってもらいながら、ダイは執務棟の方へ向かった。今日は三日ぶりにマリアージュと会うのだ。
大陸会議ののち、マリアージュは加速度的に忙しくなった。デルリゲイリア全体の復興に加えて、ペルフィリアまで背負うことになったのである。通常の政務の合間を縫って、方々の現地視察にも出張っており、今日は近場の領地を視察しての戻りの日だった。当然、ダイは王城で静養を厳守されていて、マリアージュには化粧を覚えたダイ付の女官が付き添っていた。
(いや、本当に、これまでになく、化粧師としての存在意義の危機じゃないですか……?)
唸りながら歩くうちに、マリアージュの執務室に到着した。
ダイが入室すると、文官たちに囲まれたマリアージュが、眉間に渓谷のような皺を刻んでいた。
ダイは主君に一礼した。
「お帰りなさいませ、陛下。……えぇっと、肩でもお揉みしましょうか?」
「そうしてもらいたいのはやまやまだけど、今日はいいわ。あんた、体調はどうなの?」
「おかげさまで。通常業務は問題ないかと」
「そ。とりあえず、持ち直したならよかったわ。また熱だしたら寝台に戻らせるからね」
「うう、気を付けます」
ダイの回答にマリアージュは微笑み、署名と捺印を終えた書類の束を文官たちに渡した。執務机に手を突いて立ち上がり、軽く伸びをする。
「はぁ……疲れた。ダイ、散歩するわ。付いてきて」
仕事はダイが来るまで、としていたらしい。文官たちも案件を持ち込まず、ダイたちに道を開けて下がっていく。
散歩は久しぶりだな、と、思いながら、ダイはもちろんです、と、主君に返した。
季節は花季に移り変わっていた。
社交の最盛期。王宮も開放しているから、地方から王都に来ている貴族たちの姿もあって、城はどこも騒がしい。棟と棟の間に造られた中庭も花の盛りで、ばらを中心とした色とりどりの花で溢れかえっていた。
やわらかな陽光が落ちる廊下を、少し距離をあけた護衛たちに先導されながら、ダイはマリアージュと歩いていく。暖かな陽気に眠たげな目をした主人は、馬車移動ばかりで疲れただとか、書類仕事は肩が凝るだとか、とりとめのない話ばかりをした。
ならばダイは主人に、休憩室でゆっくりしてもらいたかった。外の空気でも吸いたかったのだろうか。
それにペルフィリアの件の詳細を語る気配がまったくない。実はペルフィリアの領土が分割されることと、中央から西をマリアージュが仮の女王として預かることになったこと程度しか聞いていないのだ。皆はマリアージュから話されるまで待てと言うし、なのにダイは体調不良で、マリアージュは仕事で、ふたりで話せるまとまった時間がこの二ヶ月なかった。今日こそは話を聞きたいと、ダイは密かに意気込んでいたのである。
「あの……マリアージュ様」
「あぁ、そうそう、ペルフィリアの件なんだけど」
王城の奥、陽光が窓のかたちを床に描く通路のただ中で、マリアージュは唐突に立ち止まって言った。
この辺りは迎賓棟が溢れたときに臨時で開放される予備の客室ばかりが並ぶ棟で人気がない。近くの中庭に小川でもあるのか、換気に開けられた窓からさやさやとせせらぎが聞こえてくる。
「アレッタから聞いたかしらね。ペルフィリアの旧領地……東を併呑する前の、元の領地ね。それがわたしの預かりになったから」
「あ、はい。それは聞きました……」
「そのせいでわたし、多分、これからもうホント、くっっそ、くっっっっそ、忙しくなって、城を空けることが多くなると思うんだけど」
「マリアージュ様、そのクソとかおっしゃるのやめてくださいって何回いえば」
「人の話を遮らないで、最後まで聞きなさいよ」
「ハイ」
「それで」
主君から鋭く睨まれ、ダイは押し黙った。人の話を遮ることは確かに礼儀に悖るので、とりあえず彼女の気が済むまで口を閉ざすことにする。
「わたしは城を空けることが増えても、あんたは少なくとも一、二年、王都に残ってもらうから。療養のためにね」
ダイは渋面になった。
医者からも充分に養生するようにダイは言い渡されている。仕方ないとはいえ、落胆は隠せなかった。つまり、さっきも思ったが、マリアージュから離れるということは、化粧師としての仕事がなくなる、ということである。《国章持ち》としての業務は山積しているが――それは、職人としてどうなのか。
マリアージュがダイと向き直り、両腰に手を当てて呆れた目をする。
「予想通りの顔。だから言っておくわね。……あんたを療養させるのは、これから先もずっと、ちゃんとあんたにわたしの顔を任せるためよ。見放すためじゃないから。腕が鈍らないように女官なりなんなりの顔を使って練習しておくのよ」
「――マリアージュ様……」
「あんたはわたしという女王の化粧師だから」
マリアージュは微笑んで、厳かに告げる。
「わたしの治世の象徴だから。無理して早々と死なれたら困るの。――一度しか言わないから、よく聞いて」
マリアージュがダイに言い含める。
そうされずともきっとダイは耳を澄ませていただろう。自らが選んだ主君の言葉に。
「ありがとう、ダイ。ディアナ・セトラ。わたしの化粧師」
囁くような声音だった。
それでも静かな廊下にマリアージュの声はよく響いた。
「あんたがいたから、わたしはここまで来た。……まだまだ、問題が山積みで、戦わなければならないこと、するべきことがある。だけどあんたがいればわたしはきっと、それらに臆せず立ち向かえるでしょう。いままでのように。これからも」
初めて出会ったとき、マリアージュは自分への自信を喪失し、女王になどなりたくないと、癇癪を起こしていた。
何もわからない、すべてが怖いのだと、泣いて喚いていた、未熟な娘はもういない。
「だから、付いてくるのよ。最後まで」
深い感慨にダイは下唇を噛みしめる。
微笑みを取り繕い、震える声でダイは応えた。
「もちろんです、陛下」
「……まぁ、そういうことで、これまであんたは色々してくれたし、これからも色々してもらうし、その報償をね、あんたに渡そうと思ってここまで来たわけ」
「……は? 報償、ですか?」
「そう。この部屋に置いてあるから、確認して」
顔から真剣さを消し去ったマリアージュは、ぽん、と、ダイに鍵を渡し、すかさず隣にあった扉を指さした。
唐突な話の転換について行けない。呆然とするダイにマリアージュがくるりと背を向ける。
「じゃ、わたしは先に執務室に帰るから」
「えっ、えっ、マリアージュ様!? 報償ってな、いや、あの、もっと訊きたいことがあるんですけど!?」
「ペルフィリアの件ならロディに訊いて。もう話していいって許可だしたから。報償を確認したら適当なところであいつんところに行きなさいよ」
貸してもらいたいとも言ってるし、と、何だかわからないことを言って、マリアージュが護衛を連れて、ひらひらと手を振って去っていく。
ブレンダとふたり残され、ダイは彼女と顔を見合わせた。
「あの……どうするべきだと思いますか?」
「とりあえず、部屋を確認されるのがよろしいかと。わたくしは外におりますので」
ブレンダが扉から少し離れて控える。
ダイは疑問符を頭上に浮かべながら、マリアージュの命令に従って、報償とやらを確認すべく、示された客室の前に立った。
渡されていた鍵を差し込む――鍵は、簡単に開いた。
恐る恐る、扉を開く。
大きな窓いっぱいの、空の蒼が見えた。