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第五章 防衛する後裔 3


 ダイが覚醒したとき、目の前にはヤヨイの顔があった。
 彼女はダイと目を合わせて微笑んだ。
「気づかれましたか。具合はいかがですか?」
「……大丈夫です……」
 焼けつくような喉の痛みや不快感は遠のいている。息を吐いてダイはヤヨイに答えた。
 忙しない足音や怒声があちこちから聞こえ、ダイは敷布に片手を突いて上半身を起こした。
「ここはどこです? セイスさんとレイナ様は、あれからどうなりましたか?」
「ここはルグロワ市内でもっとも正門に近い場所にある民家の一室です。市庁舎近くは魔力が濃くなりまして、ヤヨイ様に退避を勧告されて皆で移動いたしました」
 ダイの傍らに膝を突いて、ブレンダが問いに答える。ダイの護衛を務める女騎士だ。ダイは彼女に追及した。
「皆……死傷者はいますか?」
「軽傷者が若干名。大した傷ではございません。死者はなし。あなたのご指示通り、あの時間は皆、宿舎に詰めていましたから、早急に動けました。あと、ドッペルガム側からも、無事であるとご報告をいただいています」
「そう……ですか」
 全員の無事に、ダイはひとまず安堵の息を吐いた。すぐ次の質問に移る。
「状況を教えてください。わたしが留守にしてからのことを順番に。わたしが連れて行かれたのは地下で、魔術装置が起動して、たくさんの人が死んだのだということはわかりましたが、ほかは何もわからなかったんです」
「月が中天にくるころ、ルグロワ河方面の空に、光の柱が立ちました」
 ブレンダが静かに切り出した。
 その声音には恐れがあった。
「空を真昼に塗り替える、眩い光の柱でした。その光が消えたあと、市内は混乱。大勢が門へ詰めかけ、外への脱出を図り、暴動に発展しました。教会関係者や、教会の信仰に厚かった人々が光と共に衣服だけを残して消えて、それを目の当たりにした人たちが恐慌を来したためと思われます」
 強烈な光が天を満たし、夜半ながら多くのものが起床した。そして、見た。目の前で家族が、恋人が、友人知人が光の泡となって消えるさまを。
「この民家は、逃げ出した人たちの住まいだった?」
「いえ。おそらく、消えた方かと。……それから、壁の外についてですが、天幕を張っていた人々が、ほぼ消失しています」
 ブレンダはダイが想像していた以上に深刻な事態を報告した。
 壁の外へ偵察に向かわせた兵が、衣服や荷物だけが残された流民街を見てきたらしい。天幕がひしめいていた外では、消えることを免れたわずかな人々がすすり泣きながら、知人たちを探して彷徨い歩いていたという。
 大陸中の聖女教会信者を儀式の犠牲にしたとレイナは言っていた。おそらく、とりわけ聖女を求めていた急進派を。
 ダイはディトラウトが作成した急進派の調査書を思い返した。
(……急進派は、ほぼ、どこの国にもいた)
 デルリゲイリアは女王候補メリアのカースン家を中心に。ゼムナムは宰相サイアリーズと対立していた伯父ヘラルド・アバスカルに連なる者たちが。ドンファン、ファーリル、ゼクストの三か国は特に滅びたメイゼンブルの生き残りを多く受け入れていたから、急進派も上流階級にかなり食い込んでいたはずだ。
 そういった人たちがすべて消えていたら。
 ダイは背中を伝う冷たい感触に、自らの両腕を強く抱いた。
「セトラ様は兵を偵察に出したころに、セイス様に連れられてお戻りになりました。セイス様は聖女化に失敗して逃げたルグロワ市長を追って、市庁舎へ。その後、外在魔力の濃度の高まりを見て移動し、いまとなります」
「皆はこの家屋に全員いますか?」
「いえ、兵を四班に分けて、うち二班を外へ偵察に行かせています。文官たちは隣の家屋で待機しています。集めますか?」
「お願いします。それから、ドッペルガムの位置はわかりますか? ファビアンさんかクレアさんと話をしたいです」
「かしこまりました」
 ダイの依頼を受けて、ブレンダが身を翻す。
 自分も支度を始めようと、寝台を降りかけたダイは、手元に触れた硬質の感触に瞬いた。
(……ん?)
