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5 ニアミス

 カイトとアリシュエルを東大陸へ送り届け、西大陸へと引き返すその道すがら。
 碧の藩国グワバ。またの名を択郷の都。西大陸への無補給船の発券を事務所で待っていたダダンは、見覚えある男の背に思わず声を掛けていた。
「おい」
 男が、振り返る。
 亜麻色の髪と瞳を持つ美丈夫だ。面差しは西大陸の民のそれ。背は高く、鍛え抜いて余分な肉だけを削ぎ落とした均整の取れた体格をしていた。
 男は一瞬だけ胡乱そうに目を眇めたが、軽く手を振ったダダンの姿を認め、あぁ、と微笑んだ。
「久しぶりじゃん」



 互いに、名は知らない。
 時折北の大陸の、全く異なる町でばたりと鉢合わせする。男は情報を求め、ダダンは所望の内容を持っていれば売ってやった。その際、酒なぞも酌み交わしたりしたが、素性は詮索したりしなかった。それが、ある種の決まりだ。
 東大陸からこちらに渡ってきたばかりだと述べたダダンを見る男の眼が、興味の光を灯す。
 あちらの様子を知りたがっているのだと踏んで、ダダンは言った。
「暴動がおきそうだぜ」
 ダダンは煙管に火をつけた。普段は紙煙草だが、時折煙管で吸いたくなる。今日は、いい煙草があったのだ。
「どこで?」
「ダッシリナ」
「ダッシリナで?」
 ダダンは頷いた。
「そうだな」
 煙管を燻らせながら、ダダンはつい半月ほど前通り過ぎた大陸の様子を思い返す。暁の占国ダッシリナは、水の帝国ブルークリッカァに隣接する小国だ。占い師たちが政治の舵の方向を決めるという奇妙な国である。
「きな臭いな」
 奇妙な水煙草や書物が出回っている上に、占いの精度が落ちて政治が混乱しているという。盟主と呼ばれる政治の統率者はいるが、占い師たちの宣旨を具体的な方策に変えることが主な職務であり、絶対的な国主とはいえない。現在の盟主は女公で、現状に気を揉んでいるらしい。
 そういったことを告げてやると、男は黙考し始めた。顔がひどく曇っている。
 その整った容貌だけを見れば、西大陸の出。しかし彼の細やかな仕草は、東大陸のものだ。以前から薄々感じていたことに、今は確証を持っている。最近まで東大陸の青年のお守りをしていたせいで、あの大陸の民特有の癖というものにめざとくなってしまった。
「これからアンタはどこへいくんだ? 船を手配してたっつうことは、アンタこの国から出るんだろう。東か?」
 だがダダンの予想に反して、男は西へ行くのだ、と即答した。
「メイゼンブルがどうなっているのか知りたくてね。あの国がなければ、西はかなり荒れているだろうと気になってはいたんだけど、全然見てなかったから」
「確かになぁ」
(知りたいだろうな)
 メイゼンブルが崩壊し、西大陸の情報は長らく遮断されていた。メイゼンブルの様子を男が知りたがるのもわからないではない。
 ダダン自身もまた、長く西大陸をうろうろしていたものの、メイゼンブルの公都に足を踏み入れたことはなかった。一度機会があったのだが、当時同伴していた魔術師に止められたのだ。魔が瘴気となって濃く残る場所では、耐性の無いものは変質してしまう可能性がある、と。
「知り合いの話じゃ、何がどうなってあんなふうになったかわからんっつうぐらい壊滅してたらしいからな、メイゼンブルは」
 様子を見に行った知人の情報屋は、酷い有様だったと青い顔をして惨状を話してくれた。
「あそこまでの大国の庇護を唐突に失って、立ち上がれるっつう国も少なかろうさ」
 ダダンの脳裏にいくつかの国が過ぎる。まずはドッペルガム。ゼムナム。ペルフィリア。そして――……デルリゲイリア。
 地理的な条件やメイゼンブルの完璧な属国ではなかったという歴史を除いても、あの国が国らしく残っていたのは、前女王の功績だ。彼女は、賢君だった。
 他、国らしい国はほとんど残っていない。クランと呼ばれる藩国ほどの集落が密集している地帯。かつてのメイゼンブルの領地や属国も、ペルフィリアほど苛烈に、ゼムナムほど堅実に、立ち直ってはいない。つっつけば脆くも崩れ去るような国が多くある。国としての体裁を取れていない場所もある。
「まぁ気をつけていくこった」
 自戒の意味を込めて、ダダンは言った。これから自分も、あちらへと戻るのだ。
 気をつけなければ、ならない。
 男を見返し、ダダンは言葉を続けた。
「今のとこあっちで安定してるのは、ゼムナムとペルフィリアだな」
「船もゼムナム行きになってたよ」
「どちらも西の玄関口だ。藩国だったが、今はどっちも小国に格上げされてる。ゼムナムは宰相、ペルフィリアは女王が傑物だ。西大陸の最北と最南だなんて、喧嘩がなさそうでいいこった」
 とはいえ、あのペルフィリアの勢いからすると、もしかしたら衝突することもありうるが。
 そういえば、ペルフィリアで宰相の話題を聞かぬとふと思った。
「あと、見所ありそうなのはドッペルガム」
 これは、ひいきだった。ドッペルガムの情報をつらつらと教えてやる。脳裏を負けん気の強い姫君と寄り添う魔術師の姿が掠めた。二人は、元気だろうか。
「俺がアンタに教えてやれるのはそこまでか?」
「ありがとう」
