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第三章 灰色の智将 3


「あぁああぁもう面倒なのよ!!!」
 また始まった、とダイはティティアンナと目を合わせながら苦笑せざるを得なかった。
「まったく、もうちょっとマシな衣装はないわけ!? 新しく仕立てればいいのにそうすればこんなに何回も何回も着替えなくていいんだわ!」
「仕立てるって、仮縫いで余計に面倒臭くないんですか?」
 芸妓達の衣装を仕立てるときのことを思い返して口を挟んだわけだが、余計な一言であったらしい。ティティアンナにわき腹を小突かれ、正論すぎるでしょう、と小声で叱咤された。マリアージュの顔は、今にも怒りに噴火せんという様相である。
 ダイは口を噤み、距離をとって脱ぎ散らかされた衣装を調える役目に徹することにした。
 女王候補者は、実に多忙だった。
 毎日どこかしらの館で必ず開かれる茶会や晩餐会に、マリアージュは招かれる。ミズウィーリ家に入って四回目の安息日を過ぎた今日も、昼過ぎから茶会があるという彼女のために、ダイはティティアンナと共に午餐用の衣装を選んでいた。
「金色や黒なら、どんな衣装でも映えるのに」
 鏡の前で己の髪を指先で弄りながら、マリアージュが口先を尖らせる。
「大嫌いよ、こんな赤茶っけた髪の色」
 そこまで嫌悪することもないではないか、とダイは思うのだが、マリアージュは不満らしい。聞けば他の候補者が、金だの銀だの漆黒だのという髪色への賛辞をよく受けているようだから、嫉妬めいたものもあるのだろう。
 鏡に映るマリアージュの赤茶の髪を視界の隅に収めながら、ダイは独りごちた。
「まぁ……確かに高貴さでは劣るかもしれませんが……」
「なんですってダイ!?!?」
「え、聞こえたんですか!?」
 自分ですら聞き取りにくい声量で呟いた上、互いの間にはかなりの距離があるというのに、マリアージュの耳には届いたらしい。まったく、なんという地獄耳だ。
 振り返ると、仁王立ちするマリアージュの横で、ティティアンナが額に手を当てて知らん振りを決め込んでいた。
「よく馬鹿正直にぬけぬけ言えたものね。高貴さでは劣る?」
「あー……色の話ですよ?」
「同じよ!」
「……赤茶が金銀、黒という色に高貴さで負けるのは仕方がないんですよ、色の性質上」
「その話でいくと、あんたの髪は私よりも高貴な色っていうことになるのね」
 短くしてある自分の髪の色を思い返した。緑の黒髪――言われてみれば、マリアージュの言う通りである。そういった意図は全くもってなかったのだが。
「茶色に染めろといわれれば染めます。えーっと、まぁ聞いてください」
「何を!?」
 マリアージュはますます立腹のご様子だ。こうなったら何を言っても蹴りだされることは同じなので、言うべきことだけ言って退室することにする。
「マリア様はご自分の御髪(おぐし)を嫌っていらっしゃるようですが、私はとても好きですよ、という話です」
「……は?」
 ダイは整え終わった手元の衣服を納戸の中に吊るして、まだ合わせていない衣服を手に取った。それを携え、マリアージュのもとへと歩み寄る。
「マリア様の御髪は上質の茶葉を使い、丁寧に淹れられた紅茶の色です。紅茶は、貴族の方が日常的に、安らぎたいときに傍に置いているものですよね」
「……まぁ、そうね」
 マリアージュは、眉間に皺を寄せながら同意する。こちらの言葉の真意を探っているようだった。
「貴族の皆様は、マリア様の紅茶色の髪に、安らぎの一時を見て、親しみを覚えるでしょう。太陽の光を連想するかもしれない。一方、金銀黒には気品はありますけど、他を圧倒します。なんにせよ、マリア様の髪の色は温かさを呼び起こす色です。女王選は出来る限り多くの人たちから賛同を得なくてはいけないわけですから、圧倒するよりも慕わしいように思われたほうが、いいじゃないですか」
 ダイは彼女の前で立ち止まり、腕に引っ掛けていた衣装を広げた。限りなく白に近い、淡い黄緑を基調とした午餐服。
「夜だったら黒にしたら綺麗に髪の色が映えると思うんですけど、お昼だから明るいほうがいいですよね。緑系のお色って、赤とか茶色とかとよく合うんですよ」