 寝ていたときのダイの、ちょうど脇の位置に、ひと振りの剣が置かれていた。
《獣の剣》だ。
(なんで、これが)
「勝手に持ち出して、申し訳ありません」
 突然ヤヨイがダイに謝罪した。
「セトラ様の過剰魔力を抜くのに必要だったのでお借りしました。魔女化に失敗された方と至近距離で接していたと、セイス様から伺いましたから……」
「この剣で、魔力が抜けるんですか?」
「この剣は特性のひとつとして、触れた者から魔力を吸収するんです。それで今回、眠っているセトラ様に抱えていただいていて……。セトラ様がこれに選ばれていた方でよかったです。普通は使い手の方が握った状態でないと、他の方は直接、触れることができませんから」
 ダイは剣の銘の元となっていると思しき獣の意匠を見つめた。
 獣の噛む夜色の宝玉は常と違って、星のように瞬く銀色を宿しているように見えた。
「ダイ、よかった無事で」
 近くにいたのか、ファビアンはクレアを連れてすぐに顔を見せた。
「ファビアンさんも。……セイスさんと入れ替わっていたんですね」
「ごめん。陛下からの命令で」
 もしもファビアンが聖女再誕の儀式に列席する場合、《上塗り》した上で人員に潜り込ませていたセイスと交代することになっていたという。
「デルリゲイリア側の状況は聞いている。こちら側の報告をしてもいい?」
 と、ファビアンは前置いて、ドッペルガムの人員も無事であること。総員、脱出の準備を進めていること。ルグロワ河の近郊に潜んでいた仲間たちが、逃走の手助けをしてくれることを告げた。
「ありがとうございます。助かります……。それから、セイスさんは?」
「セイスはまだ市庁舎にいる。ルグロワ市長をそこに閉じ込めて、待っている」
「……待っているって、何をですか?」
 ダイの問いにファビアンはすぐに答えなかった。
「レイナ・ルグロワは、まもなく、畸形化する」
 表情を厳しいものにして、神妙な声音で彼は言った。
 ダイは息を呑んで、告げられた言葉の意味を咀嚼した。
「……人ではなくなるって、ことですか?」
「彼女は聖女になるべく上乗せされた魔力と、同化しきれなかった、らしい」
 セイス曰く、魔術装置の術が成功していれば、レイナは外に魔力を漏らすことがない。彼女の周辺の魔力濃度の上昇はありえない。
 ダイが見た彼女の発狂は、上乗せされた魔力に対する、内在魔力の拒絶反応なのだ。
 暗い顔でファビアンが続ける。
「畸形化した人は獣も同然で、とてもじゃないけれど、ただの人が対処しきれるものじゃない。彼女はまだ、人のカタチと意識を保っている。……だから、畸形化が始まったら、セイスが、レイナ・ルグロワだったものを、殺す」
「ファビアンさん……!」
「セイスは元々、畸形化の可能性をルゥナに進言していたんだよ!」
 ダイの非難に被せるかたちで、ファビアンが声を張った。
「君たちと合流した時点で、ジュノ氏を殺すべきだって言ったのもセイスだ。あんな術、まず、行わせるべきじゃないって、あいつはずっと言っていた。でも、ルゥナがその意見を退けた。ルゥナの譲歩は、人でないなら殺すべき、だ。……だからセイスは僕と来た。儀式に潜り込んで、装置を確実に破壊するため。万が一、魔術が行われても、魔女化に失敗したとき、彼女を殺すために」
「……なぜ、彼はそれをしなかったんですか?」
「……魔女を殺すと近くが魔力で吹き飛ぶと言われている。魔女のなりそこないの場合、どうなるかわからない」
 ダイから視線を逸らしてファビアンが答える。
 それでわかった。
(わたしが……いたから……)
「とにかく、そういうわけだから。近くに残っている住民を誘導しながら、一緒に急ぎ、退避してほしい」
「……わかりました」
(レイナさま……)
 顔を覆い、慟哭していた彼女のことを思う。
 だが、ダイは国章を負っているだけのただの化粧師だ。できることは限られている。
 ダイは拳を握って、ファビアンの要請を了承した。
 ダイはデルリゲイリア側における、使節の長である。
