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第五章 錯綜する使用人 5


「これはまぁ、なかなか」
 ダイの傍らに立つアルヴィナは腰に手を当て屋敷を見上げると、感嘆の声を上げた。
「立派なお屋敷。いいの? 私なんかが出入りして」
「うーん、いいっていうからにはいいんじゃないでしょうか……」
 無責任な発言だとは思うが、自信がない。馴染みない者が外、とりわけ門の向こう側から入り込むことを厭う皆の前に、知人を一人連れて行く。その結果これからどうなっていくのか、穏やかならざる予感に肝を冷やしながら、ダイはアルヴィナを使用人向けの勝手口に案内した。
「行きましょう、アルヴィー。こっちです」


 ダイが扉を叩くが早いか、入室の許可が返ってくる。
「どうぞ」
 扉越しでくぐもってはいるものの、聞き覚えのある声だと思ったのだろう。アルヴィナはぱちぱちと瞬き、ダイにヒースなのかと声の主を視線で確認してくる。ダイは推測が正しいことを微笑で以って彼女に伝え、ゆっくりと扉を開いた。
「あぁ、来ましたね」
 樫の机の前に立つヒースは紙束を捲りながらこちらを迎えた。視線は手元に落とされている。ややおいて、彼は目を通し終えたらしい書類を、傍らに控える執事長のキリムに手渡した。
 一礼したキリムはこちらとも目礼だけ交わし、部屋を出て行く。
「久しぶりねぇ、ヒース。元気だった?」
 入室してすぐに立ち止まり、アルヴィナはヒースの姿に喜色を浮かべて声を上げた。彼もまた、懐かしそうに目を細めて彼女に応じる。
「えぇ。その節はどうもありがとうございました」
「いーえ。どぉいたしまして」
 再会の挨拶を手早く済まし、ヒースは部屋の隅で待機していた使用人たちに向き直った。侍女頭のローラと、侍女のメイベル、そして執事が一人。侍女頭は一見無表情に見える。だが眉間に刻まれた皺の深さを思えば新しい客人を歓迎しているわけではないようだった。平静を装うメイベルも目が泳いでいる。執事の青年はキリムの部下だけあって無表情が板に付いているが、ぴりぴりとした空気を纏っていた。
 室内に漂う緊張感。
 本当にこれからどうなるのかと、ダイは天を仰ぎたくなった。
「ローラ。こちらがアルヴィナです。今日から屋敷に入って、屋敷の術の修繕を行ってもらいます」
 緊張感漂う使用人たちとは対照的に、アルヴィナに気負った様子は見られなかった。身なりも改めてきたらしく、銀と朱で裾が縫い取られた白の法衣を身に付け、黒の帯を締めている。決して派手ではないものの魔術師が好んで着るようなその装いは、素性を知らぬ者から見てもアルヴィナが腕利きの魔術師であると納得させるような、超然とした雰囲気をかもし出していた。
 ヒースからの紹介を受け、アルヴィナは柔らかく微笑み一礼する。優雅な礼。どこで覚えたのだろう。ダイも学んだばかりの、宮廷式の礼だった。
 市井ではまず目にすることのない礼に毒気を抜かれた様子で、ローラが僅かに警戒を解く。
「最初に確認させていただきたいのです。何日ぐらい掛かるのか」
 抑揚のない声で話を切り出す彼女に、アルヴィナが問い返した。
「最後に調整を行ったのは、いつ頃か教えていただいてもいいですか?」
「二十年ほど前に、『保護』の術を、メイゼンブルからの術師が調整したきりです。他の術はそこからさらに十年ほど遡ります。詳しい記録がご所望ならご用意いたしますが」
「あぁ、じゃぁお願い致します。掛かる日数は術式を見てみないとわからないんです。今日、視察させていただいて、それからお返事いたします。大丈夫ですか?」
「えぇ」
 よどみないアルヴィナの受け答えに満足したのか、ローラは微かに口端を上向きに曲げる。
「侍女のメイベルと、執事のアザゼルです」
 そして彼女は侍女たちを手のひらで示した。
