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第七章 諍う背信者 2


 女王の私刑に臨む彼らが聖女教会からの遣いに煽動されたことはわかっている。
 わかった上で権威を振りかざして質問している。
 正門の前に集まっている男女は、口ごもり、どうすべきなのか、お互いに目で探り合った末に、ひとりの男を突き出した。
 銀の縁取りの成された朱の衣装―――教会の助祭だ。
 彼を睥睨してクレアが尋ねる。
「そなたは何者か?」
「はい……その、わたくしは、王都の一教区を任せていただいております、聖女教会の者でして」
「外部からやってきた、教会の名を語る者と接触したか」
「はい……。ですがその、チェンバレン様は、古くから教会に寄進いただいている、ペルフィリアの貴族の方でして……。正確に申し上げると外部とはいいがたく……」
「レジナルド・チェンバレンで間違いないか」
「……間違いございません」
(ダイの予想が当たったな、これ)
 ファビアンは内心で天を仰いだ。
 レジナルド・チェンバレン。またの名をレジナルド・エイブルチェイマー。古い歴史を持つペルフィリア貴族の一名家で、反セレネスティの急先鋒。
 助祭が漏らした名を完全な氏名で反復したためか、彼は顔色を変え始めた。
「あの、チェンバレン様が、罪を……?」
「隣国デルリゲイリアでは内乱を画策し、聖女教会の関係者を各国で誅殺した容疑だ」
 聖女復活の儀式を目論んだ首謀者のうちひとりはレイナ・ルグロワだが、彼女と小スカナジアで過去の栄光を夢見ていた聖女急進派を結び付けた疑いがレジナルドにはある。
「我々は出身国に逃げ込み、汝らを利用せんと動いているその男を追っている。匿うなら汝らにも容赦はしない!」
 ファビアンが口上を述べると、民衆はざわめき始めた。が、冷静な顔も複数人いて、そのうちひとりがファビアンに言った。
「確かにチェンバレンさんはいた。けど、俺たちに食糧と武器をくれただけだ。ここにはおらん。俺たちはこれから俺たちの生活をむちゃくちゃにした罪人をしょっぴきに行くんだ。邪魔せんで、あっちへ探しにいってくれ!」
 仲間の言葉で冷静さを取り戻したらしい。そうだ、関係ない、と、言葉が上がる。
 その中で助祭が躊躇いがちに問いを述べた。
「あの……我々は教会から、女王陛下が、罪人であると聞いて……チェンバレン様は教会本部の遣いであると……それは……?」
「小スカナジアにて、正しく聖女に遣える者たちは、先だって誅殺された。本部は混乱の中にある。正しい指示を各地に伝えられずにいる。よって我々がここにいる」
 ファビアンは焦点をずらして回答した。
 小スカナジアでも大勢が《光の柱》の犠牲になっていることは確認されている。嘘は述べていない。
 助祭が顔色を青ざめさせて、仲間たちを振り返る。
「皆さん、ここは一度、しっかりお話を伺ったほうが……」
「なに言ってるんだよ!」
「そうだ、他のところの奴らだって動いてんのに!」
「だいたいこいつら怪しいぞ。普通、そんなお偉い方なら、ごっつい馬車に乗ってくるんじゃねぇのか?」
(あー、鋭いなぁ……)
 ファビアンは自身を指す男に感心した。自分としてはありがたくない指摘だった。現に彼らが冷静さと正門を苦労して崩した目的を取り戻しつつある。
(さて、どうするかな……)
 一瞬だ。
 それだけでいい。
 いまにも王城に踏み込みたそうな彼らの注意をもう少しだけ、引かなければ。
 来た道に注意を払っていたグリモアが、ファビアンに囁いた。
「ファビアン様、来ました」
「わかった」
 ファビアンは外衣を大きく腕で払った。衣装の裾が風に翻る。腕のよい職人が丁寧に仕上げた国章の刺繍が、西日の光を受けて浮かび上がる。
「疑うのは汝らの勝手だが、我々が女王たちの名代であることは間違いない。それに……見よ!」
