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第八章 潜入する救援者 3


 ディトラウトは兵が持ち込んだ書き取りに目を通していた。中身はレジナルド・チェンバレンの拷問についてだ。レジナルドが吐き出した情報のまとめは、すでに別の兵が外部に持ち出し、一部は地下の金庫に入れたとのことだった。
「よくやった。お前も行きなさい」
「閣下……」
「通路に入ったら入り口は潰せ。わかったな?」
 ディトラウトの命令に躊躇った兵は玉座を振り返った。セレネスティは座して動こうとしない。報告を持って現れた三人の兵に、気を付けるんだよ、と、笑って声を掛けるだけだ。
 拷問結果の報告は不要だと事前に伝えてあるのに、ヘルムートはわざわざ三人の精鋭をこちらに寄越した。その行為の意味はわかるが、彼が孫同然に支援していた孤児上がりの精鋭には早く逃げて欲しかった。ペルフィリアの未来のために働ける存在は貴重なのだ。
「サガン老を頼む」
 ヘルムートはレジナルドを連れて都を抜け、然るべき機関に出頭する。彼自身も果てしない拷問を受けるのかもしれない。そうなる前に自死するのかもしれない。
 わからない。偽りの女王を玉座に着けた首謀者として、どのように責を取るつもりなのか、彼は何も語らずに行ってしまったから。
 ただ自分たちもここから動くつもりはない。
 兵たちは自分たちへ丁寧に一礼して去った。
 壁を隔てた向こうで小さな爆発音がする。隠し通路の入り口を、命令通りに崩したのだろう。
 セレネスティが玉座の背にもたれて息を吐く。
「さて……ゼムナムは何で乗り込んできたと思う?」
「……聖女教会の急進派を追いかけてきたか、ペルフィリアを侵略するためか」
「だよねぇ。……さっきの報告からすると、《光の柱》はレイナが立てたらしいけど、あれと繋がっていたチェンバレンとやつが引っ張ってきた急進派と僕らを纏めて潰すためっていうのが妥当かな」
 港に付けられた無補給船はゼムナムを母港に定めているものだ。梟が遣い魔で周囲を哨戒し、下船した兵たちの制服を確認して判断した。彼女は再び遣い魔を飛ばしに部屋を出ている。
「ゼムナムからすると、わたしたちの存在は都合が悪いでしょうしね」
「男が何年も女王をしてて何もなかったっていうのはねぇ……。下手するとゼムナムを割るだろうしね」
 ディトラウトが知る限り、ゼムナムは現女王であるアクセリナ派と、サイアリーズの血縁であるアバスカル派に割れている。後者は聖女の血、つまり、メイゼンブルの血が濃い娘が女王であるべき、と主張し、内乱で斬殺された先々代の王室から見てやや血が薄く、まだ十にも満たない若年のアクセリナを遠ざける動きがある。
 男が即位しても呪われないとなれば、アバスカル派を遠ざけられると思いきや、まず玉座から降ろせと要求されるのはアクセリナの方だ。彼女より先々代の王室に近しい「男」ならゼムナムに存在している。なぜかアクセリナの即位に固執していたかの国の宰相にとって、ペルフィリアの事実はありがたくないものだ。
「サイアリーズならここを侵攻するための負債を嫌がると思ったんだけどな」
 ペルフィリアは大陸の最北端。対してゼムナムはその逆だ。遠隔地の支配は金と労力がいる。
「侵略に商工協会が船を出した、という点がひっかかるのですが。わたしたちの捕縛だけを目的にしているのかもしれません。なんにせよ、彼女が都に残っている平民たちを人道的に扱うことを祈りましょう」
「そうだね。……にしても、梟おそいね……」
 争う人々の喧噪や爆発音は断続的に響いている。
 ディトラウトは懐を探った。そこには梟が作った錠剤がある。ひと粒で服用したものの命と記憶を半刻ほどのちに破壊する。
「先に薬を飲んでおきますか?」
「……いや、梟の報告を待ちたい……梟!」
 噂をすれば何とやら。部屋の脇にある隠し戸から梟がするりと現れる。セレネスティが立ち上がり、そのまま動きを止めた。