 マリアージュの首元にそれをあてがってやると、彼女の肌の色が白く際立った。髪も夕暮れの緋色のように赤みが一層鮮やかに映るようになる。
 横目で鏡を一瞥したマリアージュの頬が、僅かに上気した。
「す、素敵ですわ! マリア様!」
「お世辞はいいわよ……」
 両手を合わせて感嘆するティティアンナに、マリアージュが呻く。彼女の怒りは沸点に到達することなく、冷めてきたようだ。
 ティティアンナに衣装を手渡して、代わりに彼女の持っていた装飾品を引き取る。納戸のほうへつま先を向け、床に散乱した箱を途中で拾い上げながら、ダイはその場を離れた。
「……あんた、化粧師の癖に服も見たりするの?」
「え? いえ、服は専門じゃないですけど」
 足を止め、ダイはマリアージュを振り返った。彼女は腕を組んで、挑むような眼差しをこちらに向けている。
「じゃぁ今のは」
「色の組み合わせの論理です。組み合わせ次第で、色は他を殺しもするし生かしもする。化粧の色は、衣服と兼ね合わせて決めたりするので」
「だから勉強するわけ?」
「はい」
「誰から?」
「他の化粧師たちから……昔、一緒に仕事をしていた先の」
 とはいっても、化粧師の先達はそれほど色に造詣が深いというわけではなかった。彼らはあくまで基本を押さえているだけで、色票を持ち出して講釈をねだる子供だった自分に、さぞや閉口したことだろう。
 父親の血だねと、アスマは笑った。多様な色を織り込んで絵を描く画家であった、父の血だと。
「あんたがティティとよく組まされているのって、もしかしてティティが服を見るから?」
「組まされているわけじゃないですが……」
 ダイはティティアンナに目配せを送った。マリアージュの傍らで、彼女は苦笑を浮かべている。
 ミズウィーリ家に仕える侍女の中でも、ティティアンナはマリアージュの衣装や装飾品を管理している。マリアージュへ施す化粧を決める際には、やはり彼女と相談することが多かった。
「あんたが毎回衣装合わせに付き合ってんのも?」
「そうですね。化粧の方向性を決めるためです。……なんだと思ってたんですか?」
「一番下っ端だから、雑用押し付けられてるのかと思ってたわ」
 まぁ、否定はしない。
 雑用が多いことは確かだ。しかしそれも新参なのだから当然だろう。むしろこの屋敷の様式を知る上で、細かい用事は引き受けておいたほうが勉強になる。
 ティティアンナから予め教えられていた通りの手順で、装飾品を箱に収めながら、ダイは仕事仲間を擁護した。
「押し付けられてるわけじゃないですよ。皆さん、優しいですし」
「別にそんな嘘吐かなくたっていいわよ。この家の人間は自分の領域に知らない人間が入ってくるの大嫌いなんだから。ローラあたりから無視されてないわけ?」
「む、し、はされてないですけど……」
 思わず、言葉を濁してしまった。
 侍女頭から無視されているわけではない。かといって、親しく気を掛けてもらっている、とも思えなかった。礼儀作法は彼女に見てもらっている訳だが、その指導は泣き寝入りしたくなるほど厳しく、労いの言葉は一切ない。日常会話にいたっては完璧に拒絶されていて、お手上げ状態である。
 侍女頭ほどではないが、執事長のキリムもその他の使用人たちも、古参であればあるほど似たような様子だった。
 ダイの言葉尻から、マリアージュは状況を悟ったらしい。彼女は腕を組み、鼻で笑った。
「そんなことだろうと思ったわ。まぁ、せいぜい頑張るのね」
「……ありがとうございます」
 ダイの状況を面白がっている節はあるが、言葉だけをみれば励ましているのだと思えなくもない。
「ローラたちは一筋縄でいかないでしょうけれどね。あの頭の固い死に損ない」
「マリアージュ様」
 たまらない、といった様子で、ティティアンナがマリアージュの悪態を諫める。不機嫌そうに眉をひそめる彼女の様子を、ダイは不思議に思った。
「……マリア様って、ハンティンドンさんのこと」
 つい口に出してしまったものの、嫌いなのか、と直接訊くことも憚られ、語尾が尻すぼみになる。しかしマリアージュは、ダイの意図するところを汲み取ったらしい。きっぱりと断言した。
「だいっきらいね」
「……でもハンティンドンさんって、ずっと昔からこっちにいたんですよね?」