「今日一日、二人が貴女を案内いたします。何か入用のものがあれば彼女らに申し付けてください。メイベル」
「はい」
「まず、こちらの方を滞在していただく部屋へご案内して差し上げなさい。その際に簡単に説明を。アザゼルは私に付いて来て下さい。調整記録を用意しますから、それを持って合流するように」
「はい」
「では、ご案内いたしますね」
 前に進み出たメイベルが、案内役を引き受けて部屋を出る。ダイに片目を瞑ってみせたアルヴィナはひらりと手を振り、侍女の後に付いて退室した。ローラとアザゼルもそれぞれ一礼し、彼女たちに続く。
 扉が静かに閉じられ、部屋には自分とヒースだけが取り残される形となった。
「大丈夫そうですね」
 皆が消えた扉の向こうを透かし見るようにして、ヒースが呟く。
「なんだか、アルヴィーがちゃんと受け答えしてるから、びっくりしました」
 ヒースに同意し、ダイは頷いた。
「あ、えぇっと、受け答えが出来ないとかそんなことは思ってなかったんですけど……」
「貴方の言う意味はわかりますよ。私も気ままに生きている彼女が、まるで本当にメイゼンブルから派遣されてきた魔術師のような振舞い方をするとは思っていませんでした。ハンティンドン女史が警戒を解いたのもそのせいでしょう」
「アルヴィー、お城勤めのやり方で会釈してましたね」
「もしかしたらどこかで仕えていたことがあるのかもしれない。それこそ、滅びたメイゼンブルから落ち延びてきた術師だったのかもしれませんね。彼女の腕を考えれば、ありえないことではない」
 アルヴィナの正確な年齢はわからない。外見は二十代後半といったところか。内在魔力が高い者の中には年を取ることが緩やかになる者もいると聞く。見た目よりももう少し年嵩だとすると、彼女が若年の頃メイゼンブルに仕官していたとしても不思議ではない。
 ローラたちの反応を見る限り、良いように事は運びそうだ。
 あからさまに安堵の吐息を漏らしてしまったダイは、視線を感じて居住まいを正した。ヒースが、こちらを注視している。思わず謝罪に目を伏せた。
「……すみません」
「いいえ。実をいうと、私も心配していました」
 ヒースが苦笑混じりに告白する。
「心配?」
「えぇ」
 面を上げて訊き返したダイに、彼は微笑んで頷いた。
「おそらく、貴方が思っていたことと同じようなことを。例えば、アルヴィナがどこかずれた受け答えをして、ハンティンドン女史の不興を買う、とかね」
「だったらどうして、アルヴィーを雇うことに賛成したんですか?」
 アルヴィナは確かに腕の良い魔術師だが素性はあやふやで、街から離れて一人住まいするという変わり者である。そんな人間を、ただでさえ緊迫感漂う屋敷に新しく雇い入れる。ヒースがその危うさについて、思い当たらぬはずはない。ダイがいい例なのだから。
 ティティアンナの勢いに押し切られる形で、アルヴィナを短期で雇ってはどうかという話を彼にしたとき、その案は即座に却下されるとダイは思っていた。しかし提案を受けたヒースは執事長たちと相談した後、ダイにアルヴィナと連絡を取るように依頼してきたのである。
「最初から、そろそろ調整のための魔術師を探さなければならない、という話はしていたんですよ」
 ヒースが答えた。
「女王選も最後に近づいてくると、こちらに人を招く機会も増える。屋敷の手入れをしておくにこしたことはない」
 アルヴィナへの依頼は、ミズウィーリ家敷地内にある全魔術の術式の調整。建物に施された耐久性を上げる魔術から、細々とした備品に刻まれた生活に用いる魔術、もちろんティティアンナご所望の水道に関する魔術まで、広範囲に及ぶ術の点検と調整をする魔術師として、一時的にミズウィーリ家に雇われないか、というものである。調整を終えるまでの間、ダイも暮らす別館に滞在してもらい、給金は要相談、との条件で。