 梟が戻っただけにしては主人の表情がおかしい。驚愕に凍り付いている。
 ディトラウトは改めて梟に向き直った。
 そして愕然としながら、思わず叫んでいた。


「来るなと言った!」
「伝言はもう少し役に立つものにしてください!」
 ダイは思わず怒鳴り返した。わざわざ商工協会の支部長に預けた伝言があまりにもお粗末だったことを思い出したからだった。
(ようやく、会えた)
 どっと、安堵が胸に広がる。
 セレネスティとディトラウト。ペルフィリアの王は玉座に座し、宰相はその傍に控えて、一様に驚きの顔で梟に連れられたダイを迎えた。
 ディトラウトが壇上から駆け下り、歩み寄ったダイの肩を鷲づかむ。
「どうして来た!?」
「仕事です」
「仕事!?」
「そうですよ、宰相閣下……あなたの王とお話しても?」
 ダイは首をかしげてディトラウトを仰ぎ見た。彼は少し冷静さを取り戻したようだ。ダイの肩から手を放す。
 ダイは玉座の王に正式な礼をとり、その場に跪いた。挨拶の口上を抜きにして、早口で自分の立場を告げる。
「セレネスティ・イェルニ・ペルフィリア陛下に拝謁いたします。このような成りで申し訳ございません。デルリゲイリアが《国章持ち》として、この度は我が君、マリアージュ・ミズウィーリ・デルリゲイリアより命を受け、大陸会議の名の下、使者として参上いたしました」
「……大陸会議からの、使者?」
「はい」
 困惑した顔のセレネスティにダイは首肯し、これまで関係者に何度も繰り返した説明を試みた。
「――かつて小スカナジアで、共に《西の獣》の平穏について語り合った志はいまも変わらず。あの会議に参加した国々――デルリゲイリア、ゼムナム、ドッペルガム、クラン・ハイヴ、ドンファン、ファーリル、ゼクストは、ペルフィリアが失意のうちに倒れることを望んでいません。セレネスティ女王が男子であられる。教会が流布したペルフィリアの悪評は教会の急進派の悪意による可能性があるとし、各国は教会を介さない、陛下たちの審問をご所望です」
「それは――……」
「たとえペルフィリアが偽りの女王を立てていたのだとしても、それを単に糾弾するのではなく、問題解決のための道を探りたいと、女王陛下の御方々は仰せなのです、ディンさま……」
 ダイは拳を握りしめ、妹の名を襲った男を見上げた。
「わたしたちは、あなたたちを助けに来ました。港に着けている船には、各国の女王が乗船し、兵はあなた方を襲う暴徒の鎮圧を支援するために来たものです。ひとまず、ここから一緒に、わたしと逃げてください。兵がこの王城の安全を確保するまで。生きて――ペルフィリアの明日のために。それを伝えるため、わたしは遣わされました」
 必要なことをひと息に言い切り、ダイはペルフィリア王の返答を待った。
 彼は口元を嗤いに引きつらせて、信じられない、と、言った。
「教会の教えを曲げてまで――君たちが、僕らを、助けるって?」
「もちろん、女王の座を謀ったことは大罪です。それなりの罰を受けることになるでしょう。けれど、決して、一方的な断罪にはいたしません。あなた方を闇に葬るようなことは、絶対! お願いします――一緒に、逃げて……」
 ダイは固く目を閉じて、頭を絨毯の上にこすりつけた。
「信じてください……!」
「……頭を上げろ」
「逃げてくださいますか?」
「……兄上」
 王の指示を受けたらしいディトラウトがダイの傍らに片膝を突く。ダイの腕ごと身体を引き起こした。
 男の渋い顔が視界に入る。
「……あなたひとりで来たんですか?」
「いいえ。でも、暴徒の襲撃で順番に逸れてしまって。ここまでの道はゼノさんに聞きました。途中で会って……」
「……ひとりでなかったとしても、あなたは化粧師ですよ。誰が使者に選んだ?」
「自主志願です」
 正しくはマリアージュの命だが、似たようなものである。
 ダイの回答に一瞬ディトラウトが絶句する。
