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54 のろけ話

 ミンティはダイが城に上がったころから彼女に仕える女官のひとりである。
 女王の最側近に古くから仕える女官として、いまでこそぶいぶい言わせる立場にある。けれどダイの手伝いを始めたばかりのころは、下女から官位を上げたばかりの下っ端も下っ端だった。
「あの」フランツ・ミズウィーリの愚鈍なひとり娘が即位したことに、憤慨した家の出の女官が何人か城を辞した。そこで急ぎ、すぐ城を辞めても差しさわりない下女が引き立てられた。ミンティはその、運がいいのだか悪いのだかわからないひとりだったのだ。

 ダイの手伝いに、と、付けられた女官は、ミンティのような下っ端か、そこそこの経歴を持つ勤め人であっても、出自やら、過去の失態やら、あるいは性格やら容姿やら、とにかく、何かが理由でちょっと上が扱いに困っている。いなくなってくれても構わない。そんな人材ばかりだった。しかも当初はダイの専属というわけではなくて、ミンティも洗濯場とダイの手伝いを掛け持ちしていた。というか、正確には上級洗濯室付女官(これは女官に登用されて最初に与えられる職場のひとつである)がミンティの役職で、仕事上、海綿やら布やらをよく洗いに来ていたダイが、逆に仕事を手伝ってくれたから、相互に助け合うようになった、が正しい。

 マリアージュの治世が盤石になったいま、その最側近であり、《国章持ち》として多くの仕事を采配するダイが、自分で道具を洗いに来ていたなんて。
 ミンティの部下たちは冗談のように受け取るけれど、そんな過去は確かにあったのだ。
 あのころ、ミンティは仕事ができなくて、恋と失恋を繰り返す娘だった。女官に取り立てられたのは、何か取り返しのつかない失敗をさせて、人事が次の除目のころに自分の首を斬りたかったからだと、ミンティはずっと信じていた。
 ミンティは体格が小柄で、童顔で、でも肉付きは悪くない。家柄は中立派の下級より中級貴族の末っ子。姉の結婚を機に、当時の恋人の伝手を通じて王城に勤め始めた。しっかりもので教養がある姉を、ミンティは慕っていたけれど、姉はそうではないと気づいていた。何せ姉の好きな男とすぐに仲良くなってしまうのである。ミンティが意図したことではない。男たちがミンティをなにくれとなく可愛がってくれるのだ。

「ミンティはおっちょこちょいだからな」
 ――僕が守ってあげたいっていう気になるんだ。

 とは、何人目の恋人の弁だったか。些細な失敗に落ち込む自分を、励まし助けてくれる青年たちに、幼いミンティはたくさん恋をした。そして婚約の話が出かかると、ミンティの恋は、まるで手のひらで掴もうとした雪のように、ほろりと解けて消えてしまうのだ。

「家を支えるなら、しっかりした貴婦人を選べと、父に言われて」

 と、恋人たちは申し訳なさそうな顔で抗弁した。隠れ偲んで愛を確かめ合った青年たちは、だれも父親に逆らって、ミンティと幸せになろうとは言ってくれなかった。
 ダイと出逢ったその日も、何度目かの失恋のやるせない気持ちを、洗濯室の汚れ物にぶつけていた。
 例によって道具を洗いに来たダイと世間話を交わして別れる。
 そしてダイはその日の仕事終わりの時間に、おしぼりを持ってきてくれたのだ。
 精油を垂らした湯につけた、とてもいい香りのする、冷えたおしぼり。

「差し出口かもなんですけど……」
 
 ダイは心苦しそうに自身の瞼を示して見せた。

「瞼の上、冷やした方が、いいんじゃないかなって」

 ミンティはひとり、洗濯室でずっと泣いていたのだ。
 腫れあがった瞼がその証拠。それを労わるおしぼりを、わざわざ香りづけして持ってきてくれた。
 ミンティは結局、その日はわんわんダイの前で泣いて、たくさんした恋と、その顛末を話すことに終始してしまった。
 
