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番外 神をも殺す剣 後


「魔狂い?」
「魔に酔う、とも申します。身体に魔力を溜め込みすぎる方によく見られる現象です」
 ヤヨイと名乗った魔術師の少女は、ラルトの問いにそう答えた。ティアレ曰く、あのラヴィ・アリアスの従者であった少女だという。ティアレの避妊の呪いを解いた娘。
 ティアレのここのところの不調は、彼女が身体の中に魔を溜め込みすぎているせいなのだと、彼女は言った。
「古来、魔女はなんらかの方法で魔術を行使し、己が身に巣食う魔力を発散させてきました。しかし今の世の中は魔術師自体の数が減り、ティアレ様に魔術の行使の仕方を教えられるものがおりません」
「ティアレは構成が編めないといっていた。どんなに教えられても」
「それは教師の方々が悪いのです」
 先だってティアレの魔術指導に当たり、結局目的を遂げることができずに城を去った魔術師達を、少女はあっさりとこき下ろした。
「仮に、桶一杯の砂で、床の上に、お城を作っている方が通常の魔術師の方々だといたします」
 彼女の例えは、砂浜で、砂を練って城を作る遊びに興じる子供を、ラルトに連想させた。
「ところがティアレ様は、地平線まで砂をお持ちでいらっしゃる。目もくらむような量の砂。どれぐらいの量を拾い上げればいいのか、どれぐらいのお水が必要なのか、そもそも、立っている場所も砂なので、どこに作れば作りやすいのか、それも決めなくてはならない。元々少ない量しか魔を持たず、術を行使している方々に、ティアレ様の魔の扱い方がわかるはずもない。……判れば、発狂するでしょうけれど」
「君にはわかるのか?」
 ラルトの問いに、少女は笑った。
「私はコツを存じているだけです、陛下」


 ヤヨイはまず、ティアレの目の前で簡単に招力石に魔力を込める方法を披露した。これはディスラ地方に住まう招力石の職人にしか伝わらぬ芸当なのだという。元は樹木だという招力石が一体どのように加工されるのか、知るものは決して多くない。
 そしてティアレにやってみろ、と、魔力を失ってくすんだ招力石を差し出し、手順を教えた。無論、一度で成功するはずもなかったが、元招力石の破片に僅かに光が宿り、濁りが薄まったのを見て取って、才能があるとヤヨイはティアレを褒めた。そしてすべての招力石の破片に魔力を込め終わった頃には、身体の中に巣食っていた、澱のようなものが取り払われていることを、ティアレは確かに感じ取ったのである。
 ヤヨイの授業は、宮城にある膨大な数の招力石全てに魔力を込め終わるまで続けられた。