「私が赤ん坊のころからね。その頃から叱ることが趣味なんじゃないかっていうぐらいだったわ」
「……だからなんですか?」
 だから、侍女頭のことを厭うのか。
「それもあるけど……ローラやキリムたちが最低って思ったのは、あれだけヒースのことを拒絶してたくせに、お父様があいつを代行に指名したとたん、ころっとあいつの味方になったことよ」
「味方?」
「そうよ」
 鸚鵡返しに尋ねたダイに、マリアージュは皮肉に口元を曲げて言い捨てる。
「私のことは完全に見下してるくせに、ヒースに対してはぺこぺこ頭下げて。なによ。どっちがこの家の主だと思ってるわけ? あいつはあくまで代行にしか過ぎないのよ」
 わがまま放題の娘よりも、堅実に仕事を行う当主代行のほうに敬意を払いたくなる気も、わからなくはない。
 だがその意見を、ダイは喉元に押し込んだ。これ以上マリアージュの怒りを買うなという、ティティアンナの視線が痛かったのである。
「……そういえば、どうしてリヴォート様は突然、当主代行に抜擢されるまでになったんですか? ミズウィーリ家に来て、二年なんですよね?」
 普通の公募でこの家の使用人として働き始めたのならば、雑用の下男がよいところだ。だというのに二年の間にヒースはミズウィーリ家当主の信を得て、彼亡き後まで任されている。そのためには、ヒースの才能が披露されるに至った事件のようなものが必須のはずだ。
「あの男は、うちの家にとっての救世主、だったのよ」
「救世主、ですか?」
「そうよ」
 聞きなれぬ単語に、ダイは眉をひそめる。救世主。それはなんとも大仰な響きのする言葉だ。
 マリアージュは腰に手を当て、口先を尖らせた。
「うちは落ち目だったの。それを立て直したのがあの男」
「落ち目?」
「そう。昔は女王陛下直々に荘園を下賜されるほどだったらしいけど、今は上級貴族の中でも底辺がいいところ。それっていうのもお父様があまり人付き合いが得意じゃなかったからなんだけど……ってあんた、うちの家がどんな家かろくろく知らずに来たわけ?」
「……そうですね」
 実は、勤め始めて一月が経過しようという今になっても、ミズウィーリ家の事情について詳しくない。侍女頭から、歴史ある上級貴族の家。女王候補の家の化粧師であるという自覚をもつように、とたしなめられた程度だ。
「すみません」
「あっきれた」
 馬鹿じゃない? と呆れ顔でこちらを見下ろしてきたマリアージュは、脱ぎ散らかされて絨毯の上にとぐろを巻いている衣装を、大股開きに踏み越えた。そしてそのまま装飾品や帽子の入った箱を時折蹴り飛ばしながら、その場を離れていってしまう。
「……マリアージュ様?」
 マリアージュの行動の意図が読めず、ダイは彼女の華奢な背中を見つめた。明らかに、マリアージュは何かに腹を立てている。短気な彼女が急に怒り出すのはいつものことだが、今回は理由らしいものに思い当たらない。ダイだけではなく、ティティアンナもまたマリアージュの憤りの原因を把握しきれていないらしい。傍らに立つ彼女と顔を見合わせたダイは、マリアージュが円卓までどかどかと歩いていく様を黙って見届けた。
「喉が渇いたわ!」
 勢いよく振り返ったマリアージュがティティアンナへ声高に叫ぶ。
「ティティ、お茶の用意をしてきなさい!」
「え!? あ、はい、ただ今!」
 マリアージュの剣幕にティティアンナは居住まいを正して返礼し、手に持っていた衣装をダイに押し付けて部屋を退室していく。ばたばた慌しい足音が遠ざかって間もなく、マリアージュの甲高い声が、今度はダイの鼓膜を貫いた。
「ダイ! あんたも何ぐずぐずしてるの!? こっちにくるのよ!」
 衣装を汚れぬように箱の上に畳み置いていたダイは慌てて立ち上がり、急かしてくるマリアージュの下へ飛ぶようにして駆け寄った。
「えっと」
 呼びつけられたはよいが、マリアージュが何を求めているのかさっぱりわからない。
 円卓の傍ら、腰に手を当て仁王立ちしていたマリアージュが、ようやっと次の命令を下したのは、ややきまりの悪い沈黙を挟んだ後だった。
「座りなさい」
「ですが」
 立っているマリアージュよりも先に椅子に座るというのもいかがなものか。椅子を指差して口を曲げる女主人に、ダイは当惑を隠せなかった。