 今度はひとりたりとも欠けさせないつもりで、率いてきた。判断を過つわけにはいかない。
 ダイは皆に撤収の指示を出した。ダイの周りに集っていたそれぞれが慌ただしく仕事を始める。
 ヤヨイが封印布に包んだ《獣の剣》をダイに差し出した。
「セトラ様、こちらはご自身でお持ちになりますか? それとも化粧箱に戻しておいたほうがよろしいでしょうか」
 ダイは剣を見つめた。
 ダイは護身用であっても武器の類は持ち歩かないようにしている。取り扱いには慣れないし、下手をすると護身になるどころか、ダイを害そうとした相手を逆上させかねないからだ。
 だが今回の剣は魔を吸収する関係から肌身離さず持つだけで護符になるだろう。
 剣に伸ばしかけた手を、ダイははた、と、止めた。
 剣を横にして捧げ持つヤヨイに問いかける。
「ヤヨイさん……。この剣って、どれぐらいまで魔力を吸えるものですか?」
「この剣は――数々の魔女の死をみとった剣。神の魔力にも耐えうると聞きます」
 ヤヨイはダイを真っ直ぐ見つめて述べた。
「レイナ・ルグロワ様は、魔女に等しい魔力を付与されたとお見受けいたします」
「それは、確かですか?」
「わたしは昔、今世の魔女の方を、お世話をさせていただいたことがあるのです」
 懐かしそうに目を細めてヤヨイは言った。
「セトラ様が何を考えているのか、わかりました。ですがその場合、いくつか問題が。この剣は、相手の命を奪うとき、もっとも魔力を吸うのです。そうせずにあの量の魔力を吸うのなら、きっとこの剣でも、触れさせたまま、半刻は必要だと思います」
「半刻……」
「そしてこの剣はわたしでも封印布越しでなければ触れられません。あなたがあの方のところへ直に赴いて、あの方の身体に触れさせる必要がある。行くだけなら、わたしがお供すれば、セトラ様を魔力圧からお守りすることはできます。ただ……」
「まだ何かありますか?」
「畸形化が進むにつれて、周囲の魔力がどんどん高まることになります。わたしがあなたをお守りできるのは、そう長い時間ではありません。あの方から漏れている魔力を押さえることもできますが……」
「それって、《魔封じ》ですか?」
「ご存知でしたか」
 驚きの声を上げたヤヨイが、深刻そうに呻く。
「なら、おわかりですね。あの術に用いる墨の手持ちがありません」
「墨ならあります」
「え?」
 今度こそ、ヤヨイは意外そうにダイを見た。
《魔封じ》は特殊な墨を用いて身体に直に魔術文字を刻む術だ。これはその墨自体に半ば効果があって、クラン・ハイヴの農村でアルヴィナから魔が漏れたとき以来、ダイは彼女に依頼されてたびたび《魔封じ》を手伝っている。
 いまも化粧鞄の中にひと瓶ある。
 ダイの言葉に頷いて、ヤヨイは静かに言った。
「……わたしが《魔封じ》を行えば、セトラ様でも一刻、あそこに赴けると思います。……光の柱が立って、そろそろ二刻です。あと半刻と少し……夜明けのころまでには魔力をはがさなければなりません」
 そうでなければレイナの身体(うつわ)の方が保たない。ダイに確実に危険が及ぶ。
「……ヤヨイさん」
「はい、セトラ様」
「……付いてきてくださいますか?」
 万が一、レイナが畸形化したら、ダイは対抗する手立てがない。だから本当はここで手を引くことが正しい。
 けれども、それをしたくないのだ。
 ヤヨイは微笑んだ。
「参りましょう。――あなたが望むなら、出来得るかぎり手を貸してさしあげてかまわないと、主人に言われておりますから」


 アレッタに使節団のとりまとめを依頼し、移動に関してはファビアンの指示に従うよう言い置いて、ダイは《獣の剣》と墨壺、筆を携え、ヤヨイと共に市庁舎へ向かった。
 恐ろしいほどに静かな通りを抜け、建物の内部を駆ける。レイナたちの居場所はすぐにわかった。市庁舎の中腹にある広い露台だった。夜明けを控えて薄まり始めた夜闇を明るく照らす光がそこにあった。
「セイスさん!」