「当分はこのように魔を要因とした病に伏せることはないと思われますが、定期的に城の招力石に魔力を込めていってください。一月に一つぐらいでいいです。そうすれば、招力石の寿命もうんと延びますし、ティアレ様のお体の不調もなくなります。今までよりもずっと健やかに暮らしていけるかと思います」
 城を離れる、とヤヨイが告げた翌日、最後にヤヨイはそのようにティアレに言った。
「本当はもっと色んな魔術を教えて上げられたらよいのですけれど」
「許可がない?」
 言葉の先を汲み取って問うたティアレに、ヤヨイは苦笑を浮かべた。
「今回のことも、許可を取り付けるのに苦労したのです。将軍は、もうこちらに関るなっておっしゃった。本当に、その通りなんだと思います。今回、将軍がこのことに関して許可を出してくださったのは、こちらの交換条件のためにほかならない」
「交換条件?」
「これに触れてくださいと、お願いしたこと、覚えてくださっていますか? ティアレ様」
 そういってヤヨイは細長い、白の包みを掲げる。ティアレは頷いた。
 ヤヨイは満足したように微笑み、紐を緩めて包みを解く。中から現れたのは、一振りの剣だった。
「見事だな」
 剣を一瞥するなり感想を口にしたのは、ことを見守っていたラルトである。
「獣の剣、と呼ばれています。別名、四つの剣、とも」
「四つ?」
「はい。もともとは四本あったらしいのですが、今はこの一振りだけが現存しています」
 ヤヨイが卓の上に置いた剣は、確かに造詣の深くないティアレの目から見ても見事なものだった。つや消しされた黒い鞘に収められた剣の、鍔に当たる部分にはその名の通り獣の装飾が施されている。獣は夜を思わせる濃紺の宝石を口に咥え、尾に当たる柄尻には古い文字が彫られていた。精緻な彫金が施されているが、かといって美術品の剣でないことはよくわかった。柄の部分には赤茶に薄汚れた布が巻きつけられ、また剣自体の造りも、殺傷の邪魔にならないような構造になっていたからだ。
「抜いてもいいか?」
 ラルトの問いに、ヤヨイは首を振った。
「おそらく、抜けないと思います」
「何故?」
「術がかかっているのです陛下。剣を抜く人間を、この剣は選ぶ」
「試してみても?」
「どうぞ」
 ティアレの傍らから手を伸ばしたラルトが、剣に触れる。しかし、それだけだった。ラルトは顔をしかめて手を引いてしまった。
「どうなさったのですか? ラルト」
「握れない」
「え?」
「水に触れているような感触だ。握れない、というよりも触れられない」
 ラルトはもう一度剣に手を伸ばした。先ほどとは違い、柄を本格的に握ろうとしたのだ。しかし確かに彼の言う通り、指先が触れる瞬間に剣の周囲の空気が揺れ、波紋のように景色が波打った。剣の輪郭が、崩れる。
 ラルトが手を引くと、つい先ほどの現象が嘘であったかのように、剣は元の形を取り戻していった。
「この剣に、私も触れることなどできないのではないのですか?」
 ヤヨイはこの剣に触れてくれとティアレに言ったが、ラルトがこの状態では自分もまた同じなのではないか。
「いえ。ティアレ様なら大丈夫です」
 しかしティアレの懸念を払拭するように、ヤヨイは笑顔でそう請け負った。
 本当に、大丈夫なのだろうか。
 だが、約束は約束だ。ヤヨイの指示に従って招力石に魔力を込めるようになってから、身体の不調は嘘のように消え去っていた。そのことに関して、感謝してもしきれない。
 だというのに、こちらが約束を反故にするわけにもいかないだろう。
 ティアレは衣服の袖を左手で支えながら、右手を剣に差し伸べた。ラルトのときと異なり、剣は沈黙を保っている。恐る恐る伸ばした指先が、硬質の感触に触れる。つ、と指を滑らせ、柄を握り締めた。布はざらざらとして、硬かった。血が付着した布がそのまま固まってしまった。そのような感じである。
 と。

 ずん……

「え?」
 足元が、揺れた。
 否、揺れたと思ったが、それは自分だけのようだった。実際ラルトとヤヨイは平然としている。慌てて剣から手を離そうとしたが、離れない。驚愕に顔色を変えたティアレはヤヨイを仰ぎ見て――景色が歪むその様に、悲鳴を上げそうになった。
「――っ……!!!」
 ティアレの周囲を流れていくのは、ティアレが体感してきた今日までの景色だ。まるで時間に逆行していくかのように、景色は過去へ過去へと遡る。子供を生んだ日、ラヴィに捉えられた瞬間、ヒノトとの出会い、立后の祭典、ジンを乗せた船を見送った自分の姿、ラルトとの邂逅――呪われた、彼と出逢う以前の人生。
 時間は更に遡っていく。見知らぬ女達の人生を、垣間見る。笑いが聞こえる。悲鳴が聞こえる。
 怒りが、聞こえる。

『お前が私から全てを奪った!』
『おかしいのだろうか。妾はお前を慕わしいとは思うが、愛しいとは思わぬ。妾が愛したのはお前ではなく――』
『だいすきなあなたに、くにをあげる』
『やめてやめてやめてやめておねがいぜんぶやめて』
『私、幸せよ、とっても幸せ』
『あぁ、貴方が私を殺しにきたのね』
『それこそ、妾たちは生まれ変わりなどではなく、別の人間である証左ではないか?』
『どうして愛してくれないの? お母様』
『いいの? あなた、魔女と呼ばれるわよ?』
『たすけておねがいここからだして』
『また、出会えるわよね。この土地で』
『だれも、にくんでない。あなたにであえたから』
『おねがい。もう、終わらせて』
『あいしてる』
『さようなら、わたしの』
『やさしいやさしい、あなたに』