「アルヴィナが腕のいい魔術師であることは私も知っていますし、人当たりも悪くない。一晩世話になって人となりを知っている分、信頼が置けるし、何より他の下手な魔術師を探して雇い入れるよりもよっぽど安上がりですみそうでしたからね。金銭に執着しているわけでもないようでしたので」
「……そういう理由ですか」
 実際、依頼を引き受けたアルヴィナは最低限の賃金でいいと申し出てきた。彼女曰く、世間勉強程度の気軽さで引き受ける仕事だから、高額だと気が引けるらしい。もし仕事ぶりが認められるようなら多少上乗せしてくれると嬉しい、とも言っていたが。
「それに、ティティアンナの言うこともわからないでもなかったですから」
「……ティティの言うこと?」
「えぇ」
 首を傾げ、ダイはヒースを見上げた。机に片手を触れさせた状態で、彼は静かにこちらを見下ろしている。
 思い返せば、ヒースと二人きりで顔を合わせるというのも久方ぶりである。先日、アルヴィナの件を話すためにヒースを訪ねたときには、その案を考え付いた張本人であるティティアンナがいたのだ。
 彼の蒼の瞳が、僅かばかり細められた。
「ダイ、貴方は大丈夫ですか?」
 静謐な声音で紡がれる問い。しかし彼が一体何を案じているのかがわからない。
「は? えーっと、何がですか?」
「マリアージュ様、相変わらずでしょう」
「……あぁ、そのことですか」
 彼の質問の意図をようやく理解し、ダイは微笑んだ。
「えぇっと、すみません。解雇してくださってそれで場が収まるなら一番いいんですけど」
 マリアージュから遠ざけられて、一月半が経過しようとしている。はっきりいって、かなりよろしくない状況である。
「よくはないでしょう」
「でも暇な化粧師雇っておく余裕、ミズウィーリ家にはないでしょう? 前も言いましたけど、とりあえず、この一月の給金はいらないですから」
 衣食住は保証されている。それだけで今のところ十分だ。
「そういうわけにもいかない」
 ダイの意見を、ヒースは重ねて否定する。
「私のお給料分、アルヴィーのほうに廻したら経済的じゃないですか」
 そして彼は渋面になり、片手で顔を覆ってしまった。
「あぁ……なんで貴方はそういう変なところに頭が回るんですか」
 どうやらこちらの考えが、理解できぬらしい。
 ダイは嘆息して、ゆっくりと説明を重ねた。
「ヒース。花街でも、お客を取れない芸妓は辞めていくしかないんです。彼女らを留め置きたくても、それでは物事は立ち行かない」
「貴方を引き留めておくことは、マリアージュ様からの命令です。情からではない。そして、その貴方を遠ざけているのも他でもないマリアージュ様だ。あの方が貴方を留め置くと決めた。それを勝手にどうこうしたら、私たちのほうがお叱りを受ける」
「だったら、役目を果たせない使用人を置いておく余裕がないことをマリアージュ様に説明して、私を解雇するか仕事に復帰させるか選択するように、話すべきです。違いますか?」
 ヒースは驚愕したように目を剥いて凝視してくる。何故そんな反応をされなければならないのか。口元を歪め、ダイは言葉を続けた。
「本当は、私が当事者なんですから、私がマリアージュ様にお話するのが一番いいと思うんです。でもマリア様はこの通り、私と絶対お会いしようとなさらないですし」
 午餐や晩餐の支度の場に入れないだけではない。マリアージュは徹底的にこちらと顔を合わせない。
 話がしたいのだと取次ぎを頼んでも、断られてしまうだけに終わっている。
「……この状況が動かないなら、それはそれで、仕方がないです。でも、何にもしてないのにお給料貰うっていうのも、気が引けますし……」
「貴方は――……それでいいんですか?」
「え? 何が?」
「ですから」
 ヒースが声を荒げる。彼の顔に射した険を見て取って、ダイは口を噤んだ。
「状況によっては、貴方はこの仕事を解雇される」