 駆け付けたダイたちにセイスは当然ながらよい顔はしなかった。ジュノとイネカと共に魔術の陣を形成し、その中央にレイナを閉じ込める彼は、露骨に顔をしかめてダイに詰問した。
「危ないのに何しに来たの?」
「レイナさんの魔を抜きます」
 ダイは即答した。セイスが怪訝そうに眉をひそめる。
「手伝ってください、セイスさん――お願いします」
「できるのかよ、そんなこと」
 陣の傍らにイネカと共に跪いていたジュノが口を挟んだ。
「あんた、魔術師じゃないだろ。イネカとそこのにーさんの二人でも、時間稼ぎが精いっぱいだってのに」
「何をすればいい?」
 セイスがダイの荷物とヤヨイを一瞥した。
「時間がない。早く言って」
「わたしたちと一緒にレイナ様のところへ言って、防護の術を手伝ってもらうことはできますか?」
「……できる、と、思う」
 セイスが黙考して結論を出し、はす向かいで術を行使するイネカたちに告げる。
「……室長、術の維持から僕は抜ける。危なくなったら言って」
 そして彼は魔術の陣の中に踏み込んでいった。
 ダイはヤヨイと頷き合って、彼の後に続いた。
(……重い……)
 どっと体にかかった圧力にダイは顔をしかめた。
 セイスたちの魔術が生んだと思しき半球状の光の膜内は、水の中のような息苦しさで満ちていた。事前にヤヨイに防護の術をかけてもらい、気持ち悪さはないが、鉛のように手足が重い。
 そんな中、レイナは胎児のように丸まってダイたちに背を向け、荒い呼吸を繰り返していた。
 拳を石畳の上に押し付けて、ぼろぼろ泣いて下唇を噛みしめて。くしゃくしゃになった髪の絡まる首筋が、肌色と墨色のまだらになっている。
 レイナが涙の膜の張った目でダイを見る。
 ダイは彼女の傍らに膝を突いた。《獣の剣》を鞘から抜く。銀鈍色の剣身が魔力の光を照り返した。
「セイスさん、両腕を押さえていてください」
 ヤヨイが紡ぎ始めた魔術の呪を聞きながら、ダイは墨の瓶と筆を支度しつつ、セイスに指示を出した。彼は無言で頷いて、レイナの頭上に跪き、両手をぐっと押さえつける。
 彼はレイナに体重を掛けながら言った。
「防護の術、侍女服の彼女と、君、僕の順で回してかけていく」
「お願いします。……レイナ様、失礼します」
 ダイは剣の刃をレイナの衣服の襟に引っ掛け、そのまま縦に勢いよく割いた。
 墨色に染まりかけ、奇妙に蠢動する背中が露わになる。
(時間がない……)
 ダイは市庁舎に来るまでの間、ヤヨイから推測を含んだ解説を受けた。彼女が言うには、身体の魔力が負けるとまず色が変じ、次に身体が歪み始める。そして臨界点に達すると、身体から煙状の魔力が噴き出す。こうなるともうまずタダヒトには戻れない。
 ダイは開かせたレイナの片方の手に、自身の手を《獣の剣》の柄ごと重ねた。
 鍔にはまった宝玉の夜色が、陽光を浴びた肉厚の葉の色に一瞬で塗り替わった。
 ずっ、と、ダイの腕にかかる圧力が増す。
「い、つ……!」
「放さないで!」
 ヤヨイの叱咤に、ダイは柄ごとレイナの手を固く握った。
 レイナの腕に浮かぶ墨色が、のたうちながら剣の方に吸い込まれていく。
 一回目の術をヤヨイにかけ終えたらしいセイスが剣を見つめて呻いた。
「何、これ? 魔力を吸ってる?」
「気を緩めないでください!」
 ヤヨイが叫んだ。
「隙を見せると、すぐに揺り返しが来ます。……セトラ様、描けますか?」
「はい」
 ダイは倒れないように固定した墨壺に筆を付けると、深呼吸してレイナの背にその先を置いた。
 アルヴィナの背に描いた文様を思い浮かべて筆を動かす。
 その動きに被せて、ヤヨイが《魔封じ》用の呪を、唄のように紡いでいく。
 《魔封じ》はヤヨイ単独でもできるらしいが、筆者を別に準備したほうが早く術を完成させられるという。
 剣ごと握るレイナの手を放さないよう注意しながら、必死に筆を動かしていく。
 まず背に一行、文字を書ききる。
 丁度、セイスがダイに術を掛けおえたこともあってか、身体がふっと軽くなった。一枚、重い上着を脱いだような軽さだ。