 レXXルーXス。

「ティアレ!!!」
 がしゃん!!!
「っ!!!」
 音が。
 景色が。
 戻った。
「……ら、ると?」
「あぁ」
 ティアレの腕を引いて支えているラルトが大きく頷き、顔を覗きこんでくる。ティアレは半ばへたりこむようにして椅子に重心を預けた。白い布で素早く剣を包もうとしているヤヨイに、ティアレは震える声で尋ねる。
「ヤヨイ、その剣は……何、なのですか?」
 ヤヨイは答えない。白い布で包まれた剣を胸に抱え、彼女は微笑する。
「ヤヨイ、その剣は一体何なのですか!?!?」
 ラルトの手を握り締め、ティアレはヤヨイに叫んだ。指先が冷たい。喉がひどく渇いている。今すぐ、眠ってしまいたい。
 しかし眠れば、夢を見そうだ。
 今しがた、ティアレの脳裏を一瞬のうちに焼いていった、女達の記憶を。
「これは獣の剣と呼ばれています」
 ヤヨイは先ほどの回答を繰り返した。
「そしてこれは、私達の姫様の剣でした」
「……姫?」
「私達は将軍と姫様にお仕えするものです。姫様はずっとこの剣を使われていました。この剣が一体いつ、どこで、誰によって作り出され、そしてどのようにして姫様の手に渡ったのか。私にはわかりません。ただ、この剣は、魔女であった方々の手に一度は触れて、時代を渡ってきた。今の時代を生きる魔女は貴方ですティアレ様。本当は歴史の変革時に貴女の手にあるはずだったこの剣は、別の変革を追いかけ、その間に全てが終わってしまった。けれど、貴方様が歴史の影に埋もれていくまえに、この剣に触れていただく必要があった」
 それ以上のことは言えません、と、ヤヨイは口を噤んだ。
「ありがとうございましたティアレ様。どうかお幸せに。もう誰も、貴方様の幸せを邪魔するものは現れないでしょう」
 貴方が、安らかに人生を閉じる、そのときまで。
 魔術師の少女はそのように述べ、別れを告げた。彼女が残した謎を、結局ティアレたちは知ることなくその人生を終えることになったのである。
 ただ、その生は確かに彼女が告げたとおり、長く幸福なものに違いなかった。


「おーおかえり」
「将軍!」
 里に戻ったヤヨイを迎えたのは、しばらく戻らぬと思っていた将軍その人だった。
「首尾はどうだ?」
「ちゃんとティアレ様に触っていただけました」
「オウサマは元気だったか?」
「お元気でしたよ」
 そして幸せそうだった。呪いから解放された英雄の末の数はとても少ない。その幸福さを目の当たりにすることができて、よかったと思う。
「もう戻られたんですか? 将軍」
「うん。頼みごとがあってさぁ。それ、後で預けておいてくれよ」
「誰に預けておけばよいのですか?」
「リオールのばぁちゃんに。もうすぐこの里を訪ねてくるだろうから」
「将軍から直接預けられたらよろしいのに」
 リオールの長と将軍は、しばらく顔を合わせてないはずだ。以前里を訪ねてきた長老が、将軍に会いたがっていたことを思い出した。
「俺じゃだめなんだ。壊したくなってしまう」
 思いがけない言葉に、ヤヨイは目を瞬かせた。壊したくなる? この剣を?
「どういう意味ですか?」
 将軍は答えない。ヤヨイは頬を膨らませた。自分も同じようなことをティアレにしたとはいえ、自分がやられれば腹立たしいことには変わりない。
「全く、その年になってそんな子供っぽい顔するなよ。男はできたのか? ヤヨイ」
「余計なお世話です!」
 けらけらと笑う将軍を追い立てて、ヤヨイは嘆息した。腕に抱えた、白い包みに視線を落とす。
 獣の剣。四つの剣。姫様の、剣。
 この剣が、本当の意味で使われるのは、一体いつなのだろう。
 おそらくその時代に、自分は生きていまい。
 ヤヨイは面を上げて将軍の背中を見つめた。里の妹たちと談笑する男の背中は、数年前と寸分変わりがない。その背中を、愛している。おそらく、この世界に生きるどんな男のそれよりも。
 しかし自分が将軍に愛されることはない。共に生きることもない。自分はいつかまだ出会わぬ男の子供を生み、そして血と運命をつなげていくのだ。愛しても添うことのできぬ男のために。
 自分の母もそうした。自分の祖母も。すでに、自分の妹たちの中で、あまり力のないものは夫を迎えて子をなしている。この里の女達は、皆将軍を愛し、そして彼のために別の男を愛して命を繋げていく。
 ヤヨイは剣を抱きしめた。
 魔女に触れられた剣。呪いの記憶をすべて刻み込んだ剣。
 いつかその剣が、この里を、呪いの軛から断ち切ってくれることを願って。


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