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93 オアシス

 鏡を見る。
 側付きの娘たちの手によって、念入りに着飾った娘がいる。
 祈りの刺繍が施された砂よけ。縁には飾り用の硬貨が連なって、鋭い日差しを照り返し、黄金に燦めいていた。
 その影で自分を見返す紫金の目は、心細そうだった。
 当然だ。即位した新王との婚礼という大切な大切な日に、唯一の肉親たる、双子の姉がいないのだから。
 鏡台の前でひとり、ため息を飲み込んで、エイネイはそっと瞼を閉じる。
 自分のただひとりの家族だった双子の姉たるシファカは、姿を消した男を探すため、国を出てしまった。
『ごめんね、エイネイ』
 本当にごめん。
『でも、追いかけたいんだ』
 嫌だと思った。
 でも、止めることは憚られた。
 姉の好いた男、ジンは、あちこちを渡り歩く旅人で。対して彼のあとを追う姉は国から出たことがない。全力で、すぐに追わなければ、その足跡をたどることは難しくなると、エイネイにもわかった。
 何より、生まれてこの方、自分と違ってわがままひとつ言わない、忍耐強い姉が追いかけたいというのだ。どうしてそれを引き止められるだろう。
(姉様が今日という日、わたしの側にいないのは、あの男のせい)
 頭の中でジンを百叩きにし、盛大に呪詛を吐いて、エイネイは瞼を上げた。
 鏡越し、斜め後ろに控える、新王が見えた。
 エイネイは、あら、と瞬いた。
「ハル、いつの間にいらっしゃったの?」
「少し前……何度も呼んだんだよ、エイネイ」
 エイネイが席から立って向き直ると、ハルシフォンは、その温和な顔に微苦笑を浮かべて言った。
「……シファカは間に合わなかったね」
 もしも姉がすぐにジンを捕まえられていたなら、あるいは、再会できた男が姉を拒絶して追い返していたなら、彼女はすぐに戻ってきていた可能性があった。
 しかしそうではないのだから、あの男は姉の手をすり抜けていってしまったのだろう。
「仕方がありませんわ……お姉さまがこ無事であることを祈るばかりです」
 姉の音信もぱたりと途絶えた。砂漠越えは慣れている商隊ですら、ときに危うい旅となる。
「わたくしも、お姉さまに甘えた妹のままいられないということです。あなたの妃となるのですから」
 姉はこれまで、エイネイが幸せな小娘であることを許してくれた。身体を張って自分を守ってくれた。
 自分には守られた分だけ、誰かを守り返す義務がある。
 エイネイが微笑むと、ハルシフォンも微笑み返した。差し出された彼の手を取って、部屋を出る。兵たちが壁面に連なる廊下を行き、金管楽器の合図を聞いて、露台へ出る。
 わっと歓声が上がる。集まった民人たちの身につける、色とりどりの砂よけの布がひるがえり、砂色の町並みを、花のように埋め尽くす。
 人々の縁に僅かな緑。そして湖。この不毛の大地に生きる人々の憩いの地(オアシス)
(大丈夫ですわ、お姉さま)
 いつか男に逢えぬことに打ちひしがれたとき、姉が旅を終えたいと願ったとき、いつでも戻れるように、わたしはここを王妃として守りましょう。
 あなたがわたしの憩いの地だったように。