 グリモアとクレアが剣の鞘の先を石畳に打ち付ける。
 柄尻に手を置いて正門から目を離さない護衛ふたりの間で、舞台俳優さながらに両腕を広げ、背後を示した。
「我々はあくまで先行の使者……。汝らが罪人に与するのなら、纏めて連行する所存である!」


 ――ペルフィリア王城は高台にある。
 正門前は馬車が検問に留まることも考慮して、きれいに均してあるものの、城下から城まではほとんどが急な登りである。
 その斜角ゆえに正門から道は見えない。
 天地を区切る線の向こうから、何が近づいてくるのか確かめられない。
 地平の彼方に、布が翻った。
 旗だ。白い旗。いや、赤だろうか。西日が布を染め上げて、色がわからない。
 ただ、靴音がする。
 規則正しい、集団の。
 軍靴の行進。
 正門前に集う人々の目が釘付けになる。
「行くぞ」
 と、言うが早いか、ダダンが馬で飛び出した。
 ダイを前に乗せたブレンダがそのあとに続く。
 そして人々を蹴散らしながら、正門にそのまま突っ込んだ。
「おい、あいつら――!!」
 馬に蹴り殺されかけた人々の怒声が一気に遠ざかる。
 正門から真っ直ぐ、馬車回しを兼ねた庭園を、正面の本宮に向かって駆け抜ける。
 ファビアンたちが気を引いた隙に正門を強行突破。
 それがダイたちの立てた計画だった。
 ファビアンたちが口で時間を稼ぎ、ベベルたちに協力してもらって、突貫で作った旗を持って行進してもらう。
 ただ、大判の布が翻ればよかった。聖女を連想させる紅色があればなおよく、なければ白い布を西日で赤く錯覚させる――この時期のペルフィリアの西日がうつくしい紅であることを、ダイは知っていた。
 メイゼンブルの都、紅の島(スカナジア)。聖女の直系たる大公アルマルディが静養する小スカナジアで、かつてアルヴィナはダイに述べた。都の建物は汚れなき白。ただし夜明けと夕暮れのひとときだけ、赤光にてばら色に染め上げられる。
 得体の知れない影が幾本も旗を立てて、丘の向こうから行進してくれば、何もなくても人目を引く。加えてファビアンがその視線を誘導してくれるなら、馬が飛び込む隙を作れる。
 人々が混乱する隙にファビアンたちは撤収し、近づいていた軍は張りぼての旗を降ろして幻のように消える手はずとなっている。
「ブレンダ!」
 ダダンの警告に、ダイははっと息を呑んだ。
 前方に槍を構えた人の列が見える。
 その手前には斜光を受けて煌めく、宙に張られた糸の束が。
 ブレンダが手綱を強く引き寄せる。
「ダイ様、身を低くしてください!」
 前方のダダンが片手で馬を操りながら、反対の手に握る片手剣で前方を斜め上に向かって薙ぎ払う。
 その開いた空間を馬が跳ぶ。
 しかし完璧には糸から逃れきれず、絡みついたそれを嫌がって、ダイの乗っていた馬は嘶きながら身をよじった。
 体重の軽いダイは、振り飛ばされそうになる。
「……っ!」
 ブレンダがダイの身体を抱え込み、馬を斜めに急停止させた。その反動で落馬しかけたダイを、回り込んだダダンが片腕で抱える。
 ダイはその腕を伝って、馬からゆっくり滑り落ちた。
 ダダンが安堵に息を吐く。
「ふー……」
「ダイ様、お怪我は」
「ありません。大丈夫……」
 ブレンダはダイと馬に相乗りすることを想定して選ばれた騎士だ。乗馬の腕がよいとはわかっていたが、ふたり乗りの馬に人の頭上を跳躍させ、暴れ馬を制することができるとは恐れ入る。
 ダダンもよく暴れる馬に近づいて、ダイを補助できたものである。
 糸を嫌がって馬が頻繁に首を振る。
 相乗りできるように、それを払ってやる余裕がない。
 正門から人の声が近づいている。
 正気に返った人々が、自身の目的を思い出し、王城内に乗り込んできたのだ。
 その声を押し退けて、しわがれた女の声が響いた。
「姫さま!」