「……何を考えてるんだ! 死にたいのか!」
「その言葉、そのままお返しします!」
 ダイはディトラウトの襟元を掴んで声を荒げた。
「どうしてもっと強い人を寄越さなかったのかって!? きっと、あなたたちが信じないと思ったからですよ! 自ら助けを求める声明さえ上げなかった。ただ自分の罪を受け入れて、出てこようともしない。外の世界が助けてくれるはずがないと、信じ込んでいる」
 彼らは昔、外に助けを求めた。女王になり得る、すべての女子を失ったときに。荒れ果てた国土を抱えたときに。何もかも失う前に。
どうか、短期間でも、男子を国主とすることを認めてはくれないか。叶うなら、冬と飢餓に民が苦しまないよう、魔術師と食糧の支援をしてくれないか。
 彼らの妹たちを、保護だけでも。
 突き放したのはデルリゲイリアだ。わかっている。彼らはもう外の国を信じられない。救いの手を繰り返し払いのけられ、彼らは絶望し、罪を抱え、それが暴かれたときに泥をかぶって沈もうとしている。
「よく知らない使者が来て、あなたたちは信じますか? ペルフィリアを助けたいという、外の国の女王たちの意思を。陥れるため。侵略するためと、うがった見方をしませんか? するでしょう!? あなたたちは、哀しいぐらいに賢いから!」
 ダイは掴んだ男の胸を揺さぶった。
「だからわたしが来たんですよ! 世界中で一番、あなたたちに生きて欲しいと願っている、わたしが――ヒース、あなたの恋人である、わたしが!!」
 下唇を噛みしめ、ダイは項垂れた。堪えていた涙がぱたぱたと落ちて、絨毯に染みを作る。
 衣服を掴む強張ったダイの手に男の手が重なった。
「……別の使者に、手紙を託ければよかったんですよ」
「嘘。手紙ぐらいであなたたちの意思が変わるものですか」
「意見は聞きます」
「意見を聞くだけでしょ。それって言うことを聞かない。初志貫徹するって宣言しているも同然です」
「わからないでしょう、そんなこと。状況が変わったなら、判断も変えます」
「とかいいながら、いまだにあなたもディン様も、わたしの問いに答えてくれてないじゃないですか。だいたい、わたしだって別に命が惜しくないわけじゃないんですからね。ここまで来るのにどれだけ苦労したと思っているんですか。馬で走り通しだし、食事はまともに取れないし、野宿ばっかりで寒かったし、それもこれもあなたたちが命惜しんで逃げてくれないから。業を煮やしたマリアージュ様が引きずってこいって言ったんですよ。わたしに化粧師だって言い聞かせるぐらいなら、わたしがわたしらしく仕事できる場所を提供できるように尽くしてください。自分の命ぐらい重く扱ってくださいよ。ばーかばーかばーか」
「仕方がないでしょう。わたしが生きていたら都合が悪いんだ」
「考えることに疲れただけじゃないですか。全部だめになったら、わたしのとこに帰ってくるって約束したくせに。嘘つき!」
「それは」
「ふたりとも……よくこの状況で痴話げんかできるね……?」
 セレネスティがダイたちの会話に口を挟んだ。呆れを通り越して、から笑いを浮かべている。いつの間にか彼の傍らに移動していた梟も妙に生ぬるい目をしている。どのような状況に直面しても、表情をあまり動かさない梟が、そこまで露骨に表情を表すさまをダイは初めて見た。
「陛下、わたしたちは別に」
「あーあー、兄上はとりあえず黙ってて」
 投げやりに手を振って、セレネスティがダイに問う。
「確認させてくれ。……お前は僕たちを救うために来た。それでいいんだな?」
「はい」
 ダイが即座に首肯すると、そうか、と、彼は微笑んだ。
 すぐさま視線をディトラウトへ移す。
「宰相」
「はい、陛下」
「お前は彼女を連れて離れろ。安全なところまでだ」
 淡々と告げられた命令に、ディトラウトが顔をしかめる。
「……陛下は、どうなさるおつもりなのです?」
「僕は最後にしておくべきことを思いだした。だから別の道を行く」