 レイナが薄く瞼を上げる。
「……馬鹿なダイ」
 彼女は嗤った。
「レイナを助けても、何もならないのにね」
「わたしは、レイナ様に化粧をするために、ルグロワに来ました」
 墨壺に筆を差し入れながら、ダイは言った。
「化粧師としても、《国章持ち》としても、まだ何もわたしらしい仕事をしてないんですよ。このままじゃ帰れない」
「レイナを、許すの?」
「許せるはずがないでしょう!」
 ダイは筆を握りしめて叫んだ。震えた筆先から液が零れて、ヤヨイが諫めの視線を寄越す。
 ダイは呼吸を整えて、レイナの《魔封じ》を再開した。
「ひとりの女王の臣として、個人として、わたしはあなたを糾弾する。レイナ様、あなたのしたことは、決して許されることじゃない。たくさんの人を死に追いやった。してほしくなかった。こんなこと――絶対するべきじゃなかった!」
 ダイは筆を握った手の甲で鼻を啜って言い募った。
 荒い息の狭間にレイナが嗤う。
「復讐するなって、お説教?」
「あなたの満足感なんて知りません。わたしはあなたが正当に裁かれるようにするためだけに、これをしている。あなたを助けるためにしているんじゃない――人じゃなくなって、殺されて、それで終わりなんてわたしはさせない!」
 《魔封じ》の二行目を書き終える。レイナの肩甲骨までが文字で埋まる。光沢をもつ赤黒い墨がほのかな光を帯び、その下で蠢く墨色が徐々に色を薄めていく。
 レイナは痛ましかった。多くの者が彼女を痛めつけ、助けなかった。そのことにダイは同情した。
 しかし彼女に抱いた感情はそれだけではなかった。
「謝ってください。」
 時間をおいて冷静になるほど湧き上がってきたものは怒りだ。
「シンシアに――あなたに利用された、聖女だった人に!」
 アルヴィナがダイに語ったひとりの娘。誰かに求められることを望み、同時に大切な人を守るために駆け抜けた彼女。それをレイナは最悪な形で利用した。
「男というだけで、あなたにひどい言葉をぶつけられた、セイスさんに、わたしの友人たちに、ペルフィリアの人たちに! あなたはわたしの大切な人々を侮辱した。殺しても構わないと決めつけた。わたしはそのことを、絶対に許さない。だってあなたは、彼らのことを、何も知りもしないくせに!」
 殺した方が楽だったのに、それを女王の命に従って選ばなかったセイス。女で子どものダイを対等に扱ったロウエンたち。平民と軽んじなかったアッセたち。
 家族を、使用人を殺されて、それでも復讐ではなく、国を守ることを選んで、身を削りながら足掻いている、ペルフィリアの彼らを、レイナはこれ以上ないほど貶めた。
 その怒りをそのままにして、ダイは逃げられなかった。
「聖女に救いを求めた、それだけで殺された人たちに、あなたは正当に裁かれ、大衆に罵られ、そしてその場で、何があなたを追い詰めたのか、告白するべきなんですよ! あなたたちがわたしを追い詰めたのだと、告白して、わたしを追い詰める世界を変えて欲しいって、訴えるべきなんですよ!」
 三段目、四段目。レイナの背に赤黒い墨が増え、一方で肌は土色と呼べるほどに元の色を取り戻し始めていた。
「そうしたら……きっと、陛下たちが、あなたを苦しめたものを、今度こそ裁いてくれますから……」
 地平が白み始めている。
 細い光線が、レイナの濡れた頬を照らし出す。
「……レイナはダイになりたかったな」
 掠れた声でレイナは呟いた。
「人のきれいなものを見て、引き出して。そのきれいなものが自分を救ってくれるって信じて生きるの」
 あぁ、王を奉じるとはそういうこと。
「なんて幸福な――そんな風に、なりたかった……」
 陽光が夜闇を押しのける。
 レイナは眩しそうに光を見た。
 剣が手のひらから零れた後も、ダイの手を固く握って、泣きながらそうしていた。


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