 礼を述べながら男は紙幣をダダンに差し出した。遠慮なく受け取りながら――ふと、送り届けた男女の姿が思い浮かんだ。長らくお守りをしていた青年。そして、彼の兄の恋人だった娘。
 じっと、男を見る。食事や酒を共にしていて、飽きぬことのなかった男。彼のくったくのなさと、はっきりとした線引きの仕方が気に入っていた。
 紙幣を数え、笑って、二枚だけを引き抜いて残りを男に返した。
「何故?」
 怪訝そうに男は首を傾げる。何か裏があるのかと勘ぐっている様子だった。
「いいだろう。大した情報でもねぇよ」
 ダダンの言を、男の亜麻色の眼が否定している。ダダンは苦笑した。
「俺はアンタを気に入っていてだな」
「いっておくけど、俺は男を抱く趣味とかそういうのはないよ」
 そういうことを吹っかけられたことがあるのだろう。ダダンは苦笑いを深めた。こちらにも、男と寝る趣味はない。
「まぁ、俺の話を最後まで聞け。なんてったって、アンタの容姿は目立つ。俺は人の顔をおぼえることは特技だが、それでもアンタのやつはとりわけな。容姿だけじゃない。立ち振る舞い、所作、言葉の音調。そして、そんな風に人目を引く空気を纏う人間なんて、そんなにいない。いるとしたら、そうあるように訓練を受けたかどちらかだ」
「何が言いたい?」
「東大陸で、俺はブルークリッカァにも足を運んだ。有名な話だぞ、外交に出たまま戻らぬ宰相の話。容姿は亜麻色の髪に瞳。東大陸の人間のくせに、西大陸の面差しを持つ男。有能な皇帝の、有能な右腕。消える要素がひとつもない。なのに姿を消した――死んだとすら噂されている、ジン・ストナー・シオファムエン」
 カイトの両親との酒の席で出た話題だった。
 下級の貴族が知っているのだから、かなり広まっているといえる話。
 その話を聞いたとき、今目の前で相対する男のことが思い浮かんだ。西大陸の容姿を持つ東大陸出身者はそう多くない。容姿だけならともかく、訓練された立ち振る舞いをする頭の切れる男となると、さらに数は絞られる。
 男は沈黙していた。その目に図星を突かれたというような色はなく、ただ淡白で、ダダンの言に白けたようにも見て取れた。
 ダダンは笑って椅子の背に重心を預ける。
「が、俺はアンタの名前なぞ、しらん。アンタがどんな出自をもとうが、俺には興味がない。ただ、アンタは、その宰相さんとやらと同じ目の色髪の色をしてるそっくりさんだ。ならばどこともしれん宰相に寄付するような気持ちで、情報をやっておいてもいいだろうと思ってだな」
「なんでその宰相に、寄付したいなんて思ったのさ」
「水の帝国に戻ってやってほしいからさ」
 ダダンはいつの間にか消えてしまった煙管の火を再度入れなおした。
「何故?」
「宰相がもどりゃ、水の帝国はもっと安定するだろう。今も十分すぎるほどに、復興してるがな。あれには俺も驚いた」
 本当に、カイトに雇われるきっかけともなった仕事であの国に足を踏み入れたとき、度肝を抜かれたものだ。
「俺が若いころにゃ、あの国は目も当てられん有様だったつうのにな」
 そこまでいって、自分で若い頃なんて口にしていたら世話ないと自嘲する。まだ、三十路には手が届いていない。
「ダッシリナは荒れるぞ」
 ダダンは言った。見て廻った後の、率直な感想だった。
「メルゼバもブルークリッカァも、国境付近に兵を置いた。ダッシリナは今祭りだとかで大賑わいだが、何か起こるならその最中だろう。国の隅々までに浸透した麻薬。得体の知れない、宗教臭い政治思想が新たに民の間にはびこり始め、農業はここのところ不作が続いて輸入物の値段が跳ね上がる一方だ。その上、出来のよくない国内の麦には値崩れが起きてる。対策を講じない国に対する不信感も強いな。なんかこんなに急に事態が動くのか? っつう、違和感みたいなもんも覚えるんだが、だが長くは持たん。なにかしら騒ぎが起きて、下手をすれば戦争が起きるかもしれん」
「そんなに酷いの?」
「俺たち旅の情報屋に見えるぐらいだから相当だろう。メルゼバも栄えて安定しているが、斜陽に差し掛かっている。攻撃されれば動くが、あちらさんは守りに徹するだろう。ここはぜひとも、伸び盛りのブルークリッカァには安定して、この事態を抑えておいてほしいと思ってだな」
 でなければ、あの姫君たちが癒されない。
 ダダンは無意識のうちに胸元に手を当てていた。そこには託された手紙が収められている。西大陸の様子を見に戻りがてら、これを届けてやるつもりだった。
 頑固な化粧師とミズウィーリ家当主代行。妙にぎすぎすしていたが、時間を取って、穏やかに話し合いをもてていれば――……。
 あとは、短気な女王候補。ぷりぷり怒る様が、妙に懐かしかった。送り届けた姫君が最後まで案じていた相手が、あの豪気な娘だ。
 彼らにまた会うことが、少しだけ、楽しみだ。
 男の視線を感じ、ダダンは笑って、誤魔化すように付け加えた。
「何せ西でも大国、東でも大国がばたばた倒れてもらっちゃ、俺たちは旅先で旨い酒が一つも飲めんからな」
 実際、それもダダンの本心だった。



 二人の男は別れて道を往く。
 そして些細な悪戯は、一人を予定通り西へ、一人を意に反して東へと運んだ。
 西は一つの始まりの道。東は一つの終わりの道。
 彼らの道が再び交わったかどうかは、誰も知らない。