 逡巡するこちらにマリアージュは業を煮やしたのか、また一層声を荒げる。
「私がいいっていってるのだからさっさと座りなさい!」
「は、はい!」
 命令を受諾し、ダイは一礼して椅子を引いた。一拍遅れて椅子に腰掛けるマリアージュの影が、視界を過ぎる。床越しに伝わってくる、どすん、という、彼女が乱暴に腰を落とす際の振動。ダイが上目遣いに様子を窺うと、椅子に腰掛けたマリアージュは眉間に皺を刻み、大きく嘆息を零していた。
「あんた、一体どこまでうちについて説明を受けたの?」
「……説明、ですか?」
「そう」
 腕を組んで、マリアージュは頷く。
「ミズウィーリ家についてどんな説明をうけたのって訊いてるの!」
「……女王候補であるマリアージュ様がいらっしゃるおうち、としか伺っていませんが」
 ミズウィーリ家の立場については追々学ぶだろうと思っていたし、説明を受けても理解できないだろうとの判断から、深く追求することは控えていた。今のところは貴族社会の構造や礼儀作法といった、基本中の基本を学ぶに留まっている。
 ダイの無知は、マリアージュをさらに苛立たせるものであったらしい。
「あんた、馬鹿なの?」
 彼女は目を細め、嘲りというよりどこか真剣な響きで尋ねてくる。
「えーっと……」
 真顔で馬鹿かと尋ねられても、反応に困る。ダイは思わず天井を仰いだ。
「あんた言ってたじゃない」
 ため息混じりの呆れ声で、マリアージュが呻く。
「わかんないことはヒースに聞けって。説明しろって言ってやれって」
「……え?」
 視線を彷徨わせながら次の口上を思案していたダイは、マリアージュの発言の意味を理解しかねて瞬いた。彼女は椅子の上にふんぞり返ったまま、半眼でダイを睨みつけている。彼女の苛立ちは空気を介してダイに伝わり、針のようにちりちりと肌を刺した。
「なのにあんたは何にも教えてもらわずにこっちに来たっていうの?」
 唸るような、問いかけ。
「馬鹿?」
「……すみません」
 再三馬鹿かと詰られたダイは、とりあえず素直に謝った。どうやらマリアージュは先日ダイが口にした説教じみた言葉の内容と、ダイ自身の行いが食い違っていることに憤然としているらしい。
「……あんた、何も教えてもらわないまま、門のこっちに足突っ込んで、怖くなかったの?」
 どこか、労わるような響きすら含む、マリアージュの問い。
「市井と貴族の暮らしって、ぜんぜん違うっていうじゃない。関係ないから別に知りたいなんて思わないけど、でもいきなり門のあっちに放り込まれたら、私は嫌だわ」
 眉根を一層きつく寄せて、マリアージュが嫌々と頭を振る。その様子を、ダイは半ば呆然としながら見つめた。
 ミズウィーリ家の主であるマリアージュと付き合い一月近くが経とうとしているが、彼女は非常に短気で横暴だ。侍女を泣かせて部屋から叩き出すこともよくある。そんな彼女が、新参の仕えであるダイに気を回すことは、ひどく意外なことに思えた。
「……こわ、い、とは、あまり思いませんでした。私が自分で決めたことでしたから」
「……ヒースに引きずられてきたわけじゃないわけ?」
 本当に、マリアージュは彼を悪魔か何かと思っているのだろうか。おかしさを堪えながら、ダイは否定に首を振った。
「いいえ。断ってくれても構わないと」
「ふぅん。そう。じゃぁ何で断らなかったの?」
 あまりに気軽に投げかけられた問いに、ダイは顔を強張らせた。
「えと」
 上手く、理由が思い浮かばない。
 隠しているわけではないが、そのためには長い身の上話を話して聞かせなければならないだろう。長い長い病んだ話を、彼女に聞かせてやるつもりなど、もちろんない。
 唇をかみ締めて、都合の良い答えを探す間に、マリアージュの瞳が冷めたものになっていく。
「……愚問かしらね」
 嘲笑うように、彼女は言った。
「私が女王候補だからあの男の胡散臭い話に飛びついたわけ? 将来、女王になるかもしれないから? 残念。だったらもう少しこの家について知っておくべきだわ」
「……どういう意味ですか?」
「女王になれるなんて、私はこれっぽっちも、思ってないっていうことよ」


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