 ダイと仕事することの方が楽しくなってくる。
 ミンティは繰り返し恋をした。女官の仕事は甘くない。ミンティは優秀な娘ではないし、立場も弱かったから、それを支えてくれるやさしい男たちに甘えることが必要だった。ミンティが新しい恋を見つけるたび、ダイは時に祝福し、時に長いのろけに耳を傾け、時に恋人が成した不誠実に憤ってくれた。
 ミンティは「お飾りになれない」妙な頑固さをもっていたから、男の火遊びには向いても、家を盛り立てる妻として選ばれない。ミンティは少しずつ、恋に冷めていった。一方で年毎に多忙さと身の危険が増すダイにどう仕えればよいのか。味方になってあげられるのか。毎日ダイのことを考えていくようになった。まさかダイが好きなのかしら。同性に恋をする才能が自分にも! などと、ちょっと自室の寝台で転がったものである。
 が、ミンティの場合、実態はただ友人として、ダイのことを好きなだけのようだ。
 それがわかったのは、ダイが結婚したからだった。
 
「ダイ。ダイはリヴォート様の何が好きなの?」
「ふえ?」

 お昼どきだった。
 行事ごともなく、会議もなく、各所へ訪問にいくこともない。久しくなかったのんびりとした日だ。同僚や部下たちも席を外していて、いつもの姦しさはなりを潜めている。廊下に出れば護衛と取次を兼ねた騎士がいるけれど、室内には留守居のミンティとダイしかいなかった。
 昼食をぱぱっと終えて、ふたりで道具の手入れをしていた。温かくて柔らかい日差しが差し込む円卓で、筆を洗ったり、粉ものの入った小瓶や鏡を丁寧にみがいたりなぞする。それがいつかの洗濯室をミンティに思い起こさせる。
 あの頃はミンティが話してばかりいた。
 だからダイから、彼女が恋をした男の話を聞きたかった。
 急なミンティの質問にダイは微苦笑を浮かべる。

「どうしたんですか、突然」
「聞きそびれてたなぁって思ったんだもん」

 ダイの結婚は突然で、しかも相手は様々な憶測を呼ぶ人だった。マリアージュ・ミズウィーリを女王にした平民出身の男。彼女が女王の座を掴んだその日に消えてしまった人。そして故郷だったという隣国から唐突に戻ってきた――あの国の宰相に酷似しているという、冷たい美貌の男。
 ほぼほぼ女王の断行でダイの婚約者に据えられたというが、ダイから言わせれば「そうしたいと願ったのは自分」らしい。
 戦争の直後の混乱の最中のことだったし、ダイも体調が優れなくて、最低限の仕事のあとは寝込んでいるような感じで。その穴埋めに女官たちは皆、忙しかった。ミンティも例外ではなく。とにかく多忙で、ダイが夫をどう見ているのか、尋ねる機会を逸していたのだ。
 ダイが色板の縁を磨きながら答える。

「わたしの大切なものを、一緒に大事にしてくれるところ、ですかね」
「ダイの大事なもの?」
「わたしの、生き方」

 例えば化粧だとか。化粧師として在ることだとか。

「あの人はわたしを否定しない。それって、とても得難いなって、そう思うんです」
「否定……」
「例えば、わたしはマリアージュ様の臣ですから。陛下を第一に考えざるを得ないことがたくさんあって。でもそれでいいと言ってくれる」
「ダイを傷つけないんだね」

 ミンティはたくさんの男に、たくさんの棘を刺されたから、ダイの話を聞いて、安直に彼女の夫はそうではないのだな、と思った。
 けれどダイは困った風に笑って、それはちょっと違うかなぁ、と言った。

「普通に傷つけられることはありますよ。でも、無意味に人を傷つけないんです。被害者になろうとしないっていうか……。そういうところ、良し悪しだとは思いますけど。……言っている意味、わかります?」
「んー。大丈夫ぅ」
 
 本当は、よくわかっていなかった。仕事の経験を積んで、それなりに仕事ができるようになっても、地頭がよいわけではないのである。でも、ダイが誰かのことを語る、その顔がやさしくて、ミンティはふふっと笑って、話の先を促した。

「ほかには?」
「ほか? えーっと、そうですね。彼は自分の懐に入れた人に、とても情の厚い人なんです。配慮が細やかで……例えば、昔、ミズウィーリにいたときの話なんですけれど」

 化粧の道具をきれいに整えていきながら聞く、ダイの恋の話は、ご夫君の誠実な人柄と彼女に向ける愛が伝わってくるような、とても素敵な響きをしている。
 いつかダイが自分にしてくれたように、ミンティは改めて彼女を祝福しながら、自分も今度こそ、互いを大切にできるような誰かと恋をしたいなぁと。
 そんなことを思ったのだった。