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27 ゆめのなかなら

 雷が、落ちた。
 どこか、遠くで。
 はっとダイは目を覚ました。悪寒が背を這い、冷や汗が顎を伝う。もうろうとした意識は、時間の感覚を奪い去る。意識を失う前の記憶は手繰り寄せても闇の中。水の礫に晒された窓の玻璃は滝の様相を呈していて、外は断続的に地に突き立つ光のせいか仄明るい。今は昼なのか夜なのか。皆目見当もつかなかった。
 か、と、光が瞬く。
 魅入られたかのように外を凝視し、起こした上半身を震わせているとふと、ひやりとした手が頬を包んだ。
「ディアナ?」
 呼ばれるまま視線を落とす。枕に頭を落とした手の主が、気だるげに瞼を上げている。そこから覗く蒼の瞳は訝りの色を宿していた。
「どうしたんですか?」
「……ヒース?」
「はい」
 ほやほやとした声で男は頷き、ダイの身体を強く引き寄せた。ぽす、と、頭が彼の肩口に落ちる。鎖骨のくぼみと首筋の線に、自分の顔がぴったりと収まり、力強い腕が身体に絡みつく。ヒースの唇が額に触れる。彼のそれは渇いていて、冷たかった。慣れた感触だと思った。
 いつどのようにして、二人で眠ったのか思い出せない。
 けれどずっとずっと昔から、こうしているような気がした。
「かみなり、すごいですね」
「……あぁ、音で起きたんですか」
 目を閉じたままヒースは言った。その声はまろく、どこか夢うつつに響いた。
「かみなりは苦手ですか?」
「どうして?」
「窓を怖い顔で睨んでましたよ」
「……そんなに怖い顔でした?」
「えぇ。貴女にしては」
 彼の唇の動きを額に感じる。寝起きに掠れた声は甘く低く、ダイの耳をすぐさま支配した。
 豪雨の音が、遠くなる。
「ヒースは」
 ダイは男の衣服を握りしめた。
「どうして私を置いていったんですか?」
 あの日も、遠雷が鳴っていた。
 絶え間なく。
「……貴女がそれを望んだから」
「ヒースって、へんなところで私の意思を尊重しますよね」
「変なところってなんなんですか。……私は貴女の意思をないがしろにしたことなんてありませんが」
「知ってます。……わたしのしたいように、いつも、させてくれていましたよね」
 彼は間違えない。
 ダイが一番に望むことを。
 ヒースの手が、ゆっくりと髪を梳く。その指が生み出す、官能的な快楽に、そっと息を吐いた。
「ディアナ」
 と、彼は呼んだ。
「貴女が望むなら、私は貴女の傍にいますよ」
「はい。……ヒース」
 ヒースが目を開いて、ダイを見た。蒼はやわらかく融けてダイを見ていた。はい、と笑う男に、ダイは微笑み返す。
 ダイがぎこちなく薄い唇に口づけると、ヒースはダイの頬をその手で撫でて、あいしているよと小さく言った。


*


 目の前に革の手帳があった。いなくなった男の私物。走り書きだけが羅列された、使いこんだ跡のあるそれ。
 ぼんやりとそれを眺め、ぱりぱりに乾いた目元を擦る。外では、まだ激しい雨が。
「ダイ、ダイ、いる?」
 ユマの声が響き、ダイはひとり寝入っていた寝台から降りた。
 扉を開ける。姿を見せたダイに安堵しかけた友人は、その表情をこわばらせた。
「ダイ、どうしたの? 泣いてたの?」
「え? なんで?」
「目元赤いよ」
「え? うーん……いや、別に。泣いた覚えはないんですけど。ちょっと寝てたので……」
 ダイはくしゃくしゃの敷布の中心に鎮座する手帳をちらちと振り返って笑った。
「へんな夢でも、みたのかもしれません」