「おひとりでなさるべきことですか?」
「ひとりでできる。……王都に残っている民は、突然、他の国から乗り込んできた兵たちに、戸惑っているだろう。彼らが侵略者ではないことを伝えて、皆を安心させる義務が、王たる僕にはある。民が間違ってゼムナムから来た兵を攻撃して、救援の方針が侵略になっても困るし。無駄な争いにならないように、僕が布告する」
 予想外のことを指摘され、ダイは言葉を失った。確かに救援に来たつもりでも、事情を知らない都の民は、侵略者が来たと誤認している可能性が高い。夜だから動けていないだけで、明るくなれば隠れている平民も武器を取るかもしれない。混戦になられては多くの死傷者が出かねない。
 ペルフィリア側の誰かが、状況を皆に説明する必要がある。
「共に参ります」
「彼女はどうする。連れて行くのか? せっかくここまで命がけで事情を伝えにきた使者だぞ。お前が丁重に送っていけ」
 焦燥すら滲むディトラウトの主張をセレネスティは一蹴した。
「ヒース」
 と、王は宰相だった男を呼んだ。
 王から名を借りていた男は、これまでになく衝撃を受けた顔で玉座を見上げた。
 戦慄した男に「ディトラウト」がやさしく告げる。
「大丈夫だ。僕はひとりで話せる。ちゃんとできるよ。拡声に魔術がいるから、梟は伴うけれど」
「わたしも」
「駄目だ!」
 彼は声を張って男の言葉を遮った。
 玉座から立ち上がって絶叫する。
「こう言わなきゃわからないか!? もうお前は、いらないんだよ……!」
 ダイの手を握る男の手が震える。
 彼の顔がくしゃくしゃに歪んでいく。
 黙って彼は首を横に振り、絨毯に手を突いて項垂れた。
 かけるべき言葉を見出せず、ダイは恋人の肩に触れる。
 彼は泣いていた。
「……シンシア」
「……はい」
 ダイは壇上を仰ぎ見た。
 女王の装いで立つ男は笑っていた。
「名前を教えてもらっていい? いや、知っているんだけど。君の口から、改めて聞きたい」
「――ディアナです。ディアナ・セトラ」
「ディアナ……ディアナか。暗闇に差す、月明かりの名だね。ありがとう。もう、救いはないと思っていたんだ。君の想い、うれしかった」
「ディンさま」
「君が来る前、考えていたみたいな、無駄死にをしようとは、もう思わない。ただ、僕にはやるべきことがある。まだこの国を預かっているから。妹の名に懸けて、やり通さなきゃならない。君ならわかるね。だって、君も国章を背負っているんだもの」
 行って、と、彼は告げた。
「ディアナ。君たちを祝福する。祈っている。君たちの未来が温かなものであるように。――ヒース、兄上! しっかりしなよ! 彼女が死んでもいいのか?」
 壇上から降る叱咤にヒースが面を上げる。
 彼はもう泣いていなかった。彼はきちんと跪いて、眩しそうに目を細める。
「わたしの主は――王は、あなただけです。ずっと」
「うん」
「お名前をお返しいたします」
「うん」
「お仕えできて幸せでした。……いつか、お会いいたしましょう」
 ヒースが立ち上がり、ダイを引き起こす。
 ダイの手を引いて部屋を横断する彼にディトラウトが告げる。
「ありがとう、ヒース。僕にずっと付き合ってくれて」
 またね、と、笑って、彼は手を振った。


 ヒースが隠し扉から出たことを確認して、さて、と、ディトラウトは梟を振り返る。
「ごめんね、最後まで」
「謝る必要はどこにもありません。わたしは《女王の影》。影は常に付き添うものでしょう」
「そうだね」
 姿を《上塗る》ことのできるメイゼンブルで生み出された魔術師。彼女はペルフィリア女王が性別を偽るために欠かせない存在として、長く常に傍に在った。
 梟は手を差し出し、淡い笑みを浮かべた。
「急いで参りましょう。都のすべてに声を届けるなら、早く塔の上まで、登らなければなりませんから」


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