「……姫さま?」
 ブレンダが訝って反芻する。
 そうこうしている間に槍を構えていた人の列から、脚を引きずった老女がこちらへ懸命に歩いてきていた。
 ダイは息を呑んで駆け寄った。
 ディトラウトの私塔でダイの世話をしていた女官のひとりだったからだ。
「あぁ、姫さま」
「無事でよかった……」
 ダイは老女を抱きしめた。小柄な骨ばった身体。ペルフィリアの内乱で腰に傷を負って、脚の歩行に難があるのだという。王城のお仕着せの薄布を被らなければ、眉をひそめたくなるひどいやけどが顔にある。
 ダイは槍を構えていた一団を、老女の肩越しに見た。
 文官も兵もほとんど王城から退去しているが、逃げられないような身の上の者たちが残っていると、マークから聞いている。彼らがそうなのだろう。
 乾いた手で頬を撫でてくる老女にダイは微笑んだ。
「よくわたしだとわかりましたね」
「お世話さしあげた姫さまが、どうして婆にわからぬものですか。姫さまも。なぜこのようなときに戻ってこられましたか。遠くにいなさると閣下がおっしゃって、安心しておりましたのに」
「彼と陛下を保護するために来ました」
 ダイの言葉に老女が息を詰める。
「教えてください。彼らはいまどこに?」
「申し訳ない。婆どもめにもわからぬのです。ただ、奥の方で何やらされておられました」
「奥……」
「ファランクス卿なら何かご存知かと」
「ゼノさん、いるんですか!?」
 ダイは驚きに声を上げた。マークから、ゼノは早い段階で任務を命ぜられて城から離れたと聞いていたからだ。
「最後にお見掛けしたのは執務棟の方です」
「わかりました。行ってみます……」
「おい、ダイ、そろそろ」
「わかってます――ブレンダ!」
 ダイはダダンに催促されて、困惑と警戒、半々の顔で傍に立つブレンダを呼んだ。
 歩み寄ってきたブレンダに指示を出す。
「ここに残って、時間稼ぎをお願いできますか? この人たちと一緒に」
「わたしがですか!? で、ですが……」
「お願いします。わたしとダダンの姿が見えなくなるまででいいです。その後、この人たちをどこかの部屋に立てこもらせてください。その後、追いかけてきて」
「行くぞ!」
 ダダンが有無を言わさずダイを馬上に引き上げる。
「失神してもいいが、振り落とされんな」
「はい!」
 言われるまでもない。
 ブレンダとダダンを天秤に掛け、彼を選んだ理由。ダダンなら扉の破壊工作や罠の設置、解除に通じている。通り道をこじ開けられる。選んだのだから、呑気に震えているわけにも、気を失うわけにもいかない。
 彼の背にしっかり掴まって、ダイは叫んだ。
「ブレンダ、お願いします!」
 数人がかりで開く、王城の壮麗な扉は、固く閉ざされている。ダダンは馬首を翻しながらダイに詰問した。
「通用口は!?」
「建物の西、細道の奥です!」
 執務棟にも直に繋がる、労働者のための扉がある。ダイ自身は通ったことはないが遠目に見た。壊すならあちらの方が容易い。
「ひめさま!」
 走り出した馬の背後で老女が叫んだ。
「ラスティは城から出されました!」
 ダイは振り返らず、下唇を噛んで、額をダダンの背に押し付けた。


 作ったばかりの旗を抱えて、道沿いの植木の影に隠れ、旗と言うにはあまりにもお粗末な布を付けた棒きれを抱えたまま、ランディは呟いた。
「いや、上手くいったな……」
「本当ですね……」
 ユベールが植木の外をそっと伺いながら同意した。
 王城に集った人々の気を一瞬だけ逸らす。そのために旗を作るとダイから言われて唖然としたが、意外と上手くいってしまった。
「まー、ダイって、人の目を惹くための仕事をしてるんだもんな。視線の誘導のこと、俺らよりよくわかってるってことか……」
 時間も計算して。赤がなくても、白の布なら一瞬だけでも色をごまかせると判断して。