「でも仕事をせずにぼーっとしているよりも、どこか私の腕、必要としてくれるところに行ったほうがいいですよ」
「貴方はここの仕事を辞めたいんですか?」
「いいえ。ヒース。私は……化粧師なんです」
 怪訝そうに顔を窺ってくるヒースに、ダイは笑いながら繰り返す。
「私は、化粧師なんですよ、ヒース。辞める辞めない、じゃなくて、私は、私の腕を必要としてくれるところに、行きたいんです」
 技一つを頼んで生きる民が住まう国の、一人の職人としての、意地だ。
 歪な自分に残された、唯一の矜持。
「私がここに来たのも、貴方が、私を、私の腕を、欲しいと言ってくれたからです。だから私はここにいる。けどそのお役に立てそうもないなら」
 ここにいる必要もないだろう。
 ダイはその言葉を飲み込んだ。
「私がアルヴィナをハンティンドン女史たちに推挙したもう一つの理由は、彼女が貴方の味方になればと思ったからです」
 ダイの言葉を遮って、早口にヒースが告げる。その顔はきつくしかめられていた。
「貴方は今、この家で孤立している。貴方の発言が発端かもしれませんが、それに対しての覚悟を貴方は決めている。この状況は、マリアージュ様のわがままのせいです。ティティアンナは貴方を気にかけてくれているようですが、この家で働いて長い。他の使用人たちとの付き合いというものもあって、いつも貴方の側に付くというわけにもいかないでしょう」
 一拍置き、男は言う。
「けれどアルヴィナはそういったものとは無縁だ。きっとこの家で誰よりも、貴方の味方になってくれる」
 だから、推挙したのだと。
 確信を湛えた囁き。
 ダイは唖然として、男を見返した。
「ひ、あ、も……か、考えなかったんですか? これ以上状況が悪くなるって」
 新参、とりわけ『門の向こう側』から来る人間が入ることが、どれだけローラたちの心境を悪くするか。自分のことを棚に上げて、低く呻く。
「わかっていますよ」
 さも当然という風に、ヒースが頷いた。
「さっきから言ってるでしょう。私も、考えました、と。だからアルヴィナが上手く対応をしてくれているようだったので、安心しているんじゃないですか」
「アルヴィーが失礼な振る舞いしたらどうするつもりだったんですか!?」
 優美な所作と滑らかなやり取りから、侍女頭はアルヴィナを分を弁えた者として認識したようだが、もし状況が現状と逆だったら、ヒースはどうするつもりだったのだろう。
「大丈夫だとは思っていました」
 いけしゃぁしゃぁと、ヒースは述べる。
「一応、アルヴィナが依頼を引き受けてくれた際に出した書簡に、その件もしたためておきましたし」
 ダイは絶句した。ヒースに頼まれてアルヴィナに封書を渡したことがあったが、てっきり契約関係のものばかりだと思っていた。
 さすがといえばいいのか、抜かりがない。
 呆れればいいのか、それとも誉めそやせばいいのか。
 じっと見上げていた自分に、彼は小さく苦笑を零す。
「……まぁ、あの礼は意外でしたが。私も、あんなふうに貴族式の礼ができるなどと、思いませんでしたから」
「……ヒース」
 呼びかけに応じ、男は蒼い目を細めて首を傾げる。
 ダイは微笑んだ。
「……ありがとうございます」
 ここまで、気を回してもらう必要も、なかったのに。
 肩をすくめたヒースは机の上から書類を取り上げ、取り澄ました表情で呟いた。
「貴方をここに連れてきたのは私ですからね。責任があります」
 机の傍から離れるところを見ると、彼はどこかへ向かうらしい。
 行きましょう、と促され、彼の横に並んだダイは思わず呻いた。
「そういう言い方って、女の人にもてませんよ」
 照れ隠しかもしれないが、そういう言い方は女の不興を買いやすい。
 ダイの指摘に傍らのヒースは、盛大に溜息を零したのだった。


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