 旗を振って歩いた人数は十人程度。協力してくれた商工協会の男たちはすでに散っている。よく予定通りに事が進んだものである。
 ランディは脱力して、植木の幹に背を預けた。
 遠く、正門方向から人の怒声が響いている。乱闘が始まっているのだ、と、ランディは思った。
 ダイの護衛として今からでもついていくべきだったのかもしれない。
 けれども、他の役割を振られたからには動けない。
「あ、いたいた」
 植木の上から上下逆さにファビアンの顔が現れた。
「お待たせ。皆、ダイたちを追いかけて王城に入ったよ。もう平気」
「ありがとうございます」
 ユベールが礼を述べて立ち上がる。
 クレアという名の騎士が、自分たちに手を貸してくれた。
「ファービィ様は平気とおっしゃっていますが、他の門に回っていた人々の一部がこちらに向かっています。急ぎ、移動を」
 誰も彼もが血気さかって、王城に乗り込もうとしている。
「クレアは急かすよね」
 ファビアンが笑って肩をすくめる。
「でもま、急ぐに越したことはないもんね。行こうか。次は街の外門だ」

 ダイいわく、今日か明日には無補給船が来る。ペルフィリアから最も遠い大陸南端の大国ゼムナムを出航し、各国の執政者と騎士団を乗せた船が。
 無事にダイたちを王城へ送り出したランディたちの役割は時間稼ぎだ。最初の集団は仕方がないが、その後、できうる限り、王城へ民衆が侵入することを阻む。
 けれどもたとえ商工協会に協力してもらったとしても、自分たちだけでは無理がある。
 だから本職の人間にそれをしてもらう。
『――まず、外門を開けて、ペルフィリア兵を王都に招き入れます』
『内側から開けて、襲われませんか? それ』
 最初の打ち合わせ時、ダイの案にユベールは難色を示した。守りに入っている門がいきなり開いたら、たいていは敵が飛び出てくるものと、攻勢に出ている側は警戒する。
『武器は向けてくるでしょうけれど……。敵味方の識別より、攻撃が先になるものですか?』
『……確認は……ありますね』
 ユベールがダイの問いに答えた。
 つまり、王都を包囲している兵から弓を射かけられるまでには間があるということだ。
 ダイが安堵の顔をする。
『よかった。なら、交渉の余地があります』
『そこで、僕の出番ってことだね?』
 ファビアンの確認にダイが首肯する。
『わたしとファビアンさん、ふたり分の署名が入った公式文書を持って、ファビアンさんは先方の指揮官に、セレネスティ様の女王詐称の件は、大陸会議預かりになること。王都を抑えるため、各国混成の軍と女王たちが来ること。わたしが交渉に向かっていることを伝えてください』
『君の騎士、誰か借りられる?』
 ファビアンがダイに尋ねる。
『二国混合の使節のほうが、それらしいから』
『では、ランディとユベールを』
『ダイ、どちらかひとりじゃだめなのか? そっちの守りが薄くなる』
『守ってほしいのはやまやまですが、潜入にそんなに人手は要りません。あと、ドッペルガム側が三人なのに、デルリゲイリアがひとりだけというのも、人員構成が悪いです。……お願いします、ふたりとも』
 ――ファビアンさんに協力して、ペルフィリア兵のひとたちと一緒に、助けに来てくださいね……。
「……守り方ってのも、色々あるんだなぁ」
 外門の開閉装置。その鎖の巻き取りの操作桿を握りながら、ランディは呟いた。
 同じ操作桿に対面から手を掛けるユベールが微笑む。
「早く、仕事を終えて駆け付けましょう」
「そうだな」
「お二方!」
 クレアがランディたちに叫んだ。
 彼女たちは扉を挟んで反対の開閉装置の前に立っている。
「開けますよ!」
 クレアの合図で操作桿を握りしめる。
 ひとりでは重いそれを、ランディは相方と共に押し下げた。


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